会社員に向いていないのは、性格ではなく構造です

会社員に向いていないのは性格ではない|適性でなく構造の問題

はじめに

月曜の朝、あなたはまた、玄関のドアの前で数秒だけ立ち止まっています。行きたくないわけではない。行けないわけでもない。ただ、足がわずかに重い。その重さの理由を、あなたはうまく言葉にできません。

会議で交わされる言葉が、どこか上滑りしていく感覚。周りは当たり前のようにこなしている手続きが、自分にはひどく不自然に感じられる瞬間。そのたびにあなたは、小さな声で自分に問いかけてきました。「自分は、この組織に向いていないのではないか」と。

その問いを、あなたはこれまで何度も自分で握りつぶしてきたはずです。向いていないと感じるのは甘えだ、と。周囲からも言われてきました。「もういい大人なんだから」「みんな似たような不満を抱えながらやっている」と。だからあなたは、その違和感を自分の弱さの証拠として処理し、また次の月曜を迎えてきました。

しかし、その処理のしかたそのものが、間違っているとしたらどうでしょうか。

本記事の主張は一つです。「会社員に向いていない」という感覚は、あなたの能力や性格の欠陥ではありません。それは、雇用という構造の中であなたが置かれている「位置」と、その位置に最適化されたあなた自身の判断基準が生み出している、構造の産物です。 これから、その違和感の正体を二つの層に分けて解剖します。そのうえで、なぜ転職ではこの感覚が解消しないのか、なぜ独立でさえ落とし穴になりうるのか、そして出口はどこにあるのかを、順を追って分析していきます。

「向いていない」という感覚の正体──それは能力評価ではない

まず、一つの区別から始めます。「向いていない」という感覚を、あなたはこれまで「能力が足りない」という意味だと解釈してきました。この解釈が、最初の誤りです。

能力の不足であれば、経験を積めば消えていくはずです。ところが多くの人にとって、この感覚は勤続年数に比例して薄れるどころか、むしろ濃くなっていきます。仕事は覚えた。評価もされている。それでも、根の部分にある違和感は消えない。ここに矛盾があります。能力の問題であれば、能力が上がった分だけ違和感は減らなければならないのに、そうならないのです。

この矛盾は、一つのことを示しています。あなたが感じている「向いていない」は、能力を測る目盛りの上にある感覚ではありません。それは、自分が置かれている環境と、自分の内側の何かとが、噛み合っていないことを知らせる信号です。 能力の高低とは別の軸で鳴っている警報だから、能力が上がっても鳴りやまないのです。

信号は、故障ではありません。むしろ正確に機能している検知装置です。あなたが「向いていない」と感じ続けているのは、あなたの中の検知装置が、環境との不適合を正しく拾い続けているからに他なりません。問題は、その信号を「自分が悪い」という方向に読み替えてきたことにあります。

では、その信号は、いったい何と何の不適合を検知しているのか。ここから、二つの層に分けて掘り下げていきます。一つは「経済の構造」、もう一つは「認識の構造」です。この二つを取り違えている限り、あなたは正しい信号を、自分への非難として受け取り続けることになります。

あなたが売っているのは「時間」である──会社員という構造

最初の層は、経済の構造です。会社員としてのあなたが、雇用契約を通じて実際に売っているものは何か。ここを正確に定義するところから始めます。

答えは、あなたの「時間」です。より正確には、決められた時間、決められた場所に自分を拘束し、その拘束された時間そのものを対価と交換しています。成果ではなく、時間の提供が対価の根拠になっている。これが雇用という取引の基本構造です。

ここで、経済学の古典的な区別が役に立ちます。マルクスが『資本論』で論じたように、雇う側があなたに支払う賃金は、あなたを働ける状態に保つための費用——いわば労働力そのものの値段——にひもづいています。一方で、あなたの労働が実際に生み出す価値は、その賃金とは別の大きさを持ちます。両者のあいだに生まれた差は、あなたではなく雇う側に残るのです。労働力の値段(労働価値)と、その労働が使われて生み出す価値(利用価値)が別物であること——この差の存在こそが、時間を売る位置の本質に他なりません。この点の詳しい分析は、労働価値と利用価値の違いに譲ります。

