現状分析から始めて、何度も同じところへ戻ってくる方へ/変革という語は形式の変更を指すが、出てくるのは効率の改善である

自己変革が続かないのは、変える順序が逆になっているからである

自己変革の手順として案内されているものは、形がよく揃っています。変わる必要があることを自覚する。何を変えるべきかを具体的に言葉にする。自分にはできるという確信を持つ。小さな成功を積んで確信を強める。この順序は、変えるべき対象が着手の前に特定できるという前提を置いています。そして、その特定はいまの位置から行われます。

いまの位置から見えるのは、いまの範囲の内側だけです。だから、特定される対象は現在の延長線上にあるものに限られます。延長線上のものを変えても、線の向きは変わりません。変わるのは量だけで、形はそのままです。これが、手順どおりに実行しても大きくは動かない理由です。

順序の側から見ると、答えの付く問いが並びます。改善は確かに出たのに、期待していた変化が起きないのはなぜか。「自己変革力」という言い方で測ろうとすると、測るたびに足りない側の一覧が出てくるのはなぜか。必要性を十分に自覚していて、それでも続かないのはなぜか。どれも量の問題ではなく、どこを基準にして現在を測っているかの問題です。

置けない答えも二つあります。到達点をどれくらいの距離に置くか、何か月で見え方が変わるか。どちらも、ここでは示しません。いまの事業の形式と、置いた位置の距離によって、同じ月数がまったく別の距離を指すからです。期間を先に受け取ると、その期間に収まる距離のほうへ到達点が引き寄せられます。

対象も限っておきます。ここで扱うのは、事業をしている個人が、いまの形式そのものを変えようとする場合です。形式を保ったままの効率の改善は、この記事の対象ではありません。改善そのものには効果があります。ただし効く範囲が、いまの形式の中に限られます。

順序を入れ替えるとは、到達点を先に置くことです。置いた位置が現在の延長線上にあるかどうかで、その後の工程が全部変わります。延長線上なら、見え方は動きません。延長でない位置なら、日々の同じ作業から違うものが見えてきます。見分ける問いは一つで足ります。一つで済むのは、延長かどうかが、実現した状態の中身ではなく、その日一日の並びのほうに現れるからです。置き方を先に確かめないと、以降の工程はすべて空回りします。

測定、言語化、必要性という三つの工程は、それぞれ別の理由で同じ結果に行き着きます。変える対象が、いまの範囲の内側から選ばれるという結果です。だから、実行の精度をどれだけ上げても、出てくる対象の種類は変わりません。変えるには、対象を選ぶより前に、基準そのものを置き直す必要があります。

自己変革の手順書は、現状分析から始まっている

手順書として流通しているものは、現状分析から始まることが多くあります。いまの自分の何が問題か。どこが足りないか。何を改めるべきか。ここで洗い出したものが、変革の対象になります。

この始まり方は、業務改善の手順と同じ形です。現状を測り、あるべき姿と比べ、差分を埋める。組織の運営では、この形が有効に機能します。あるべき姿が、外側から与えられているからです。

個人の変革では、あるべき姿を自分で置きます。ここで形が崩れます。置く材料は自分が持っているものです。これまで見てきたもの、聞いてきたもの、成立すると思えるもの。つまり、あるべき姿もまた、いまの範囲の内側から出てきます。

すると、現状とあるべき姿の両方が同じ範囲の中にあることになります。差分を測っても、範囲の内側での距離が出るだけです。範囲そのものは、測定にも計画にも登場しません。

いまの働き方を改めたいと考えたとき、出てくる案は、次の形になりがちです。稼働の管理を見直す。受ける案件を選ぶ。技能をもう一段上げる。発信を続ける。どれも実行すれば一定の改善が出ます。同時に、どれも現在の形式のまま実行できます。形式が変わらないので、上限も変わりません。

問題は、手順書が「変革」と呼んでいるものと、実行できる範囲が食い違っていることです。変革という語は形式の変更を指しますが、手順書から出てくるのは効率の改善です。この食い違いは判定を狂わせます。手順どおりに実行し、改善も出た。それでも期待していた変化は起きない。すると出てくる説明は「まだ足りない」になります。足りないのは量ではなく種類なのですが、量の物差ししか持っていないので、量として読まれます。

