どこかで考えるのをやめた感覚がある方へ/問題は省略そのものではなく、更新されなくなった省略である

思考停止は怠慢ではなく、省略が積み上がった状態として見える

言われたとおりにやって、疑問が浮かばない。前と同じやり方を選んで、なぜそれを選んだかは説明できない。人に「もっと考えたほうがいい」と言われて、何を考えればいいのか分からない。自分でも、どこかで考えるのをやめた感覚があります。

この記事の立場を先に置きます。省略は、判断を毎回ゼロから組み立てずに済ませるための標準の機能です。問題は省略そのものではなく、省略が一度も見直されないまま固定されることにあります。案内されている対処、つまり問いを持つ、なぜを繰り返す、といったものは正しく効きますが、効いている場所は、既に問いが立っている領域だけです。

そこで扱うのは、省略が更新される条件と、更新されない条件です。省略は減らすものではないので、この記事は減らし方を書きません。書くのは、どの省略を開けておくかを決める側の話です。

この違いは細かいようで、処方の向きを反対にします。減らす方向で考えると、作業は自分の内側に向かいます。もっと注意深くなる、もっと問いを持つ、もっと時間をかける。開ける対象を選ぶ方向で考えると、作業は判断を囲んでいる形のほうに向かいます。何が省略されるかを決めているのは、注意深さではなく、その判断が置かれている場所の条件だからです。場所の条件を触る作業は、その日の意識の状態に左右されません。そして、意識の状態に左右されないものは、忙しい時期を越えて残ります。

扱わない範囲も書いておきます。思考力を鍛える手順は入りません。集中力や意志の持ち方も入りません。無効だからではなく、この記事が原因を本人の姿勢の側に置いていないからです。判断そのものを自分の側へ置き直す作業は決断できないのは性格ではなく、判断を手渡してきた構造の帰結が持ち、受け取った材料と自分の判断を切り分ける作業は「自分の頭で考える」の中身が扱います。

省略が更新されるのは、外した結果が自分に返ってくる場合だけです。返ってこない判断では、何度繰り返しても省略は同じ形のまま残ります。更新の有無を決めているのは、経験の量ではなく、その経験がどういう形で返ってくるかのほうです。一人で決めている場合、返りの遅い判断と速い判断が同じ日程の中に混ざるので、遅いほうの省略だけが更新されずに積み上がります。積み上がった状態が、外からは思考停止として見えます。

「思考停止」が指しているのは、一つの現象ではない

思考停止という一語の下に、少なくとも三つの別々の形が入っています。

一つ目は、判断を他人に預けている形です。決める場面が来ると、上位の人や周囲の多数に合わせる。判断そのものは行われていますが、下しているのは自分ではありません。

二つ目は、前の結論を再利用している形です。かつて考えた結果が答えとして残っていて、今回もそれを当てる。考える工程は省かれていますが、答えの中身には根拠があります。

三つ目は、問いが立たない形です。何かがおかしいという感触すら出てこないので、考えるべき対象が現れません。

外から見ると、この三つは区別が付きません。どれも「自分で考えていない」という一つの外観に収まります。欠けているものは、三つとも別の場所にあります。一つ目は判断の所在、二つ目は更新の頻度、三つ目は認識の範囲です。

分けたところで、考えていないことに変わりはない。ここは変わります。判断の基準を自分の側に置く、という処方で考えてみます。これは、答えを他人に預けている形には効きます。ところが、問いがまだ立っていない領域へ持っていくと、基準を置く対象そのものが見えません。置き場所の無い基準は、置けたかどうかも判定できません。別の分野の材料に触れる、という処方にも同じことが起きます。問いを立てる側には材料が増えますが、預けている形に当てると、預ける相手が一つ増えるだけです。

ここで引き受けるのは、二つ目と三つ目です。一つ目は、判断の所在そのものを扱う問題なので、決断できないのは性格ではなく、判断を手渡してきた構造の帰結へ渡します。残る二つは、どちらも省略という一つの機能の現れ方の違いなので、同じ場所で扱えます。

三つは同時にも起き、判断を預けている状態が続くと、決める経験が減り、前の結論の再利用が増え、やがて問いそのものが立たなくなることがあります。この順で進むとき、後ろの形ほど自覚しにくくなります。

