会社に依存しない生き方の、本当の条件

会社に依存しない生き方の本当の条件|四つのレバレッジで考える

はじめに

「会社に依存しない生き方をしたい。」

そう考えて、あなたはスキルを磨き、副業を始めたのかもしれません。世の中も、同じ方向を指しています。「これからは、会社に頼る時代ではない」「自分で稼ぐ力さえあれば、どこでも生きていける」「それこそが、本当の自立だ」——と。会社への依存は、なんとなく、避けるべき弱い状態のように語られ、そこから抜け出すことが、自立の証のように扱われます。

けれど、ここで立ち止まって考えたいことがあります。「会社に依存しない」とは、具体的に、どういう状態を指すのでしょうか。会社を辞めてフリーランスになれば、依存しないことになるのでしょうか。副業で稼ぐ力を身につければ、自立したことになるのでしょうか。

本記事の主張は、こうです。会社に依存しない生き方の本当の条件は、「稼ぐ力を身につけること」でも「雇われていないこと」でもありません。それは「生産手段を持っているかどうか」です。 この一点を取り違えると、会社を抜け出したはずが、より不安定な依存の中に立っていた、ということが起こります。順を追って解きほぐしていきます。

「稼ぐ力」を磨いても、立場は変わらない

まず、最もよく語られる処方箋——「稼ぐ力を身につければ、会社に依存しなくてすむ」——を検討します。

「稼ぐ力」とは、結局のところ、何でしょうか。それは、労働力の「質を高めること」です。より速く、より上手く、より高く売れる労働力に、自分を鍛え上げること。たしかに、稼ぐ力が高ければ、同じ時間でより多くの報酬を得られます。けれど、それは「より高い値段で労働力を売れる」というだけのことで、売っているものが労働力である、という点は、何一つ変わっていません。

腕の良い職人を思い浮かべてください。卓越した技術を持ち、その仕事は高く評価され、高い報酬を得ています。けれど、その職人が手を止めれば、収入は止まります。どれほど腕が良くても、自分の腕(=労働力)を売っているかぎり、「自分が動かないと収入が止まる」という構造からは逃れられません。「稼ぐ力」を磨くことは、収入の天井を少し高い位置に動かすかもしれませんが、天井そのものを消しはしないのです。

ここには、もう一つの落とし穴も潜んでいます。「稼ぐ力」が高まるほど、人はその力を手放しにくくなる、という落とし穴です。高い単価で売れる技術を身につけた人は、その技術で稼ぐことに、深く依存していきます。「これだけ稼げるのだから」と、より多くの案件を引き受け、より深く時間売りの労働に沈んでいく。皮肉なことに、稼ぐ力が高い人ほど、その場所から抜け出す動機を失いやすい。目の前に、稼げる仕事がいくらでもあるからです。「稼ぐ力さえあれば自立できる」という言葉は、こうして、最も腕の立つ人々を、最も深く労働力の市場へと縛りつけることがあります。この、報酬が「労働の量」ではなく「届けた価値」で決まるという視点の転換は、労働価値説と効用価値説で詳しく扱っています。

「雇われていない」ことは、自立ではない

次に、もう一つの誤解を解いておきます。「会社に雇われていなければ、依存していない」という誤解です。

副業をする人の多くは、フリーランスや個人事業主という、「雇われていない」形をとります。そして、雇われていないことを、しばしば「自立している」ことと取り違えます。けれど、雇われているかどうかは、本質ではありません。問うべきは、「あなたが売っているものは、労働力か、それとも生産手段が生む価値か」です。

会社員は、雇用契約のもとで労働力を売っています。フリーランスは、雇用契約こそありませんが、業務委託や請負という形で、やはり自分の労働力を売っています。形式は違っても、売っているものは同じ——自分の時間と労力です。それどころか、フリーランスは、ある意味で、より不安定な立場に立っています。会社員には、まだ雇用の保障や、社会保険を会社が一部負担するといった、いくらかの緩衝があります。フリーランスには、その緩衝すらありません。動けば収入があり、動かなければ収入がない。病気で休めば、その分まるごと収入が消える。

つまり、「会社を辞めてフリーランスになれば自由になれる」と考えて雇用を抜け出しても、生産手段を持たないまま労働力を売っているなら、構造は何も変わりません。むしろ、緩衝を失った分だけ、「自分が動かないと止まる」という壁に、より直接ぶつかることになる。会社への依存を抜けたつもりが、実際には、市場への、より剝き出しの依存に移っただけ、ということが起こるのです。

本当の条件は、「生産手段を持つ」こと

では、会社に依存しない生き方の、本当の条件とは何か。それは、生産手段を持つことです。

生産手段とは、価値を生み出すための元手——道具・設備・仕組みといった基盤のことです。生産手段を持つ者の収入は、自分が動いていなくても、その仕組みが価値を生み続けます。生産手段を持たない者は、売れるものが「自分の時間と労力」しかないため、自分が動いているあいだだけ収入が生まれます。

ここに、決定的な違いがあります。仮に、二人の人が、どちらも月に同じ額を稼いでいるとします。一人は、腕の良い専門職として、依頼を受けて働いて稼いでいる。もう一人は、自分の作った仕組みが回って、同じ額が入ってくる。収入の額は同じでも、立っている場所はまったく違います。前者は、来月も同じ額を得るために、来月もまた働かなければなりません。後者は、来月一切働かなかったとしても、仕組みが回るかぎり収入は入り続けます。額が同じでも、一方は労働力を売っており、他方は生産手段を持っている。この違いは、「いくら稼いでいるか」という数字には、まったく現れません。

会社への依存とは、突き詰めれば、「その収入がなければ生きられない」という状態です。そして、その状態から抜け出す道は、「もっと稼ぐ力をつけて、会社の外でも労働力を高く売る」ことではありません。「労働力を売らなくても、価値が生まれる構造を持つ」こと——つまり生産手段を持つこと——です。この、生産手段を個人が持つための具体的な形は、許可を必要としない4つのレバレッジで扱っています。

かつて、生産手段を持つことは、大きな資本を持つ者の特権でした。けれど、デジタルの領域では、個人が、ほとんど元手をかけずに自分の生産手段を持てるようになっています。自分の知見をまとめたコンテンツ、それを必要とする人に届ける仕組み——一度作れば、自分が動いていないあいだも価値を届け続ける資産を、特別な資本がなくても築ける。「会社に依存しない」という願いが本当に指していたのは、この「生産手段を持つ側へ回る」ことだったのです。

まとめ:抜け出す先を、取り違えない

会社に依存しない生き方を求めるとき、私たちはつい、「稼ぐ力を磨くこと」や「雇用を抜け出すこと」を目標にしてしまいます。けれど、稼ぐ力をいくら高めても、労働力を売る側であるという立場は変わらず、雇用を抜け出しても、生産手段を持たなければ、より不安定な依存に移るだけでした。会社への依存を本当に解くのは、労働力の質でも、雇用契約の有無でもなく、生産手段を持っているかどうか——この一点です。

だから、もしあなたが「会社に依存したくない」と感じているなら、その感覚は正しいものです。ただ、抜け出す先を取り違えないことです。目指すべきは、「労働力をより高く売れる自分」ではなく、「労働力を売らなくても価値が生まれる構造を持つ自分」です。

その、労働力を売る側から生産手段を持つ側へ、収益の構造そのものを移していく道筋は、この副業クラスターのハブである会社員の副業は、なぜ自由につながらないのかで全体像を示しています。

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