私自身、この構造を身体で理解する時期がありました。音楽の勉強に打ち込んだあと、私は生計のために、家電量販店の店頭で携帯電話を販売する仕事をしていました。売り場に立ち、なんとなく商品を眺めているだけのお客さんに、こちらから声をかけていく。あの仕事です。そこで交換されていたのは、私が売り場に立っている時間でした。どれだけ気の利いた接客をしても、私が受け取るのは、その場に拘束されていた時間に対する定額の対価だった。成果は、私の手元には残らなかったのです。

このとき起きていたことを、構造の言葉で言い直します。時間を対価と交換する取引に入っている限り、あなたが提供できる時間には物理的な上限があります。一日は24時間しかなく、身体は消耗する。つまり、時間を売るという位置に立った瞬間、あなたの収入には天井が設定され、その天井は「あなたがどれだけ自分を拘束できるか」で決まってしまう。向き不向き以前に、この位置そのものが、消耗を構造的に生産しているのです。日本の商法上、代表者以外の従業員が、社会的には「社員」と呼ばれながら、法律上の扱いとしては会社の設備の側に数えられてきた事実も、この位置の性格を象徴しています。

会社員として消耗するあなたは、能力が低いのでも、忍耐が足りないのでもありません。時間を売るという構造的な位置に立っている限り、消耗はあなたの資質とは無関係に、位置の側から供給され続ける。 これが第一の層です。この位置から抜け出す方向性については、許可を必要としない4つのレバレッジで扱っています。

なぜ「自分の欠陥」だと感じてしまうのか

しかし、ここで多くの人がつまずきます。構造の問題だと説明されても、実感としては「やはり自分の問題だ」としか思えないのです。周りは同じ環境で平気そうに働いている。だとすれば、消耗している自分の側に欠陥があるのではないか、と。

この「自分の欠陥だ」という感覚こそ、第二の層です。ここには、認識の構造が関わっています。

一つ、実験的に知られている事実があります。行動経済学者のサミュエルソンとゼックハウザーは、1988年に「現状維持バイアス(status quo bias)」という傾向を報告しました。これは、人が現状を「変える」選択肢よりも「維持する」選択肢を、合理的な理由を超えて強く選んでしまう心の癖のことです。人間の認識は、慣れ親しんだ状態を安全と見なし、そこから外れることを危険と見なすように働きます。

このバイアスがあると、何が起きるか。長く一つの環境に身を置いていると、その環境の中で「何が普通で」「何が価値があり」「自分に何ができて何ができないか」という判断の基準そのものが、その環境に合わせて形成されていきます。あなたが自分を測るときに使っている物差しが、いつのまにか、その環境が支給した物差しになっているのです。

ここに、心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感(self-efficacy)」という概念を重ねると、事態がはっきりします。自己効力感とは、「自分はこれを達成できる」という、自分の能力に対する自己評価のことです。重要なのは、この評価が、実際の能力そのものではなく、環境から繰り返し受け取ってきたフィードバックによって形づくられるという点です。

仕組みは単純です。ある行動をして、結果が返ってくる。その結果が「できた」なら評価は上がり、「できなかった」なら下がる。これが何百回と積み重なって、あなたの「自分にできることの範囲」の感覚ができあがります。だから、組織の中で「あなたに任せられるのはここまで」という枠を繰り返し受け取り続ければ、あなたの自己評価そのものが、その枠の内側に縮んでいくのです。

つまり、こういうことです。「自分は大したことができない」「組織の中でしか居場所がない」という自己像は、あなたが生まれつき持っていた性格ではありません。それは、いまいる環境が反復するフィードバックを通じて、あなたの中に形成した判断基準の産物です。 あなたは自分で自由にそう判断しているつもりでいて、実際には、判断の基準そのものが環境の側で形づくられている。これは、自分で選んだつもりの不自由、と呼ぶべき状態です。

この主張は、検証できます。もし「向いていない」が生まれつきの性格なら、環境が変わってもやる気の出方は変わらないはずです。ところが実際には、そうなりません。私はかつて、コーチングの理論を学ぶ中で、この点を明確に言葉にできる観察に出会いました。仕事へのやる気、いわゆるモチベーションは、その人の生まれ持った性格や素質から湧いてくるものではない、という事実です。やる気が出ないのは、「自分のやりたいこと」と「会社のやりたいこと」が構造的にずれているときに起きる、当然の帰結にすぎない。逆に両者が一致していれば、やる気は放っておいても湧いてくる。同じ一人の人間のやる気が、目的の噛み合い方ひとつでこれほど変わるのなら、それを「性格」で説明することはできません。やる気の有無は、あなたの人間性の採点結果ではなく、二つの目的が噛み合っているかどうかという、構造の関数だったのです。