三つは、一つの問いへの反応で分かれます。その判断について、別の答えがありえたかを聞いてみます。一つ目の形なら「上がそう言ったので」と答えられます。二つ目なら「前もそうしたので」と答えられます。三つ目だけは、質問の意味が取れません。別の答えがありうるという想定そのものが立っていないからです。

「思考停止」という一語は、三つを一つに畳んだうえで、原因を本人の姿勢の側に置きます。姿勢の問題として扱われると、処方は「意識を変える」になります。そして意識を変えたつもりでも三つ目の形は動かないので、効かなかった経験だけが積み上がります。効かなかったことが、姿勢がまだ足りない証拠として読まれる。説明が自分を補強する形になっているので、外から反証が入りません。

共有されている対処は、考える回数の側に集まっている

この状態への対処は、広く共有されている形が五つあります。中身を省かずに写します。

問いを常に持つ。受け取った情報に「なぜ」を重ねて、因果の鎖を辿る。情報を集めることと考えることを混同せず、考えている時間を可視化して増やす。自分の考えを批判的に見る訓練をする。前提を疑う。

五つはいずれも、実際に効く局面を持っています。とくに「情報を集めることは考えることではない」という分界は正確で、省略の中身をどう開けるかという議論とも整合します。

五つの作用点は、一箇所に集まっています。「なぜ」を繰り返す、批判的に見る、前提を疑う。これらはすべて、既に対象として認識されているものに対して働きます。可視化と時間の確保は、考える工程に資源を割り当てます。

集まっている先は、問いが立った後の側です。設計として誤ってはいません。ただし、問いが立っていない領域には届きません。

前提を疑えと言っている以上、認識されていない領域も含まれているように読めます。含まれません。疑うには、疑う対象を名指しできる必要があります。前提として認識できているものは、既に対象になっています。認識されていない前提は、疑う操作の入力になりません。

五つが効かないわけではありません。問いが立っている領域では、実際に思考の深さが変わります。効かないのではなく、境界の外に出ないというだけです。そして三つ目の形、つまり問いが立たない形は、この射程の外にあります。

「考える時間を増やす」という処方には、上限もあります。判断の対象は日に何十件も発生するため、すべてに時間を割くことはできません。省略を減らすこと自体が目的になると、日常の判断が回らなくなります。

この上限は処方の側にも跳ね返ります。時間が有限である以上、どの判断に時間を割くかを決める判断が、一段上に必要になります。その配分をどう決めるかは、五つの処方のどれも扱っていません。問いを持てとは言われますが、どの問いを持つべきかは指定されないままです。

そして、この処方を試して何も出てこなかったとき、外れた理由の候補として残りやすいのは、実行した側です。処方の側は正しいと分かっているからです。「これだけ簡単な問いかけすらできないのだから、自分は考える力が足りない」。正しい処方であることが、かえって原因の誤帰属を強めます。

省略は欠陥ではなく、判断の費用を下げる標準の機能である

省略そのものを見ます。省略は、思考の失敗ではありません。判断にかかる費用を下げるために、常時働いている機能です。

判断には費用がかかります。時間、注意、そして選ばなかった選択肢を諦める手間です。日常に発生する判断のすべてにこの費用を払うと、どれも決まりません。だから人は、大半の判断を、過去に作った処理の型に流します。

この働きの強さを実測した研究があります。心理学者のエレン・ランガー、アーサー・ブランク、ベンジオン・チャノウィッツが1978年に『Journal of Personality and Social Psychology』誌へ発表した実験です(36巻6号、635〜642頁)10.1037/0022-3514.36.6.635。

大学のコピー機の前に並んでいる人に、順番を譲ってほしいと頼みます。頼み方は三通りです。理由なし(「5枚あるのですが、コピー機を使わせてもらえませんか」)、本当の理由(「急いでいるので」)、そして中身のない理由(「コピーを取らないといけないので」)。三つ目は、理由の形はしていますが、情報を何も足していません。コピー機の前にいる人は全員コピーを取ります。

結果は、理由なしで60%、中身のない理由で93%、本当の理由で94%でした。

中身のない理由が、本当の理由とほぼ同じだけ通りました。参加者は、理由の内容を検討していません。「要請と理由の形」という型に合致したかどうかだけで応じています。

この結果を、参加者の注意力が散漫だっただけだと説明することもできます。そうではないことは、同じ実験の後半で示されます。頼む量を増やすと、この省略は自動的に解除されました。散漫であれば量によって変わりません。変わったということは、省略が量に応じて調節されていたということです。