「自己変革力」という言い方も、同じ物差しの上にあります。力として測ると、出てくるのは高いか低いかの目盛りだけです。目盛りが低ければ、上げる作業に入ります。上げる作業は、いまの位置からしか始められないので、また同じ範囲の内側で回ります。

現状分析には、もう一つ代償が付きます。分析の対象が、必ず欠けているものへ寄ることです。現状分析は、あるべき姿との差を出す作業です。だから出力は、足りていないものの一覧になります。既に足りているものは、差がゼロなので一覧に載りません。

載らないものは、以後の検討から消えます。手元にある材料、続いている関係、蓄積された理解。これらは差分がゼロなので、変革の計画の中に一度も現れません。ところが、形式を変えるときに実際に使えるのは、一覧から落ちたこれらの蓄積です。新しい形式で最初に渡せるものは、既に持っているものからしか作れないからです。

だから、不足の一覧を作る作業は、次の一手の材料を体系的に視界から外します。一覧が長くなるほど、手元にあるものは見えなくなります。

現状とあるべき姿の差分は、いまの位置からしか測れない

差分を測るには基準が要り、基準はいま立っている場所です。そして、基準の位置そのものは測定の対象になりません。

収入に当てると、はっきりします。いま月に六十万で、目標が百万だとすれば、差分は四十万です。この計算は正確です。ところが、この計算には「収入は月ごとに測るものだ」という基準が入っています。

基準を変えると、同じ状況が違って見えます。手を動かさずに発生した売上がいくらか、という基準で測ると、ゼロになる人も少なくありません。六十万も百万も、この基準では同じ値です。差分は四十万ではなく、ゼロとゼロの差になります。

どちらの測り方も正しく成立します。違うのは、その測定が何を目標として指定するかです。前者が指定するのは「もっと」です。後者が指定するのは、別の種類の到達点です。目標は、測り方を決めた時点で半分決まっています。

そして、差分を埋める作業を続けているかぎり、基準は動きません。埋める作業は、基準を前提にして初めて成立するからです。作業の途中で基準を疑うと、作業そのものが止まります。だから、真面目に埋め続けるほど、基準は固定されます。

成果が出れば、基準の正しさが裏づけられたようにも見えます。六十万が七十万になれば、この測り方で進んでいる、と読めます。読めるので、測り方は検討されません。

基準を疑っていたら何も進まないのではないか、という反論があります。常に疑っていれば、確かに作業は成立しません。ここで言っているのは、常に疑えということではなく、順序です。基準を置き直す作業と、置いた基準で差分を埋める作業は、別の工程です。前者を一度やってから後者に入れば、後者は迷いなく進みます。問題は、前者の工程が手順書に入っていないことのほうです。

基準が固定されたまま長く進むと、基準を動かすこと自体の負荷が上がります。積み上げた実績が、その基準のもとで意味を持っているからです。基準が動けば、実績の意味も変わります。変わるのを避けたい力が、基準を保つ側に働きます。

この力は、心理の側だけではありません。実務の側からも働きます。いまの基準で回っている仕事が生活を支えており、基準を動かすと、当面その仕事の優先度が下がります。下げれば収入が動きます。だから、基準の変更は収入の変動と同時に検討されることになります。

ここが、この作業のもっとも現実的な難所です。基準を動かす作業と、いまの基準で稼ぐ作業は、同じ時間を取り合います。そして後者には期限があり、前者にはありません。期限のあるものが優先されるのは、判断として合理的です。基準が動かないのは、意欲の問題ではありません。期限のある作業が、期限のない作業を毎日正当に押しのけている構造です。

「何を変えるか」の言語化を、着手の前には終えられない理由

言語化に使われる材料は、自分が既に持っている語彙です。そして語彙は、これまで通った場所で入ります。

組織にいた人の語彙は組織の語彙で、受託を続けてきた人の語彙は受託の語彙です。語彙は、その場所で必要だったものが揃っています。だから、まだ通ったことのない場所については、語彙が揃っていません。揃っていない領域について言語化しようとすると、手持ちの語彙で近いものが選ばれます。

事業の形式を変えたいと感じているのに、言語化すると「集客を強化する」「単価を上げる」「発信を増やす」になります。これらは形式の変更を指していません。現在の形式の中の変数です。感じていたものと、言葉にしたものがずれています。そして、言葉にした時点で、そのずれは見えなくなります。以後の作業は、言葉になったほうを対象に進みます。

