コンセプトを言葉にしたのに、続かなくなる方へ/分析から出発すると、出てくるのは差分になる

コンセプトの作り方は、分析ではなく自分の判定基準から始まる

コンセプトが弱いことの実害は、伝わらなさとして現れるとは限りません。多くは、言い換えが始まって、続かないという形で出ます。

コンセプトは、同じ言葉を何年も言い続けて初めて相手の側に定着します。ところが、分析から導いた言葉は、言うたびに「本当にこれでよいのか」という問いを連れてきます。問いを抱えたまま繰り返すのは重い作業なので、たいてい途中で言い換えが始まります。言い換えが始まると、定着は起きません。相手の側では、毎回違うことを言っている事業者として記録されます。

以下で決着させるのは、次の三つです。案内されている手順が何を入力に取っているか。その手順から出てくる言葉が、なぜ差分の形にしかならないか。そして、順序を入れ替えるとは具体的に何をすることか。三つとも、扱う商品や業種が変わっても同じ形をしています。作り手の側の工程についての記述だからです。だから、外から書けます。

決着しないものも三つあります。あなたのコンセプトが何であるべきか、どこまで対象を絞るべきか、いつ言葉を変えてよいか。これらは書けません。判定基準は、その人が過去に下した判断の中にしかないからです。外から与えられた基準は、与えられた時点で判定装置として働きません。判定は、判定する人の側にあって初めて機能します。そして、ここで一つの型を渡せば、それを埋めた人全員が同じ形の言葉を持つことになります。差が出ない道具は、差を作る目的には使えません。

順序が入れ替わっていないことは、確信の薄さとして先に現れます。分析から導いた以上、根拠は外にあります。外にある根拠は、状況が変われば揺れます。そして揺れたとき、支える材料が手元にありません。

薄さは、外からは見えません。掲げられた言葉だけを見れば、どちらの順序で作られたものも同じ形をしています。違いが出るのは、同じ言葉を二年目に言うときです。分析発の言葉はその頃には言い換えられており、判定基準から出た言葉は、まだ同じことを言っています。そして相手の側に残るのは、後者だけです。

扱う対象は、掲げる言葉ではなく、その言葉を作る工程のほうです。流通している手順は四段でできており、そのどこにも、作り手が何を重要と考えているかは入力されていません。工程が変わらないかぎり、言葉をいくつ作り直しても、出てくるものは同じ場所に着地します。だから、直す対象は言葉の側ではありません。

ビジネスコンセプトの作り方は、四段で案内されている

ビジネスコンセプトの作り方として案内されている手順は、細部こそ違いますが、四段の骨格が共通しています。

第一段階は、現状の洗い出しです。商品やサービスがいまどういう状況にあるか、自社の強みと弱みは何か、顧客はどんな課題を抱えているか。ここで材料を集めます。

第二段階は、顧客の理解です。誰に向けたものかを定め、その人が言葉にしていない欲求——インサイトと呼ばれます——を掴みます。行動や発言を観察し、背後にある心理や動機を推測します。

第三段階は、凝縮です。集めた要素を一つのコアメッセージにまとめます。簡潔に、具体的に、独自性が伝わる形で。

第四段階は、検証です。出来上がったメッセージが伝わるかどうかを確かめます。ここで「6原則」——単純性・意外性・具体性・信頼性・感情性・物語性——が判定基準として使われます。

四段階とも、実務では機能します。とくに第一段階と第二段階は、材料を持たないまま言葉だけを捻り出す事態を防ぎます。手順そのものは有効です。

四段の入力は、それぞれ別のところから来ています。第一段階の入力は市場と自社の現状、第二段階の入力は顧客の観察、第三段階の入力は前の二つ、第四段階の入力は出来上がったメッセージ。

作り手は、材料を集める人であり、まとめる人であり、判定する人です。しかし、材料そのものの供給源としては数えられていません。

ここに手順の性質が現れています。四段は、作り手を交換可能な処理装置として扱っています。同じ市場を同じ方法で分析すれば、誰がやっても近い答えが出ます。再現性という観点では、これは長所です。ところがコンセプトに求められているものが「他と違う一点」であるなら、再現性の高さはそのまま弱点になります。

