メルマガと決定権

メルマガが古いと言われる理由と、それでも残る一点|到達の決定権

はじめに

メルマガの開封率を上げる方法や、配信ツールの比較については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その手前で交わされている「もう古いのではないか」という評価のほうです。その評価は、何を基準に下されているのか。

新旧は盛んに語られるのに、「そもそも何を比べているのか」という一点だけは、たいてい曖昧なまま置かれています。

結論を先に示します。「古い/新しい」は、話題性を基準にした比較です。けれど、発信の土台を決めるのは話題性ではなく、届けるかどうかを誰が決めるか、という一点です。 その基準で見ると、比較の結果は反転します。

足し算では、出口に着かない

発信に行き詰まった人が、まず考えることは、ほとんど決まっています。「もっと伸ばさなければ」。フォロワーを増やす、投稿の頻度を上げる、新しい場所にも進出する、複数の媒体に同時展開する——リーチの母数を増やす方向です。これは、足し算の発想です。

足し算は、直感的に正しく見えます。届く人が多ければ多いほどよいはずだ、と。けれど、母数をいくら増やしても、それが借りた場所の上で行われているかぎり、その場所の設計からは一歩も出られません。

むしろ逆です。展開する媒体が増えるほど、それぞれの基準に合わせる必要が生まれ、起点はますます多方向へ引きちぎられていきます。 足し算は、借りた場所の上での消耗を、ただ拡大するだけです。

問題は、母数が足りないことではありませんでした。問題は、発信の重心が、自分の所有しない場所に置かれていることでした。だとすれば、解決は母数を増やすこと(足し算)ではなく、重心の置き場所を変えること(置き換え)でなければなりません。

足し算は、同じ構造の上で量を増やします。置き換えは、構造そのものを取り替えます。

フォロワーと、リストは別物である

ここで、多くの人が混同する点を、はっきり区別しておきます。

フォロワーは、分配の仕組み越しにつながっている「緩やかな群衆」です。 あなたとフォロワーの間には、必ず門番が立っています。あなたが何かを発信しても、それが実際に届くかどうかは、その門番が決めます。フォロワー数がどれほど大きくても、あなたは、その人々に直接アクセスする権限を持っていません。

対して、リストは、あなたが直接管理できるデータです。 読者が「あなたからの情報を受け取りたい」と明示的に許可を与え、自ら連絡先を預けてくれた——その一覧は、門番を迂回して、あなたが、いつでも、直接、届けることができます。間に、誰の判断も挟まりません。届けると決めれば、届く。

だから、「メルマガは古い」という評価は、比較の軸を取り違えています。話題性の軸では、たしかに新しくありません。けれど、到達の決定権の軸では、いまも数少ない選択肢の一つです。

そして、この経路は、経済学の言葉で言えば、生産手段にあたります。届ける経路を持たない者は、他者の土地で作物を育て、収穫の条件を地主に握られる。リストを持つということは、取り上げられない、自分名義の到達経路を持つということです。

借りた場所を、捨てるのではない

ここで、よくある誤解を先に解いておきます。「借りた場所から所有する経路へ」と言うと、多くの人はこう受け取ります。「つまり、SNSをやめてメルマガだけにしろ、ということか」。違います。

考えてみれば、当然です。あなたのリストに登録してくれる読者は、どこからやってくるのでしょうか。 多くの場合、SNSやブログといった、借りた場所であなたの発信に出会った人たちです。借りた場所は、読者と最初に出会うための入口として、依然として不可欠です。

では、何を変えるのか。変えるのは、関係を”どこに蓄積するか”です。借りた場所で出会った読者との関係を、その場所に置いたままにすれば、それは借り物のまま——いつでも分配を握られたままです。その関係を、所有する経路へ移し替えて蓄積すれば、それは所有する資産になります。

借りた場所は入口として使い、所有する経路を資産の蓄積先とする。 この二つを階層として分けることが、置き換えの正体です。二者択一ではありません。両方を、それぞれの役割で使う。ただし、決定的なのは、どちらに重心を置くかです。

ここで、一つ線を引いておきます。入口として借りた場所を使うとき、そこでも「数字を最大化する」誘惑は働きます。けれど、入口の目的は、リーチを最大化することではありません。世界観に共鳴する読者を見つけ、所有する経路へ案内することです。 入口は使う。けれど、入口でも、起点は売り渡さない。

