雇われたくない、と思う。ただし、働くのが嫌なわけではありません。自分で選んだ作業になら何時間でも入っていけますし、頼まれた仕事を雑にやりたいわけでもない。この二つを並べて話すと噛み合わなくなるので、黙っています。
口に出したときに返ってきやすいのは、「じゃあ何で稼ぐの」という問いです。悪意はありません。生活のほうを心配してくれています。ただ、稼ぎ方の話に移った時点で、最初の感覚は置き去りになります。何で稼ぐかと、雇われるかどうかは、別の問いだからです。
置き去りになっているほうを、先に取り出します。「雇われたくない」という言い方が拒んでいるのは、労働ではありません。金額でもありません。雇用契約が交換している項目のうち、時間と金銭ではない三つ目——あらかじめ従う範囲を渡しておくこと——です。
この三つ目には、他の二つと違う性質が一つあります。契約書に書かれないという性質です。金額や時間と違って輪郭が引かれていないので、実際の広さは、契約のあとの運用のなかで決まっていきます。
そのため、この感覚は待遇の側からは説明が付きません。条件の良い職場にいるほど、本人にも周囲にも理由が見えにくくなります。
拒否されている中身がどこにあるかは、助言の当たり外れも分けます。雇用の外へ出る方法についての助言は世の中に大量にあり、その多くは実務として正確です。ただ、それらが答えているのはどうやって外へ出るかであって、外へ出れば三つ目の項目が消えるのかではありません。二つは別の問いです。後者に答えないまま前者だけを実行すると、契約の名前が変わって中身は据え置き、という結果になることがあります。
ここで扱うのは、まだ何も決めていない段階です。辞める予定があるわけでも、独立の準備をしているわけでもない。ただ、この感覚だけが何年も消えずに残っている。この段階では、選択肢を集めても判断は進みません。拒否されている中身に名前が付いていないので、集めたものを比べる軸が無いからです。
以下では、この三つ目の項目を経済学の側から確定させ、それが契約の種類ではなく依存の度合いによって決まっていることまで見ます。そのうえで、いま自分がどこにいるのかを、契約を切らずに数える方法を置きます。辞めるかどうかの判定は置きません。位置が分かることと、動かすかどうかを決めることは、別の作業だからです。
📖 目次
一覧の共通項は、雇用契約が無いという一点しかない
「雇われたくない」で検索すると、出てくるのは職業の一覧です。フリーランス、起業、投資、店舗経営、フランチャイズ加盟、配信、物販。十選、十二選と数が付いて並びます。
そして、書き手が事業を売る側にいることも少なくありません。加盟希望者を集める媒体、スクールの運営元、案件仲介の会社。だから一覧の下には、何かへの入口が置かれていることがあります。
これは非難すべきことではありません。事業として書かれた記事が、事業の入口を持っているのは当然です。
ただ、一覧の作りには一つ共通した特徴があります。並んでいるのは、雇用契約を結んでいないという一点だけを共通項にした職業群だということです。
フランチャイズ加盟を考えてみます。雇用契約はありません。しかし、扱う商材は本部が決めます。価格も本部が決めます。営業時間も、内装も、仕入先も、多くの場合は指定されます。契約を切られれば事業は止まります。
案件仲介を通したフリーランスも同様です。雇用契約はありません。しかし、単価は仲介の相場で決まり、案件の内容は発注側が決め、稼働時間は現場に合わせます。
つまり一覧は、契約の名前が違うものを集めているのであって、拒否されている中身が変わるかどうかは見ていません。
そしてもう一つ、一覧の下には同じ助言が付いていることがあります。「まずは会社員のうちに資金を貯めましょう」というものです。これも実務としては正しい助言ですが、問いには答えていません。資金の量は、拒否されている中身とは無関係だからです。
一覧が扱っていない領域も、ここで見えてきます。雇われたくないという感覚が何を拒否しているのか。それが分からないまま職業を選べば、拒否の対象が残ったままの選択肢を引く確率が高くなります。
一覧のもう一つの性質にも触れておきます。並び順が、始めやすさで決まっていることです。読み手にとっては親切な配慮ですが、この並べ方には副作用があります。
