はじめに
習慣化のやり方は、いくらでも手に入ります。小さく始めろ。仕組みで律しろ。誘惑を遠ざけろ。記録をつけろ。どれも、それなりに理にかなって見えます。
それでも続かない。続かないたびに、自分は続けられない人間だという記憶が積もっていきます。そして次のやり方を探しにいく。この探索そのものが、いつのまにか終わらない作業になっています。
習慣化の技術は、すでに多く語られています。本記事が置くのは、その一段手前の問いです。なぜ、外から配られる方法をどれだけ集めても、続く状態にたどり着かないのか、その理由です。
結論を先に示します。方法が足りないのではありません。習慣を「せき止める作業」として設計しているかぎり、上流で欲望を作っているのが自分でない以上、作業に終わりが来ないからです。
📖 目次
欲望には、生産と消費の二つの面がある
ここで、一つの区別を導入します。欲望には二つの面がある、という区別です。
まず、消費の面です。すでに目の前にある欲望をどう扱うか。お腹が空いたとき、食べるか断つか。画面が気になるとき、手に取るか抑えるか。私たちがふだん意志や自制と呼んでいるものは、そのほとんどが、与えられた欲望を浴びるかせき止めるかという、この消費の面の話にすぎません。
では生産の面とは何でしょうか。そもそもその欲望が、どこから来たのか。なぜそれを欲しいと感じたのか。ある服が急に欲しくなったとして、その気持ちは先月まで影も形もありませんでした。新しい広告が現れ、流行が動く。すると、昨日まで何とも思わなかったものが、突然、欠かせないものに見えはじめます。自分の内から湧いたように感じても、その「欲しい」の出どころは外にあったのです。
この区別を、経済の言葉が鋭く照らしてくれます。生産手段という言葉です。畑を持つ者と、その畑で働く者。同じ場所で同じだけ汗を流していても、生産手段を持つか持たないかで立場はまるで変わります。持たない者は、自分の労働を持つ者に売るしかありません。
この見方を欲望に当てはめると、鋭い問いが立ち上がります。私たちは、自分の欲望の生産手段を握っているだろうか。何を欲するかを、自分の世界観から作り出せているのか。それとも、外で作られた欲望を、ただ受け取って処理しているだけなのか。
せき止める側に立つかぎり、作業は終わらない
この構造の中で、習慣化の技術は、じつに奇妙な役回りを演じさせられます。外で作られた欲望を、必死になってせき止める、下流の役回りです。
けれど上流の工場は、けっして止まりません。せき止めても、せき止めても、新しい欲望が次から次へと流れてきます。だから、この作業には終わりがありません。工場の所有者が外にいるかぎり、こちらは供給され続ける欲望をただ処理する下請けにとどまります。どれだけ堰を高く積み上げても、上流で生産が続くかぎり、堰の番人に終わりは訪れません。
ここで、こんな反論があるかもしれません。「自分は、まぎれもなく自分の意志で習慣を選んだ」。たしかに、始めるという行為そのものは自分で選んだのでしょう。けれど、その一歩手前を見てください。何を習慣にすべきか、というそのお題は、どこから来たのでしょうか。早起きか、運動か、読書か。その一覧もまた、はじめから外で用意され、供給されています。選ぶ自由はあっても、何を課題とみなすかは、すでに外で決められている。自由の範囲そのものが、外側から囲われているのです。
だとすれば、抜け出す道は消費の面にはありません。蛇口をどれだけ巧みにいじっても、水源は他人のものだからです。抜け出す道は一つ。欲望の生産の側へ、自分の立ち位置を移すことです。
断つのではなく、向く
では、生産の側に立つとは、具体的にどういう経験なのでしょうか。
それは、思いのほか静かな出来事です。ある時点から、何かを断とうと身構えること自体が、どうでもよくなっていく。意志の力で断ち切ったのではありません。気づいたら、縛られなくなっているのです。
きっかけは、こういう確信が根づくことでした。自分の目標を適切に定める。そしてそれを成し遂げられるという感覚を、自分の中で育てていく。そこまでできれば、あとは無理に自分を動かそうと力む必要はない。向かう方向さえはっきり定まれば、日々の行動はおのずと整っていく。自分をたえず見張る監督官は、もう要らないのです。
この感覚が根づくと、せき止める作業は意味を失います。向かう先がはっきりしていれば、そこへ近づかないものは、わざわざ断たなくても遠ざかっていくからです。断つのではなく、向く。ただそれだけのことで、世界の見え方が変わります。
この経験は、心理学の言葉に翻訳できます。まず、目標設定の理論です。人は漠然と取り組むより、明確な目標を持つときのほうがはるかに力を発揮できる——これは多くの研究が一貫して示してきたことです[Locke & Latham, 2002]。次に、自己効力感という概念があります。自分にはこれができる、という見込みの感覚です[Bandura, 1977]。この感覚が高い人ほど、困難を前にしても粘り強く向かっていけます。そして自己決定理論の言う自律性です。その目標が、外から課されたものではなく、自分で選び取ったものであること[Deci & Ryan, 1985]。
