役割を明確にする、の一歩目で止まっている方へ/役割とは、判断が済んだ後にしか書けないものである

チーム作りの順序を、実行の段と判断の段の二つで組み立てる

チーム作りは、集団を機能させる手順として説明されます。編成に気を配り、目標を決め、役割を明確にし、多様な価値観を認める。そこへ、集団が段階を追って変わっていくという図が添えられます。

手順は、そのとおりに機能する場面があります。ただ、一人で事業をしている人がこの一式を持ち帰ると、多くの場合、最初の一歩で止まります。役割を明確にする、という項目です。

止まる理由は、書き方が下手だからではありません。役割とは、何をやるかが決まった後にしか書けないものです。まだ決まっていない領域について、役割だけを先に決めることはできません。そして、決まっていない領域を渡すと、渡された側がそれを決めることになります。決めた結果がこちらの想定と違ったとき、こちらは「指示が曖昧だった」と思い、相手は「決めさせられた」と感じます。どちらの側も、自分に見えている範囲では正確です。

答えが出る問いは、三つあります。人に渡せるものと渡せないものは、何で分かれるのか。二つのあいだに順序はあるのか。そして、誰と組むかは何で決まるのか。

三つとも、人数や期間の数字では答えが出ません。何人と組むか、何か月で任せるかを先に決めてしまうと、渡す順序のほうが暦に合わせて動きます。基準が相手に渡ったかどうかではなく、日付が合図になる。先に数字を置くと、判定の対象が順序から日程へすり替わります。ここで扱うのは順序だけで、数字は置きません。

実害が出ているのは、手順が丁寧に書かれている場所です。丁寧であるほど、実行できない原因は自分の側にあるように見えます。書かれているとおりにやれないのは、自分に人を動かす力が足りないからだ、という読み方になります。食い違っているのは力量ではなく、手順が前提にしている集団の形のほうです。

この読み方には、費用が二重にかかります。一つは、直せない対象を直そうとして時間が過ぎることです。もう一つは、力量の問題として受け取ったぶん、次に誰かと組む機会そのものを見送ることです。手順を実行できなかった経験は、集団を作る適性の判定として記憶に残ります。判定の材料になっているのが手順の射程だという点は、そこには残りません。残らないので、二度目に同じ手順を読んだときにも、同じ結論が出ます。

人に渡せるものは二種類で、渡せる順番も決まっています。ここを取り違えると、増えるのは手の数ではなく、こちらが決め直す回数のほうです。だから、誰と組むかより先に、いま何が決まっているかを数えることになります。

チーム作りで大切なこととして、何が並んでいるか

チーム作りとは、複数の人が同じ目的に向かって動ける状態を作ることだと説明されます。人が集まっただけでは集団は機能せず、機能させるための働きかけが要る、という整理です。

手順が示されます。編成に気を配る。明確な目標を設定する。メンバーの役割を明確にする。多様な価値観を容認する。

進め方の助言も添えられます。最初に緊張をほぐす時間を取る。全員が発言できるようにする。様子を見ながら休憩を挟む。否定的な意見が出ても前向きに受け止める。

段階の図が使われます。集団は、形成の段階、衝突の段階、規範ができる段階、機能する段階の順に進む、という図です。衝突は避けるべきものではなく、通過すべき段階として位置づけられます。

測定の話も出ます。実施の前後に同じ指標を取り、変化を比べる。改善された点が明確になる、と説明されます。

並んでいる項目は、実務として正確です。目標が共有されていない集団が動かないのは事実ですし、衝突を通過した集団のほうが後で安定するのも、多くの現場で観察されていることです。緊張をほぐす時間が効くのも本当です。

一式は、一つの前提の上で書かれています。主語は、たいていリーダーです。リーダーが編成し、リーダーが目標を決め、リーダーが役割を割り当て、リーダーが場を回す。集団の側は、働きかけられる対象として書かれています。

組織の中のチームでなら、編成の権限も評価の権限も、実際に一箇所へ集まっています。前提が事実と一致しているので、手順はそのまま使えます。誤っているのは前提ではなく、前提の当てはまらない場所へ持ち出したときの読み方です。

食い違いが出るのは、この前提が成り立たない場所へ手順だけを持ち込んだときです。一人で事業をしている人が誰かと組むとき、編成の権限も評価の権限も、どこにも集まっていません。