始めやすい選択肢とは、支度が少なくて済む選択肢です。そして支度が少ないのは、枠組みが誰かによって用意されているからでもあります。加盟すれば商材も看板も揃っている。仲介に登録すれば案件が回ってくる。用意されているぶん、始めるのが速い。
用意されているということは、決めた人が別にいるということでもあります。つまり、始めやすさの高い選択肢ほど、拒否されているものが多く残るという関係になります。並び順は、この向きに対して無自覚です。
だから一覧を上から読むと、拒否の対象が多く残る選択肢から目に入りやすくなります。誰かがそう意図したわけではありません。並べ替えの基準が、たまたまその向きを持っているだけです。
雇用契約が、実際に交換しているもの
雇用契約が交換しているのは、時間と金銭だけではありません。三つ目の項目が入っていて、しかもそれは契約書の上には現れません。
一般的な理解では、時間と金銭の交換です。決まった時間を渡し、決まった額を受け取る。
ところが、この理解では説明できないことがあります。契約を結ぶ時点で、何をするかが決まっていないという点です。
売買契約なら、何をいくらで売るかが契約時に確定します。請負契約なら、何を完成させるかが確定します。雇用契約では、確定しているのは時間と額だけで、その時間に何をするかは確定していません。決めるのは、雇う側があとから行います。
経済学者のハーバート・サイモンは1951年に、この点を雇用関係の本質として定式化しました(Simon, 1951, Econometrica, 19(3), 293–305)。雇用契約で売られているのは労働そのものではなく、「相手が指定した範囲の中でなら、指定された内容に従う」という受け入れの領域である、という整理です。
なぜこの形式が選ばれるのかも、同じ整理から出ます。契約を結ぶ時点では、何が必要になるかがまだ分かっていません。分からないものを事前に書き切ろうとすれば、書き切れないか、書けた範囲でしか使えないかのどちらかになります。だから、内容の欄を空けたまま、従う範囲のほうを先に決める形が使われます。
ここから、雇用契約の輪郭が出ます。あとで決めるために、あらかじめ従う範囲を渡しておく契約です。空けておけることが効率であり、渡された範囲が対価です。
この構造が搾取だという話ではありません。むしろ、空けておくことには合理性があります。毎朝出社してその日の業務内容を交渉するとしたら、交渉だけで一日が終わります。渡すことで得られている効率は、実在します。
当てはまらない場合も挙げておきます。契約の時点で職務の範囲が細かく書かれている形——担当する業務を文書で特定し、その外は原則として求めないという契約——も実在します。その場合、空欄は小さくなります。
ただし、空欄が小さいということは、あとから決められる余地も小さいということです。求められる仕事が変われば、契約のほうを結び直すことになります。だから、範囲が明示された契約は、範囲の広い契約より短く切れやすい側に置かれます。空欄の大きさと、関係の長さは、同じ設計の表と裏です。
だから、空欄を作ること自体は問題ではありません。空欄を作る合理性も、その対価も、双方が受け取っています。噛み合わなくなるのは、空欄の大きさが誰にも書かれていないという、次の一点からです。
契約書に書かれない項目は、運用のなかで広がる
渡した範囲の大きさは、契約書に書かれません。時間は書かれます。額も書かれます。従う範囲の広さだけが、どこにも書かれません。
書かれていない事態を誰が決めるのか。この問い自体が、経済学の中で一つの主題になっています。サンフォード・グロスマンとオリバー・ハートは1986年に、所有とは何かを契約に書かれていない事態について決める権利として定義し直しました(Grossman & Hart, 1986, Journal of Political Economy, 94(4), 691–719)。条項をどれだけ精密にしても、書ききれない事態は必ず残ります。残った部分を誰が決めるかが、その関係の実質を決めているという整理です。
雇用契約に当てはめると、位置がはっきりします。書かれているのは時間と額で、書かれていないのは範囲の輪郭です。そして輪郭を決めるのは、渡された側です。
