やりたいことがわからない

やりたいことがわからないのは借り物の願いだから|見分ける問い

はじめに

自分が本当は何をしたいのか、わからない。何を望むべきか、いくら考えても、しっくりくる答えが出てこない。多くの人が、これを自分の弱点のように、隠そうとします。自己分析が足りない、経験が足りない、と。

やりたいことの見つけ方を探している方は多いはずです。本記事が確かめるのは、その前提のほうです。なぜ、これほど願いを追いかけてきたのに、本当にやりたいことがわからなくなるのか、その構造です。

結論を先に示します。やりたいことがわからないのは、見つめる時間が足りないからでも、あなたに情熱がないからでもありません。外から配られた「借り物の願い」を追いかけるほど、その下に埋もれている本当の願いが、かえって見えなくなっていくからです。問題は、探し方ではなく、すでに心を占領している願いの出自にあります。

「欲しいもの」のメニューは、誰が書いたか

私たちは、欲しいものはただ欲しいと感じ、その出自を疑いません。けれど、自然に見えることと、自分の内側から生まれたことは、別のことです。空気のように当たり前に感じられる願いほど、実は外から吹き込まれている、ということがあります。

「欲しいもの」のメニューを書いている大きな書き手は、広告と消費文化、そして自己啓発の市場です。私たちは生まれてからずっと、「何が望ましいか」「どんな暮らしが成功なのか」というイメージを浴び続けてきました。「年収一千万を超えれば自由になれる」「理想のパートナーと出会うことが幸福だ」。こうした定義は、あまりに広く流通しているために、もはや誰かの意見ではなく、客観的な真実のように感じられます。けれど、それらは間違いなく、誰かが書いて、誰かが広めたメニューです。

レストランでメニューから料理を選ぶとき、私たちは自由に選んでいるつもりですが、選べるのはメニューに載っているものだけです。メニューそのものは、厨房が決めている。願いも、これとよく似た構造を持っています。何百万という人が、まるで申し合わせたように、お金・成功・承認・理想のパートナーという、同じものを願っている。この画一性は偶然ではなく、願いのメニューが共通の発信源から供給されている証拠です。

願うほど、本当に欲しいものが見えなくなる

ここに、見過ごされやすい代償があります。外から来た願いに意識のすべてを注いでいると、その下に埋もれている、もっと静かな自分の願いに、注意を向ける余地がなくなります。大きな音が鳴り続けている部屋で、かすかな声が聞こえないのと同じです。借り物の願いは、音が大きい。社会が繰り返し称揚し、広告が華やかに描き、周囲も同じものを願っているからです。

念じる実践は、この上書きを加速します。毎日、外から来た願いを唱え、その実現した姿を思い描く。この反復は、外から来た願いを心にますます深く刻み込みます。本来なら「この願いは、本当に自分のものだろうか」と立ち止まる時間が、念じる時間に置き換えられていく。念じれば念じるほど、問い直す隙間がなくなるのです。

この上書きの恐ろしさは、それが進行していることに、本人が気づけない点にあります。借り物の願いに上書きされた人は、「自分は自分の願いに正直に生きている」と感じています。念じている願いが、本人にとって切実に感じられているからです。上書きが完了した心には、上書きされる前の自分がもう残っておらず、比べる対象がないため、何かを失ったという感覚すら生じません。

「もし誰も知らなかったら」という検査

では、借り物の願いと自分の願いを、どう見分けるのか。一つの実験があります。あなたが「叶えたい」と思っている願いを思い浮かべ、それぞれについて問うてみてください。この願いを、もし誰も知らなかったら——SNSにも、広告にも、周りの誰の口にものぼらず、自分の心のなかだけにあったとしても、私はこれを欲しいと思うだろうか。比べる相手がいなくても、見せる相手がいなくても、なお欲しいだろうか。

この問いに、すぐ「はい」と答えられる願いは、案外少ないものです。多くの願いは、他人の目や比較を取り除いた瞬間に、急にしぼんでしまいます。より広い家が欲しいという願いは、自分と家族が心地よく暮らすための広さなのか、それとも人に見せて恥ずかしくない広さなのか。問いを重ねると、多くの願いの根が、自分の内側ではなく、他者との比較や外から示された基準に張っていることが見えてきます。

この検査は、欲望を否定するためのものではありません。検査を通っても、なお残る欲望は、あなたの本物の願いに近いものです。検査の光を当てると急にしぼんでしまう欲望は、外から供給された借り物だったのかもしれません。

▸ この「自分の願いか、他人軸の願いか」を見分ける基準は、自分軸とは何かでさらに詳しく展開しています。

いったん願うのをやめて、静けさに耳を澄ます

だから、本当に欲しいものを取り戻すには、まず念じるのをやめて、外から来た願いの音量を下げる必要があります。借り物の願いを脇に置いて、はじめて、その下にあった静かな声が聞こえ始めます。

「何も願わなくなって、向上心を失うのではないか」と心配する必要はありません。逆です。借り物の願いで埋まっていた場所が空くと、そこに自分の本当の願いが入り込む余地が生まれます。「わからない」という正直な空白に立てることは、弱点ではなく、もう安易な借り物に飛びつかなくなった成熟のしるしでもあります。むしろ、すぐに「これが欲しい」と答えが出るときほど、それが外から配られた既製の願いである可能性を疑ったほうがよいのです。

まとめ:わからなさは、借り物を脇に置いた人の正直な空白

やりたいことがわからないのは、見つめる時間が足りないからでも、情熱がないからでもありませんでした。外から配られた借り物の願いが音を立てて、その下にある本当の願いを覆い隠していたからです。念じるほど上書きは進み、問い直す隙間は消えていく。わからなさは、欠陥ではなく、借り物を脇に置いた人が本当の願いを探し始めるときに、いったん立つ自然な空白でした。

だから、必要なのは、もっと上手な自己分析でも、新しい体験リストでもありません。念じるのをやめ、外から来た願いの音量を下げて、静けさのなかで自分の声に耳を澄ますことです。その全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。この「借り物の願い」が引き寄せ全体でどう働くかは、引き寄せの法則とは何かにまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Kasser, T., & Ryan, R. M. “A Dark Side of the American Dream”(1993)Journal of Personality and Social Psychology, 65(2)
  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
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