反論を一つ引き受けます。市場を無視して自分の考えだけで言葉を作れば、独りよがりになるのではないか。この懸念は正当です。そして以下で扱うのは、分析を省く話ではありません。分析を、答えを出す位置から確認する位置へ移す話です。位置が変わると、同じデータから別の答えが出ます。

四段の手順にも、正しく働く条件があります。扱っているものが、既に用途の決まった商品である場合です。何をどう改良するか、どの層に向けて言い直すかを決める場面では、材料は市場の側に揃っています。四段は、その材料を整理する道具として設計されています。条件が外れるのは、扱っているものの用途そのものを、こちらが決めなければならない場合です。一人で事業を組み立てる場面は、たいていこちらに当たります。

「コンセプトの作り方」の本が扱っているのは、伝達の条件である

第四段階で使われる6原則を、出所から確かめます。この枠組みは、何を言うかを決めるためのものではありません。

単純性・意外性・具体性・信頼性・感情性・物語性。この六つは、チップ・ハースとダン・ハースの兄弟が2007年の著書『Made to Stick』で提示した枠組みです。原著では六つの頭文字を並べて「SUCCESs」と呼ばれています。

そして、この本が扱っているのは「なぜある考えは記憶に残り、別の考えは消えるのか」という問いです。都市伝説が何十年も語り継がれる一方で、丁寧に作られた社内方針が一週間で忘れられる。その差はどこから来るのかを分解した本です。

つまり六つは、伝達と定着の条件です。同じ内容を、残る形にするか、消える形にするか。その分かれ目を記述しています。ここには、何を言うべきかは含まれていません。六つの条件は、内容が決まった後に、その内容をどう置くかを判定します。

伝わらなければ意味がないのだから、伝達の条件を先に押さえるのは合理的ではないか、という読み方があります。

どれほど的確な内容でも、残らない形で置けば残りません。伝達の条件は、そこで効いています。外れているのは、順序と分担の混同です。六つは判定の道具であって、生成の道具ではありません。判定の道具を生成の段で使うと、判定を通りやすいものが生成されます。

具体的に何が起きるか。意外性を求めれば、意外に聞こえる言い方が選ばれます。物語性を求めれば、物語の形に載る要素が選ばれます。選ばれているのは、内容ではなく形式に適合する部分です。その結果、六つの条件をすべて満たしていながら、言っていることが他と変わらないという状態が生まれます。

この状態は、検出しにくくなります。判定基準を全部通過しているからです。チェックリストが埋まっている以上、問題があるようには見えません。空欄がないことと、中身があることは別だという事実は、チェックリストの側からは見えません。

六つを使うこと自体には、何の問題もありません。内容が決まった後の判定として使えば、本来の働きをします。実際、丁寧に作られた内容が、置き方の悪さだけで消えていくことは起きます。

問題になるのは、六つが工程のどこに置かれているかです。多くの案内では、これが最終段階の検証として紹介されています。位置としては正しく置かれています。ずれが生じるのは、実務の側の事情によります。内容を決める作業には手順がなく、判定には手順があります。手順があるほうから着手するのは自然な流れです。そして判定から着手すると、判定を通る内容が逆算されます。工程の図としては正しい位置に六つが置かれていても、実際の作業の順序では先頭に来ます。

分析から出発すると、出てくるのは差分になる

分析の入力は、既にあるものです。したがって出力も、既にあるものとの関係でしか書けません。

分析とは、既存の要素を観察し、構造化する作業です。市場にある商品、競合の訴求、顧客の発言、自社の実績。構造化すると、空いている場所が見えます。誰も言っていないこと、満たされていない条件、手が入っていない領域。ここに自分を置く、というのが分析発のコンセプトの基本形です。