この非対称は、日常の細部に出ます。担当外の仕事が回ってきたとき、それが範囲の内か外かを判定する基準は、どこにも書かれていません。書かれていないので、断ると「範囲の解釈が狭い」ということになり、受けると範囲が実質的に広がります。断っても受けても、範囲の輪郭は相手の側で更新されます。
同じことが、時間の側にも起きます。就業時間は書かれていますが、就業時間の外で連絡が来たときに応じるかどうかは書かれていません。応じれば範囲が伸び、応じなければ態度の評価になります。
つまり、渡した範囲は固定された量ではなく、運用によって動く量です。そして動く方向には偏りがあります。狭まる方向には手続きが要りますが、広がる方向には手続きが要りません。日々の運用の中で、静かに広がっていく形をしています。
ここで、当然の反論があります。書かれていないのなら、こちらが応じなければよいのではないか、と。
形式のうえでは、拒めます。合意していない業務を断る余地は残っています。ところが、拒む側は毎回その都度に判断を求められ、渡した側は判断しなくてよいという非対称が残ります。一件ごとに理由を用意し、関係への影響を見積もり、そのうえで断る。この手間は、応じる側には発生しません。同じ権利があっても、行使に要る費用が片側にだけかかります。そして費用のかかる側の権利は、時間が経つほど使われなくなります。
「雇われたくない」という感覚が年数とともに強くなることがあるのは、これで説明がつきます。仕事が嫌になったわけではありません。渡した範囲のほうが、実際に広がっています。
拒まれているのは、受け入れの領域である
三つの項目で見ると、「雇われたくない」という感覚の位置が見えます。
拒まれているのは、時間ではありません。時間を渡すこと自体が嫌なら、そもそも何もしたくないはずです。ところが、この感覚を持っている人は、自分で選んだ作業には長時間を投じます。
拒まれているのは、金銭の額でもありません。額の不満は「もっと欲しい」という形で出るものであって、「雇われたくない」という形では出ません。
拒まれているのは、三つ目の項目です。あらかじめ従う範囲を渡しておくこと。それも、範囲の大きさが確定していない状態で渡すこと。
この読み替えは、感覚の説明力を大きく変えます。
たとえば、待機の時間が異様に消耗するという経験があります。作業をしていないのに疲れる。忙しい日より、何も指示が来ない日のほうが重い。受け入れの領域を渡している状態は、指示が来ていなくても継続していると考えると、この経験は自然に説明できます。渡している状態そのものが負荷になります。
裁量の広い職場に移っても感覚が消えなかった、という経験もあります。これも同じ枠組みで説明できます。裁量が広いというのは、渡した範囲の中で自由に動けるということであって、範囲そのものを自分が決めているわけではありません。範囲の広さを決めているのは、依然として相手です。
そして、明日その範囲が狭められる可能性は、契約上排除されていません。実際に狭められることは滅多になくても、排除されていないという状態そのものが、この感覚の対象です。
三つ目。「良い上司に恵まれているのに、それでも辞めたい」という状態も、同じ枠組みで説明できます。良い上司とは、渡された範囲を抑制的に使う人のことです。抑制的に使われているあいだ、負荷は小さく収まります。
ところが、抑制しているのは相手の判断であって、こちらが持っている権利ではありません。上司が替われば、同じ契約のまま運用が変わります。だから、良い上司のもとにいる期間は、構造が改善された期間ではなく、構造が優しく運用された期間です。
この違いは、感謝すべきかどうかとは別の話です。実際に楽なのだから、楽であることは事実です。ただ、その楽さは自分の側に何も蓄積しません。異動の一枚で消える性質のものだからです。
そして、この不安定さを言葉にしようとすると、「贅沢な悩み」として処理されがちです。恵まれている状態に対して不満を言っているように聞こえるからです。ところが訴えているのは待遇についてではなく、待遇が誰の裁量で決まっているかについてです。
「雇われたくない」が指す先は、「働きたくない」とずれる
この二つは、外から見ると同じに見えます。どちらも、いまの働き方から離れたいという表明だからです。