言語化そのものは要ります。言語化しなければ共有もできず、進捗も測れません。無効になるのは、着手の前に最終的な対象を確定させようとする使い方です。まだ通っていない領域の語彙は、通ってから入ります。先に確定させると、確定できるものだけが対象になります。

この工程には、見えにくい選別も働きます。言葉にしやすいものが優先されるという選別です。数えられるもの、期限を切れるもの、既に名前があるもの。これらは言語化が容易なので、対象として採用されやすくなります。逆に、まだ名前がなく、期限も切れず、達成の判定も曖昧なものは、言語化の段階で落ちます。

そして、形式の変更は後者に属します。名前がなく、期限が切れず、いつ完了したかも曖昧です。手順書の二番目の工程が、扱いたい対象を体系的に排除しているという構造になります。

排除は、共有の場面でさらに強まります。説明できる形にするには、相手の語彙に合わせる必要があるからです。相手の語彙もまた、相手が通ってきた場所のものです。だから、説明の過程でもう一段、既に流通している形へ寄ります。

具体的には、「事業の形式を変えたい」が、相手に伝わる形にすると「もっと効率よく稼ぎたい」になります。伝わりはします。ただし、伝わった内容は元のものではありません。そして、伝わったほうの内容に対して、周囲は助言をくれます。助言は的確です。的確な助言が、元の対象からさらに遠ざけるという形になります。悪意はどこにもありません。翻訳の途中で対象が入れ替わっているだけです。

では言語化を後回しにすればよいのか、というと、そうでもありません。言葉にしないままだと、他人に相談する経路も、記録する経路も持てません。現実的な扱いは、言語化の位置を変えることです。着手の前に確定させるのではなく、通った後で、通った場所の語彙を使って書く。順序が変わるだけで、工程そのものは残ります。

必要性の自覚は、継続の燃料にならない

「変わる必要があると強く自覚する」という工程は、動機づけの起点として置かれています。ところが、必要性の自覚と行動の継続は、あまり相関しません。

必要だと十分に分かっていて、それでも続かない。これが、よく観測される形です。理由は、必要性がどこから来ているかを見ると分かります。必要性の多くは、外側から来ます。このままでは立ち行かない。周囲がそうしている。いずれも、外側の条件を根拠にしています。

根拠が外側にあるので、外側の条件が変われば動機も変わります。そして、外側の条件は日々変わります。案件が一つ決まれば、必要性は下がります。手元が回れば、下がります。必要性を燃料にした行動は、燃料が季節変動します。

外から与えられた理由が、内側の動機に何をするかは、実験でも扱われてきました。エドワード・デシは1971年、もともと関心を持って取り組まれていた課題に金銭的な報酬を導入すると、報酬が無くなった後の自発的な取り組みの時間が減ることを報告しています(Deci, 1971, Journal of Personality and Social Psychology, 18(1), 105–115)。外から理由を足すと、内側の理由が押し出される、という向きです。

この効果はメタ分析でも確認され、とくに課題の遂行と結びついた報酬で内発的な動機の指標が下がることが示されています(Deci, Koestner & Ryan, 1999, Psychological Bulletin, 125(6), 627–668)。報酬そのものが悪いのではなく、理由の出どころが外側へ移ることが効いています。

必要性による駆動には、これと近い作用があります。もともと関心があってやっていたことに「やらなければ立ち行かない」という理由が付くと、関心のほうが後退します。事業として続けているうちに、始めた頃の関心が薄くなる現象は、この形で説明できる部分があります。

必要性そのものは、着手の契機として強く働きます。実際、多くの変化は必要性から始まります。言えるのは、契機としては働くが、継続の燃料としては安定しないということです。だから、手順書がこれを起点に置いていること自体は正しく、起点しか置いていないことが不足です。

必要性を起点に置き続けると、必要性を高く保つ動機が生まれます。手元が回っている時期に、あえて先行きの厳しさを自分に言い聞かせる。数字を悪い側から読む。そうしないと動けないことを知っているので、動くために必要性を維持しようとします。

この維持には代償があります。必要性が高い状態は、判断の幅を狭めます。立ち行かなくなることを避ける向きに判断が寄るので、時間のかかる選択肢が落ちます。そして、形式の変更は、まさに時間のかかる選択肢です。走るための操作が、行き先を制限している形になります。

