キャリア自律は、誰のための言葉か

キャリア自律は誰のための言葉か|受益者から読む自己責任化の構造

はじめに

「これからは、キャリア自律の時代です。」

会社の研修で、人事のメッセージで、あるいは転職サービスの広告で、あなたはこの言葉を何度も聞いてきたはずです。会社に依存せず、自分のスキルで主体的に働き先を選び、複数の収入源を持って、自分のキャリアを自分で設計する。副業を始めたのも、この「キャリア自律」という理想に、背中を押された部分があるかもしれません。

キャリア自律という言葉には、否定しにくい響きがあります。主体的であること、自立していること——それ自体は、確かに良いことのように聞こえます。だからこそ、この言葉を疑うのは難しい。

けれど、本記事で問いたいのは、言葉の善し悪しではありません。その言葉が信じられることで、いったい誰が得をするのか、という問いです。ある言説が、実態とは裏腹に大量に流通しているとき、受益者をたどると、その言葉が本当は何をしているのかが見えてきます。そして「キャリア自律」の受益者をたどっていくと、そのリストの中に、あなた自身の姿はありません。

「キャリア自律」は、何を言い替えているのか

まず、この言葉が指している現実を、飾りを外して見てみます。

企業の側から働き方を眺めると、労働力には二つの調達のしかたがあります。一つは、正社員として雇用し、仕事の量にかかわらず給料を払い続ける「固定費」としての調達。もう一つは、必要なときだけ外部の個人に発注し、不要になれば発注を止める「変動費」としての調達です。企業にとって重いのは前者、軽くて都合がよいのは後者です。

ここで、こう言われたら、あなたはどう感じるでしょうか。「これからの企業は、雇用を保障しません。必要なときだけあなたに発注し、不要になれば発注を止めます。」——歓迎する人は、まずいないはずです。これは雇用の不安定化であり、個人の立場の弱体化だからです。

ところが、まったく同じ内容が、こう語られると、正反対に聞こえます。「これからは、会社に縛られず、自分のスキルで主体的に働き先を選ぶ時代です。複数の収入源を持ち、自分のキャリアを自分で設計しましょう。」——語っている現実は同じです。 雇用が保障されず、個人が労働力を切り売りする、という状態。それを、一方は「不安定化」と呼び、もう一方は「キャリア自律」「自由な働き方」と呼んでいる。言葉が変わるだけで、人の受け取り方は、抵抗から歓迎へと反転します。

これが、「キャリア自律」という言葉の、最初の機能です。それは、個人にとって不利な変化——雇用の不安定化——を、「主体性」「自立」という魅力的な言葉で売り替えています。人は「不安定を押しつけられている」と感じれば抵抗しますが、「自立を手にしている」と感じれば、自ら進んでそこへ入っていくのです。

受益者は、あなたの労働力を「変動費」にしたい側

では、この売り替えで、誰が得をするのか。

「キャリア自律」を掲げる個人が増えるほど、企業にとっては、「必要なときだけ発注できる、変動費としての労働力」が社会に大量に供給されます。副業やフリーランスの形で「主体的に働く」人が増えれば増えるほど、企業は、雇用を固定費として抱えるリスクを負わずに、柔軟な労働力をいつでも調達できるようになる。あなたが「キャリア自律」を目指して副業を始めるその行為が、実は、あなたの労働力を、より安く、より柔軟に買える市場を広げているのです。

見落としてはいけないのは、ここで移転されているのが「リスク」だという点です。かつて雇用という形が引き受けていたもの——仕事が減ったときの保障、働けないときの備え——は、「自律した個人」の側へ、まるごと移されます。仕事が減れば収入が減り、体を壊せば収入が止まる。自由や主体性という言葉の輝きの裏で、実際に手渡されているのは、リスクの重みなのです。この、労働力が変動費として扱われていく構造は、フリーランスと労働力の商品化でより詳しく分析しています。

注意したいのは、これが誰かの悪意ある陰謀とは限らない、という点です。多くの場合、それは市場の中で自然に選び抜かれます。「自由な働き方」と語るサービスの方が、「不安定な時間売り」と正直に語るサービスより、人を集める。人を集める言葉が生き残り、集めない言葉は消えていく。こうして、誰が設計したわけでもないのに、最も現実を覆い隠す言葉だけが、社会に広く残っていくのです。

なぜ「自分で選んだ」ほど、深く縛られるのか

「キャリア自律」という言葉の、もう一つの、そしてより手強い機能は、それが外からの強制ではなく、あなた自身の「自発的な選択」として体験される点にあります。そして、自発的に選んだものほど、人の内側に深く食い込みます。

外から「副業をしろ」と命じられているなら、人はそれを「外からの強制」として、心の外側に置けます。「本当はやりたくないのに、やらされている」という構図が、はっきりしているからです。ところが、キャリア自律の名のもとに「自分で選んで」始めた副業には、この抵抗が生まれません。「これは自分が望んで始めたことだ」と思っているからです。

私たちは、「自分はこういう働き方をする人間だ」という自己像を、無意識のうちに保とうとします。そして、抵抗を感じないまま自分で引き受けた状態ほど、すんなりとこの自己像の内側に入り込みます。「忙しく、複数の締め切りに追われ、時間を切り売りする自分」が、「本当の自分の姿」として定着していく。強制された労働よりも、自分で選んだ副業のほうが、深く人を縛る——これは感覚的な比喩ではなく、認知の構造から導かれる帰結です。

さらに、いったん「これが自分の常態だ」と刻まれると、人はその状態を無意識に維持しようとします。副業の予定が一つ空いた休日に、何もしていないことがかえって落ち着かず、つい新しい案件を探してしまう。「追われていない自分」が「自分らしくない」と感じられる。これは意志の弱さではなく、慣れた常態へ引き戻そうとする恒常性の働きです。こうして、「自分で選んだ」という自発性が、かえって出口を塞いでいく。逃げ出すための扉として選んだはずのものが、より頑丈な檻になっていくのです。

まとめ:「主体性」の名のもとで、何が起きているか

キャリア自律は、それ自体としては否定しにくい、美しい言葉です。けれど、その言葉が大量に流通することで得をするのは、労働力を変動費として調達したい側であり、雇用の不安定化を「自由」と売り替える言説の側でした。そして、「自分で選んだ」という自発性ゆえに、その状態は、外から強制された労働よりも深く、あなたの自己像に刻み込まれていく。

だからといって、「主体的に働きたい」というあなたの願いが間違っていたわけではありません。間違っていたのは、その願いの受け皿として差し出された「キャリア自律=副業で働き先を増やすこと」という中身の方です。本当に問うべきは、「働き先を主体的に選べているか」ではなく、「働かなくても暮らしが立つ構造を、自分は持っているか」です。前者をいくら増やしても、後者には近づきません。

その、働き先を増やすことと、収益の構造そのものを変えることの決定的な違いは、この副業クラスターのハブである会社員の副業は、なぜ自由につながらないのかで全体像を示しています。あわせて、企業の側がなぜ「副業解禁」に動いたのか——その受益の構造は副業解禁は、なぜ進んだのかで解剖しています。

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