この実験が測っているのは、他人からの要請に応じる場面です。自分で何かを決める場面と同じ仕組みが働いているとまでは、この研究だけからは言えません。言えるのは、複雑な社会的判断が、中身を検討せずに型だけで処理されうるということです。

省略が有効なのは費用の面だけではありません。心理学者のゲルト・ギーゲレンツァーとダニエル・ゴールドスタインが1996年に『Psychological Review』誌へ発表した研究は、手がかりを一つだけ見て残りを無視する判断方式が、すべての手がかりを重みづけて統合する方式と同等か、それ以上に当たる場面があることを示しています(103巻4号、650〜669頁)10.1037/0033-295X.103.4.650。情報を捨てることが、精度を上げる方向に働く条件が実在します。

だから、省略を減らすことは目標になりません。省略の多さは、判断の質の低さを意味しません。問題は量ではなく、どの省略が開いているかのほうにあります。

そして省略は速度を生むので、省略の多い状態は、外からは有能に見えます。即答できる人、迷わない人、話が早い人。これらの評価は、判断の質ではなく速度に対して与えられています。速度への評価が返ってくるほど、省略は正しかったという読みが強化されます。省略を減らすと、短期的には評価が下がる方向に動きます。

省略は、費用が上がると解除される——ただし見積もりが要る

コピー機の順番を譲る実験には、もう一つの条件があります。頼む枚数を5枚から20枚に増やした場合です。

結果は、理由なしで24%、中身のない理由で24%、本当の理由で42%でした。

中身のない理由の効果が、完全に消えています。5枚のときは本当の理由と同じだけ通った言い方が、20枚になると、理由を言わなかった場合と区別がつかなくなりました。

この結果が示唆するのは、省略が、払う費用が上がると解除されるということです。5枚を譲る費用は小さいので、型で処理して構いません。20枚を譲る費用は大きいので、理由の中身が検討されます。

つまり省略は怠慢ではなく、費用に応じた切り替えです。常に全力で考えている状態は、資源の配分として合理的ではありません。大きい判断のために資源を残すために、小さい判断は型に流されています。

だとすれば、放っておいても大事な判断のときには考えるはずです。そうなるとは限りません。切り替えの引き金になっているのは、実際の費用ではなく、費用の見積もりだからです。20枚が20枚として見えていれば切り替わります。見えていなければ、切り替わりません。

そして事業の判断では、費用が見えにくい形をしています。単価をいくらに置くか、どの依頼を受けるか、何を扱うか。これらは、その場では小さい判断に見えます。費用は数年かけて累積するので、判断の時点では5枚に見えています。

費用の見積もりを常に正確にすることはできません。累積の大きさは、累積した後にしか分かりません。できるのは、後で大きくなる種類の判断をいくつか名指しして、そこだけ切り替えを手動で入れることです。

名指しの基準を一つ置けます。その判断が、次の判断の前提になるかどうかです。単価を決めると、次に受ける依頼の範囲が決まります。依頼の範囲が決まると、次に積み上がる実績が決まります。前提になる判断は、一度で終わらず後続を規定するので、累積の起点になります。逆に、後続を規定しない判断は、間違えても一回分の損で済みます。

この基準にも外れる場合があります。後続を規定するかどうかは、事前には分からないことがあるからです。小さく受けたつもりの一件が、その後の依頼の性格を決めてしまうことは珍しくありません。前提になるかどうかを完全に見分ける方法はないので、名指しは外れる前提で置きます。外れたときの損は、余計に検討した時間の分だけです。逆向きの外れ、つまり前提になる判断を型で処理した場合の損は、後続の全部に掛かります。外れ方が非対称なので、迷ったら名指しする側へ倒します。

切り替えを手動で入れると、その判断の周辺だけ処理が遅くなります。同じ場にいる人からは、それは決断の遅さとして見えます。その人たちから「なぜそんなことで悩むのか」という反応が返ります。反応は費用として実在するので、切り替えを入れる回数は、自然に減っていきやすくなります。