この認識の枠がなぜ外れにくいのか、その脳の仕組み——選択的注意と心理的な盲点——については、RASと盲点の構造でさらに掘り下げています。

「向いている人」との本当の違い──適性ではなく構造適応

ここまで読んでも、まだ一つの疑いが残っているはずです。構造の問題だと言うが、現に平気で働いている人がいる。同じ環境で消耗しない人がいる以上、やはり違いは自分の側にあるのではないか、と。この疑いに、正面から答えます。

「会社員に向いている」ように見える人を観察すると、そこには性質の異なる二種類が含まれています。ふだんは一緒くたに語られますが、この二つは分けて見なければなりません。

一つは、目的が本当に一致している人です。その人自身が心から実現したいことと、会社が向かおうとしている方向とが、深く重なっている。この場合、時間を売っているという構造は同じでも、売った時間が自分のゴールにそのまま接続するため、消耗は起きにくい。ただし、私が観察してきた限り、これはかなり珍しいケースです。自分のゴールと会社のゴールが本当にぴったり重なる人は、そう多くありません。そこまで一致しているなら、その人はやがて事業を担う側へ回っていくほうが自然でしょう。

もう一つは、適応しきった人です。長い時間をかけてその環境の判断基準を深く内面化した結果、位置の不適合が、もはや違和感として立ち上がらなくなっている。ここで注意が要ります。この人に不適合が「ない」わけではありません。不適合を知らせる信号の感度が、下がっているのです。 第二の層で見た自己評価の物差しが、環境の物差しと完全に一体化したとき、ズレを検知する装置そのものが静かになります。それは、問題が解決したのではなく、問題を感じる回路が鈍っただけです。

この区別が、あなたの疑いに答えを与えます。あなたのまわりの「平気そうな人」は、前者かもしれないし、後者かもしれません。前者であれば、あなたとは状況が根本的に違うので、比べること自体に意味がありません。後者であれば、あなたが劣っているのではなく、あなたのほうが信号をまだ受け取れている、というだけのことです。

だとすれば、あなたが違和感を感じ続けているという事実は、欠陥の証拠ではありません。むしろ逆です。それは、あなたの検知装置が、鈍らずに正常に働き続けている証拠に他なりません。 適応して信号を消すことも、確かに一つの生き方です。しかしそれは「向いている状態」になったのではなく、「向いていないことに気づけない状態」へ移っただけです。あなたが本当にそちらを選ぶべきなのかは、この記事を最後まで読んでから決めても遅くはありません。

なぜ転職は「向いていない」を解決しないのか

ここまでで、二つの層が見えてきました。時間を売るという経済的な位置(第一の層)と、その位置に最適化された自己評価の基準(第二の層)。この二つを踏まえると、多くの人が最初に選ぶ解決策の効き目を、正確に見積もることができます。

その解決策とは、転職です。いまの会社が合わないのなら、自分に合う会社を探せばいい。より裁量のある職場、より価値観の近い環境へ移ればいい。これは、多くの場合、合理的な処方です。

ここで、区別を一つ立てておかなければなりません。あなたの違和感には、二つの種類がありうるからです。一つは「職場との不適合」です。上司との相性、業務内容のミスマッチ、社風との齟齬——これらが原因なら、環境を変えれば違和感は消えます。この種の違和感であれば、転職はまっとうな解決策であり、本記事はその選択を否定しません。

しかし、もう一つの種類があります。それは「時間を売るという位置そのものへの違和感」です。そして、あなたがこの記事をここまで読み進めているのなら、あなたが抱えているのは、おそらく後者です。というのも、前者の違和感は転職や配置転換で片がつくため、何年も居座り続けることはないからです。消えずに残り続ける違和感は、職場ではなく、位置に根ざしている。 ここに、転職の限界があります。