この三つがそろったとき、人は自分を駆り立てなくても、自然に動きはじめます。これは根拠のない精神論ではありません。目標が明確な人ほど力を発揮することも、自分にできるという感覚が粘りを生むことも、長年の研究が裏づけてきた事実です。
何より大切なのは、順序です。多くの人は、まず行動のほうを制御しようとします。けれど、先に来るべきは行動ではありません。「何を欲するか」のほうです。この一点が定まれば、行動はせき止める作業をほとんど要さないまま、後からついてきます。
外から配られるメニューを、いったん降りる
だからこそ、ここで具体的な行動の一覧を渡すことはしません。理由ははっきりしています。
もしここで「これを習慣にせよ」という一覧を渡したら、それは新しい外部基準を一つ増やすだけです。供給者が入れ替わるだけで、外から配られたメニューの消費者であることは何も変わりません。
「成功者は朝五時に起きる」。「一流はこう自分を律する」。世の中には、こうしたメニューがあふれています。一見すると親切な道案内に見えます。けれどその正体は、何を欲し何を控えるべきかという肝心の判断を、代わりに肩代わりしてしまう仕組みです。メニューを一枚受け取るたびに、欲望の生産手段を少しずつ手放していきます。
だから、はじめの一歩は、何かを新しく始めることではありません。降りることです。「正しいやり方」を探し回るのをやめる。次に従うべきルールは何かと、外を見回すのをやめる。手を動かすより先に、受け取る手のほうを止める。
これは心細い一歩です。メニューを手放したとたん、足元にあったはずの地図が消えます。けれどその不安こそが、これまで外注し続けてきた仕事が手元に戻ってきた証です。何を欲するかを決めるという仕事は、本来、誰かに任せきってよいものではありませんでした。
誤解のないよう言い添えます。降りるとは、もう何も学ばないということではありません。先人の知恵からヒントを得るのは構わないのです。問題なのは、それをそのまま自分への命令として呑み込むこと。受け取った知恵を、変えられない命令として呑むのか、自分の頭で考えるための素材として扱うのか——その違いが、消費者と生産者を分けます。
まとめ:レースは、基準が内側に戻ったときに終わる
習慣が続かないのは、意志が弱いからでも、方法が間違っていたからでもありませんでした。せき止める側に立ちつづけるかぎり、上流で生産が続く以上、作業に終わりが来ないからです。
レースは、基準が内側へ戻ったときに終わります。走る距離を決めるのが自分になるからです。今日はここまでで十分だと、自分で判断できる。誰かと競う必要も、記録を更新し続ける必要もありません。
誤解しないでいただきたいのですが、基準が内側に戻るとは、基準が甘くなることではありません。むしろ内側の基準のほうが、ときに手強いのです。外の物差しなら数字さえ満たせば済みましたが、内側の物差しは、ごまかしのきかないまま自分の本音をまっすぐのぞき込んできます。レースが終わるのは、基準が消えたからではありません。基準を持つ主が、外から自分へ移ったからです。
そして、行為そのものは残ってよいのです。週に一度か二度、自分の体調や状態を静かに観察し、やったほうがよいと感じたときに、自然とそうする。日数は数えない。誰かに見せる記録もつけない。同じ行為が、強制から選択へと立場を変える。続けるとは、走らされる立場から降りたあとに残る、自分との穏やかな対話のことです。この主権という論点の全体像は、ストイックであるほど自由から遠ざかる理由にまとめています。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。
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参考文献
【学術論文・理論】
- Locke, E. A., & Latham, G. P. “Building a Practically Useful Theory of Goal Setting and Task Motivation”(2002)American Psychologist, 57(9)
- Bandura, A. “Self-Efficacy: Toward a Unifying Theory of Behavioral Change”(1977)Psychological Review, 84(2)
- Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
- 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店