起点が内側に戻るのは、決意の成果ではない

所有する経路を持つと、書き出しのときに最初に考えることが変わります。「これは伸びるか」ではなく、「これを届けたい」に戻る。外部の反応は消えたわけではありませんが、発信の目標ではなく、発信した後についてくる副産物へと位置を変えます。

ここが、最も誤解されやすい一点なので、慎重に区別します。

「外部評価を、目標ではなく副産物にする」——この言葉だけを取り出せば、心の持ちようの問題に聞こえるかもしれません。「数字を気にしないようにしよう」という決意の話に。けれど、まったく違うことを言っています。

起点が内側に戻るのは、「数字を気にしないでおこう」と決意したからではありません。届ける決定権が、自分の手に戻ったからです。 借りた場所の上にいるかぎり、いくら決意しても無駄でした。その場所では、設計そのものが、意志を経由せずに起点を外へ引っ張り続けるからです。決意は、設計に勝てません。

ところが、所有する経路の上では、その風が吹いていません。届くかどうかを門番が決めないのだから、「何が受けるか」に合わせる理由が、そもそも消えます。 外へ引っ張る力がない場所では、起点は、放っておいても内側にとどまります。

決意で外向きの風に抗うのではなく、風の吹かない場所に移る。 これが、起点が内側に戻る理由です。前者は一人ひとりの精神力に成否が委ねられますが、後者は、場所を移しさえすれば、誰にでも同じことが起きます。

副作用——数字は一度縮み、立ち上がりには時間がかかる

誠実な解決の構造は、その代償を隠しません。この移行にも、はっきりとした副作用があります。二つ、正直に述べておきます。

第一に、短期的には、目に見える数字が縮みます。 複数の媒体での拡散を追うことをやめ、一つの所有する経路へ集約すれば、表面的な到達の総量は、いったん小さくなります。借りた場所での大きな数字に慣れた目には、これは後退に見えます。周囲が華やかな数字を競っているなかで、自分だけが小さな経路を地道に育てている——その時期に焦りが伴うことを、否定しません。

第二に、立ち上がりには時間がかかります。 借りた場所は、すでに集まった大量の利用者の上に乗るため、立ち上がりが速い。一方、自分の経路は、一人ひとりの読者が許可を与えてくれることで、少しずつ育ちます。最初は、驚くほど小さな数から始まります。

この二つは、本物の代償です。隠しても仕方がありません。けれど、この困難は一度きりであり、その効果は持続します。

正確に言い直しておきます。「一度きり」というのは、入口での発信活動がある日ぴたりと終わる、という意味ではありません。終わるのは、活動ではなく、ある種類の困難です。

借りた場所に重心を置いているかぎり、基準が変わるたびに、勝ちパターンは無効になり、また一からやり直しになる。この、起点を侵食する種類の困難には、終わりがありません。 一方、所有する経路を育てる困難——到達の決定権を自分の手に確立するという困難——には、到達点があります。終わらない困難と引き換えに、一度きりの困難を選ぶ——これが、この移行の本質的な構造です。

まとめ:新旧ではなく、決定権で見る

メルマガが古いと言われるのは、話題性の軸で比較されているからです。その軸では、いまも古い。それは事実です。

けれど、発信の土台を決めるのは話題性ではありません。届けるかどうかを、誰が決めるか。 その軸で見たとき、この経路は、数少ない「自分が決められる側」に残ります。

数字が一度縮むのは、損失ではありません。額面の大きい借り物から、額面の小さい所有物へ、重心を移している過程です。 小さくても所有している経路は、大きくても借りている注意より、構造的に強い。

その全体像は、ブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由にまとめています。移す前の測り直しについてはブランディングの前に、判定し直すことがあるを、なぜそれで解決するのかについてはオウンドメディアの本当の利点は、比較表に載っていないを、あわせてお読みください。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Deci, E. L. “Effects of externally mediated rewards on intrinsic motivation” Journal of Personality and Social Psychology, 18(1)(1971)

【書籍】

  • カール・マルクス(向坂逸郎訳)『資本論』(Das Kapital, 1867)岩波書店、1969年
  • 宇野弘蔵『経済原論』岩波書店、1964年
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