発注する側なのだから権限はある、という見方もできます。支払いの決定権はあります。それは、その仕事を頼むかどうかを決める権限であって、相手の時間の使い方を決める権限ではありません。組織の中の上司が持っているのは後者です。二つを同じものとして扱うと、手順の効き方がまるで変わります。

大切なこととして並んでいる項目の順番にも、この前提が現れています。編成が最初に来て、目的の共有がその次に来る。編成を先に置けるのは、編成する権限が手元にある場合だけです。権限が無い側では、順番が入れ替わります。目的を提示して、それを見た人が来るかどうかを決め、来た人との組み合わせが結果として編成になる。同じ四項目でも、実行できる順序が逆になります。

案内が前提しているのは、雇われた集団である

組織の中のチームには、少なくとも四つの条件が揃っています。

第一に、時間が確保されています。就業時間という枠があり、その中で動くことが最初から決まっています。

第二にあるのは、評価の経路です。良い働きも悪い働きも、給与や配置という形で戻っていきます。

第三に、離脱に費用がかかります。合わないと感じても、すぐに抜けることはできません。この費用が、衝突の段階を通過させる力になっています。

第四に、目的が上から降りてきます。そのチームが何のためにあるかは、多くの場合、チームの外で決まっています。

四つとも、任意で集まった協働にはありません。時間は各自の他の仕事と取り合いになり、評価は次に頼むかどうかにしか現れず、離脱は無料で、目的はこちらが提示するものです。

合わないと感じた人が、組織の中では時間をかけて話し合いに至ります。任意の協働では、返信が遅くなり、そのまま静かに離れます。衝突の段階が来る前に、集団のほうが消えます。

任意の集まりでは段階の図が使えないのか、という疑問が出ます。図が説明していること自体は、任意の集まりでも起きます。最初は様子を見る。意見が食い違う。落ち着く。機能する。変わるのは、各段階のあいだで人が抜けるかどうかです。抜けられる場では、衝突の段階が「通過すべき段階」ではなく「離脱が起きる地点」になります。

任意の協働のほうが劣っている、という意味ではありません。離脱が自由であることは、その集まりが強制ではないという意味でもあります。残っている人が残る理由を持っている、という状態のほうが、後で効いてきます。

そして、離脱の自由は設計を変えます。費用で引き止められないので、引き止めるものを別に用意することになります。用意できるのは、その場にいると何かが起きるという事実だけです。

四つ目の条件も、同じように置き換わります。組織では、そのチームが何のためにあるかは外で決まっており、リーダーもそれを受け取る側です。任意の協働では、目的を提示するのはこちらしかいません。受け取った側は、その提示が納得できなければ参加しません。つまり、目的の質が参加の可否を直接決めます。組織では目的が薄くても給与で人が残りますが、こちらには残す力がありません。

離脱が自由だと分かっていると、こちらは相手に踏み込むことをためらいます。ためらった結果、決めるべきことを決めずに渡します。渡された側は、何をどこまでやってよいか分からないまま止まります。遠慮が、そのまま機能不全になります。

渡せるのは、実行の段か、判断の段か

人に渡すものには、実行の段と判断の段があります。

実行の段とは、何をやるかが決まっている作業のことです。この形式で、この期日までに、この条件で。決まっているので、渡す側は結果を確認できます。

判断の段とは、何をやるかを決める作業のことです。どの方向で進めるか、何を優先するか、どこで止めるか。決まっていないので、渡した時点では結果を確認する基準がありません。

二つは、渡し方がまったく違います。実行の段は、仕様を渡します。判断の段は、基準を渡します。仕様は結果を照合するためのもので、基準は結果が出る前に働きます。渡すものが違えば、渡した後に確認できることも違います。

そして、多くの場合に起きているのは、実行の段のつもりで判断の段を渡してしまうことです。「いい感じにお願いします」「よしなに」という渡し方が、これに当たります。

「記事を書いてください」と頼むとします。この依頼には、誰に向けて書くか、何を主張するか、どこまで踏み込むかが入っていません。三つとも判断の段です。受け取った側は、三つを自分で決めることになります。

決めた結果は、こちらの想定と違います。違うのは当然で、こちらの基準を渡していないからです。それでも、返ってきたものを見ると「思っていたのと違う」と感じます。

相手の判断を尊重するために、あえて細かく指定しない場合もあります。ここで分かれるのは、尊重と、未決の押し付けです。判断を渡すなら、その判断に必要な材料を一緒に渡すことになります。材料が無いまま判断だけを渡すのは、尊重ではなく丸投げです。見分けは簡単で、こちら側にその判断の基準があるかどうかです。

