ブランディングの前に

ブランディングの前に、判定し直すことがある|借りた注意か所有する経路か

はじめに

セルフブランディングのやり方や、世界観の見せ方については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その手前にある測定です。整えた見せ方を、どこに置くのか。

見せ方は膨大に語られるのに、「その見せ方が届く経路の決定権を、誰が握っているか」という一点だけは、たいてい前提として飛ばされています。

結論を先に示します。ブランディングとは、届いた先で何を思われるかの設計です。届くかどうかを他者が決める場所では、その設計は、いつでも無効化されうる土台の上に立っています。 だから、見せ方を整える前に、いま手元にあるものを、別の基準で判定し直すほうが先になります。

なぜ、行動より先に「判定」なのか

「では、どうするか」と問われたとき、人はたいてい新しい行動を期待します。何かを始める、何かをやめる、何かのツールを導入する。

けれど、発信で行き詰まっている人の多くは、行動が足りないのではありません。むしろ逆で、すでに過剰なほど行動しています。 毎日投稿し、反応を分析し、型を学び、見せ方を整えている。問題は、行動が足りないことではなく、そのすべてが、自分の所有しない場所の上で行われていることでした。

同じ場所の上で行動をいくら足しても、その場所の設計からは一歩も出られません。だとすれば、最初に変えるべきは行動ではなく、場所を見る目です。地図が間違っていれば、どれだけ速く歩いても、目的地には着きません。

この順序を、軽く見てはいけません。世の中の発信論が、判定を飛ばして行動の指示から始めるのには、理由があります。行動の指示は、売り物になりやすいからです。 「これをやれば伸びる」という処方は、分かりやすく、すぐ試せて、買いたくなる。一方、「まず、自分が立っている場所を測り直しなさい」という助言は、地味で、すぐには結果に結びつかず、売り物になりにくい。

判定の基準は、ただ一つ

判定に使う基準を、はっきり取り出しておきます。

発信の成果を判定するとき、ほとんどの人が使っている基準は、数字の大小です。フォロワーが多いか少ないか。閲覧が伸びたか落ちたか。発信に関するあらゆる助言が、この基準を前提にしています。

本記事が提案するのは、この基準を、まったく別のものへ置き換えることです。

その読者に、いつでも、確実に、直接、自分の言葉を届ける決定権が、自分の手にあるか。

問うのは、数の大小ではありません。決定権の所在です。届けるか届けないかを、誰が決めているのか。あなたが決めているなら、それは所有する到達経路です。分配の仕組みが決めているなら、どれほど数が大きくても、それは借りた注意です。

この基準の鋭さは、数字とまったく相関しないところにあります。 フォロワーが十万人いても、その十万人に届くかどうかを他者が握っているなら、それは十万人ぶんの借り物です。直接つながった読者が百人でも、いつでも確実に届けられるなら、それは百人ぶんの所有です。

自分名義の口座にある十万円と、いつでも貸し主が引き上げられる十万円の貸付金は、額面が同じでも別物です。額面の大きさは、その十万円があなたのものかどうかを、一ミリも保証しません。

手元のものを、一つずつ判定してみる

抽象的な基準は、具体的なものに当ててみて、初めて手になじみます。書き手が「成果」として数えがちなものを、一つずつ、この基準にかけてみます。

短文投稿サービスのフォロワー。 これは、ほぼ完全に借り物です。何人いようと、あなたの投稿がその人の画面に表示されるかどうかを決めているのは、分配の仕組みです。フォロワー数という数字は、あなたが所有する読者の数ではなく、「いまのところ、あなたの投稿を見せる候補に入っている」人の数にすぎません。

動画共有サービスの登録者。 構造は同じです。「登録」という言葉は、あなたと読者が直接つながっているかのような印象を与えますが、新しい投稿が登録者の画面に並ぶかどうかは、推薦の判断に委ねられています。これも借り物です。

メッセージアプリの公式アカウントの友だち。 一見、より直接的に見えます。登録してくれた相手に、こちらから配信できるからです。けれど、配信できる通数や頻度に制限がかけられたり、規約変更で機能が変わったり、アカウント自体が止められたりする可能性が、つねに残っています。直接配信できるぶん所有に近いが、土台が他者の上にある。「借り物寄りの、中間」と判定するのが正確です。

