カリスマ性は身につくのか

カリスマ性は身につくのか|影響力の源泉を取り違えている

はじめに

カリスマ性の身につけ方や、人を惹きつける話し方については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その手前にある問いです。そもそも「あの人にはカリスマがある」という説明は、どこから来ているのか。

私たちは、業績を伸ばした経営者や、人が自然と集まる人物を見て、その理由をその人の内側にある何かに求めます。決断力、話術、佇まい、目に見えない求心力。けれども、その説明が組み立てられた順序を確かめた人は、ほとんどいません。

結論を先に示します。カリスマは、成果を生んだ原因ではなく、成果が出たあとに組み立てられた解釈である場合がほとんどです。 そして、その解釈を原因だと信じて模倣すると、模倣しているのは原因ではなく、原因の周りに付いていた飾りになります。影響力の源泉は、技術の側ではなく、まったく別の場所にあります。

「あの人のカリスマのおかげだ」は、いつ決まったのか

ある企業の業績が急に伸びたとき、私たちはその理由をトップに求めます。あの経営者の決断が速い、ビジョンが明快だ、組織を一つにする力がある。雑誌が表紙に据え、講演の依頼が集まり、組織の成果が、まるでその人一人の内側から生まれたかのように語られていきます。

けれども少し立ち止まれば、一つの企業の業績が、経営者一人の意思決定だけで決まるはずがないと分かります。市場全体が追い風だったのかもしれない。競合が判断を誤ったのかもしれない。現場のチームが、指示とは無関係に地道な改善を重ねていたのかもしれない。参入した時期が、単に良かっただけかもしれない。

経営学者ジェームズ・マインドルらは、この傾向をリーダーシップの幻想と名づけました[Meindl, Ehrlich & Dukerich, 1985, Administrative Science Quarterly]。彼らの研究が示したのは、逆転した構造です。業績という結果が先にあり、その結果に合わせて、リーダー像の方が事後的に組み立てられている。

業績が良いとき、私たちはリーダーの行動を振り返り、そこに一貫した戦略と卓越した先見を見出します。業績が悪いとき、まったく同じ行動が、優柔不断や判断力の欠如として語り直されます。行動は変わっていません。変わったのは、その行動を解釈する私たちの側です。

なぜ、私たちは構造より個人に原因を求めるのか

この傾きは、認知の仕組みそのものに根ざしています。

心理学者リー・ロスは、人が誰かの行動を説明するとき、その人が置かれた状況の力を軽く見積もり、内側の資質を重く見積もる癖を持つことを示し、これを基本的帰属錯誤と呼びました[Ross, 1977, Advances in Experimental Social Psychology]。討論のテーマがくじ引きで割り当てられたと知らされていても、観察者はその主張をその人の本心だと受け取ってしまう。状況が結果を強く縛っているときほど、私たちは拘束の強さを見落とします。

理由の一端は、単純です。市場の動向、競合の戦略、時流といった構造的な要因は、目に見えず、輪郭が曖昧で、物語になりにくい。一方、経営者という一人の人間には顔があり、声があり、意思決定の場面を思い描けます。原因を探すとき、私たちは輪郭のはっきりした対象を選びます。

そして、この錯覚は成果を出した本人にも同じように働きます。人は自分の成功を語るとき、状況の追い風より、自分の判断を原因として語りたがる。意図的な誇張というより、認知の仕組みがそう解釈させるのです。称賛する側と称賛される側の双方が、同じ方向へ引き寄せられていきます。

帰ってこなかった人は、誰も数えていない

もう一つ、標本そのものに歪みがあります。

第二次世界大戦中、連合軍は帰還した爆撃機の被弾箇所を調べ、補強すべき場所を検討していました。被弾は主翼と胴体に集中していた。素直に考えれば、そこを補強するのが合理的に見えます。統計学者エイブラハム・ウォールドは、逆だと指摘しました[Wald, 1943]。補強すべきは、被弾の痕がほとんど無かったエンジン付近である。 なぜなら、調査対象は「被弾しても帰還できた機体」だけであり、エンジンをやられた機体は、そもそも帰ってきていないからです。

リーダーシップの言説空間は、この構造をそのまま持っています。本や講演に登場するのは、決まって成功した人です。同じ方法を、同じ熱量で試みながら成果に届かなかった人は、どこにも登場しません。失敗した実践者は、本を書く動機も、講演を依頼される機会も持たないからです。

たとえば「厳しく叱咤して奮起させる」というスタイルを百人が試したとします。五人がたまたま優秀なチームと市場環境に恵まれ、成果を上げる。この五人が「厳しさこそが条件だ」と語ります。残る九十五人は離職を招き、静かに現場を去る。その声は記録されません。私たちの目に映るのは、五人分の証言と、九十五人分の空白です。

▸ 全体設計図を先に——個別論点の位置づけを先に把握したい場合は構造的自律とは何かからお読みください。

因果の矢印は、逆向きかもしれない

さらに一段、疑うべきことがあります。「優れた技術が成果を生んだ」という矢印は、逆に引かれている可能性です。

事業がうまくいきはじめると、その人の自信は増します。自信を持った人の話し方は堂々として、説得力を帯びる。周囲はそれを見て「統率力がある」と評価します。しかしその堂々とした話し方は、成果が出る前から備わっていた技術だったのでしょうか。それとも、成果が出たことで後から身についた振る舞いでしょうか。