この置き方には名前があります。差分です。既にあるものとの差として、自分を定義しています。

差分としての定義には、二つの性質があります。

一つ目は、比較を前提にすることです。差分は、比較対象がなければ成立しません。したがって、コンセプトを説明するたびに比較対象を一緒に呼び出すことになります。「よくある○○とは違って」という説明の形は、この構造から出てきます。

二つ目は、対象が動くと自分も動くことです。空いている場所は埋まります。埋まれば差分は消えます。すると、次の空きを探すことになります。

差分としての定義が有効な局面はあります。参入の初期、まだ何者でもない段階では、既存のものとの関係で自分を説明するほうが速く伝わります。相手の頭の中にある地図を借りられるからです。分かれ目は、それを出発点として使い続けるかどうかです。借りた地図は説明の入口としては有効ですが、事業の重心をそこに置くと、地図が変わるたびに重心も動きます。

そして差分の言葉は、蓄積しません。「よくある○○とは違う」と何年言い続けても、その言葉から何かが積み上がることはありません。積み上がるのは、比較対象の側の存在感です。説明のたびに、相手の名前を出していることになるからです。

受け取る側でも、別のことが起きます。差分の言葉は、比較の構えを呼び出します。「よくある○○とは違って、うちは△△です」と言われた相手は、まず「よくある○○」を思い出し、それと目の前のものを並べます。並べた時点で、判定は比較の枠の中に入ります。そして比較の枠に入ったものは、最後には価格で決着しやすくなります。

つまり、価格競争を避けるために作ったはずのコンセプトが、説明の形式そのものによって比較を呼び込むことが起きます。中身がどれだけ独自でも、置き方が差分なら、受け取られ方は比較です。言っていることと、言い方が要求している処理が、逆を向いています。この枠がどう働くかは競合分析をやめるという選択で分解しました。

インサイトとして掴めるのは、既にある欲求である

第二段階の顧客理解にも、同じ構造が働きます。観察から導ける対象は、現に存在しているものに限られるからです。

インサイトを掴むという作業自体は、有効です。買い手が口にしている言葉と、実際に求めているものは、しばしば一致しません。表面の要望の下にある動機を掴めば、外れた提案は減ります。

ただし、掴めるのは既にその人の中にある欲求です。ここが、コンセプトに求められているものとずれます。コンセプトが提示するのは、何を重要と見るかという枠です。枠が変わると、それまで欲求として意識されていなかったものが立ち上がることがあります。この立ち上がりは、観察の対象になりません。まだ存在していないからです。

存在していない欲求を作り出すというのは、押し付けではないか、という読み方があります。

作り出すという言い方をすると、そうなります。ただし実際に起きているのは、作り出すことではありません。既にあったのに、名前がなかったために意識されていなかったものが、名前を得て見えるようになる過程です。

違いは、言われた側の反応に出ます。押し付けられたものは、言われた瞬間に抵抗が生まれます。名前を得たものは、「それが言いたかった」という形で受け取られます。後者は、その人の中に既にあったことの証拠です。

この違いは、作り手の側からは事前に判定できません。名前を出してみて、返ってくる反応でしか分かりません。事前に判定できると考えると、押し付けの側に踏み込みやすくなります。

そして、インサイトの精度を上げるほど、コンセプトは現状の要約に近づきます。観察が正確なほど、出てくるのは「いま買い手が思っていることの正確な記述」になるからです。正確な記述は共感を得ますが、位置を動かしません。

共感には、もう一つの働きがあります。「まさにその通りだ」という反応は、理解されたという満足をその場で返します。満足が返ってしまうと、次の行動への必要が下がることがあります。

副作用としては、母集団の側に限界が出ます。観察の対象は、いま来ている人に限られます。まだ来ていない人、その方法の存在を知らない人は、観察の母集団に入りません。すると、インサイトを精緻にするほど、いま来ている層の輪郭が濃くなります。濃くなった輪郭に合わせて言葉を調整すると、その層により深く届き、その層の外にはより届かなくなります。この動きは、短期の反応としては常に良い数字を返します。数字が良いので、方向として疑われることがありません。