メールアドレスで直接つながった読者。 これが、所有する到達経路に最も近い存在です。あなたが届けると決めたとき、推薦の判断を経由せずに、直接届きます。もちろん配信の道具には依存しますが、決定的に違うのは、読者との関係そのものは、道具を替えても残るという点です。 剥奪されるのは道具であって、関係ではない。

自分のドメインで運営するブログ。 ここは、少し込み入っています。土地そのもの——記事が置かれている場所——は、たしかにあなたの所有物です。サーバーを移しても、記事は移動する。けれど、そこへの「到達」は、多くの場合、まだ借り物です。 検索経由で読者が訪れているなら、誰がその記事にたどり着くかを決めているのは、順位の判定です。ブログは「所有する資産」と「借りた到達」が同居している、判定の難しい対象です。

判定し直すと、足元が一度、崩れる

この判定がもたらす、正直な副作用について述べておきます。誠実な解決の構造は、それがもたらす痛みを隠しません。

こうして一つずつ判定していくと、多くの人が、ある共通の事実に行き当たります。自分が成果として数えてきたもののほとんどが、借り物の側に並ぶ、ということです。そして、本当の意味で所有している到達経路は、思っていたよりずっと少ない、あるいは、まだ一つもない。

このとき、足元が一度、崩れるような感覚を覚えます。この感覚は避けられません。そして、「気にするな」とは言いません。それは、正確な認識がもたらす、正当な痛みだからです。

ただし、二つのことを添えておきます。

第一に、それは損失ではなく、認識の補正です。 あなたが積み上げてきた数字は、判定し直したからといって減ったわけではありません。昨日と同じ数字が、今日もそこにあります。変わったのは、その数字が何であるかという理解だけです。間違った地図を持って前進し続けるより、正しい地図を手にして足元が一度崩れるほうが、はるかに安全です。

第二に、この崩れは一度きりです。 借りた場所の上での最適化には、終わりがありません。分配の基準が変わるたびに、また最初からやり直しになる。その不安は、発信を続けるかぎり続きます。一方、「自分の数字は借り物だった」という認識の崩れは、判定の瞬間に一度だけ起きます。一度きりの崩れと引き換えに、終わらない不安から降りる——これは、誠実に見て、割の良い取引です。

もう一つ、見落とされがちな側面があります。判定し直すと、借り物の数字が一気に目減りして見える一方で、本当に所有していた経路の数字は、たいてい、ひどく小さい。十万を資産だと思っていた人が、本当に直接届けられる相手は、ゼロか、せいぜい数十人だった——そういうことが、ふつうに起こります。

けれど、その数十人は、十万人の縮小版ではありません。質の違うものです。 十万の借り物の到達は、明日ゼロになりうる、剥奪可能な数字でした。数十人の所有する到達は、誰にも取り上げられない数字です。一人あたりの確かさが、まったく違う。借り物の十万と所有の数十を、同じ物差しで引き算してはいけないのです。

まとめ:見せ方を整える前に、置き場所を測る

ブランディングは、無意味ではありません。無意味になるのは、いつでも取り上げられる土台の上に、精密な設計を積み上げたときです。

だから、順序を入れ替えます。どう見せるかを設計する前に、その設計が届く経路の決定権が、誰の手にあるかを測る。測ってから整えるのと、測らずに整えるのとでは、同じ作業が、まったく別の意味を持ちます。

足元が崩れたあとに、初めて、本当の問いが立ち上がります。では、自分が所有できる経路とは、どこにあるのか。

その全体像は、ブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由にまとめています。所有する経路への移し方についてはメルマガが古いと言われる理由と、それでも残る一点を、なぜそれで解決するのかについてはオウンドメディアの本当の利点は、比較表に載っていないを、あわせてお読みください。

▼ 電子書籍『FUNNEL BASE』無料ダウンロードはこちら ▼
電子書籍『FUNNEL BASE』を無料ダウンロード

参考文献

【書籍】

  • Wu, T. The Attention Merchants: The Epic Scramble to Get Inside Our Heads(2016)Knopf
  • カール・マルクス(向坂逸郎訳)『資本論』(Das Kapital, 1867)岩波書店、1969年
  • 宇野弘蔵『経済原論』岩波書店、1964年
▲ 無料配布電子書籍『FUNNEL BASE』構造的自律の設計図を受け取る →
上部へスクロール