誰のための学び直し

リスキリングは誰のための学び直しか|求められる側の負担を読む

はじめに

時代が変わり、求められるスキルが変わるのだから、私たちは絶えず学び直し、新しいスキルを身につけなければならない。リスキリング——学び直しは、いまやキャリアをめぐる言葉の中で、ひときわ強く推奨されています。この主張は、一見、疑いようもなく正しく聞こえます。変化に適応するのは、生き物として当然のことですから。

リスキリングの成功法は、すでに多く語られています。本記事が置くのは、その一段手前の問いです。「学び直し」という言葉が、誰の視点から発せられ、何を個人の責任へと移し替えているのか、その構造です。

結論を先に示します。「学び直しが必要だ」という号令の背後には、「買い手の需要が変わったのだから、売り手であるあなたが、自分を作り替えて合わせなさい」という、暗黙の要求があります。学ぶこと自体を否定するのではありません。ただ、なぜ、誰のために学ばされているのかを、いちど問い直す必要があるのです。

スキルの需要を決めているのは、誰か

まず、確かめておきたいことがあります。なぜ学び直しが必要になるのか。それは、いま持っているスキルが、陳腐化するからです。では、なぜスキルは陳腐化するのか。技術が進歩し、市場の需要が変わるからです。では、その市場の需要は、誰が決めているのか。

ここが要点です。あなたのスキルに需要があるかどうかを決めているのは、あなたではありません。労働力を買う側——市場——です。

この構造を見ると、リスキリングという言葉が、責任の所在を、巧妙にずらしていることが分かります。スキルが陳腐化するのは、市場の需要が変わるからで、それは個人にはどうにもできない、外部の事情です。にもかかわらず、その変化への対応は、「あなたが学び直すべきだ」という形で、まるごと個人の責任にされている。買い手の都合で価値を失った労働力を、売り手が自費で、自分の時間を使って、作り替え続けなければならない。学び直しのコストも、リスクも、すべて売る側が負う。これは、よく考えると、たいそう一方的な取り決めです。

「雇われる能力を高めよ」という号令の系譜

この責任の移し替えは、キャリアの分野で、一つの洗練された形をとります。「雇われる能力(エンプロイアビリティ)を、自分で高め続けなければならない」という考え方です。この号令が、いつ、どのように生まれたのかを遡ると、そこには、はっきりとした歴史が見えてきます。

かつて、多くの働き手は、一つの組織に長く所属し、その組織が雇用の安定を提供する、という前提の中にいました。その前提のもとでは、働き手の生活の安定は、組織の責任の一部でした。ところが、経済の環境が変わり、組織が雇用を守り続けることが難しくなると、この前提は崩れていきます。ここで、一つの転換が起こりました。それまで組織が担っていた「雇用の安定」という課題が、働き手個人の「雇われる能力を高める」という課題へと、まるごと移し替えられたのです。

この移し替えを、注意深く見てください。雇用が不安定になったのは、経済環境の変化という、個人を超えた事情によるものです。ところが、その不安定さへの対処は、「あなたが、雇われる能力を高めなさい」という形で、個人の責任にされました。構造が生んだ不安定さの後始末を、個人が、自分の時間とお金を使って、引き受けさせられている。「エンプロイアビリティを高めよ」という号令は、この後始末の移し替えを、前向きで自立的な、望ましい態度として、語り直したものです。

責任の移し替えが完成すると、奇妙な逆転が起こります。雇用の安定を提供できなくなった側が、むしろ、それを提供できないことを、働き手の自立の物語として、称揚しはじめる。「一つの組織に依存しない、自由な働き方」——保障の消失が、まるで解放であるかのように、語り直される。この語り直しの中で、あなたは、奪われたことを、与えられたことと、取り違えてしまうのです。

▸ この「なぜ学び直しても立場が変わらないのか」という根は、働きたくないという感覚は甘えではないで扱っています。

学び直しの号令が、静かに断罪するもの

リスキリングという言葉には、もう一つの働きがあります。それは、学び直しを怠った人を、暗に責める働きです。

「時代に合わせて学び直すべきだ」という規範が広まると、学び直していない人は、自己管理を怠った人として見られるようになります。市場の都合で価値を失ったのに、その責任が、学び直さなかった個人へと転嫁される。こうして、構造が生んだ問題は、いつのまにか、個人の怠慢の問題へとすり替えられていきます。学び直しの号令は、適応を促すと同時に、適応できない者を静かに断罪する、二つの顔を持っているのです。

ここで、はっきりさせておきます。これは、特定の制度や立場を、党派的に糾弾する話ではありません。学ぶことや、新しいスキルを身につけることには、それ自体の喜びも価値もあります。問い直したいのは、「学び直し」が、あたかも中立的で当然の義務であるかのように語られる、その語られ方です。その構造を見ないまま、「学び直さなければ取り残される」という号令にただ従うとき、あなたは、自分の不安を養う回路を、また一つ、回していることになります。

まとめ:学ぶこと自体でなく、誰のためかを問う

リスキリングが「誰のための学び直しか」と問われるべきなのは、スキルの陳腐化という構造の問題が、個人の責任へと巧妙に移し替えられ、保障の消失が自立の物語で語り直されているためでした。

もう一度、はっきりさせておきます。学ぶこと自体を、否定しているのではありません。斬るのは、学びを不安の販売に変える構造のほうです。大切なのは、能力を高めながらも、「なぜ、この後始末を、私一人が背負っているのか」という問いを、手放さないことです。その問いこそが、号令の背後にある構造を、見えるようにします。そして、外から急かされてではなく、自分の向かう方向のために選んだ学びは、火を消すための水とは、まったく別のものになります。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。この責任転嫁がキャリア不安全体でどう働くかは、キャリアアップしても将来の不安が消えない構造にまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Marx, K. Das Kapital, Band I(1867)Verlag von Otto Meissner(邦訳『資本論』第一巻)
  • 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店
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