なぜなら、転職で移動できるのは、あくまで「どの会社で時間を売るか」だからです。時間を売るという位置そのものは、移動の前後で変わりません。職場を変えても、あなたは依然として、拘束された時間を対価と交換する側に立ち続けます。第一の層は、そのまま持ち越されるのです。第二の層についても同じです。自分を測る物差しが「雇われる側の物差し」であるかぎり、新しい職場でも、あなたはその物差しで自分を測り続けます。しばらくは新鮮さで違和感が薄れても、位置に根ざした違和感であれば、やがて同じ感覚が戻ってきます。

私自身、この「移動では解決しない」という壁に、別の形でぶつかりました。音楽の勉強に打ち込み、作曲家としてのキャリアを歩み始めたとき、依頼として舞い込んでくるのは「明るく前向きで、万人受けするBGM」でした。技術は磨かれていく。仕事も来る。それなのに、その先に見えてくるものに、私はどうしても納得できませんでした。

このとき私が直面していたのは、「作曲家に向いていない」という適性の問題ではありませんでした。より良い依頼主を探す、より条件の良い現場へ移る——そうした移動をいくら重ねても、「他人の要求に自分の技術を差し出す」という位置そのものは変わらない。問題は現場の質ではなく、自分がどの位置に立っているかにありました。

ここに、通説をひっくり返す視点があります。「向いていないなら、向いている場所を探せ」という助言は、職場不適合の人には有効です。しかし、位置に違和感を抱える人がその助言を最後まで突き詰めると、「自分に合う枠」を探して枠から枠へと渡り歩くことになります。枠を探している限り、あなたは枠の中にいる。 適性の問題に見えていたものは、一段高いところから見れば、どの枠に入るかという問題ではなく、枠の中に立つか外に出るかという、位置の問題だったのです。

独立という選択の落とし穴──動いても構造が変わらないとき

では、枠の外に出ればいい。会社を辞めて独立すればいい。そう考えるのは自然な流れです。しかし、ここにもう一つの落とし穴があります。この落とし穴を見ておかないと、あなたは会社員時代よりも深く消耗する場所へ、自ら歩いていくことになりかねません。すでに独立していて、それでも消耗が消えないという人にも、この節はそのまま当てはまります。

独立して個人で仕事を請けるようになったとき、多くの人が最初に選ぶのは、クライアントワークです。自分の技術やスキルを、直接クライアントに提供して対価を得る。デザイン、ライティング、コンサルティング、コーチング——形はさまざまですが、構造は共通しています。

問題は、この構造が、会社員時代の第一の層をそのまま引き継いでいることです。クライアントワークで対価を得ている限り、あなたはやはり「自分の時間を提供して対価を得る」位置に立っています。会社という中間者が消えただけで、時間を売るという取引の本質は変わっていない。むしろ、雇用が形式的に保証していた「毎月決まった額が入る」という仕組みが外れる分だけ、収入は不安定になります。

私はコーチングを事業として始めた時期に、この構造の重さを実感しました。限られた期間の中で申し込んでくださったクライアントに、徹底して向き合おうとする。すると、一人ひとりに注げる時間には限りがあるため、どれだけ力を尽くしても、同時に抱えられる人数は数人が上限になります。人数に上限があり、その人数に自分の時間を配分している以上、収入の天井は「自分が働ける時間」で決まってしまう。これは、会社員時代に時間を売っていたときの構造と、まったく同じ形をしていました。独立という言葉の響きとは裏腹に、私は「一人で全部やる会社員」になっていたのです。

この、時間や労働をそのつど対価に換えていく形を、フロー型のビジネスと呼びます。働いた分だけ収入になり、働きを止めれば収入も止まる。独立しても、フロー型にとどまる限り、位置は会社員のときと変わりません。動いたのに構造が変わっていない、という事態がここで起こります。フロー型とストック型の決定的な違いについては、フロー型ビジネスとストック型ビジネスで詳しく分析しています。

会社を辞めずに、副業という形で同じフロー型の構造に足を踏み入れる場合も、行き着く先は同じです。副業を増やすほど自由が遠のくのはなぜか——その構造については、会社員の副業は、なぜ自由につながらないのかで扱っています。

