はじめに
ここ数年で、副業を認める企業が、急速に増えました。かつては就業規則で禁じられていた副業が、いまや「解禁」どころか、企業側から「推奨」されることさえあります。この流れは、たいてい、こう説明されます。「多様な働き方を応援するため」「従業員の成長のため」「一人ひとりの自己実現のため」——と。
これらの説明を聞くと、副業解禁は、従業員のことを思った、善意の制度変更のように見えます。実際、そう受け取っている人がほとんどでしょう。
けれど、企業が、コストやリスクを負ってまで、純粋な善意で制度を変えることは、めったにありません。ある変化が急速に、そして広く進むとき、そこには必ず、その変化で得をする側の合理的な理由があります。本記事で問うのは、副業解禁で、企業側は何を得ているのかという一点です。従業員のためという説明の下で、実際に何が動いているのかを、構造の側から見ていきます。
「固定費」と「変動費」──企業から見た労働力
企業側の受益を理解するには、まず、企業が労働力をどう見ているかを押さえる必要があります。鍵になるのは、固定費と変動費という二つの言葉です。
固定費とは、仕事の量にかかわらず、一定して発生する費用です。正社員に毎月支払う給料は、その月に仕事が多かろうと少なかろうと、支払わなければなりません。加えて、社会保険の負担も、雇用を守る責任もついてきます。固定費は、企業にとって「重い」費用です。仕事が減った月にも、変わらずのしかかってくるからです。
変動費とは、仕事の量に応じて増減する費用です。必要なときだけ、必要な分だけ外部に発注し、仕事がなければ支払いも発生しない。変動費は、企業にとって「軽い」費用です。需要に合わせて、自在に伸び縮みさせられるからです。
さて、企業の立場に立てば、労働力は、固定費として抱えるより、変動費として調達できる方が、はるかに好都合です。忙しいときだけ発注し、暇なときは発注しない。雇用を保障する責任も負わない。これほど都合のよい調達方法は、ほかにありません。
副業解禁が、企業に供給するもの
ここまで来ると、副業解禁が企業側にもたらすものが、はっきり見えてきます。
副業を持つ個人が社会に増えるということは、企業から見れば、「必要なときだけ発注できる、変動費としての労働力」が大量に供給されるということです。副業を求める個人が増えれば増えるほど、企業は、固定費としての雇用を抱えるリスクを負わずに、柔軟で、比較的安価な労働力を、いつでも調達できるようになります。
つまり、「副業解禁」「副業推奨」という流れが広まることは、労働力を変動費として欲しがる側にとって、願ってもない状況を作り出します。個人が「自己実現のために」副業を始めるたびに、企業にとっての「都合のよい変動費」が一つ増えていく。従業員のためと語られる制度変更が、その実、労働力をより柔軟に、より安く調達できる市場を、社会全体に広げているのです。
この構造が最も剝き出しに現れているのが、仕事を仲介するプラットフォームです。配達を仲介するもの、スキルの切り売りを仲介するもの、案件を仲介するもの——種類はさまざまですが、仕組みは共通しています。プラットフォームは働き手を雇用しません。雇用しないから、給料の保障も、社会保険の負担も、雇用を守る責任も、一切負わない。仕事があるときだけ個人に発注し、なければ発注しない。働き手は、完全に変動費として扱われます。それでいて、これらのサービスは、ほぼ例外なく「好きな時間に、好きなだけ働ける」という自由のイメージで売られている。この、労働力が商品として扱われていく構造は、フリーランスと労働力の商品化でさらに詳しく分析しています。
「解禁」の下で移転されているのは、リスクです
副業解禁の本質を、一言で言えば、「リスクの、個人への移転」です。
かつて、雇用という形は、さまざまなリスクを引き受けていました。仕事が減ったときの保障。病気で働けないときの備え。技能を育てる責任。固定費として雇用を抱えるとは、こうしたリスクを、企業がある程度引き受けることでもありました。
ところが、労働力を変動費として調達する仕組みでは、これらのリスクは、すべて働く個人の側へと移されます。仕事が減れば、個人の収入が減る。病気になれば、個人の収入が止まる。技能の習得も、個人の自腹と時間で行う。「副業解禁」は、この移転を、「多様な働き方」「自己実現」という前向きな言葉でくるんで進める制度でもあります。
もちろん、これは、副業解禁が「陰謀」だという話ではありません。多くの場合、それは市場の中で、合理的な選択として自然に進みます。変動費で調達できる企業の方が、固定費を抱える企業より身軽に動ける。だから、身軽な調達方法が広がっていく。誰かが悪意で仕組んだわけではなく、それぞれが合理的に動いた結果として、リスクが個人へ移されていく——だからこそ、この流れは止めにくく、そして、その本質は見えにくいのです。
まとめ:制度の善し悪しではなく、構造を見る
副業解禁は、「従業員のため」という説明とは別に、企業側にとって明確な受益があります。副業を持つ個人が増えることは、変動費としての労働力が社会に供給されることであり、企業は雇用のリスクを負わずに柔軟な労働力を調達できるようになる。「解禁」の下で実際に移転されているのは、かつて雇用が引き受けていたリスクの重みでした。
ここで確認しておきたいのは、これは「副業解禁は悪だ」という話でも、「だから副業をするな」という話でもない、という点です。大切なのは、制度の善し悪しに一喜一憂するのではなく、その制度が、自分をどの構造に置こうとしているのかを、自分の目で見抜くことです。企業が副業を推奨するとき、あなたはやはり「生産手段を持たないまま、労働力を売る側」に置かれています。その位置が変わらないかぎり、副業をいくつ増やしても、自由には近づきません。
企業側の受益の裏側で、なぜ個人の側までが「キャリア自律」という言葉でこの流れを歓迎してしまうのか——その個人側の内面のメカニズムはキャリア自律は、誰のための言葉かで扱っています。そして、この構造からどう抜けるのかの全体像は、この副業クラスターのハブである会社員の副業は、なぜ自由につながらないのかにまとめています。
▼ 電子書籍『FUNNEL BASE』無料ダウンロードはこちら ▼
電子書籍『FUNNEL BASE』を無料ダウンロード
関連記事:「そもそも会社員に向いていないのかもしれない」という違和感を扱った「会社員に向いていない」のは、性格ではなく構造ですも、この副業クラスターの入口です。個別論点の位置づけを俯瞰したい場合は、構造的自律のマスターピラーからどうぞ。