一度成果を出した人が大胆な提案をすれば、周囲は「この人の判断だから」と受け入れます。実績のない人が同じ提案をすれば、抵抗が出ます。成果が信頼という資源を生み、その信頼が次の決断を後押しし、さらなる成果を生みやすくする。カリスマと呼ばれるものは、この循環の途中で観測された断面に、名前を付けたものかもしれません。

そして、極端な成功ほど、この見立ては危うくなります。実力差がわずかで、参加者が多く、勝者総取りに近い競争であるほど、最終的な勝者を分けるのは実力の微差ではなく、そこに上乗せされた運の大小になる——経済学者ロバート・フランクや、運と実力の配分を論じてきたマイケル・モーブッシンが繰り返し指摘してきた点です[Frank, 2016/Mauboussin, 2012]。

ところが、書籍や講演の題材に選ばれるのは、決まって最も突出した成功者です。私たちは、運の寄与が最も大きい事例を選び、その成功をほぼ全面的に技術の産物として解釈している。 選び方そのものが、二重の誤りを生んでいます。

なぜ、この説明は売れ続けるのか

これらはいずれも、専門的な研究の蓄積として、繰り返し指摘されてきた事実です。学術的には目新しくもありません。それでも市場に流通する言説の大半は、この知見を織り込まずに「身につければ再現できる」と語り続けています。

理由の一端は、状況や運が、そもそも商品として成立しにくいことにあります。「あなたの成果は市場の追い風のおかげでした」という説明は、真実に近いとしても、教えることも講座にすることもできません。一方「この法則を身につければ再現できます」は、教材として整えられ、価格を付けられます。

需要の側とも噛み合っています。「巡り合わせが悪かっただけだ」と説明されても、聞き手はそこから先、何もできません。状況や運を原因とする説明は、聞き手を無力な場所に置き去りにします。 一方「あなたの技術がまだ足りない」という説明は、厳しく響く代わりに、次に何をすればよいかを示してくれる。人は、自分にはどうにもできない現実より、行動次第で変えられるという物語を選び取ります。

ここで注意が要ります。これを誰かの陰謀として描くのは、正確ではありません。 多くの語り手は、自分自身がその物語を信じ切っています。成功した人が、自らの成功を技術の賜物だと信じ、その信念で教材を作る。受講者は実践し、成果が出なければ自分の実践不足を疑う。誰一人として意図的に虚偽を語っていないのに、構造全体としては、状況と運という変数が体系的に見えなくなっていきます。

技術を磨く側では、何が起きているのか

では、この前提の上で技術を磨くと、実際には何が起きるのか。

人を動かす技術と呼ばれるものの中身は、多くの場合、他者の受け取り方を操作しようとする営みです。社会学者アーヴィング・ゴフマンが自己呈示として記述し、後に心理学が印象管理として体系化した領域にあたります[Goffman, 1959/Leary & Kowalski, 1990]。

そして人は、こちらが自分を動かそうとしていることを、驚くほど正確に感じ取ります。言葉の内容ではなく、その言葉が技術として差し出されていることを、非言語の水準で見抜いてしまう。整えるほどに、距離が静かに広がっていきます。

内側でも異変が起きます。本心では苛立っているのに穏やかな声で応じる。信頼していない相手に、信頼のこもった所作を向ける。感じていない感情を表示し続ける労働が人を消耗させることは、社会学者アーリー・ホックシールドが感情労働として記述しました[Hochschild, 1983]。演じている自分と、その下にいる自分とのあいだに、埋めがたい隙間が生まれます。

本当の問題は、物差しがどちら側にあるか

ここまでは害の話です。しかし本質的な変化は、もっと静かなところで起きています。

技術に長けようとするほど、実践者の評価軸は移動します。自分が今日一日どうだったかを、「相手が動いたかどうか」で採点するようになる。 良い一日だったかを決めるのは、自分が何に一貫していたかではなく、観客がどう反応したかになる。

そして、動かせなかったという経験には、必ず出口の案内が付いています。もっと上位の講座、より実践的な手法、成功した人と同じ場に身を置くための研修。うまくいけば技術のおかげ、いかなければあなたの実践が足りない。この勘定では、技術はけっして負けません。

負けない以上、効かなかったという経験は、それを手放す理由にはならず、むしろもっと深く学べという号令に変えられます。良い上司になりたいという願いから始めた学びが、いつのまにか「自分はまだ足りない」と毎日確認する作業に変わっている。技術を磨く側と、技術を諦める側は、正反対に見えて同じ穴の裏表です。 どちらも、自分の価値の物差しを相手の反応の側に置いたままだからです。

