開業届と所有

開業届を出しても、所有は始まらない|形態の自由と構造の自由

はじめに

開業届を税務署へ出した日のことを、多くの人が覚えています。書類は一枚。控えを受け取って外へ出たとき、自分はもう雇われる側ではなくなったのだと感じる。手続きは驚くほど簡単なのに、その一枚が象徴するものは大きい——そう思えた瞬間があったはずです。

開業届の書き方や、出すことで受けられる控除については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その手続きが何を変え、何を変えないのかという、一段深い部分です。

結論を先に示します。開業届が変えるのは、あなたの「形態」だけです。 雇われているかどうかという表面の分類は変わりますが、生活の糧をどこから得ているかという構造には、一切手が触れていません。この区別を知らないまま独立すると、多くの人が同じ場所でつまずきます。

「自由」という言葉には、二つの層がある

独立の語りが「自由」と呼ぶものの中心には、はっきりしたイメージがあります。雇用契約という縛りからの解放です。上司の指示に従わなくていい。決まった時刻に出勤しなくていい。開業届は、この解放を制度の側から確定させる手続きだと受け取られています。

ここで、自由という言葉を二つに分けてみます。ひとつは、何かに縛られていないという自由。もうひとつは、生活の糧を生み出す手段を、自分の側に持っているという自由です。

想像してみてください。ある人が、どんな主人にも縛られていない立場にあるとします。けれども、その人は糧を得る手段を何ひとつ持っていない。田畑もなく、道具もなく、元手もなく、売れるものといえば自分の労働力だけ。この人は、立場のうえでは自由です。しかし生きていくには、労働力を誰かに買ってもらうほかなく、買ってくれる相手の求めに自分を合わせ続けるほかありません。この人は、本当に自由でしょうか。

二重の自由——手に入る半分と、手つかずの半分

この二層構造を正確に言い当てた古典的な概念があります。マルクスが『資本論』で提示し、宇野弘蔵が経済原論において資本主義の論理の核心として体系化した「二重の自由」です[Marx, 1867/宇野, 1964]。

第一の自由は、身分的な縛りからの自由です。近代より前、人々は身分によって特定の場所や主人に縛られていました。資本主義社会が立ち上がる過程で、人々はこの縛りから解き放たれ、誰に雇われるかを原理としては自分で選べるようになります。

第二の自由は、まったく逆の向きを持ちます。 生産手段を持たないという意味での「自由」です。生産手段とは、糧を生み出すために必要な土地・道具・設備・元手のことです。かつて農民は田畑を、職人は道具を持っていました。ところが多くの人々は、こうした手段から切り離されていく。売れるものといえば労働力だけ。この状態を、マルクスは皮肉を込めて第二の意味での「自由」と呼びました。生産手段に縛られていない、けれども裏を返せば、生産手段を何ひとつ持っていない、という状態です。

この二つが組み合わさると何が起きるか。「雇われる相手を選ぶ自由」は持っているが、「雇われずに生きる自由」は持っていない。 人は自由だからこそ、自分の労働力を売る。自由であることと、労働力を売らざるをえないことが、同じ一つの状態の裏表になっています。

開業届が動かすのは、第一の自由だけである

この枠組みで、開業届という手続きを眺め直してみます。

開業届を出すという行為は、雇用契約という関係の外側に自分を置く手続きです。これは第一の自由——身分的縛りからの自由——を、さらに一歩進めることに当たります。会社員は「雇われる相手を選ぶ自由」を持っていましたが、開業した人は「そもそも雇われない」という選択によって、身分的な縛りからいっそう遠ざかったように見えます。

ところが、この手続きは第二の状態——生産手段を持たないこと——には、まったく手を触れていません。 開業届を出した翌日、あなたが持っているのは、昨日と同じ自分の労働力、自分のスキル、自分の時間だけです。他人の労働を動かす仕組みも、何度でも糧を生む権利も、元手も、増えてはいない。だから、生きるには労働力を市場で売り続けるほかない。

開業届は、第一の自由を確定させながら、第二の状態をそっくりそのまま温存します。 ここに、独立という選択の決定的な構造があります。

▸ 契約形態が業務委託に変わっても売っているものが変わらない理由は、業務委託でも売っているものは変わらないで扱っています。

なぜ、この半分は語られないのか

では、なぜ独立の語りは、第一の自由だけを祝い、第二の状態にほとんど触れないのでしょうか。

ひとつには、第一の自由の方が目に見えやすいからです。会社を辞めた朝の解放感、上司の顔色をうかがわずに済む安堵。これらは身体ではっきり感じられる変化です。一方、生産手段の非所有という状態は、独立の前も後も変わらず続く静かな背景に似ています。変化として体験されないものは、語られにくい。

もうひとつは、より根深い理由です。第二の状態に触れてしまうと、独立を自由への道として売ることが難しくなるからです。 もし語りが正直にこう告げたら、どうでしょう。「独立しても、あなたは相変わらず生産手段を持たず、労働力を売って生きるほかありません。変わるのは、売る相手が一人から複数になることだけです」。この説明は、独立を魅力的な商品として成り立たせません。

ここで、はっきりさせておきます。これは語り手を責める話ではありません。多くの場合、語り手自身が二つの自由の区別に気づいておらず、身分的縛りからの解放を心から自由だと信じて、善意で勧めています。問題は個々の悪意ではなく、「自由」という言葉が二つの層を持つことに、語りの全体が無自覚だという構造の方にあります。

まとめ:手続きを終えた人が、次に問うべきこと

開業届は、出すべきときには出せばよい書類です。本記事は、その手続きを否定するものではありません。斬るのは、その一枚が自由の到達点であるかのように描かれ、その先にある本当の争点を視界から消してしまう語り口のほうです。

手続きを終えた人が次に問うべきなのは、「どうすればもっと上手に案件を取れるか」ではありません。「何を作り、いくらで売るかを、最終的に誰が決めているのか」です。この決定を自分の側に一定の割合で持つこと——ここでは、それを所有と呼びます。

その全体像は、「起業すれば自由になれる」という物語の構造にまとめています。形態の自由をすでに手にした人ほど、残り半分の存在に気づいたとき、進む方向が変わります。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Marx, K. Das Kapital, Band I(1867)Verlag von Otto Meissner(邦訳『資本論』第一巻)※「二重の自由」はマルクスが提示し、宇野弘蔵が体系化した概念
  • 宇野弘蔵『経済原論』(1964)岩波書店
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