浪費癖が直らないのは、意志が弱いからではない

浪費癖が直らないのは意志の問題ではない|監視を増やさない考え方

はじめに

お金の使い方を、ちゃんとしよう。そう決めます。予算を立て、記録をつけ、無駄をなくそうとする。

ところが、その決意をした日から、妙なことが始まります。財布を開くたびに、自分を採点するようになるのです。少し多く使った日は、夜になって落ち着かなくなる。買ったあとに「これは必要だったのか」と検算する。使うこと自体より、使ったあとの自己点検のほうが、心を占めるようになっていきます。

浪費癖を直す方法については、情報が揃っています。本記事が扱うのは、その土台にあたる部分です。なぜ、「ちゃんと使おう」と決めた途端に、かえって苦しくなるのか、その仕組みです。

結論を先に示します。感情や振る舞いを目標に据えると、それを監視する仕事がまるごとひとつ増えるからです。

「こう感じろ」という命令には、逃げ場がない

まず、命令の性質を確かめます。

「お金にだらしなくあってはならない」「浪費してはいけない」。これらは、行動への指示に見えて、実際には感情や衝動への命令として働きます。そして、感情への命令には、独特の残酷さがあります。

ふつうの命令なら、従えなかったとき「やり方が悪かった」「条件が整わなかった」と、原因を行為や状況の側に求める余地があります。ところが「こう感じるな」という命令は、従えないとき逃げ場がありません。感情は自分の最も内側にあるものですから、それを変えられないと、原因はまるごと「自分という存在そのもの」に帰せられてしまいます。

「うまくやれなかった」ではなく「自分はそういう人間だ」という結論に直行する。だからこそ、感情を対象にした命令は、外形こそやさしくても、突き刺さる深さが違います。

決意した瞬間から、採点係が常駐する

では、その命令を受け取った人の内側では、具体的に何が起きるでしょうか。

「ちゃんとお金を使おう」と決意した瞬間から、人はある作業を始めます。自分の心の動きを、絶えず点検する作業です。衝動的に何かを買いたくなれば、「また出てしまった」と気づく。少し多めに使えば、「これではいけない」と自分を正す。

この採点の習慣こそ、見落とされている負荷の正体です。決意する前、その人はただ使いすぎていただけでした。ところが決意した後は、使いすぎることに加えて、「使いすぎている自分を見つけて減点する」という、もうひとつの作業が乗ります。

衝動そのものは少しも減っていないのに、それを監視し評価する仕事が、まるまるひとつ増えている。引き算するはずの処方が、監視という義務を足し算しています。

この足し算には、見えにくい二次的なコストも付いてきます。監視を続けるには、自分の感情から少し離れて、それを観察する視点を持ち続けなければなりません。お金を使いながら、同時に「いま自分はどう感じているか」を絶えず確かめている。この二重作業は、体験そのものの手応えを薄くします。

お金にまつわる場面が、生きた経験ではなく、合否を判定される試験に変わっていく。目の前のやり取りに没頭する代わりに、自分の反応を採点する審査員が、常に肩越しに覗き込んでいる状態です。

「しかし、目標を持つこと自体は良いことではないか」という疑問は当然です。ここで区別すべきは、目標を持つことと、自己採点的な監視に入ることの違いです。外に向かう目標——「この時期までにこれを済ませる」——は、達成度を時々確かめればよく、ふだんの心の動きを逐一見張る必要はありません。ところが目標の対象が内面の衝動そのものに置かれた瞬間、それは終わりのない自己監視に化けます。

外から来た基準が、自分の声になりすます

ここで、もうひとつの仕組みが働きます。

心理学者デシとライアンが体系化した自己決定理論は、外から与えられたルールや価値がしだいに自分の内側に取り込まれていく「内面化」という過程を描きました[Deci & Ryan, 1985]。この働き自体は、社会で生きるために欠かせない仕組みです。

