経済的自由の本当の条件は資産額ではない

経済的自由の条件は資産額ではない|決定権がどこにあるかで決まる

はじめに

経済的自由。この言葉を追いかける人の多くが、ひとつの数式を思い描きます。年間支出の二十五倍を貯めれば、その資産を年に四パーセントずつ取り崩して、働かずに暮らせる。いわゆる「4%ルール」です。だから、目標は、その金額に到達すること。経済的自由とは、要するに「十分な額」を積むことだ、と。

けれど、この数式には、静かな落とし穴があります。率を下げて、より安全にしようとするほど、必要な資産額はふくらみます。四パーセントなら二十五倍、三パーセントなら三十三倍、二パーセントなら五十倍。安全を求めるほど、ゴールの数字は大きくなり、「足りる」地点は遠ざかっていく。

本記事の主張はこうです。経済的自由の本当の条件は、資産の”額”ではありません。「決定権」が、どちら側にあるか──その所在です。なぜ額では自由に届かないのかを、解剖します。

「25倍を貯める」という答えが見落とすもの

4%ルールの計算は、それ自体、筋が通っています。けれど、この計算は、ひとつの前提を足元に隠しています。「市場が長期で右肩上がりに続くなら」という前提です。前提が崩れる局面では、率をどれだけ慎重に設定していても、資産は削れていく。取り崩す時期に暴落が重なれば、二十五倍の山も、坂を転がり落ちる側に回ります。

ここで問題なのは、額という物差しでいるかぎり、決定権という別の次元の性質が、まったく見えてこないことです。長さを測る物差しでは、重さは測れません。同じように、「いくら貯めたか」を見ているうちは、「そのお金の決定権が、自分の側にあるのか、市場の側にあるのか」は、視界に入らないのです。

そして、額の物差しには、もうひとつの難点があります。それには終わりがありません。上には常に、もっと持っている人がいて、あなたは永遠に誰かと自分を比べ続ける。「経済的自由」を数字で定義したとたん、あなたは、際限のない比較の中に立たされてしまうのです。

物差しを取り替える──「決定権はどちら側か」

そこで、問いの立て方そのものを取り替えます。「いくら貯めるか」を脇に置き、代わりに「その資産の決定権は、どちら側にあるのか」を中心に据える。これは言葉の言い換えではなく、物差しの交換です。

物差しを取り替えると、同じ資産が、まるで違う姿に見えはじめます。これまで「いくらか」という一つの尺度で横一列に並べてきた持ち物が、突然、二つの陣営に分かれる。決定権が市場の側にあるもの。そして、決定権が、まだあなたの側に残っているもの。

判定の物差しは、驚くほど単純な一問です。「市場が明日荒れたとき、あなたには打つ手があるか」。幅広い株式に分散投資していれば、明日崩れても、できるのは持ち続けるか、手放すか、待つか。値そのものには働きかけられません。だから、決定権は市場の側です。一方、自分が制御している何か──育てている小さな仕組みや経済圏──なら、状況が悪くなっても、作るものを変え、届け方を変え、価格を見直せる。だから、決定権は自分の側にある。この一問が、あなたの資産を二つの陣営へ仕分けていきます。

手元の資産を、決定権で仕分けてみる

実際に、仕分けを思い描いてみましょう。これは、何かを買い足すことでも、売り払うことでもありません。お金は一円も動きません。動くのは、あなたのものの見え方だけです。

一方の側に、「決定権が市場にあるもの」を置きます。株式、投資信託、債券、値上がりを期待して持つ不動産。これらに共通するのは、あなたが握っているのが生産ではなく請求権にすぎず、明日荒れたら「待つしかない」という点です。もう一方の側に、「決定権がまだあなたに残っているもの」を置きます。あなたが「何を、どう、誰に届けるか」を決められる、小さな領域です。

この仕分けをすると、多くの人が、静かな衝撃を受けます。自分が「資産」と呼んで安心の土台にしてきたものの、ほとんどが、市場の陣営に集まってしまうという事実に。あれほど大事に積み上げてきた数字が、一つ残らず「明日荒れたら待つしかない」ものだった。自分の側の陣営が、驚くほど手薄だった──。

けれど、これは悪い気づきではありません。どこに立っているかが分からなければ、どこへ向かうかも決められない。土台だと思っていたものが土台でないと分かって、はじめて「では、ほんとうの土台をどこに築くのか」という問いが立ち上がります。この構造を労働の側から見た分析は、会社に依存しない生き方の本当の条件にもあります。

これはマインドセットではない──行動で測る

ここで、はねのけておくべき誤解があります。「決定権を取り戻す」を、心の持ちよう、つまりマインドセットの話だと受け取る誤解です。「要は、市場に振り回されない強い心を持てということだな」と。もし、そう読んだなら、それは本記事が最も避けたい読まれ方です。

なぜマインドセットの話ではないのか。マインドセットは、外から確かめられないからです。「私は決定権を取り戻した気持ちだ」と心のなかで思うことは誰にでもできますが、その気持ちが本物かどうかは、確かめようがない。内面の決意は、いくらでも自分を偽れます。

本記事が提案する物差しは、正反対です。すべて、外から観察できる行動の変化として定義されています。一日に何度も相場を確認するのを、やめたか。目標額を達成するたびに上へ引き上げるのを、やめたか。逆境のときに、実際に打てる手を持っているか。これらは気持ちではなく、振る舞いを問うています。振る舞いは、外から見える。だから、確かめられる。しかも、行動なら「確認が十回から五回に減った」というグラデーションで測れる。心構えの物差しがこぼす小さな前進を、行動の物差しは、あなたの手柄として数えてくれます。

まとめ:自由の条件は、今日から満たしはじめられる

経済的自由の本当の条件は、資産額ではありませんでした。額の物差しは終わりがなく、決定権という別の次元を見えなくします。条件は、決定権が自分の側にあるかどうかでした。

そして、この条件を満たす第一歩は、事業の成功も、まとまった元手も必要としません。手元の資産を決定権で仕分け直し、額を安心の変数だと信じるのをやめ、決定権を安心の変数に置き換える。これは、資産の大小に関わりなく、今日、この瞬間から、誰にでも踏める一歩です。経済的自由は、遠い目標額の彼方にあるのではなく、物差しを取り替えた瞬間から、満たしはじめられるのです。

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自分が価値の源泉と決定権を握る側へ移る道筋は、デジタルコンテンツという生産手段経済構造の分析にまとめています。

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