順序を逆にすると、基準の位置が入れ替わる

これまでの順序は、現状を測る、差分を出す、対象を決める、実行する、でした。逆にすると、到達点を置く、そこから現在を見る、見え方の変化を確かめる、出てきたものを実行する、になります。

違いは順番の入れ替えだけに見えます。実際に変わるのは、基準の位置です。前者では基準は現在にあり、測られるのは現在からの距離です。後者では基準は到達点にあり、測られるのは到達点から見た現在の位置になります。

現在を基準にすると、現在は「そこから出発する場所」として扱われ、構成要素はそのまま持ち越されます。いまの取引先、いまの形式、いまの技能。これらは前提として扱われ、検討の対象になりません。

到達点を基準にすると、現在は「到達点から見て、どういう状態か」として扱われます。すると、現在の構成要素が一つずつ評価の対象になります。これは到達点へ向かう経路の上にあるか。それとも、経路の外にあるか。

そして、この評価は判断の結果ではなく、見え方として出てきます。到達点を置いた後で日々の仕事をしていると、以前と同じ作業が違う意味を持って見えます。ある案件は経路の上にあり、別の案件はそうでない。この区別は、分析して出したものではなく、基準の位置が変わったことによって現れます。

到達点を置くだけで見え方が変わるとは思えない、という反論は当然出ます。置き方によります。現在の延長線上に置いた場合、見え方は変わりません。延長線上のものは、既に同じ基準の中にあるからです。変わるのは、延長線上にない位置に置いた場合だけです。この違いは、到達点をどこに置けるかという問題になります。

順序を逆にすると、手順書の形をした計画は作れなくなります。現在から積む順序では計画表が書けますが、到達点から見る順序では、次の一手が見え方の変化から出てくるので、着手の前に一覧にはできません。

これは不便です。同時に、一覧にできる範囲に収まっていないことが、外側を扱っている印にもなります。一覧が書けたなら、その内容は既に内側にあります。この形で持つのは、計画ではなく並べ替えの基準です。出てきたものを到達点からの距離で順に置き直す。基準は初めから手元にあり、それが到達点です。

もう一つ、順序を逆にすると失敗の意味が変わります。現在から積む順序では、失敗は差分の未達です。埋めるはずだった距離が埋まらなかった、という記録になり、次の計画で取り返す対象になります。到達点から見る順序では、失敗は経路の情報です。この方向は経路の上になかった、という記録になります。取り返す対象ではなく、地図に書き込む材料です。

この差は、続けられるかどうかに直結します。同じ出来事が、片方では負債になり、もう片方では資産になります。そして、形式を変える作業では、うまくいかない回数が多くなりやすくなります。回数が多い作業を、負債が積み上がる形で設計すると、続きません。

到達点は、現在の延長線上には置けない

到達点として置かれるものには二つの種類が混じっています。片方は延長で、片方はそうではありません。そして両者は、口に出したときの形がよく似ています。

延長にあたる到達点は、いまの構成要素をそのままにして、値を大きくした形をしています。収入を倍にする。案件数を増やす。取引先を広げる。技能を上げる。これらは、いまの形式を保ったまま実現できます。

延長でない到達点は、構成要素そのものが違う形をしています。収入の発生する仕組みが違う。届く経路の持ち主が違う。額を決める主体が違う。

分かれ目を測る問いは一つです。実現した状態を思い浮かべたときに、いまと同じ並びの一日が出てくるか。同じ並びが出てくるなら、延長です。値が違うだけで、構成は同じだからです。まったく違う形の一日が浮かぶなら、延長ではありません。

延長でない位置を置くと、置いた直後には現実味が薄くなります。まだ通ったことのない場所なので、材料が揃っていないからです。材料が揃っていない状態を、現実味の薄さとして感じます。

ここで、この薄さをどう読むかが分岐点になります。読み方の分岐そのものは、能力観の研究でも扱われてきました。心理学者のキャロル・ドゥエックとエレン・レゲットは1988年、能力を固定されたものと捉えるか、伸びるものと捉えるかによって、困難な場面での反応が変わることを整理しています(Dweck & Leggett, 1988, Psychological Review, 95(2), 256–273)。

現実味の薄さは、困難ではありません。ただし、読み方の分岐という点では同じ形をしています。薄さを「自分には無理だという証拠」と読むか、「まだ材料が揃っていないという状態」と読むかで、次の動きが変わります。前者と読めば、位置を手前へ引き戻します。引き戻せば薄さは消えます。消えた時点で、それは延長に戻っています。

