差別化と均質化

差別化しようとするほど、似ていく|均質化は最適化の帰結

はじめに

差別化の方法や、独自の強みの見つけ方については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その差別化が、なぜ思ったように効かないのかという部分です。同じジャンルの発信が、年を追うごとに見分けがつかなくなっていくのは、なぜか。

方法は膨大に語られるのに、「差別化しようとする行為そのものが、均質化を生んでいないか」という一点だけは、たいてい問われません。

結論を先に示します。同じ基準に向かって全員が最適化すれば、出発点がどれほど違っても、出口は一つに収束します。 差別化が効かないのは、やり方が下手だからではなく、全員が同じ物差しを使っているからです。

最適化は、差別化ではなく均質化を連れてくる

まず、実際に起きていることを描写します。

最初のうちは、純粋に「これを伝えたい」と思うことを書いています。けれど、投稿するたびに、反応という数字が返ってくる。すると、自然に「どういう投稿が反応されたか」を振り返るようになります。これは、ごく真っ当な態度に見えます。反応を見て、うまくいったものを次に活かす。あらゆる活動で推奨される、改善のやり方です。

そうして、反応の良かった切り口を分析し、次に活かすようになる。強い言い切りで始めると反応がいい。意外な角度から問いを立てると伸びる。読み手が日頃感じている不満に触れると、コメントが増える。こうした勝ちパターンが見えてくると、当然、次もそのパターンで書きたくなる。そして、実際に反応は安定していきます。

ところが、ある時、自分の発信を読み返して、奇妙なことに気づきます。自分の投稿が、同じジャンルで発信している他の人たちの投稿と、だんだん見分けがつかなくなっている。 同じような切り口。同じような言い回し。同じような問いの立て方。自分にしか書けないものを書いているつもりが、いつの間にか、「このジャンルで反応が取れる型」を、他の書き手たちと一緒になって再生産していた。

ここに、見落とされがちな逆説があります。最適化は、差別化ではなく、均質化を連れてきます。

なぜ、出口が一つに収束するのか

理由は、単純です。「何が反応されるか」という問いには、ある程度、共通の答えがあります。

人間の注意を引きやすい型——強い感情を刺激する、意外性がある、不安や不満に触れる——は、誰がやっても似てきます。だから、各自が真面目に最適化するほど、全員が、同じ少数の勝ちパターンへと収斂していく。

同じジャンルの発信を、いくつか並べて眺めてみれば、この収斂はすぐに目に見えます。冒頭の一行は、判で押したように、強い言い切りか、数字を使った煽りか、「実は〜」という意外性の提示で始まる。中盤には、箇条書きと、読み手の不安への呼びかけが置かれる。結びには、行動を促す一言が来る。名前を隠してしまえば、どれが誰の投稿か、ほとんど区別がつきません。

彼らは、互いを真似ようとしたわけではありません。 それぞれが、自分の場所で、独立に、「何が反応されるか」を最適化した。その結果、申し合わせたわけでもないのに、全員が同じ型へたどり着いた。

これは、個性のない人間が集まったからではありません。同じ基準で最適化すれば、出発点がどれほど違っても、出口は一つに収束する——最適化という営みそのものが持つ、構造的な性質です。

だからこそ、たちが悪い。あなたが真面目に、誠実に、上手に最適化するほど、あなたは、あなたであることをやめて、その他大勢の鋳型に近づいていくのですから。

二重の打撃

これは、書き手にとって、二重の打撃になります。

第一に、あなたにしか書けないものが消える。 差別化しようとして最適化した結果、差別化の源泉そのものが失われる。

第二に、消えた結果として手に入るのは「差別化された強い書き手」ではなく、「他の誰とも見分けのつかない、無数の似た書き手の一人」という立場です。 最適化を重ねれば重ねるほど、あなたは「あなたでなければならない理由」を失っていきます。

世界観の差別化と、反応の最適化は、同じ方向を向いていません。むしろ、逆を向いています。 前者は「他の誰とも違う、自分だけの起点」を深めることであり、後者は「誰がやっても反応が取れる、共通の型」へ寄っていくことだからです。最適化に忠実であろうとするかぎり、差別化は遠ざかります。