順序を入れ替える——先に置くのは、自分の判定基準

入れ替えるとは、分析より先に、自分が何を重要と考えているかを言葉にすることです。

これは「好きなことをやる」という話ではありません。好みは、判定に使えないからです。使えるのは、判定基準の形をした言葉です。判定基準の形とは、次の二つを満たすものを指します。

第一に、それによって何かが落ちること。何を重要と見るかを定めると、重要でないものが確定します。全部が重要だと言っている基準は、何も判定しません。

第二に、具体的な場面に当てられること。「誠実であること」は、そのままでは当てられません。「相手が判断できるだけの材料を渡す。渡さずに済ませるほうが売れる場面でも渡す」なら当てられます。当てられるかどうかは、その基準に反する具体的な行為を挙げられるかで確かめられます。

自分の価値観から始めると、市場に無関係なものができてしまうのではないか、という懸念があります。これは、順序の問題を段階の省略と読んだ場合に起きます。分析を省くとは言っていません。順序を変えると言っています。

自分の判定基準を先に置くと、次に分析が来ます。ただし分析の目的が変わります。「空いている場所を探す」ではなく、「この基準を必要としている人がどこにいるか」を探す分析になります。入力は同じ市場データですが、問いが違うので、出てくる答えも違います。

この順序には、着手が遅くなるという代償があります。判定基準を言葉にする作業には、材料集めのような明確な手順がありません。何日で終わるという見通しも立ちません。手順のない作業は、手順のある作業に押しのけられます。だから、分析から始める順序のほうが、実際には選ばれやすくなります。

もう一つ、検証しにくさが伴います。判定基準が正しいかどうかを、事前に確かめる方法がありません。分析発のコンセプトなら、データとの整合で一定の妥当性を主張できます。市場規模、競合の数、検索の量。数字が根拠として並びます。判定基準にはそれがありません。

だから、この順序を採ると、確からしさの感触が薄いまま進むことになります。感触の薄さは、しばしば「まだ考えが足りない」と読まれます。読み違えると、裏づけを求めて分析に戻り、そこで出てきた数字に基準を合わせ直すことになります。合わせ直した時点で、順序は元に戻っています。

なお、判定基準そのものは、頭の中を探しても出てきません。過去に自分が下した判断の中に、既に埋まっています。どういう記録から何を取り出すかは世界観の作り方で扱っています。

判定基準は、整形した瞬間に判定に使えなくなる

抽出された基準は、たいてい格好の悪い形で出てきます。そして、格好を整えると判定機能が落ちます。

実際に出てくるのは、この種の言葉です。「相手に判断させないやり方が嫌だ」「決めてほしいと言われるのが苦手だ」「同じ説明を毎回するのが耐えられない」。理念として掲げられるような形はしていません。

ここで、多くの場合、整形が始まります。格好の悪い言葉を、外向きに使える言葉に直す作業です。「相手に判断させないやり方が嫌だ」は「顧客の主体性を尊重します」になります。

言い直した瞬間に、その言葉は判定の役に立たなくなります。「顧客の主体性を尊重します」に反する具体的な行為は、ほとんど挙げられないからです。基準の第二条件——反する行為を挙げられるか——を、整形後の言葉は満たしません。

なぜ抽象度を上げると当てられなくなるのか。心理学者のロビン・ヴァラチャーとダニエル・ウェグナーは、人が自分の行為をどの水準で捉えているかを扱った枠組みを示しています(Vallacher & Wegner, 1987, Psychological Review, 94(1), 3–15)。同じ行為が、細かい動作としても、目的や意味としても記述できる。そして高い水準の記述は意味を持つ一方、どの具体的な動作がそれに当たるかは一意に決まりません。この枠組みが扱っているのは個人の行為の捉え方であって、事業の理念文言を対象にした研究ではありません。ここで借りているのは、記述の水準が上がると具体的な行為との対応が緩むという一点だけです。

だから整形の前後で、言葉の意味は保たれていても、判定の機能だけが落ちます。「格好の悪さ」は、その言葉が具体的な場面に接地している証拠でもあります。接地を外すと、判定機能が一緒に外れます。