結論の省略と、問いの省略は、別のものである

省略には二つの種類があります。この二つを分けないと、対処が届きません。

一つ目は、結論の省略です。かつて考えて出した答えを、今回も当てる。答えを出した過程は、かつて自分で通っています。

二つ目は、問いの省略です。そもそも「これはどうなっているのか」という問いが立たない。答えがないのではなく、問いがありません。

この二つは、自覚のされ方が大きく違います。結論の省略は、自覚できます。聞かれれば「前もそうだったから」と説明できるからです。問いの省略は、自覚しにくくなります。省略されたものは出力に現れないので、内側からは何も欠けていないように見えます。

扱う商品の値段を、同業の相場に合わせて決めたとします。これは結論の省略です。「相場に合わせた」という判断が意識に残っているので、後から問い直せます。一方、その商品を時間単位で売るという形式そのものは、多くの場合、判断されていません。別の形式がありうるという問いが立たないからです。この場合、本人の記憶には「決めた」という出来事すらありません。

問いが立たないだけなら、知識を増やせば解決しそうに見えます。半分は解決します。別の形式を知れば、問いは立ちます。ただし、知識は問いの候補を増やすだけで、どれを問いにするかは決めてくれません。知っているのに問いにしていない事柄は、誰にでも多くあります。

問いの省略をすべて解除することもできません。問いの候補は無限にあるので、大半は省略されたままである必要があります。扱えるのは、自分の事業の形を決めている少数の箇所だけです。

見つけ方を一つ置きます。自分の仕事の説明を書いてみて、説明せずに済ませた語を拾います。「クライアントワーク」「案件」「稼働」。こうした語は、その中身が既に共有されている前提で使われます。共有されている前提で使える語は、その内側が一度も開かれていない箇所の目印になります。

この見つけ方にも限界があります。説明せずに済ませた語のすべてが、開けるべき箇所とは限りません。共有された語は、通じるからこそ短く済ませられるのであって、毎回中身を開いていたら会話も設計も進みません。目印になるのは、その語が事業の形を決めている場合だけです。「案件」という語の中身を開くかどうかは、案件という単位で仕事を受けることが自分の収入の形を決めているかどうかで変わります。

問いの省略には、指摘されると強い抵抗が生じるという性質もあります。結論の省略を指摘されたときは、根拠を説明すれば済みます。問いの省略を指摘されたときは、説明すべき根拠が存在しません。何も答えられない状態に置かれるので、指摘そのものが攻撃として受け取られます。この抵抗が、外から更新が入らない理由の一つになっています。

省略が更新されるかどうかは、経験の返り方で決まる

省略それ自体は健全な機能です。では、更新が起きる場所と起きない場所は、何で分かれるのか。ここは、本人の姿勢ではなく、経験が返ってくる形の側で決まります。

心理学者のロビン・ホガース、トマス・レハラガ、エムレ・ソイヤーが2015年に『Current Directions in Psychological Science』誌へ発表した整理があります(24巻5号、379〜385頁)10.1177/0963721415591878。経験から学べる環境と、経験がむしろ人を誤らせる環境を分ける枠組みです。

学べる側の環境では、判断のあとに結果が返り、その結果が判断の当否を正しく反映しています。誤らせる側の環境では、返ってくる情報が偏っています。この整理の要点は、後者では経験を積んでも正確さが上がらず、誤ったことを学んでしまいうるところにあります。

偏りは主に二つの形で入ります。一つは、標本のほうが判断によって作られてしまう形です。採用しなかった候補がどうなったかは観測できません。断った依頼がどうなったかも、採らなかった価格帯で何が起きたかも、記録には残りません。返ってくるのは、選んだ側の結果だけです。

もう一つは、返るまでが長い形です。判断の当否が数か月から数年たたないと分からない場合、原因と結果の対応がつきません。その間に条件が動くので、結果が返ってきたときには、何が効いたのかを分離できなくなっています。

一人で判断している場面では、二つが同時に働きます。選ばなかった側の結果は原理的に観測できず、返るまでは年単位です。したがって、経験を積んでも省略は更新されにくくなります。更新されないまま、確信のほうが積み上がりやすくなります。

結果が悪ければ見直すはずだ、と考えるのが自然です。見直しますが、見直される対象がずれます。結果が悪いとき、疑われやすいのは実行の量です。発信の頻度が足りない、営業の数が足りない。判断の形式そのものは、疑うべき対象として認識されていません。