判断を渡してはならない、という意味ではありません。むしろ、判断を渡せる関係のほうが長く続きます。問題になるのは、渡していることをこちらが自覚していない場合だけです。

自覚があれば、渡し方が変わります。「ここは決めていないので、決めてください」と言える。言われた側は、決める作業として引き受けられます。引き受けた時点で、確認の対象は成果物ではなく基準のほうへ移ります。

判断の段を明示すれば、相手が引き受けを断ることもあります。断られると、渡す側は「頼りない」と感じます。実際には、決める責任を持つかどうかは能力ではなく契約の話です。断られたのは、その契約になっていなかったからです。契約の話であれば、変えられるのはこちらの側です。

判断の段は、実行の段の上にしか乗らない

判断の段を先に渡すことはできません。

理由は、判断の材料が実行の中にあるからです。どの方向で進めるかを決めるには、その仕事がどういう手触りのものかを知っている必要があります。手触りは、実際にやってみた人にしか渡りません。

だから、順序は決まっています。決まっている作業を一緒にやる。その過程で、こちらが何を基準に判断しているかが相手に見える。見えた後で、判断の段を渡せるようになります。

逆にすると、判断の段が空回りします。基準を知らない人が決めるので、決まったことは基準の外から出てきます。外から出てきたものを、こちらが後で覆す。そして覆された相手は、次から決めなくなります。

初めて組む相手に、いきなり方針の決定を任せたとします。相手は決めます。決めた内容が想定と違うので、こちらが修正することになります。それが重なると、相手は「どうせ直されるなら聞いてから動こう」と考えます。判断を渡したはずが、増えたのは確認の往復のほうです。

この機序は、仕組みの側と同じ形をしています。前もって決めておかないと自動化できない、という構造は、仕組み化の設計で扱いました。人に渡す場合も、渡せるのは決め終わったことだけです。違うのは、人は決まっていないことも引き受けられてしまう点です。

優秀な人なら、最初から判断を任せられます。ただし、その人が判断できるのは、その人が持っている基準に照らしてです。こちらの基準に照らした判断ではありません。二つが近ければ問題は起きず、遠ければ起きる。能力ではなく、基準の距離の話です。

距離を縮める工程を省ける場合もあります。その領域の標準的な作法が確立していて、こちらもそれに従う場合です。この場合、共有すべき基準は既に外部にあります。

逆に言えば、こちらの基準が標準と違うほど、実行の段を一緒に通る時間が要ります。独自の判断で事業をしているなら、この時間は削れません。削れないことは弱点ではなく、独自であることの費用です。

実行の段を一緒に通る期間は、こちらの手間が増えます。自分でやったほうが早い、という状態が続きます。ここで耐えられずに全部自分でやると、いつまでも判断の段を渡せません。増えた手間は、後で判断を渡せる相手を作るための費用です。前払いなので、払った時点では戻りが見えません。

誰と組むかを、報酬で決めるか、向かう先で決めるか

一緒にいる形に構造の違う二つがあるという区別は、コミュニティ運営の設計で扱いました。効いてくるのは、その区別が協働の相手選びに与える差のほうです。

報酬で組んだ相手は、報酬が理由である限り一緒にいます。より良い条件が他所に出れば、そちらへ移ります。移ることを責める理由はありません。最初から、そういう約束で組んでいるからです。

向かう先で組んだ相手は、条件が理由ではありません。したがって、条件だけでは移りません。代わりに、向かう先が変わったときに離れます。

後者の集団で共有されているものには、名前が付いています。心理学者のアルバート・バンデューラは2000年、個人が自分の能力について持つ見積もりとは別に、集団が「自分たちならできる」という見積もりを共有していることを、集団的効力感として整理しました(Bandura, 2000, Current Directions in Psychological Science, 9(3), 75–78)。個人の見積もりの合計ではなく、その集団として何ができるかについての、共有された判断です。

この整理が扱ってきたのは、学校・企業・競技のチームのように、参加が固定された集団です。任意の協働をそのまま測ったものではありません。使えるのは、集団の側に個人とは別の見積もりが立つ、という区別のほうです。

区別が効くのは、条件が悪くなったときです。報酬で組んだ集団では、条件が悪くなれば理由がそのまま消えます。共有された見積もりを持つ集団では、条件が悪くなっても理由は残り、向かう先が変わったときに消えます。同じ離脱に見えて、引き金が別のところにあります。