外向きの言葉が要らない、という話ではありません。要るのは、二つを別々に持つことです。判定に使う言葉は接地したまま手元に置き、外向きの言葉はそこから起こします。一つにまとめようとすると、外向きの側に寄りやすくなります。外向きの言葉は、人に見せる場面が毎日あるからです。

判別は一つで付きます。いま掲げている言葉に反する行為を、三つ挙げてみることです。挙がらなければ、それは外向きの言葉であって、判定基準ではありません。挙がるなら、その三つが、そのまま断る理由の原型になります。

一つの言葉へ凝縮する段で、何が落ちるか

第三段階の凝縮には、必ず損失が伴います。そして落ちるものの種類は、決まっています。

企画のコンセプトを作る場面でも、事業全体のコンセプトを作る場面でも、最後に一文へまとめる作業が来ます。この作業で残るのは、多くの人に当てはまる部分です。落ちるのは、条件付きの部分——どういう場合には当てはまらないか、誰に向いていないか——のほうです。

理由は、凝縮の判定基準にあります。短く、伝わりやすく、覚えやすい形が良いとされる以上、限定は削られます。限定は文を長くし、勢いを削ぎ、覚えにくくします。判定を通すには、外すのが正解になります。

そして、削られた限定こそが、判定基準の本体です。基準が成立する第一の条件は、それによって何かが落ちることです。落ちる側を削った言葉は、何も落としません。凝縮の工程は、構造的に、基準から判定機能を抜く方向へ働きます。

凝縮そのものを外す必要はありません。一文がなければ、そもそも人の記憶に残りません。必要なのは、一文と、その一文が省略したものを、別々に持つことです。

具体的には、二段で持ちます。外に出す一文と、その一文の後ろに置く「これには当てはまらない場合」の記述です。後者は、掲げる場所には出しません。問い合わせへの返信、提案の前段、断るときの説明——相手が判断する場面でだけ使います。

二段で持つことには、費用が伴います。書く量が増えるからです。一文だけを持っている状態に比べて、毎回の説明が長くなります。ここを嫌って一文へ寄せると、限定が失われた状態に戻ります。戻ったことは外からは見えません。言葉は前と同じで、後ろに置いていたものだけが消えるからです。

もう一つ、凝縮の段で起きやすいことがあります。一文を先に作って、そこから逆算して基準を書き直してしまうことです。一文が良くできているほど、この誘因は強くなります。判定の順序としては、基準が先で、一文が後です。逆にすると、格好を整える段で起きたことが、一段大きな単位で起きます。

限定を後ろに持つ形が有効なのは、相手が判断する場面が実在する取引に限られます。目の前で説明する機会がなく、掲げた一文だけで選ばれる形式——たとえば一覧に並んで比較される形式——では、後ろに置いたものは誰にも届きません。この場合、限定は一文の中に入れるしかなく、その代償として文は長くなります。どちらを取るかは、どこで選ばれているかで決まります。

分析は捨てない。答えを出す立場から、確認する立場へ移す

分析をやめるという話ではありません。分析が答えを出す立場から、確認する立場へ移るだけです。

分析は、三つの場所で必要です。

判定基準を必要としている人がどこにいるかを見つける段階。基準を言葉にしただけでは、届け先が分かりません。誰がその基準に反応するかは、観察でしか分かりません。

その基準が既に誰かに占められていないかを確かめる段階。同じことを言っている人が既に大きな位置を占めているなら、同じ言葉で入るのは不利になります。言い方の問題ではなく、順番の問題です。

伝達の形を整える段階。ここで6原則が本来の位置に戻ります。内容が決まった後、それを残る形にするための判定として使う。本来の用法です。

三つの場面は、分析の入力が同じです。変わっているのは立場だけです。

結局は分析するのだから、順序を変えても同じ場所に着地するのではないか、という読み方があります。着地は違います。理由は、捨てる基準が違うからです。

分析から始めると、捨てる基準は「勝てるかどうか」になります。競合が強い領域は避け、空いている領域を採る。自分が何を重要と考えているかは、この判定に入りません。

基準から始めると、捨てる基準は「その基準に合うかどうか」になります。空いていても、基準に合わなければ採りません。採らないという判断が、事業の輪郭を作ります。

後者では、取りこぼしが発生します。空いていて、勝てて、しかし基準に合わない領域は放置されます。放置している間に、他の誰かが取ります。この取りこぼしを見て順序を戻すと、また分析発に戻ります。

