エニアグラム

エニアグラムの九つのタイプ|「だから」が現実になる自己成就の構造

はじめに

エニアグラムは、人を九つのタイプに分ける性格分類として知られています。自分のタイプを知り、その特徴を読むと、「まさに自分だ」と深くうなずく。そして、そのタイプの説明どおりに、自分は確かに振る舞っている——そう感じられるとき、私たちは「やはり、この診断は当たっていた」と思います。けれど、その「当たっていた」には、二つのまったく違う意味が隠れています。

エニアグラムの活かし方は、すでに多く語られています。本記事が置くのは、その一段手前の問いです。「タイプ〇だから、自分はこうだ」という名が、なぜ、その名どおりの自分を後から本当に作り出してしまうのか、その構造です。

結論を先に示します。名は、当たっていたから現実になるのではありません。順序は逆です。「私はこのタイプだ」と信じることが、その名を、後から現実にしていくのです。当たったのではなく、当たるように、自分を仕向けている。この転倒を、順を追って解剖します。

名は、情報の拾い方を変える

「私はこのタイプだ」と自分を定めると、まず変わるのは、日々の出来事の受け取り方です。

私たちは、自分の周りで起きるすべてを平等に受け取っているわけではありません。無数の出来事のうち、ごく一部だけを拾い、残りを聞き流している。その選別を、名が静かに操りはじめます。自分がすでに信じていることを裏づける出来事は「やはり自分はこのタイプだ」と心に刻まれ、それに反する出来事は「たまたまの例外」としてするりと流されていく。同じ一日を過ごしても、名に合う出来事だけが、自分の証拠として積み上がっていくのです。

この選別の怖いところは、集まった証拠が本物に見えることです。根拠になった出来事は、どれも実際に起きたこと。嘘の記憶ではありません。ただ、名に合う出来事だけが選ばれ、合わない出来事が捨てられていた。集められた証拠の一つ一つは本物なのに、その集め方に大きな偏りがある。だから「証拠がこれだけあるのだから間違いない」という確信は、いくらでも強くなっていきます。

貼られた名に沿って、人は振る舞う

情報の拾い方が変わると、次に、振る舞いそのものが変わります。

社会学者ハワード・ベッカーは、人が「逸脱者」になっていく過程を分析し、後にラベリング理論と呼ばれる見方を打ち出しました[Becker, 1963]。彼の見立てでは、順序は、性質が先で行動が後ではありません。ラベルが先で、性質が後です。貼られたラベルどおりに振る舞ううちに、その名にふさわしい人間が、後から作り出されていく。「私はこのタイプだ」と定めた人は、そのタイプの人がとるであろう振る舞いを、無意識のうちに選ぶようになる。そして、振る舞った結果を見て、「やはり自分はこのタイプだ」と確信を深めるのです。

この変化は、自分ひとりの内側では完結しません。あなたがタイプに沿って振る舞うと、その振る舞いを見た周囲も、あなたをそのタイプで扱うようになる[Goffman, 1963]。周囲がそのタイプを通してあなたを見て、その扱いが、あなたの自己像を外側から刻み込む。自分が貼った名と、周囲が貼った名が、こうして手を結び、互いを強め合っていきます。

▸ この「同じ人間だ」という帰属の感覚が承認の回路とどうつながるかは、姉妹クラスターの承認欲求とは何かで扱っています。

名が、現実を作り出す──自己成就予言

情報の拾い方と、行動と、周囲の扱いが、すべて一つの名のもとに揃ったとき、決定的なことが起こります。名が、それ自体の力で、現実を作り出しはじめるのです。

社会学者ロバート・マートンは、これを自己成就予言と呼びました[Merton, 1948]。初めは間違っていたかもしれない思い込みが、それを信じた人の行動を通じて、結果として本当になってしまう現象です。「私は人付き合いが下手だ」と信じた人は、人を避け、避けるから経験が積めず、経験がないから本当に下手になっていく。予言が、自分自身を実現させていくのです。

この仕組みが厄介なのは、実現した結果が、予言の正しさの証拠に見えてしまう点です。実際に人付き合いで苦労したとき、その苦労は「やはり自分は下手だった」という確信を強める。けれど、その苦労は、生まれ持った下手さの証明ではなく、下手だと信じて人を避け続けた帰結かもしれない。エニアグラムのタイプが「本当によく当たっていた」と感じられるとき、その言葉は、診断の正確さの証言ではなく、自己成就予言が完了したことの報告なのかもしれないのです。

見抜くための兆候が、一つあります。その自己像を、いつ手に入れたかを思い出せるかどうかです。生まれ持った本質なら、物心ついたときからずっと自分とともにあったはず。ところが多くの場合、私たちは、その名を手にした瞬間を覚えています。本質には始まった日付がなく、名には始まった日付があるのです。

まとめ:名は、自分を映す鏡でなく、彫る鑿である

エニアグラムのタイプが「当たっている」ように見えるのは、名が情報の拾い方を変え、振る舞いを変え、周囲の扱いを変え、やがて名どおりの自分を本当に作り出したためでした。当たったのではなく、当たるように振る舞わせた。名は、自分を映す鏡ではなく、自分を彫る鑿だったのです。

けれど、この事実の裏側には、大きな希望があります。今の自分が名を信じた結果として作られたものなら、別の名を——あるいは名に縛られない生き方を——選ぶことで、別の自分を作っていくこともできるからです。名が現実を作る力は、私たちを縛る力であると同時に、解き放つ力にもなります。必要なのは、より当たるタイプを探すことではなく、名を握る側に立つことです。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。この転倒が診断全体でどう働くかは、性格診断は当たるのかにまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Merton, R. K. “The Self-Fulfilling Prophecy”(1948)The Antioch Review, 8(2)
  • Becker, H. S. Outsiders: Studies in the Sociology of Deviance(1963)Free Press
  • Goffman, E. Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity(1963)Prentice-Hall
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