「万人受け」という名の依頼書

この構造は、発信に限りません。表現の仕事には、もっと古い形で現れます。

たとえば、音楽の依頼書に「明るく前向きで、万人受けするBGMを」と書かれていたとします。技術的には、応えられます。明るい調性を選び、聴き心地のよい進行を組み、誰の耳にも引っかからないように角を丸める。やればやるほど、依頼者は満足し、評価もされる。

けれど、この「万人」という言葉が、曲者です。依頼書にある万人とは、具体的な誰かではありません。 顔も、名前も、生活もない、ただ「角が立たないこと」「引っかからないこと」だけを条件にして抽出された、平均値としての聴き手です。実在しない最大公約数。

そして、平均値に近づけるとは、要するに、突出を削ることでした。 誰かの胸に深く刺さるかもしれない一音は、別の誰かには引っかかる。だから、刺さる可能性のある音から先に、丸められていく。万人に向けて最適化するとは、誰の心にも強くは触れない音を作る、ということです。

発信の世界の「反応の取れる型」も、構造はこれと同じです。最大多数に届く形へ寄せることは、最も深く誰かに届く形を、手放すことと引き換えでした。

違いは、一点だけあります。音楽の依頼書は、目に見えました。だから「これは外からの要求だ」と認識でき、反発の足場がありました。ところが発信には、目に見える依頼書がありません。 誰も「こう書け」とは命じてこない。命じられていないからこそ、人はそれを「自分で選んだ」と感じる。だから、抵抗が生まれない。反発すべき相手が、どこにも見当たらないのですから。

差別化の技術では、抜けられない

だとすれば、この構造から抜ける方法は、差別化の技術を磨くことではありません。

技術を磨けば磨くほど、同じ基準への適合が上手になるだけです。 唯一無二を目指して差別化の方法論を学ぶことは、全員が同じ方法論を学んでいる場所では、収斂を加速させます。

抜けられるのは、基準そのものが違う場所へ移ったときだけです。 届くかどうかを反応の量が決めない場所——読者に直接届く経路——では、共通の勝ちパターンへ寄せる理由が、構造的に消えます。

そこで初めて、世界観を起点に書くことが成立します。世界の見え方、価値の置き方は、勝ちパターンとして共有できません。模倣しようとしても、模倣した時点で、それは借り物になる。だから、世界観を起点に書く者は、定義上、代替できません。

ただし、一点だけ添えておきます。唯一無二であること自体は、それだけでは価値になりません。 借りた場所では、どれほど唯一無二でも、均質な型が増幅される競争のなかで埋もれていきます。唯一無二は、そこでは不利にすらなる。 それが価値に転化するのは、すでに共鳴した読者と直接つながっている経路の上に立ったときです。

まとめ:物差しを変えないかぎり、出口は同じ

差別化しようとするほど似ていくのは、あなたの独自性が足りないからではありません。全員が同じ物差しで測られている場所で、その物差しに合わせて最適化しているからです。

そして、この収斂は、真面目に取り組む人ほど深く進みます。上手に合わせられる人ほど、合わせた形に近づくのですから。

問うべきは「どう差別化するか」ではなく、「自分は、誰が決めた物差しで測られているのか」です。

その全体像は、ブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由にまとめています。その物差しの出所についてはエンゲージメントは、誰の目的関数なのかを、物差しに合わせる行為の意味についてはアルゴリズムを攻略するほど、世界観が矯正されるを、あわせてお読みください。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Simon, H. A. “Designing Organizations for an Information-Rich World” in Computers, Communications, and the Public Interest(1971)Johns Hopkins University Press, pp. 37–72
  • Deci, E. L., Koestner, R., & Ryan, R. M. “A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation” Psychological Bulletin, 125(6)(1999)

【書籍】

  • Wu, T. The Attention Merchants: The Epic Scramble to Get Inside Our Heads(2016)Knopf
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