けれども、中身は逆を向いていることがあります。
「働きたくない」は、量や消耗に対する反応であることが多い。休息が効く場合があり、条件が改善すれば消えることもあります。
「雇われたくない」は、条件の改善では消えません。給与が上がっても、休みが増えても、上司が変わっても残ります。改善しているのは、渡した範囲の中の話だからです。範囲を渡しているという構造自体は、改善によっては変わりません。
だから、この二つを混同すると、対処が外れます。「雇われたくない」を「働きたくない」として扱うと、処方は休息と環境調整になります。どちらも効きません。効かないと、次に来る診断は「贅沢を言っている」です。
逆向きの混同もあります。「働きたくない」を「雇われたくない」として扱うと、処方は独立になります。消耗が原因だった場合、独立後は消耗が増えるので、状態は悪化します。
見分ける問いが一つあります。もし、いまの仕事の内容そのままで、何をどの順でやるかを全部あなたが決めてよいとしたら、その感覚は消えますか。
消えるなら、拒否されているのは受け入れの領域です。消えないなら、拒否されているのは仕事の内容か量のほうです。
この問いには、金額も休日も出てきません。決定権の所在だけを変えた場合の想像です。そして、この問いには、はっきりした答えが出やすいものです。
もう一つ、両者が同時に成立している場合もあります。量が過大で、かつ受け入れの領域が広い。この組み合わせは珍しくありません。むしろ、片方が悪化すると、もう片方も悪化しやすい関係にあります。範囲が広いほど、断れない仕事が増えるからです。
この場合、どちらから手をつけるかで結果が変わります。量から手をつけると、一時的に軽くなりますが、範囲が広いままなので戻りやすくなります。範囲から手をつけると、量も減りやすくなります。断れる状態になるからです。
つまり、順序としては範囲のほうが上流にあります。量は結果として動く変数です。
ただし、この順序には注意が要ります。範囲を狭める交渉は、雇用の内側では成立しにくいものです。範囲が明示されていないので、交渉の対象が定義できないからです。「これは範囲外です」と言うためには、範囲が書かれている必要があります。書かれていないものについては、主張する側が不利になります。
領域を作っているのは契約ではなく、関係の側である
雇用契約をやめれば、受け入れの領域は消えるのか。消えません。契約の外でも同じ構造が成立します。
独立してクライアントワークに移った場合を見ます。契約は業務委託になり、指揮命令の関係は形式上なくなります。ところが実務では、こうなりがちです。
作業内容は先方が決めます。仕様変更が入れば従います。会議の時間は先方の都合に合わせます。納品後の修正依頼にも応じます。契約書に「従う」とは書かれていませんが、次の発注が来るかどうかが、事実上の指示権として機能します。
しかも、雇用契約にあった保護は外れています。範囲が狭められたときの手続きも、途中で切られたときの補償も、原則としてありません。
つまり、この形では受け入れの領域は残り、対価として付いていた安定は減っているということが起こりえます。
一方、同じ独立でも別の形があります。先に作って置いておく形です。何を作るかは自分が決め、いつ出すかも自分が決め、額も自分が決めます。受け取る側は買うか買わないかを選べますが、内容に対する指示権は持ちません。
この二つは、独立という同じ言葉で呼ばれています。ところが、拒否されている項目に対する効き方は正反対です。
だから、「雇われたくないから独立する」という判断は、それだけでは足りません。独立の中に、受け入れの領域が残る形と残らない形の両方があるからです。形式まで決めていないと、契約書の名前だけが変わって、中身は据え置きになります。
区別はできます。その関係が終わったとき、何が手元に残るかを見ることです。
受注制作では、納品したものは相手のものになります。実績として名前は残りますが、渡したもの自体は手元にありません。関係が終われば、そこからの収入もゼロになります。
先に作って置く形では、作ったものは手元に残ります。買った人が離れても、置いたものは置いたままです。次の人が来る余地が残っている。
