はじめに
拡散させるコツや、共有されやすい書き方については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、拡散が起きた後のことです。遠くまで運ばれた結果、その注意は、どこに積み上がるのか。
コツは膨大に語られるのに、「拡散して集まった注意を、最終的に誰が回収しているのか」という一点だけは、たいてい問われません。
結論を先に示します。拡散とは、注意という商品を集める作業であり、その商品を売るのは、集めたあなたではなく、場所の側です。 あなたが供給しているのは商品ではなく、商品を作るための原材料のほうです。
📖 目次
希少なのは情報ではなく、注意である
まず、この市場の原理から押さえます。
情報があふれた社会について、経済学者・認知科学者のハーバート・サイモンは、きわめて鋭い指摘をしました[Simon, 1971]。要点を平易に言い換えれば、こうです。情報が豊かになるということは、その情報が何かを食い潰すということだ。食い潰すのは、受け取る側の注意である。だから、情報が過剰になった世界では、希少な資源は情報ではなく、人間の注意になる。
この洞察は、当たり前に見えて、世界の見え方を一変させます。私たちは普段、「価値ある情報を発信すれば、人はそれを求めてやってくる」と考えます。情報こそが希少なのだ、と。サイモンの指摘は、その逆です。
考えてみれば、その通りです。あなたが今日どれだけ良い文章を書いたとしても、世界には同じ時間に、無数の人が、無数の文章を投稿し続けています。情報は文字通り無限に供給されている。一方で、一人の人間が一日に向けられる注意の総量は、厳密に有限です。 だから、奪い合いになるのは注意のほうです。
この「注意を集めて売る」事業の歴史を一冊にまとめたのが、ティム・ウーです[Wu, 2016]。注意を集め、それを必要とする者に売る——この商売は新聞や放送の時代から存在しましたが、いまはかつてないほど精密になっています。
三者の関係——あなたはどこにいるのか
この市場を、登場人物で整理すると、構造がはっきり見えてきます。
第一の登場人物は、プラットフォーム。 人々の注意が集まる場を運営し、その注意を商品として売ることで収益を得ています。
第二の登場人物は、広告主。 自社の商品を売りたい。そのためには人々の注意が必要です。だから、お金を払って「集まっている注意」を買います。
ここまでで、すでに重要なことが見えています。事業者にとっての商品は、人々の注意です。そして顧客は、その注意を買う広告主です。
では、第三の登場人物であるあなたは、どこにいるのでしょうか。
顧客だと感じているかもしれません。あるいは商品を提供する立場だと。けれど、どちらでもありません。お金を払う顧客は広告主です。売られている商品は、人々の注意です。あなたは、そのどちらでもない。
あなたの役割は、こうです。人々の注意を引き寄せるためのコンテンツを、無償で供給しています。 あなたの投稿が拡散すれば、人々がそれを見るために集まってくる。その集まってきた注意を、事業者が広告として売る。つまり、拡散したあなたのコンテンツは、注意を集めて売るための原材料です。
そして、その原材料に対して、対価は払われません。あなたが集めた注意を換金して利益を得るのは、あなたではありません。
テレビが、すでに完成させていた構造
この三者関係が抽象的に感じられるなら、もっと身近なものに当てはめてみてください。民間放送のテレビです。注意経済の雛形は、ずっと前から茶の間で完成していました。
民放を見るとき、私たちは自分が視聴者、つまりお客さんだと感じています。番組を無料で楽しませてもらっている、と。けれど、放送局にとっての本当の顧客は、視聴者ではありません。スポンサーです。 放送局は、視聴者の注意を集め、それを視聴率という形で束ね、スポンサーに売っている。番組は商品ではなく、注意を集めるための撒き餌です。
あなたが無料でテレビを楽しめるのは、あなたが顧客だからではなく、あなたの注意こそが、放送局がスポンサーに売っている商品だからです。
では、テレビといまの発信の、決定的な違いはどこにあるのか。ここに核心が現れます。テレビでは、撒き餌である番組を作るのは、放送局自身でした。 放送局は制作に費用を払っていた。撒き餌のコストは、注意を売る側が負担していたのです。