では、何が人を引き寄せているのか

技術の前提を外したとき、組織行動論と心理学が指し示す方向は、驚くほど地味です。

社会心理学者ジョン・フレンチとバートラム・レイヴンは、人が他者に影響を与える力の源泉を分類し、そのうちの一つを参照的勢力(referent power)と呼びました[French & Raven, 1959]。これは、相手が「この人のようでありたい」と感じることから生じる力であり、行使する技術ではなく、相手の側に生じる同一化です。狙って作れるものではありません。

もう一つの系譜が、言葉と行動の一致です。経営学者トニー・サイモンズは、掲げた理念と実際の振る舞いがどれだけ揃っているかが、信頼と成果を左右することを示しました[Simons, 2002, Organization Science]。人はあなたの言葉を聞いているのではなく、言葉と行動のあいだにある隙間を見ています。

そして心理学者アルバート・バンデューラが示したように、人は指示ではなく、一貫した模範から学びます[Bandura, 1977]。動機づけの側からも、統制して動かされた行動は続かず、自律を支える関わりだけが持続的な追随を生むことが繰り返し示されてきました[Deci & Ryan, 1985/Ryan & Deci, 2000]。

私自身、顔を出すことも、カリスマ的な演出をまとうこともなく、自分の考えを言葉にして届けてきました。人を動かす話術も、注目を集める仕掛けも用いていません。それでも共感してくれる人は集まってきた。逆説的なことに、動かそうと力んでいた時期ほど空回りし、自分の成したいことに黙々と一貫していた時期ほど、人は自ら近づいてきました。

誤解を防ぐために、二つ添えます

第一に、これは「範を示すな」という話ではありません。 自ら背中で示すこと、掲げた理想に自分がまず一貫すること——その価値はむしろ、ここまで見てきた根拠によって擁護されます。斬っているのは、それを人を動かすための手法へすり替える発想の方です。範を示すことが相手を動かす手段として目的化された瞬間に、それは演技へ堕ちる。この分かれ目は率先垂範は人を動かす手法ではないで扱います。

第二に、研修や教材を丸ごと否定しているのでもありません。 状況適合や運の寄与を正しく踏まえた上で、なお学ぶ価値のある技術は存在します。問題は、状況と運という変数を最初から視界の外に置いたまま、「これさえ身につければどんな状況でも再現できる」という誇張が無批判に流通していることの方です。

まとめ:問いを「どう動かすか」から「何に一貫していたいか」へ

カリスマ性が身につかないのは、学び方が足りないからではありません。カリスマと呼ばれているものの多くが、成果の原因ではなく、成果が出たあとに組み立てられた解釈だからです。 原因ではないものを、どれほど精密に真似ても、再現されるのは表面だけです。

そして「どうすれば人を動かせるか」と問いを立てているかぎり、答えは技術の精度を上げるか、器ではないと降りるかのどちらかに帰着します。問いの構造が、答えの構造をあらかじめ決めているからです。

出口は、技術の精度を上げることではなく、問いを「自分は本当は、何に一貫していたいのか」へ置き換えることにあります。影響力は、他者を動かす技術ではなく、何かに一貫している存在からこぼれ落ちる副産物です。動かそうとするのをやめたとき、はじめて人が動きはじめる——この逆説には、地味ではあるものの、確かな裏づけがあります。

共同体と関わりの設計についてはコミュニティ・リーダーシップ論に、全体像は構造的自律とは何かにまとめています。

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技術を磨くほど、何が起きているのか

前提そのものを検証する

演じる側で起きること

擁護する側へ

隣接するテーマとして、評価を受け取る側の心理は承認欲求とは何か、フォロワー型から同志型への転換は孤独の構造、手本を真似ることそのものの構造は真似るほど遠ざかる仕組み、借りた注意と所有する経路の違いはブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由を参照してください。

参考文献

【学術論文】

  • Meindl, J. R., Ehrlich, S. B., & Dukerich, J. M. “The Romance of Leadership”(1985)Administrative Science Quarterly, 30(1)
  • Ross, L. “The Intuitive Psychologist and His Shortcomings”(1977)Advances in Experimental Social Psychology, 10
  • Leary, M. R., & Kowalski, R. M. “Impression Management: A Literature Review and Two-Component Model”(1990)Psychological Bulletin, 107(1)
  • Simons, T. “Behavioral Integrity: The Perceived Alignment Between Managers’ Words and Deeds as a Research Focus”(2002)Organization Science, 13(1)
  • Ryan, R. M., & Deci, E. L. “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation”(2000)American Psychologist, 55(1)

【書籍・報告】

  • French, J. R. P., & Raven, B. “The Bases of Social Power”(1959)in Studies in Social Power, University of Michigan
  • Wald, A. A Method of Estimating Plane Vulnerability Based on Damage of Survivors(1943)Statistical Research Group, Columbia University
  • Goffman, E. The Presentation of Self in Everyday Life(1959)Anchor Books
  • Bandura, A. Social Learning Theory(1977)Prentice-Hall
  • Hochschild, A. R. The Managed Heart(1983)University of California Press
  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
  • Mauboussin, M. J. The Success Equation(2012)Harvard Business Review Press
  • Frank, R. H. Success and Luck(2016)Princeton University Press
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