この枠組みを、何でも取り組み次第でできるという主張に広げることはしません。向き不向きは実在します。ここで扱っているのは、まだ試していないものについて、試す前に判定を確定させないという一点だけです。試したうえで向いていないと分かることと、試す前に向いていないと決めることでは、手元に残る材料がまったく違います。前者は次に何を試すかの材料になり、後者は何も残しません。

延長でない位置を置くと、周囲との会話が噛み合わなくなる期間もあります。相手が持っている基準は、いまの形式の延長にあることが多いからです。同じ語を使いながら、指している中身が食い違う状態になります。ここで説明を尽くそうとすると、相手に伝わる形への翻訳が働き、対象が入れ替わります。噛み合わなさは、対象がまだ相手の語彙に無いことの現れであって、説明の技術の問題ではありません。

変える対象は、決めるのではなく出てくる

手順書では、変える対象を決めます。逆の順序では、決めません。出てきます。

出てくる、というのは曖昧に聞こえます。具体的には、次のような形で起こります。到達点を置いた状態で、通常の仕事を続けます。特別なことはしません。すると、これまで気にならなかったことが引っかかるようになります。この案件は経路の上にない。この作業は、続けても到達点に近づかない。

引っかかりは、判断ではありません。気づきの形で出てきます。そして、気づいたものは対処できることが多くあります。対処の手がかりが見えるものが、気づきとして上がりやすいからです。

この順序には、手順書にない性質があります。出てきた対象は、既に自分にとって意味を持っています。手順書で決めた対象は、決めた時点では意味を持っていません。「変えるべきだから変える」という位置づけです。だから実行に負荷がかかり、負荷を意志で補うことになります。

出てきた対象は、引っかかりとして先に感じられています。感じられているものに対処するのは、負荷が違います。意志で補う量が少なくて済みます。

出てくるためには、条件が要ります。通常の仕事を続けている必要があります。仕事の中で場面に触れなければ、引っかかりも発生しません。到達点を置いて、そのまま何もしなければ、何も出てきません。だから、この順序は「行動しなくていい」という主張ではありません。行動の量はむしろ同じか、増えます。変わるのは、何をやるかを決める主体です。頭の中の計画が決めるのではなく、場面との接触が決めます。

この順序には、進捗が見えにくいという難点があります。計画表があれば、消化率で進捗が測れます。出てくるものに対処する形だと、消化すべき一覧がありません。だから「進んでいるのか」が分かりにくくなります。この難点への対処は、測る対象を行動から見え方へ移すことにあります。

もう一つ、注意すべき点があります。出てくる引っかかりには、順番が付いていません。計画表なら優先順位が書けます。引っかかりは、場面との接触で出てくるので、出てきた順に並ぶだけです。重要なものが先に出てくるとはかぎりません。

だから、出てきたものを片端から処理すると、労力が散ります。扱い方は、出てきたものを一度書き留めて、到達点との距離で並べ直すことです。並べ直す基準は既に手元にあります。到達点がそれです。

この一手間があるかないかで、結果が変わります。引っかかりをそのまま処理するのは、結局のところ場面の側に予定を決めさせることになります。場面は、いまの形式が作っています。だから、無選別に処理していると、いまの形式の中に引き戻されます。

自己変革の途中で起きること——落差と、二つの基準の並存

移行の途中には、起きやすいことが四つあります。落差の可視化、基準の並存、古い成果の効かなさ、そして期間を自分で決められないことです。

第一に、落差が可視化されます。到達点を延長でない位置に置くと、現在との距離が見えます。距離は、置く前から実在していました。置いたことで、初めて表示されただけです。それでも、表示された直後は足りなさが目立ちます。ここで「置いたせいで苦しくなった」と読むと、置く操作そのものが疑われます。実際には、表示されていなかった状態のほうが、距離を測れない状態でした。

第二に、二つの位置が並存します。古い基準も、新しい基準も、しばらく両方が働きます。同じ案件について、片方の基準では受けるべきで、もう片方では受けるべきでない、という判定が同時に出ます。

この状態は、迷いとして体験されます。迷いは、基準が二つあるときにしか発生しません。基準が一つなら判定も一つです。だから、迷いが増えたことは、新しい基準が働き始めた証拠でもあります。

