手に職の本当の意味

手に職の本当の意味|労働力を売る側から降りるための生産手段

はじめに

「手に職をつければ、食いっぱぐれない」。将来の不安に対する、昔ながらの処方です。確かな技術さえ身につければ、どこへ行っても通用する。会社に依存せずに生きられる。だから、多くの人が、資格を取り、専門的なスキルを磨いて、「手に職」を目指します。ところが、高いスキルを手にした人が、なぜか、誰よりも不安そうにしている——そんな光景を、見かけたことはないでしょうか。

手に職をつける具体的な方法を探している方は多いはずです。本記事が確かめるのは、その前提のほうです。「手に職」という言葉が本当に指し示している出口は、どこにあるのか、そして、なぜ、スキルを磨くだけでは、その出口にたどり着けないのか、という問いです。

結論を先に示します。キャリア不安の出口は、労働力の値札を上げることではなく、値札をつけられる側から抜け出すことにあります。それは、労働力を売り続ける立場から、自分の生産手段を持つ立場へ、少しずつ移っていくことです。

値札を上げるのと、値札をつけられる側から抜けるのは、違う

キャリア不安の最も深い根は、自分が「労働力しか売るものを持たない」という構造的な条件にありました。生産手段——価値を生み出す土台——から切り離され、労働力を売る以外に生きる術を持たない状態。この根に触れない限り、資格をいくら重ねても、転職を何度繰り返しても、不安は、形を変えて戻ってきます。

だから、出口は、この根そのものに向かわなければなりません。労働力を売る側は、その値段を、自分では決められません。買い手である市場が決めます。だから、市場の求めるものが変われば、あなたの価値は、たちどころに揺らぐ。この揺らぎこそが、キャリア不安の震源でした。ところが、自分の生産手段を持つ側に移ると、あなたは、値段を決める側に、少しずつ関わるようになります。何を、誰に、どう届けるかを、自分で決められる。市場の変動に、生活を丸ごと左右されることが、なくなっていく。震源そのものが、静まっていくのです。

「手に職」が本当に指し示していたのは、この方向でした。ただ、それは、より高く売れる労働力を身につけることではなく、労働力を売る立場そのものから、少しずつ降りていくことなのです。

生産手段は、いまや個人にも持てる

生産手段を持つ、と言うと、多くの人は、工場や、機械や、広大な土地を思い浮かべるかもしれません。かつては、確かに、生産手段の所有には、巨大な資本が必要でした。だから、ほとんどの人にとって、それは手の届かないものでした。

けれど、現代のデジタル経済は、この前提を変えました。いまや、パソコン一台と、正しい知識があれば、個人が、自分の価値を届け、それを積み上げていく仕組みを、築けるようになっています。自分の世界観を発信し、それに共鳴する人とつながり、その関係を蓄積していく。これが、現代における、デジタルな生産手段です。

この移行で、最も大きく変わるのは、時間の意味です。労働力を売っていると、あなたの時間は、案件と引き換えです。働いた分だけ、収入になる。だから、働くのをやめれば、収入は止まる。このフロー型の収益の下では、不安が、消えることはありません。ところが、自分の生産手段を築き、そこに価値を積み上げていくようになると、一度築いたものが、働いていない時間にも、価値を生み、積み上がっていく。ストックが、育っていく感覚です。この感覚が生まれたとき、来月への、あの慢性的な不安が、少しずつ静まっていきます。

▸ この「生産手段の非所有」という根を、働き方の側から見た論点は、働きたくないという感覚は甘えではないで扱っています。

「すでにあるもの」から始め、比較から降りる

生産手段を築くとき、その出発点を、どこに置くかが、決定的に重要です。ここで、不安産業と正反対の出発点を選ぶ必要があります。

不安産業は、常に「不足」から始めました。だから、自分の生産手段を築くときも、うっかりすると、同じ欠乏の発想に引きずられます。「もっとスキルを身につけなければ」と。そこで、出発点を逆にします。「不足」からではなく、「すでにあるもの」から始めるのです。これまで生きてきた中で体験したこと。人より少し多く知っていること。誰かに感謝されたこと。これらは、外の物差しでは「価値がない」とされがちですが、あなたの生産手段は、外から買ってくる不足の充填物からではなく、この、すでにあるものから育ちます。

そして、必ず立ちはだかるのが、比較です。あの人はもっと稼いでいる、もっと先へ進んでいる——この比較が、「すでにあるもの」から始めようとするあなたを、繰り返し「まだ足りない」へと引き戻します。比較から降りるとは、測ることをやめる、という意味ではありません。問題は、何を基準に測るか、です。比較の物差しは、他人との距離で自分を測ります。降りた後の物差しは、自分の向かう先との距離で、自分を測ります。前者は、相手が変われば答えも変わる、絶えず揺れる物差し。後者は、自分のゴールを基準にした、揺れない物差しです。測る基準を、他人から、自分のゴールへ移すこと——それが、比較から降りる、ということです。

副作用を、正直に見る

この道に、副作用がないかのように語るのは、不誠実です。正直に、三つ挙げておきます。

第一に、不安が、ゼロにはなりません。生きている限り、未来の不確かさは残ります。ただ、その残る不安は、外から供給され絶えず補充される不安ではなく、自分が舵を握ったうえで、なお残る、自然な不確かさです。第二に、移行には、時間がかかります。資格は数か月で取れますが、生産手段を築くのは、時間のかかる営みです。ただ、速く手に入る安心が速く切れることを、私たちはもう知っています。時間をかけて築いたものだけが、時間に耐えて残ります。第三に、外部の物差しを手放すとき、最初に心細さが訪れます。市場価値という慣れ親しんだ物差しを手放すと、足元が急に頼りなくなる。けれど、その心細さは、この道が間違っている証拠ではなく、長く外部に依存してきたものを手放すときに必ず訪れる、離脱の症状です。自分の物差しが内側で育つにつれて、薄れていきます。

副作用を隠さないのは、あなたに、覚悟のうえで選んでほしいからです。隠された副作用は、あとになって裏切りに変わります。けれど、承知のうえで引き受けた副作用は、あなたを裏切りません。それは、想定のうちにある、道の一部だからです。

まとめ:火元へ向かう最初の一歩は、すでにあなたの中にある

「手に職」が本当に指し示していたのは、労働力の値札を上げることではなく、値札をつけられる側から抜け、自分の生産手段を持つ側へ移ることでした。それは、学ぶことをやめる話ではありません。自分の物差しで、自分の向かう方向のために選んだ学びは、これまで以上に必要になるかもしれない。ただ、その学びは、もう、火を消すための水ではなく、あなた自身の糧になっています。

この記事は、細かな手順書ではありません。「まず、これをして、次に、あれを」という段取りを渡さなかったのは、意図してのことです。細かな段取りを、次に埋めるべき欠乏として売ることこそ、この本が批判してきた手口だからです。渡したのは、地図ではなく、羅針盤です。具体的な一歩をどこから踏み出すかは、あなた自身の状況の中で、あなたが選び取れます。急ぐ必要はありません。そして、その一歩を踏み出す力は、すでにあなたの中にあります。見る力、問う力、選ぶ力——それらは、絶え間ない不安の供給の中で、使うことを忘れさせられていただけです。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。この出口がキャリア不安全体でどう働くかは、キャリアアップしても将来の不安が消えない構造にまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店
  • Marx, K. Das Kapital, Band I(1867)Verlag von Otto Meissner(邦訳『資本論』第一巻)
  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
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