この差は、受け入れの領域の話と直結しています。手元に残らないものを作っているあいだは、次の依頼が来るかどうかが常に効き続けます。効き続ける限り、事実上の指示権は相手にあります。手元に残るものが増えるほど、次の依頼への依存度が下がり、指示権の実効性が薄まります。
つまり、受け入れの領域は契約の条項ではなく、依存の度合いによって決まっているわけです。契約書を書き換えても、依存が同じなら領域は同じです。
ただし後者の形は、最初から収入になるわけではありません。何も置いていない状態から始まるので、置いたものが誰かに届くまでの期間、収入はゼロです。だから、前者をやりながら後者を重ねることになります。この期間は、受け入れの領域を渡したままで進むことになります。
三つの決定権で見ると、形式は分かれる
もう少し細かく見ます。受け入れの領域は、三つの決定権に分解できます。
第一に、何をするかを決める権利。第二に、どうやるかを決める権利。第三に、できたものが良いかどうかを判定する権利。
雇用では、三つとも相手の側にあります。ただし第二については、裁量として部分的に戻されていることもあります。
クライアントワークでは、第一と第三が相手にあり、第二は自分にあります。「何を作るか」は依頼で決まり、「良いかどうか」は検収で決まる。「どう作るか」は任される。
先に作って置く形では、三つとも自分にあります。ただし、第三については補足が要ります。買われなかったという事実は返ってきます。それは判定ではありませんが、無視できる情報でもありません。判定と反応は違いますが、反応がゼロなら何かが外れているというところまでは分かります。
四つ目の位置もあります。教える形です。自分が決めた内容を、決まった相手に、決まった時間で渡す。第一と第三は自分にありますが、渡すたびに自分の時間が要るという点で、受注制作と同じ性質を残しています。
この四つ目が示しているのは、決定権の所在と、時間の拘束は別の軸だということです。決定権が全部手元にあっても、渡し方が一対一なら時間は拘束されます。逆に、決定権が相手にあっても、渡すものが一度作れば済むなら時間は拘束されません。
「雇われたくない」という感覚が反応しているのは、このうち決定権の軸のほうです。時間の軸に反応している場合、その感覚は「雇われたくない」ではなく「時間が足りない」という形で出ます。
この三つで見ると、選択肢の並べ方が変わります。職業の名前ではなく、三つの決定権がどこにあるかで並ぶからです。
そして、同じ職業の中に複数の位置があります。文章を書く仕事にも、受注制作の位置と、自分で企画して出す位置があります。設計の仕事にも、教える仕事にも、同じ二つがあります。職業を変えるより、同じ職業の中で位置を変えるほうが、実際には距離が近い。
三つを一度に動かす必要もありません。独立して動くからです。
第二──どうやるかを決める権利──は、雇用の内側でも部分的に取り戻せることがあります。手順を任される、進め方を提案する、といった形です。これは交渉の対象になりえます。
第一──何をするかを決める権利──は、雇用の内側ではほとんど動きません。何をするかを決めるのが、そもそも雇う側の権利だからです。ここを動かしたいなら、外に一本作る必要があります。
第三──良し悪しを判定する権利──は、外に一本作った時点で自動的に手元に来ます。誰も検収しないからです。だから、外に一件でも置くと、第一と第三が同時に動きます。
職業の一覧に戻ると、並んでいた職業は、この三つの決定権について何も言っていませんでした。だから一覧からどれを選んでも、位置は決まりません。選ぶべきは職業ではなく、位置のほうです。
雇用と比べるなら、安定を二つに割ってからになる
当然の反論があります。受け入れの領域を渡すことで、安定を得ているのではないか。渡すのをやめれば、安定も失うだけではないか、と。
この反論は、半分正しく、半分ずれています。
正しい部分。受け入れの領域を渡す見返りは実在します。毎月決まった額が入ること、仕事を探さなくてよいこと、社会保険の半分を負担してもらえること。これらは対価であって、恩恵ではありません。渡しているから受け取っています。
ずれている部分。安定の中身が、二種類あるという点です。
一つ目は、額の安定です。毎月同じ額が入る。これは確かに雇用のほうが優れています。