制作を外に出すとき、単価と納期だけで決めたとします。その相手は、単価と納期で判断します。こちらの意図を汲んで提案してくることは、契約の外です。汲んでほしいなら、汲むだけの理由をこちらが渡していることになります。そして、渡す理由は報酬では作れません。報酬を上げると提案が増えるように見えますが、増えているのは提案の量であって、こちらの意図への一致ではありません。

仕事なのだから条件で組むのが普通だ、という読み方は当たっています。実行の段を渡す相手は、仕様が明確なので、条件以外の一致が要りません。分かれるのは、判断の段を渡すときです。判断を渡す相手には、条件のほかに、判断の基準の一致が要ります。

最初から向かう先で組める相手は、ほとんどいません。多くの場合、条件で組んだ相手と実行の段を通るうちに、向かう先の一致が分かってきます。これは選別の基準ではなく、時間をかけて判明する性質です。判明までの期間を短くする方法の一つは、こちらが何を重要と見なしているかを先に書いて公開しておくことです。読んだ上で来た相手とは、その部分の確認が済んでいます。

向かう先を先に書くと、来る人は減ります。手が足りない時期には、この減少がそのまま作業の停滞になります。どちらを取るかは、いま埋めたいのが作業量なのか、判断の担い手なのかで決まります。

役割が書けないとき、決まっていないのは自分の側である

役割が書けない状態には、内訳があります。

第一の内訳は、その仕事の輪郭が自分の中でも定まっていない場合です。毎回やり方が違う作業は、役割として書けません。書けないのは、書き方の問題ではなく、まだ形になっていないという事実の反映です。

第二の内訳は、輪郭は定まっているが、渡す範囲を決めていない場合です。どこまでを相手に任せ、どこからを自分が見るか。この線が引かれていないと、役割は「手伝ってもらう」以上に具体化しません。

第三の内訳は、判断の基準を言葉にしていない場合です。自分では判断できているが、なぜそう判断しているかを説明したことがない。説明できないものは、渡せません。

三つとも原因は相手に無く、渡す人が自分で片付けられる作業です。

「顧客対応をお願いしたい」と考えたとします。書き出してみると、問い合わせの受付は輪郭がある。返答の内容は、案件によって判断が入る。返金の可否は、自分で決めている。三つに分かれた時点で、渡せるのは最初の一つだと分かります。

分かれば、二つ目は基準を書き出す作業になります。過去の返答を並べて、どこで判断が変わったかを見る。書き出したものが、そのまま渡せる基準になります。基準は、渡すために新しく作るものではありません。既に自分が使っているものを、外に出す作業です。

そこまで整理する時間があるなら自分でやったほうが早い、という計算も成り立ちます。一回分の作業としては、その計算が合います。整理の費用は一回で、実行の費用は毎回かかる。回数が少ないうちは自分でやったほうが早く、多くなると逆転します。逆転する回数は作業ごとに違うので、先に数えることになります。

作業のすべてを整理する必要はありません。回数が少ないまま変わらない作業は、整理しないほうが安い。整理の対象は、頻度が高く、かつ判断が毎回同じ作業です。

判断が毎回違う作業は、整理しても渡せません。この種の作業は、実行の段を一緒に通る相手にしか渡せません。したがって、こちらの時間の使い方は「整理して渡す」と「一緒に通る」の二つに分かれます。

基準を書き出すと、自分の判断に一貫性がないことが見えてきます。同じ状況で違う対応をしていたことが分かります。見えると気持ちのよいものではありませんが、見えなければ渡せません。渡すという行為は、自分の判断を検査する作業でもあります。

段階論が観察していた集団は、どういう集団だったか

形成、衝突、規範、機能という四段階の図には、出所があります。

ブルース・タックマンは1965年、集団の発達段階を扱った五十件の研究を整理し、四つの段階として提示しました(Tuckman, 1965, Psychological Bulletin, 63(6), 384–399)。この整理が、いま流通している図の元になっています。

整理の対象になったのは、治療のための集団、訓練のための集団、そして実験室で作られた集団と自然発生の集団です。事業の協働を観察したものではありません。

この出所は、二つの含意を持ちます。第一に、四段階は理論から導かれたものではなく、既存の観察の整理として提示されたものです。第二に、観察された集団の多くは、参加が一定期間固定された集団でした。