出口はどこにあるか──「位置」と「基準」を変える

ここまでの分析を、一度たたみます。あなたの「向いていない」という感覚は、二つの層から生まれていました。時間を売るという経済的な位置(第一の層)と、その位置に合わせて縮んだ自己評価の基準(第二の層)。そして、転職も、時間を売るタイプの独立も、この二つの層を変えないまま場所だけを移す動きでした。だとすれば、出口の条件も自ずと決まります。変えるべきは、働く場所でも職種でもなく、二つの層そのもの——「位置」と「基準」です。

第一の層、経済的な位置を変えるとは、どういうことか。時間を売る側から、時間に依存しない仕組みを持つ側へ移ることです。自分が働き続けなくても価値を生み続ける仕組み——一度作れば繰り返し価値を届けられるデジタルの生産手段や、価値を届ける相手との継続的な関係——を自分の側に持つ。こうした生産手段を握る個人を、私はマイクロ資本家と呼んでいます。時間を対価に換える位置から、仕組みが価値を生む位置へ。これが、フロー型からストック型への移行です。

ここで、正直に添えておかなければならないことがあります。この移行は、簡単でも、短期間で完結するものでも、成功が保証されたものでもありません。仕組みを一つ立ち上げるには、時間も、試行錯誤も、学習も要ります。「辞めれば自由になる」「仕組みを作れば放っておいても稼げる」といった甘い約束を、私はここでするつもりはありません。申し上げているのは、消耗の原因が「位置」にある以上、位置を変える方向にしか本質的な出口はない、という構造の話です。その移行の全体像は構造的自律のマスターピラーと、経済構造の分析にまとめています。

第二の層、認識の基準を変えることは、これと対になって進みます。ここで大切なのは、方法を取り違えないことです。認識を変えると聞くと、多くの人は「意志の力で自分を奮い立たせる」ことを想像します。しかし、それは最も機能しない方法です。先に見たとおり、あなたの現状維持の傾向は、意志で押さえ込もうとするほど強く揺り戻してきます。私たちがすべきことは、歯を食いしばって自分を変えようとすることではありません。

有効なのは、逆のアプローチです。いまの環境が支給した物差しの外側に、自分が本当に望む状態を一つ置く。そして、その状態に到達できるという自己評価——自己効力感——を、高いところで保ち続ける。判断の基準を、環境が形づくったものから、自分が選び直したものへと入れ替えていく。基準が入れ替われば、同じ現実が違って見えはじめ、これまで視界に入らなかった選択肢が見えるようになります。力を込めて現状と格闘するのではなく、向かう先の基準を先に据え替えることで、行動のほうが自然に後からついてくる。これが、認識の層を変えるということの内実です。

二つの層を同時に動かしはじめたとき、あなたの「向いていない」という感覚は、はじめて役割を終えます。それは、消すべき欠陥だったのではなく、あなたを正しい移動へと促していた、最初の一押しだったのです。

まとめ:向いていないのは、あなたが正しく違和感を検知しているからです

ここまで読み終えたいま、あなたの中で「向いていない」という言葉の意味は、記事を読み始める前とは決定的に違って見えているはずです。

それは、あなたの能力を採点した結果でも、性格の欠陥でもありませんでした。時間を売るという構造的な位置と、その位置に合わせて縮んでいた自己評価の基準——この二つの噛み合わなさを、あなたの検知装置が正確に拾い続けていた信号だったのです。転職や、時間を売るタイプの独立が、その信号を消せなかったのは、どちらも位置と基準を変えないまま場所だけを移す動きだったからに他なりません。

その先には、時間を切り売りする位置から、仕組みが価値を生む位置へと移った景色が広がっています。そこでは、月曜の朝の足の重さは、消耗の合図ではなく、自分が選んだ方向へ進んでいる感覚に置き換わっていきます。あなたの違和感は、あなたを罰していたのではありません。それは、この移動の起点を、ずっと指し示してくれていた羅針盤だったのです。

その移動を、どの順番で、どの仕組みから始めればよいのか。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。

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参考文献

【書籍】

  • カール・マルクス(向坂逸郎訳)『資本論』第1巻(Das Kapital, 1867)岩波書店

【学術論文】

  • Samuelson, W., & Zeckhauser, R. “Status Quo Bias in Decision Making”(1988)Journal of Risk and Uncertainty, 1(1)
  • Bandura, A. “Self-efficacy: Toward a Unifying Theory of Behavioral Change”(1977)Psychological Review, 84(2)
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