二つ目は、続くかどうかの安定です。その収入が来年もあるか、五年後もあるか。ここは、雇用が特別に有利とは限りません。会社の判断で終わりうるからです。そして終わり方は、働く側の予告なしに決まることがあります。
さらに、この二つ目には片方に固有の性質があります。雇用では、収入源が一つしかありません。相手が一社なので、切れると全額がゼロになります。取引先が複数ある形では、一つ切れても全額にはなりません。
つまり、額の変動という意味では雇用のほうが安定していて、収入源の集中という意味では雇用のほうが集中しています。同じ「安定」という語で、逆向きの性質が語られています。
渡した範囲の中では、時間の使い方も自分で決められません。これは、次の収入源を作る時間を確保しにくいということでもあります。安定を得るために渡した項目が、その安定から出る手段を作る時間を削っています。ここは構造として噛み合っていません。
反論には、もう一段の正しさもあります。独立の初期は、二種類の安定が両方とも下がるという点です。額は変動しますし、収入源も一つ──最初のクライアント──に集中します。雇用より悪い状態を、いったん通ります。
この期間を短く見積もると、判断を誤ります。実際、独立直後の収入源の集中度は、会社員時代より高くなることさえあります。一社しかない状態から始まるからです。
だから、この反論への答えは「独立すれば安定する」ではありません。「安定という語が二つのことを指しており、片方は雇用が有利で、片方は形式によって決まる」というところまでです。そして後者を改善するには、取引先を増やすか、手元に残るものを作るかのどちらかが要ります。どちらも時間がかかります。
ここで比べているのは構造であって、個々の状況ではありません。業種によっては、雇用のほうが両方の意味で安定しています。規制で守られた職域や、代替の効きにくい専門職では、雇用側の収入の継続性が非常に高い。この場合、二種類の安定を比べた結論は変わります。
受け入れの領域は、ゼロにはできない
三つの決定権を全部自分の側に持つ状態は、実務上は成立しません。
何かを他人に渡して対価を得る以上、相手の要求はどこかで入ります。買われるかどうかは相手が決めますし、相手が求めていないものは売れません。
だから、目指す状態は「誰の要求も受けない」ではありません。それは受け取る人がいないという意味なので、収入とは両立しません。
正確に言えば、違いは要求が入る順序にあります。
先に範囲を渡す形では、要求は「指示」として入ります。渡した後なので、断る前提がありません。断ることは、渡した範囲を反故にすることになります。
先に作って置く形では、要求は「反応」として入ります。作った後なので、取り入れるかどうかを判断できます。取り入れないという選択が、契約違反にはなりません。
同じ「相手の要求に応じる」でも、この二つは別の操作です。前者は義務の履行であり、後者は判断です。
そして、雇われたくないという感覚が反応しているのは、要求の存在ではなく、この順序のほうです。要求そのものが嫌なら、誰とも取引できません。ところが実際には、この感覚を持つ人でも、自分で選んだ相手の要求には熱心に応えます。
だから対処は、要求を減らすことではありません。順序を入れ替えることです。
順序が入れ替わると、同じ内容の要求でも受け取り方が変わります。
指示として来た要求は、内容の妥当性を検討する前に、応じるかどうかが決まっています。だから、内容がおかしいと思っても、その判断を使う場所がありません。使えない判断は、そのまま消耗になります。
反応として来た要求は、内容の妥当性が判断の入り口になります。三人が同じことを言っているなら、それは検討に値する情報です。一人だけが言っているなら、その一人の事情かもしれません。同じ言葉でも、扱いを変えられます。
そして、この扱いの差が、時間とともに大きな差になります。判断を使える形では、判断が上達します。使えない形では、判断そのものが摩耗していきます。何を言われても「そういうものだ」と処理するようになるのは、判断を使う場所がない期間が長かったからです。
つまり順序の問題は、いま消耗するかどうかだけの問題ではありません。数年後に判断が残っているかどうかの問題でもあります。