そして、返る情報が少ないこと自体が、確信を強める方向に働きます。年に数件しか判定材料が出ないなら、たまたま当たった一件が、判断の形式全体を正当化する根拠として使われます。標本の少なさは、確信の弱さではなく、確信の強さとして現れやすくなります。

この枠組みが指す処方は、意識を変えることではありません。返り方の側を作ることです。採らなかった候補を書き残せば、選ばなかった側の記録が一件は残ります。判定の期限を先に決めておけば、結果が返る時点が定まります。どちらも、判断の中身ではなく、判断を囲む形を触っています。

固定された省略は、居心地の面でも安定しています。判断に迷いがなく、処理が速く、周囲との衝突も起きない。苦痛の信号が出ないので、そこに問題があるという情報がどこからも入ってきません。

「考えろ」と言われて考えられないのは、省略の中身が見えないから

何を考えればいいか分からない、という状態には中身があります。

考える対象を指定されていないからです。省略された箇所は出力に現れないので、指摘する側にも、された側にも、どこが省略されたかは見えていません。見えているのは、結果が薄いという事実だけです。

指摘する側は、たいてい自分の省略していない箇所を基準にしています。その人にとって問いになっている事柄が、相手にとっても問いになっているという前提が置かれています。前提が外れているとき、「考えろ」は指示として機能しません。

省略を可視化する手がかりが一つあります。判断が出るまでの時間です。即座に答えが出た判断ほど、省略が多く働いています。これは判断の質とは別の量です。質が高くて速いこともありますが、速さは、型で処理された可能性の目印になります。

「この仕事、受けますか」と聞かれて、一秒で受けると答えた場合を考えます。受けるという結論は正しいかもしれません。ただし、その一秒の間に、断るという選択肢は検討されていません。

経験を積めば速く正確に判断できるのだから、速さを疑うのはおかしい。この指摘は正確です。認知科学者のゲイリー・クラインらが消防の指揮官を対象に行った調査は、熟練者が多くの場面で複数の選択肢を比較していなかったことを報告しています(初出1986年・全文再録は2010年『Journal of Cognitive Engineering and Decision Making』4巻3号、186〜209頁)10.1518/155534310X12844000801203。指揮官たちは、状況を過去の類型として認識し、最初に浮かんだ対処を頭の中で点検して、問題がなければ実行していました。比較が省かれていても、判断は成立しています。

区別する方法は、その判断を後から説明できるかどうかです。クラインの調査で指揮官たちが説明できたのは、その状況をどの類型として見たかであり、なぜその対処が適合するかでした。熟練の速さは、聞かれれば根拠を言語化できます。型による速さは、聞かれると「なんとなく」以上のものが出てきません。

すべての判断を遅くする必要はありません。遅くする対象は、後で費用が累積する種類の判断だけです。具体的には、値段、扱う内容、出す相手、時間の使い方の形式。この四つが、事業では累積の起点になりやすくなります。

遅くすることと、決めないことは別です。検討を挟むのは判断の前であって、判断そのものを保留するためではありません。保留が続くと、時間切れで既定の型に流れるので、結局いちばん省略された答えが採用されがちです。

省略を可視化すると、一時的に判断が下せなくなります。それまで自動で処理されていた事柄が、一斉に検討対象として立ち上がるからです。この状態は、外からは決断力が落ちたように見えます。実際には判断の入口が増えただけなのですが、その区別は本人以外には見えません。

一人で決めている場合、省略は四つの決めごとに集まる

集まる先は、値段と、依頼を受けるかどうかと、扱う内容と、時間の使い方の形式です。

第一に、値段の決め方です。相場、前回の額、相手の予算。これらはいずれも外から供給された正解であり、その額がなぜその額なのかは検討されていません。この構造は価格設定を原価から始めないが扱っています。

第二に、依頼を受けるかどうかです。手が空いているなら受ける、という型が働きます。受けない理由がない状態は、受ける理由がある状態とは違うのですが、判断としては同じ結果になります。

第三に、扱う内容です。できることをやる、という型です。できることの範囲は過去の経験で決まっているので、この型は、過去の延長を自動的に選び続けます。

第四に、時間の使い方の形式です。時間を売って対価を得るという形式が、判断されずに前提として置かれています。形式そのものへの問いが立たない限り、この中で単価を上げる方向にしか動きにくくなります。形式そのものを正面から解剖しているのが時間単価を上げても、自由にならない理由です。