参加が固定されているかどうかは、衝突の段階の意味を変えます。抜けられない場では、衝突は解決されるまで続きます。抜けられる場では、衝突は離脱として現れます。同じ段階の名前が、別の現象を指すことになります。

任意参加の協働で意見が食い違ったとき、多くの場合、議論は起きません。相手は次の依頼に応じなくなるか、返答が短くなります。衝突の段階が観察されないのは、集団が成熟しているからではなく、衝突が離脱の形を取ったからです。

よく知られた図なのだから実務で使う分には足りる、という判断もできます。図としては使えます。集団が最初から機能しないことを説明する道具として有効です。問題になるのは、「衝突は必ず来るので通過を待つ」という助言をそのまま当てた場合です。待っているあいだに、人が抜けます。

出所が違うから使えない、という意味ではありません。射程の外で使うときに、そのことを承知しているかどうかの問題です。承知していれば、「衝突を待つ」ではなく「離脱として現れるので、早めに拾う」と読み替えられます。

読み替えの実務形は、確認の頻度です。固定されていない集まりでは、食い違いはこちらから聞かないと出てきません。聞き方の側は、顧客インタビューの聞き方で扱った形がそのまま使えます。意見ではなく、直近の一件を聞く形です。

射程を確かめる習慣を持つと、流通している図が射程の外で使われている場面が少なくないことに気づきます。気づくと図そのものを使いにくくなりますが、図は道具なので、射程を書き添えて使えば足ります。使わないことにすると、代わりの説明を自分で用意することになります。

人が増えても、自分の時間は減らない——種類が変わる

人に頼むと自分の時間が空く、という期待には、条件が付いています。

渡した作業の時間は減り、その代わりに、渡したことによって発生する時間があります。説明する時間、確認する時間、判断を返す時間です。

この三つは、渡した作業が実行の段であれば、回数を重ねるごとに減ります。仕様が固まるからです。判断の段であれば、減りにくくなります。判断は毎回発生するからです。

したがって、時間が空くのは主に実行の段を渡した場合です。判断の段を渡した場合、変わるのは自分の時間の種類です。手を動かす時間が減り、決める時間が増えます。

種類が変わることは、量が減ることより重要な場合があります。手を動かしている限り、事業の形は変わらないからです。決める時間が増えると、形のほうを変えられます。

制作を渡して、自分は方向を決める側に回ったとします。一日の作業時間は同じかもしれません。中身は、作ることから、何を作るかを決めることへ移っています。移った先で決めた内容が、その後の売上の形に効いてきます。

時間が減らないなら頼む意味がない、という読み方も出ます。量だけを見れば、そう読めます。量の側で効果が出るのは、同じ作業を繰り返す場合です。種類の側で効果が出るのは、繰り返さない作業を自分が引き受けられるようになる場合です。二つは別の効果なので、どちらを狙っているかを先に決めることになります。

種類が変わることが、常に良いとも限りません。手を動かすことが仕事の中心である人にとって、決める時間が増えることは損失です。この場合、渡すべきは制作ではなく、制作以外の作業です。

判定は、自分が何をしているときに事業が前に進むか、で付きます。進む作業を渡してしまうと、量は減っても事業は止まります。

もう一つ、時間の形が変わります。手を動かす作業は細切れでも進みますが、決める作業は細切れでは進みません。判断は、材料を並べ直してから出てくるので、並べ直すところまでで中断すると、次に再開したときに同じところからやり直しになります。渡した相手からの確認が一日に何度も入る状態では、決める時間は名目上あっても実質は残りません。したがって、渡すことと同時に、確認を受ける時刻を決めることになります。決めていないと、渡したことによって、渡す前より判断が進まなくなります。

決める時間が増えれば、決めた結果の責任は全部自分に集まります。手を動かしていたときは、成果物の出来が悪ければ作り直せました。方向の判断が違っていた場合、作り直す対象が数か月分になることもあります。種類の変化は、失敗の単位も大きくします。

組んだ相手と「合わなかった」を、失格として読まない

任意で集まった協働では、離脱はいずれ起きます。

離脱には、二つの読み方があります。相手が合わなかったという読み方と、条件が合わなかったという読み方です。前者は人の属性の話で、後者は組み合わせの話です。

前者で読むと、二つのことが起きます。第一に、離れた相手を評価する語彙が発生します。第二に、その語彙が残っている人にも聞こえます。聞こえた人は、自分が離れるときにも同じことを言われると理解します。

