給料は、なぜ自分で決められないのか

給料を自分で決められない理由|値づけの権限は何で決まるのか

はじめに

自分がどれだけの価値を生んでいるかは、自分が一番よく知っています。それなのに、その価値にいくらの値段がつくかは、自分では決められません。

給与は会社が決めます。受注で働くなら、報酬は発注する側が決めます。差し出すのはこちらで、値をつけるのは相手。この非対称に、どこか釈然としないものを感じたことがあるはずです。

給与交渉の技術については、情報が揃っています。本記事が扱うのは、その土台にあたる部分です。なぜ、値づけの権限はいつも相手の側にあるのか、その構造です。

結論を先に示します。価値を世に届ける手段を、自分が持っていないからです。そして、その釈然としなさは、あなたの欲深さではなく、権限を奪われた立場へのまっとうな反応に他なりません。

届ける経路の不所有が、値づけの従属を生む

考えてみれば、私たちの多くは、自分の価値を自分で値づけしていません。自分がどれだけの価値を生もうと、その価値にいくらの値段がつくかは、たいてい買う側の基準で決まります。

なぜ、値づけの権限がいつも相手の側にあるのでしょうか。それは、価値を世に届ける手段を、自分が持っていないからです。

作ったものを人に届ける経路。それを売る仕組み。これらを自分が持たないかぎり、私たちはそれを持つ誰かを通すしかありません。そして、通す以上、その誰かの基準に従うことになります。届ける手段の不所有が、値づけの従属を生む。この二つは、ばらばらの不満ではなく、ひとつの構造の表と裏です。

私自身の経験で言えば、音楽がそうでした。曲を世に出すには、レーベルや制作会社という、他者の所有する流通経路を通るしかありませんでした。その経路を通る以上、経路を持つ側の基準に合わせざるをえません。何を良しとするか、何を作るべきか。その判断の中心が、自分の手を離れて外側へ移っていく。

当時、私はこの違和感を「自分が青臭く拗ねているだけだ」と処理していました。プロというのは求められたものを納品して対価を得るものだ、それができずにいるのは甘えだ、と。けれど、いくら自分を叱りつけても、違和感は消えませんでした。何年経っても、同じ小骨が同じ場所に刺さりました。

報酬の額を上げても、この違和感は消えない

ここで、ひとつの思考実験をしてみます。

仮に、報酬を何倍にも積まれたとして、その釈然としなさは消えるでしょうか。正直に言えば、消えないはずです。むしろ高い報酬と引き換えに、より深く自分の判断を明け渡すことを求められるなら、抵抗感はかえって強まるかもしれません。

逆に、ごくわずかな報酬でも、自分が本当に作りたいものを自分の基準で作れるのであれば、あの拒否の声は上がりません。

つまり、感覚が反応していた変数は、報酬の大小という軸の上には、そもそも乗っていなかったのです。それは、価値の判断権が自分にあるか外にあるか——まったく別の軸の上で揺れていました。

この区別は、多くの人を長年の自己誤解から解き放ちます。「対価をもらっているのに、なぜか満たされない」。そう感じてきた人は、自分を欲深いと責めてきたかもしれません。けれど、本当の理由は欲深さではありません。額には満足していても、値づけの権限が自分にないことに、感覚が反応していました。

問題は、もらう量ではなく、決める権利の所在でした。そう分かれば、自分を責める必要はもうありません。

心理学は、これを「自律性」の欠乏と呼ぶ

この構造は、心理学の言葉でも説明がつきます。

心理学者デシとライアンが体系化した自己決定理論は、人が健やかであるために欠かせない基本的な心理的欲求のひとつとして「自律性」を挙げます[Deci & Ryan, 1985]。自律性とは、自分の行動を自分で選んでいるという感覚のことです。

注意したいのは、これが「わがままに振る舞う自由」とは違うことです。誰かと協力していても、ルールに従っていても、その選択を自分で引き受けて選んでいると感じられるなら、自律性は保たれます。逆に、表面上は自由に見えても、行動の主導権が常に外側にあると感じられるとき、自律性は損なわれます。鍵は、選択の手綱を自分が握っている感覚があるかどうかです。

自律性が満たされない状態が続くと、人は活力を失い、落ち着かなさを抱え込みます。お金の文脈でいえば、「外から課された基準を満たし続けなければならない」という状態そのものが、たとえ収入が安定していても、底に流れる不安を生み出します。

この点は、一見すると豊かに見える人がなぜ不安から自由になれないのかをよく説明します。高い収入を得ていても、その収入が取引先の都合や市場の評価に握られているなら、自律性は満たされていません。額の大きさは、手綱の所在とは別の話だからです。

年収が上がっても落ち着かない人と、収入は控えめでも穏やかな人。差を分けているのは金額ではなく、自分の働き方とお金の入り方を、どれだけ自分で選べているかです。

▸ この「収入の構造」そのものについては、収入を増やしても止まれなさが減らない理由で扱っています。

「ありがたいと思え」という説得が的を外す理由

この構造が見えると、よくある説得の的外れさも見えてきます。

「対価をもらえるだけ、ありがたいと思え」。この説得は、問題を取り違えています。罪悪感が問うているのは、対価の有無ではなく、権限の所在だからです。

対価をもらえても、値づけの権限が相手にあるなら、違和感は残ります。逆に、たとえ額が小さくても、自分で値づけできるなら違和感は起きにくい。だから、額の話で慰めようとしても、感覚は納得しません。

同じように、「マインドを変えれば大丈夫」という助言も的を外します。態度をいじって違和感を抑え込めたとしても、構造が同じであるかぎり、違和感はまた別の場面で湧き上がってきます。源が手つかずなのですから、当然です。

念のため、線を引いておきます。ここで「生産手段を持て」という経済論そのものを展開するつもりはありません。それは別の主題です。ここで言いたいのは、もっと限定的なことです。お金への釈然としなさが指している構造のひとつに、「値づけの権限の不所有」がある。その一点です。

まとめ:明け渡した権限は、取り戻せる

給料を自分で決められないのは、交渉が下手だからでも、価値が足りないからでもありませんでした。届ける手段を持たない立場では、値づけの基準も相手に握られる——そういう構造だったからです。

だとすれば、その釈然としなさを鎮める道は、態度を変えることではありません。値づけの権限を、自分の側へ取り戻すことです。

そして、その第一歩は、届ける経路を自分が持つことにあります。何を、いくらで、誰に届けるか。それを他者の発注や評価を待たずに決められる場所を、自分の側に用意する。これは単に稼ぐ手段ではなく、権限を取り戻す手段です。

もちろん、これは一足飛びの話ではありません。今の収入を保ったまま、その傍らで少しずつ自分の側の比率を増やしていけばいい。明け渡したものは、取り戻せます。この構造全体は、稼ぐことへの後ろめたさの正体にまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
  • Ryan, R. M., & Deci, E. L. “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation”(2000)American Psychologist, 55(1)
  • 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店
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