ところが、この同じ仕組みが「ちゃんとお金を使うべき」という基準に対して働くと、やっかいなことが起こります。最初は本や誰かの言葉という、外側から投げかけられた基準でした。それを繰り返し浴びるうちに、人はその基準を内側へ取り込みます。すると、もう誰にも言われていないのに、お金を使うたびに「こんなことではいけない」と、自分の内側から声が上がるようになります。

この住み着きが厄介なのは、声の主が見えなくなることだけではありません。内側から響く声は、外からの声よりも反論しにくいという性質を持っています。他人から言われたなら「いや、自分にはこう考える理由がある」と言い返す余地が残ります。ところが同じ言葉が自分の内側から発されると、それに言い返すことは「自分で自分に反論する」という、ねじれた作業になります。

自己決定理論は、この内面化を段階として捉えました。中でも、人が陥りやすいのが「内射的調整」と呼ばれる段階です。基準を頭では受け入れているが、自分の本当の価値観とは結びついていない。ただ「背くと自分を責める痛みが走るから」従っている状態です。

この段階の決定的な特徴は、基準への違反が、ただちに自己批判を生むことです。統合された価値観なら、守れない日があっても人は自分を裁かずにいられます。それが本当に自分のものだと分かっているからです。ところが借り物の基準に背くと、人は「守れない自分」を厳しく咎める。基準が自分の一部になりきっていないぶん、かえって違反が痛みます。

ここで、誤解を解いておきます。内射的調整は、意志の弱い人だけが陥る段階ではありません。むしろ、与えられた基準を誠実に受け止めようとする人ほど、深くはまります。基準をいい加減に聞き流せる人なら、違反しても痛みません。真剣に自分へ課す人だからこそ、守れなかったときの自己批判が鋭くなります。

禁じることが、対象への注意を研ぎ澄ます

さらに、抑え込みそのものにも反作用があります。

「考えないようにしよう」とすること自体が、その対象に注意を向ける行為です。「お金を使いたいと思うまい」と強く意識するほど、意識はお金と欲求に張りつきます。抑え込もうとする力が、かえって対象を心の前面に引きずり出す。

この構造は、眠れない夜に置き換えると分かりやすくなります。「早く眠らなければ」と強く念じるほど、かえって目が冴えてしまう。眠りは、意志で手に入れるものではなく、力を抜いたときに向こうからやってくるものだからです。「眠ろう」という意志そのものが緊張を生み、眠りを遠ざける。

浪費をめぐる事態も、これと同じ形をしています。意志の力で直接コントロールしようとした瞬間に、対象が逆方向へ逃げていく。意志の届かない領域に、意志で手を突っ込もうとしているからです。

こうして、出発点ではひとつだった重荷が、命令を真面目に実践した人ほど、いくつにも増えていきます。使いすぎへの後ろめたさに加えて、「やめられない自分」への後ろめたさが二階建てで積み上がる。

まとめ:使い方の前に、入り方を見る

浪費癖が直らないのは、意志が弱いからではありませんでした。感情や衝動を目標に据えたことで、監視と自己批判の装置だけが増設され、当の衝動には手が届いていなかったからです。

念のため、はっきりさせておきます。お金の使い方を設計すること自体を、否定しているのではありません。自分の生活と相談して支出を決めるなら、それは主権の行使です。問題は、それが義務へ変質し、守れない自分を裁きはじめたときに起こります。

同じ「控える」でも、選択であるか義務であるかで、その意味は正反対です。

そして、もう一段先を言えば、こうです。使い方の点検にどれだけ精を出しても、お金がどんな構造で入ってくるかには、指一本触れていません。「稼がなければ」という緊張が背中に貼りついたままなら、使うことへの後ろめたさも、また別の場面で湧いてきます。

だから、順序を正す必要があります。自分を採点する前に、まず自分が立っている構造のほうを見る。この順序の転換については、稼ぐことへの後ろめたさの正体にまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
  • Ryan, R. M., & Deci, E. L. “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation”(2000)American Psychologist, 55(1)
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