順序を入れ替えた形にも、固有の負担があります。外れたときに、誰のせいにもできないという負担です。
指示に従って作ったものが売れなかった場合、責任の所在は依頼側にあります。自分で決めて作ったものが売れなかった場合、その判断は自分のものです。この負担は実在しますし、軽いものではありません。
だから、順序の入れ替えは全員にとって改善だとは言えません。判断を持つことが負担として重い人にとっては、渡しておくほうが実際に楽です。渡すという選択そのものが誤りなのではありません。
問題になるのは、渡していることに気づいていない場合だけです。気づいていれば、渡す量を選べます。気づいていないと、量は運用によって決まります。
先週の作業から、三つの位置が出る
三つの決定権が、いまどちら側にあるか。これは記憶をたどるのではなく、先週の実際の作業から数えられます。
先週あなたがした作業のうち、何をするかをあなたが決めたものは何割ですか。割合を出します。ゼロに近いなら、第一の決定権は完全に外にあります。
先週の作業のうち、良し悪しの最終判定をあなたがしたものはありますか。一件でもあれば、第三の決定権が部分的に手元にあります。ゼロなら、判定は全部外です。
あなたの収入のうち、あなたが額を決めたものは何割ですか。これは第一と第三の複合です。額を決めるという操作は、何を渡すかと、それにいくらの価値があるかの両方を自分で決めることだからです。
三つとも、雇用形態を聞いていません。会社員でも、業務委託でも、同じように答えられます。そして答えは、雇用形態とは完全には相関しません。独立していても三つともゼロに近い人はいますし、会社員でも第二と第三が部分的に手元にある人はいます。
三つの割合が、あなたがいま実際にいる位置です。そして「雇われたくない」という感覚は、この割合に反応しています。契約の名前にではありません。
割合が出ても、翌月の割合は同じです。数えるという操作は、渡した範囲を狭めません。それでも数える意味があるのは、三つのうちどれが低いかで、手を付ける場所が一つに絞れるからです。
「雇われたくない」という言い方は、拒否を述べていて、状態を述べていません。だから、そこから次にすることが出てきません。「先週、額を自分で決めた収入は一件もなかった」のほうは状態を述べているので、そこから一件が出ます。
そして、その一件は、辞めなくても実行できます。位置を動かす操作は、契約を切る操作とは別のものだからです。
働くのが嫌なわけではないが、雇われたくはない。この二つが同居していたのは、感覚が矛盾していたからではありません。片方は仕事の内容を見ていて、もう片方は、その内容を誰が決めるかを見ていたからです。二つを一つの物差しに載せると、どちらかが消えます。物差しを二本持てば、同居していたことのほうが自然に見えてきます。
雇用の外へ出る方法を並べた助言も、同じ物差しの上に乗っています。あれらは外へ出る手順については正確で、出た先で三つ目の項目がどうなるかについては何も言っていません。あれらは、二つある問いのうち片方だけを引き受けていました。両方が並んで初めて、選択肢は比べられる形になります。
黙っていたのは、口に出せば稼ぎ方の話にされたからでした。三つの割合は、稼ぎ方の話にはなりません。先週の作業について答えるだけなので、辞める予定の有無も、次の当てがあるかどうかも要りません。誰に言うか、あるいは言わないままにしておくかは、割合が出たあとで決められます。
第一と第三の決定権が重なる、額を誰が決めるかという点が、どういう仕組みで相手の側に置かれるのかは単価を上げる交渉の前に、額がどう決まっているかを知るで扱っています。渡す形式の違いが収入の上限をどう決めるかは一人で稼ぐ前に知っておく、時間を売る形式の上限を、その全体の構造は労働集約型から抜け出すを入口にしてください。同じ感覚を適性の言葉で持っている場合は「会社員に向いていない」を、道徳の言葉で問われている場合は「働きたくないのは甘え」への答えを、契約を実際に切る段の話は独立したいのに動けないのは、覚悟の問題ではないを参照してください。三つの決定権が生活の側でどう効くのかは働きたくない、どうやって生きるかは、額と継続と決定権で決まるが、額・継続・途切れると決めるのは誰か、という三つの条件に分けて扱っています。






