業務委託の共通構造

業務委託でも売っているものは変わらない|労働力の商品化という共通構造

はじめに

雇用契約から業務委託へ切り替えた人が、しばらくして気づくことがあります。契約書の名前は変わった。指揮命令の関係も、形のうえでは消えた。それなのに、日々の実感は驚くほど変わっていない。納期に追われ、先方の意向をうかがい、仕様の変更に合わせて予定を組み直している。

業務委託と雇用の違いや、契約時の注意点については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その手前にある問いです。契約形態が変わったとき、あなたが売っているものは、本当に変わったのか。

結論を先に示します。変わっていません。 雇用契約でも業務委託でも、売っているのは同じ——自分の労働力です。変わったのは売り方だけであり、労働力を売って生きているという構造は、そのまま共有されています。

まとめて売るか、切り売りするか——違いはそこだけである

労働力とは、人が働くことのできる能力そのもの——体力、技能、時間、注意力——のことです。生産手段(糧を生み出すための道具・設備・元手・仕組み)を持たない人にとって、これが糧を得るための唯一の売り物になります。

会社員は、この労働力を、会社という一人の買い手に、月給という形でまとめて売っています。業務委託で働く人は、同じ労働力を、複数の発注元に、案件ごとの報酬という形で切り売りしています。

売り方は違います。まとめて売るか、切り売りするか。けれども、売っているものは同じです。 そして、労働力を売って対価を得ているという構造もまた、同じです。

この同一性を見えなくさせているのが、「雇われて搾取される者」と「自分の力で稼ぐ者」という対比です。この対比は、感情のうえではとても呑み込みやすい。雇われることには従属の響きがあり、自分で稼ぐことには自立の響きがあるからです。けれども、この対比は表面の形態だけを見て、その下の構造を見ていません。

単価を上げても、従属が変わらない理由

ここで、多くの人が信じている等式を検証しておきます。スキルを磨けば単価が上がる。単価が上がれば、少ない仕事で同じ稼ぎを得られる。そうすれば時間に余裕が生まれ、自由に近づける——という等式です。

前半は正しい。スキルを磨けば、一件あたりの報酬は実際に何倍にもなります。ところが後半は、実現しません。 単価が上がっても、相変わらず忙しく、相変わらず複数の相手に応え、相変わらず休めない。報酬が上がったぶん、求められる水準も上がり、期待も重くなる。単価の高い仕事は、それだけ相手の決定の下に、より深く組み込まれています。

より高く自分を売れるようになっただけで、売っているという構造そのものからは、一歩も出ていない。 スキルを磨くほど、人はより高価な労働力になり、より高価な労働力として、市場により深く従属していきます。

ここで起きていることを、正確に言い直します。スキルを磨き単価を上げる営みは、自分の労働力の質を高める営みです。より高く売れる労働力を作ること。これは、生産手段を持たないという状態には、何ひとつ手を触れていません。磨いているのは「売り物としての自分の労働力」であって、「労働力を売らずに生きる手段」ではないからです。

労働力の質を上げることと、生産手段を持つことは、まったく別の軸の上にあります。 前者をどれだけ徹底しても、後者には決してたどり着けません。

▸ この区別が「名前で稼ぐ」という達成にも当てはまることは、屋号で稼ぐことは、所有とは違うで扱っています。

決めているのは、いつも相手の側である

単価が上がっても変わらないものの正体は、「何を作るか」「いくらで売るか」を最終的に誰が決めているか、という点にあります。

高い報酬を得られるのは、市場がそのスキルを求めていて、発注元がその値段を認めたからです。市場が求めるスキルが変われば、単価は下がる。相手が値段を認めなければ、その仕事は成立しない。決定は、常に相手の側にあります。 業務委託で働く人は、相手の求めという土俵の上で、より高く評価される側になっただけで、その土俵そのものを自分の側へ引き寄せてはいません。

一方で、「何時に起きるか」「どんな格好で働くか」「どこで作業するか」は、確かに自分で決められます。独立の語りが自由として見せるのは、多くの場合この種の決定です。生活の表層に属する決定は手に入り、生活の根本を左右する決定は手に入っていない——この非対称が、業務委託という形態の実像です。

まとめ:問いは「契約形態」の外側にある

業務委託という契約形態は、それ自体に問題があるわけではありません。斬るのは、契約の名前が変わることを従属からの解放であるかのように描き、その下で共有されている構造を見えなくする語り口のほうです。

もし雇用と業務委託が「労働力を売って生きる」という一点で同じなら、「どちらの契約で働くか」は、自由をめぐる本質的な問いではなくなります。それは、労働力の売り方をどうするかという手段の選択にすぎません。本質的な問いは、その手前にあります。労働力を売るという構造の内側にとどまるのか、その外へ出る道を探すのか。

外へ出る道とは、生産についての決定——何を作り、いくらで売るか——を、自分の側に一定の割合で持つことです。その全体像は、「起業すれば自由になれる」という物語の構造にまとめています。会社員と独立者を分ける線ではなく、労働力を売る者と、生産手段を持つ者とを分ける線。自由の分かれ目は、そちらにあります。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Marx, K. Das Kapital, Band I(1867)Verlag von Otto Meissner(邦訳『資本論』第一巻)
  • 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店
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