判断した記憶がない、という点で四つは同じです。決めた覚えがないものは、決め直す対象にもなりません。

四つとも状況がそうさせているのであって、判断の余地はない。実際にそういう場合もあります。余地がない場合と、余地を見ていない場合は、外から見ると同じです。区別する方法は、その条件が変わったらどうするかを言えるかどうかです。言えるなら、判断として保持されています。言えないなら、条件のほうが判断の代わりをしています。

四つの問い直しを、一度には始められません。判断の入口が同時に四つ開くと、日常の処理が止まります。一つずつ、しかも結果が返る速度が速いものから順に扱うのが現実的です。順序の基準は、省略が更新されるかどうかが返りの速さで決まる、という性質のほうにあります。返り方の速いものから開けると、開けた効果そのものが観測できます。

四つのうちどれか一つを問い直すと、残りの三つとの整合が崩れます。値段を問い直せば、受ける依頼の基準が変わります。扱う内容を問い直せば、値段の根拠が変わります。四つは互いに支え合っているので、一つ動かすと連鎖します。この連鎖の負荷が、問い直しが先送りされる実際の理由になっていることが多くあります。

連鎖そのものは、避けるべきものではありません。四つが支え合っているという事実は、四つがひとまとまりの設計として成立していることを示しています。一つを動かすと他が崩れるのは、設計が雑だからではなく、噛み合っているからです。問題になるのは、その設計を自分が置いた覚えがない場合だけです。置いた覚えがあるなら、崩れた分を組み直せます。覚えがないなら、崩れた時点で戻せる場所が分かりません。

更新が起きたことを、三つの場所で確かめる

更新は、次の三つの場所に現れます。

第一に、答えの変化ではなく、問いの数を見ます。省略が更新されたかどうかは、結論が変わったかどうかでは測れません。問い直した結果、前と同じ結論に戻ることは普通にあります。測るべきなのは、同じ事柄について、前は立たなかった問いが立つようになったかどうかです。

第二に、即答した判断について、根拠を言えるかを見ます。速い判断そのものは問題ではありません。問題は、速い判断のうち、後から根拠を言語化できないものがどれだけあるかです。週に何件か拾って、それぞれ「なぜそう決めたか」を書いてみると、型で処理された分は書けないことが多いはずです。

第三に、指摘されたときの反応を見ます。前提を問われたときに、抵抗ではなく説明が出るなら、その箇所は判断として保持されています。説明が出ずに反発だけが出るなら、そこは問いが省略されている箇所である見込みが高くなります。反発は、内容の否定ではなく、参照すべき根拠が存在しないことの信号として読めます。

三つの判定はどれも、思考の量に触れていません。見ているのは、問いの範囲と、根拠の言語化の可否と、指摘への応答です。省略は減らすものではないので、減ったかどうかは判定の対象になりません。

どこかで考えるのをやめた感覚は、やめた時点があったことを示唆します。探しにいくと、その時点は見つからないことが多いものです。省略は最初から働いており、費用が上がれば解除され、経験が返ってくれば更新されます。止まったのは思考ではなく、更新のほうです。

この状態の説明に、能力の量は一度も使っていません。使ったのは、判断を囲んでいる形のほうです。選ばなかった側が記録に残らず、結果が返るまでが長い場所では、誰が置かれても更新の材料が入ってきにくくなります。逆に、返り方の条件が変われば、同じ省略にも更新の余地が生まれます。

だから、開ける対象を選ぶことが作業になります。すべてを開ける必要はなく、開けたままにしておく必要もありません。後続を規定する少数の判断について、選ばなかった側を一件書き残し、判定の期限を一つ決める。どの判断がその少数に当たるかは、事業の形ごとに違います。

省略の型がどこから来たのか、そしてそれを直そうとする枠組みが何を見落とすのかは思考の癖は「直す」ものではないが扱っています。省略が固定される場所で何が起きているかを認識の範囲の側から見ているのが認知科学で読み解く「変われない」です。隣で起きていることを扱った記事もあります。周囲と選択が揃う仕組みは流されやすい人の中で起きていること、断る判断が立たない構造は断れないのは優しさでも弱さでもないが扱っています。

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