ところが、いまは違います。撒き餌——人々の注意を集めるコンテンツ——を作っているのは、事業者ではありません。あなたです。 テレビ局が自前で背負っていた制作費を、無数の書き手に無償で肩代わりさせている。これが、この市場がテレビの段階から変わった、最も冷徹な一点です。あなたは、報酬のない番組制作者の位置にいます。
なぜ、この構造が見えなくなっているのか
「言われてみればその通りだが、なぜ今まで気づかなかったのだろう」——そう感じたなら、それは、この構造が巧妙に覆い隠されているからです。
事業者は、あなたを「原材料供給者」とは呼びません。 クリエイターと呼び、影響力を持つ人と呼び、発信者と呼びます。これらの呼称は、あなたが何かを生み出し、影響を与え、主体的に活動する、市場の主役であるかのように感じさせます。
実際、あなたが快適に、夢中になって発信を続けられるように、さまざまな仕組みが用意されています。反応がもらえる喜び。フォロワーが増える達成感。ときには収益化の道。これらはすべて、原材料の供給を、自発的に、喜んで、続けるための装置です。
あなたが「自分は主役だ」と感じているかぎり、あなたは無償の供給を、苦役ではなく自己実現として体験します。だからこそ続けられる。だからこそ、構造が見えない。
もし事業者が「あなたは我々のために、無償でコンテンツという原材料を生産する立場です」と正直に告げたら、これほど多くの人が、これほど熱心に発信を続けることはないでしょう。構造が見えないことこそが、この市場が円滑に回るための、最も重要な条件です。
拡散の量ではなく、積み上がる先を問う
ここまでを踏まえると、拡散に対する問いが変わります。
「どうすれば拡散するか」は、供給量を増やす問いです。その問いに答え続けるかぎり、あなたは、この構造のなかでの位置を変えられません。 上手に拡散させられる原材料供給者になるだけです。
問うべきは、「拡散して集まった注意と、そこで生まれた関係を、どこに蓄積するのか」です。拡散した場所に置いたままにすれば、それは借り物のまま——いつでも分配を握られたままです。その関係を、読者に直接届く経路へ移し替えて蓄積すれば、それは所有する資産になります。
誤解のないように添えます。これは「拡散を狙うな」という話ではありません。 読者と最初に出会う入口として、拡散は依然として有用です。変えるのは入口ではなく、関係を蓄積する先のほうです。
まとめ:供給量ではなく、回収先を見る
拡散は、それ自体としては良くも悪くもありません。問題になるのは、拡散した先に積み上がるものが、誰の資産になっているかを問わないまま、供給量だけを増やし続けたときです。
あなたが立っているのは、注意が商品として売られる市場の、最も末端の、そして最も数の多い、無償の供給者の位置です。そこから位置を変える方法は、供給を上手にすることではありません。
その全体像は、ブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由にまとめています。集めた注意が誰の収益になるのかについてはブログ収益化で、実際に儲けているのは誰かを、蓄積先を移す具体についてはメルマガが古いと言われる理由と、それでも残る一点を、あわせてお読みください。
▼ 電子書籍『FUNNEL BASE』無料ダウンロードはこちら ▼
電子書籍『FUNNEL BASE』を無料ダウンロード
参考文献
【学術論文・理論】
- Simon, H. A. “Designing Organizations for an Information-Rich World” in Computers, Communications, and the Public Interest(1971)Johns Hopkins University Press, pp. 37–72
【書籍】
- Wu, T. The Attention Merchants: The Epic Scramble to Get Inside Our Heads(2016)Knopf
- Zuboff, S. The Age of Surveillance Capitalism(2019)PublicAffairs