迷いには、別の型もあります。単に材料が足りないための迷いです。区別する材料は、同じ材料を見ているのに結論が二つ出るかどうかです。材料不足なら、結論はどちらも出ません。基準が二つあるなら、両方の結論が出ます。

第三に、古い基準での成果が、以前ほど効かなくなります。これは、実際にはやっかいな時期です。古い基準で成果を出しても、新しい基準では前進として数えられません。数えられないので、達成感が薄くなります。一方で、新しい基準での成果は、まだ出ていません。両方の基準で、成果が薄く見える期間が生じます。

この期間の読み方は一つです。古い基準での成果が効かなくなったことは、基準が移った証拠である。効き続けているなら、まだ移っていません。この期間には、周囲からの評価も一時的に下がります。周囲が評価に使うのは、移る前の基準だからです。評価の低下を判断の誤りとして読むと、基準を戻す方向へ働きます。

第四に、この期間の長さは、自分では決められません。新しい基準が定着するのは、その基準での成果が実際に出てからです。成果が出るまでの時間は、扱っている形式によって違います。渡すものを作る期間、それが届く期間、届いてから返ってくる期間。いずれも、意志で短縮できる部分は限られます。

だから、この期間をどう過ごすかが分かれ目になります。有効なのは、古い基準での仕事を止めないことです。止めると収入が落ち、落ちれば期限のある作業が優先され、新しい基準の作業は止まります。止めたことが原因で、止まるという順序になります。

だから、移行は乗り換えではなく重ねで進みます。古い形式を回しながら、新しい形式を並行して作る。一時的に負荷は増えます。増えた負荷は、新しい形式から収入が発生し始めた時点で下がります。この順序を守っていれば、期間が長引いても止まりません。

自己変革が進んでいるかは、見え方と土台の二つで確かめる

最初に見るのは、置いた到達点です。次に見え方、そして迷いの質。最後に、土台が回っているかを見ます。

第一に、到達点が延長かどうかを確かめます。実現した状態を描いて、いまと同じ並びの一日になるかを見ます。同じ並びなら延長で、基準としては機能しません。判定は、置いた直後に済ませます。後から判定しようとすると、既にその位置に慣れているので、延長かどうかが分からなくなります。

第二に、見え方が動いたかを確かめます。具体的には、以前と同じ作業をしているときに、以前と違う引っかかりが出るかどうかです。出ているなら、基準は移動しています。出ていないなら、まだ移動していません。ここで見るのは、行動の量ではありません。行動が動くのは、見え方が変わった後です。だから、行動の量で判定すると、実際には進んでいる時期を「進んでいない」と判定します。

第三に、迷いの質を確かめます。材料が足りないための迷いか、基準が二つあるための迷いか。後者なら、移行の途中です。前者なら、材料を取りに行く段階です。同じ「迷っている」でも、次の手が違います。

第四に、いまの仕事が止まっていないかを確かめます。これは進捗の指標ではなく、継続の条件の確認です。古い形式からの収入が落ちていると、期限のある作業に時間が寄り、新しい作業は止まります。順序としては、ここを先に見ます。

この確認は消極的に見えます。実際には逆で、回っていることが、延長でない位置を扱える条件そのものです。手元が不安定な状態では、判断は近い期限へ寄ります。寄れば、延長でない位置は選ばれません。土台のほうが、到達点の置き方を決めています。

手順どおりにやっても大きくは動かないのはなぜか。手順が悪いのではありません。手順の一段目が、いまの位置から対象を決めるようにできているので、出てくる対象が延長に限られるという構造です。

だから、この記事は現状分析を否定していません。基準を置き直した後の現状分析は、そのまま使えます。測る位置が変わっているので、同じ作業から別のものが出てきます。順序が入れ替わるだけで、工程はほとんど残ります。

距離と月数に、ここでも数字は付きません。数字を置くと、その数字に収まる範囲へ到達点が動くからです。手元へ残るのは、延長かどうかを見分ける一つの問いと、四つの確認です。期間の代わりに順序を決めるのは、この二つです。

到達点を置いたのに候補が一つも上がってこない場合は行動できないのは意志の問題ではない、置き直した基準へ日々の行動を寄せていく作業は習慣を変える前に、戻る先を変える、置き直しの途中で出る抵抗の扱いはメンタルブロックは欠陥ではないで扱っています。この順序が認識の全体でどこに置かれているかは認知科学が示すのは、行動が感じている世界から生成されることにあります。

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