理解されると、離脱が静かになります。静かな離脱では、理由が返ってきません。理由が返ってこないと、組み合わせのどこが合わなかったのかが分かりません。

したがって、離脱の扱い方は、次の協働の材料が手に入るかどうかを決めます。材料の多くは、離れる人から手に入ります。続いている人は、続いている理由を言葉にする機会をあまり持たないからです。

期日が守られない状態が続いて、依頼を止めたとします。「あの人は期日を守らない」と整理すると、そこで終わります。「こちらの依頼の粒度が大きすぎて、着手の判断ができなかった」と整理すると、次の依頼の形が変わります。

どちらが正しいかは、その時点では分かりません。分からないので、両方を残しておくことになります。片方だけを残すと、残した側だけが次に反映されます。

明らかに相手に原因がある場合もあります。その場合でも、こちらが取り出せるのは「こういう相手を選んだ判断」の側です。相手の側の原因は、こちらの次の行動を変えません。変えられるのは、選び方と渡し方だけです。

何もかもを組み合わせの問題として扱えば、こちらが引き受けすぎます。引き受けすぎると、渡す基準が際限なく細かくなります。「これ以上細かくすると、渡す意味がなくなる」という線は、こちら側で引くことになります。

線を引いた結果として、合わない相手が出ます。合わないことは、その線が明確になったという情報です。線が無いまま合う相手を探すと、毎回ゼロから探すことになります。合った相手が見つかっても、なぜ合ったのかが残りません。

去り方を丁寧に扱えば、離脱そのものが増えることもあります。離れやすいからです。増えた離脱の中には、無理に続けていれば成立していた関係も含まれます。摩擦を減らすことは、続いていたものを続かなくすることでもあります。どちらを取るかは、次の協働で何を受け取りたいかで決まります。

渡した順序は、記録から数えられる

その協働が成立しているかは、成果が出る前に、渡した記録と集まりの形から判定できます。成果を待つ必要が無いのは、順序が守られたかどうかが記録に残るからです。

第一の確認は、渡した作業を実行の段と判断の段に分けて数えることです。

判断の段に入るものが多いのに、渡した相手と一緒に実行の段を通った時間が短ければ、順序が逆になっています。逆になっていると、確認の往復が増えます。往復の回数は、記録から数えられます。

第二の確認は、その集まりに人が一人増えたときに何が起きるかを想像することです。

共有部分が痩せるなら、報酬で集まる形になっています。共有された見積もりの側が更新されるなら、向かう先で集まる形になっています。想像で足りるのは、どちらの形かは既に決まっているからです。

第三の確認は、離れた人から理由が返ってきているかを見ることです。

返ってきていれば、離脱を組み合わせの問題として扱えています。返ってこないなら、離れる側が理由を言わないほうが安全だと判断しています。判断させているのは、こちら側の扱い方です。

三つとも、成果の量を見ていません。成果は、その協働が続いた後にしか現れないからです。

三つが答えない問いも残ります。その協働を続けるべきかどうかです。順序が正しく、形も整い、離脱の理由も返ってきていて、それでも事業として成立しない組み合わせは存在します。この判定は、協働の側では行えません。

行えるのは、渡し方の側だけです。何を渡し、何を渡していないかがこちらで把握できていれば、うまくいかなかったときに、どこを変えるかが決まります。把握していないと、変えられるのは相手だけになります。

役割が書けないという問題は、書き方の問題ではありませんでした。書けない箇所は、こちらの側でまだ決まっていない箇所です。三つの内訳のうち、輪郭と範囲は机の上で決められますが、判断の基準だけは渡す前には出し切れません。実行の段を一緒に通る時間が、その分を決めるための時間です。

したがってこれは、渡す相手を選ぶ話ではなく、渡す側の未決を見つける話です。未決が見えていれば、止まっている場所が自分の側か、基準の距離か、集団の形かを切り分けられます。見えていなければ、切り分ける先が相手しかありません。次に誰かと組むとき、最初に書き出すものは相手の条件ではなく、自分がまだ決めていないことの一覧になります。

未決を減らす側、つまり自分の型を先に把握する作業はリーダーの資質は存在しないで扱っています。渡した相手が居続ける条件のほうは場づくりが供給する二つの確信、渡す関係に会費が入ったときに変わるものは会員制ビジネスが動き続ける条件にあります。

上部へスクロール