取りこぼしの見え方には、非対称があります。採らなかった領域で他人が成功する様子は、はっきり見えます。採ったことで生じた蓄積は、内側にしか現れません。見えるものと見えないものを並べて比べると、見えるものが重く出やすくなります。

基準に合わないものを一つも採ってはならないわけではありません。時期によっては、基準の外にある仕事で手元を支える必要があります。それ自体は、順序の破綻ではありません。破綻するのは、基準の外にある仕事を、基準の内側にあるかのように説明し始めたときです。説明を合わせると、外向きの言葉が実態から離れます。離れた言葉は、次の判断でも使われます。そこから先、基準は判定装置として働かなくなります。採ることと、採ったものを基準の内側だと言うことは、別の行為です。

基準が働いたかどうかは、断られ方に出る

働いているかどうかは、覚えてもらえたかどうかには現れません。現れるのは、相手が断るときの言い方と、自分が迷う回数です。

一つ目は、相手が使う言葉です。こちらが出した言葉が、相手の説明の中に現れるかどうか。紹介されるときに、こちらの言葉で紹介されているかどうか。現れていれば、枠が渡っています。

二つ目は、断られ方です。基準が働いていないとき、断りは条件の話になります。値段、時期、規模。働いているとき、断りは「うちには合わない」という形になります。合わないという判断は、こちらの基準を理解していなければ下せません。

三つ目は、こちらが判断に迷う回数です。基準が言葉になっていると、受けるか断るかの判断が速くなります。迷いが減っていないなら、基準はまだ判定に使える形になっていません。

三つとも、外向きの効果より先に内向きの効果が出るという順序になっています。判断が速くなる、断る理由を言葉にできる、同じ説明を繰り返せる。これらは全部、相手に何かが伝わる前に起きます。コンセプトは、まず作った本人の判定装置として働き、その働きが外から観察された結果として、相手の側の枠になります。だから、外向きの反応が返ってこない時期に見るべきなのは、伝え方ではなく、自分の判断が変わったかどうかのほうです。

そして、基準を出した直後には、反応が減ります。判定基準を明示すると、その基準に合わない人には、合わないことが伝わるからです。伝われば、離れます。これは失敗と区別がつきにくい形で現れます。問い合わせの数が減るという、同じ形をしているからです。見分ける材料は、残った側の変化にあります。数が減ったのに、話が早くなっているか。前提の確認から始めなくてよくなっているか。

どこまで絞れば十分か、何か月で言葉が返ってくるか。この二つは、数で答えるとかえって壊れます。とくに絞りの側に数を与えると、絞ること自体が目的になります。基準から絞りが出てくるのではなく、決めた絞りに合う基準を後から書くことになります。この記事が入れ替えた順序が、そこで元へ戻ります。

コンセプトはなぜ弱くなるのか。答えは表現力の側にありません。手順が分析から始まっており、分析の出力は既にあるものとの差にしかならず、差として置かれた言葉は、繰り返し使うだけの根拠を持ちません。そして根拠のない言葉は、言い換えられます。コンセプトの強さとは、言葉の出来ではなく、その言葉を何年も言い続けられる理由が手元にあるかどうかです。理由は、市場の側からは供給されません。

次に言葉を書き換えるとき、確かめられることが一つあります。その言葉に反する具体的な行為を、三つ挙げられるか。挙がるなら、それは判定に使える基準です。挙がらないなら、まだ外向きの言葉であって、判断を速くする働きは持ちません。挙げた三つは、そのまま断る理由として使えます。

なお、判定基準を自分の側に置くという操作そのものは決断できないのは性格ではなく、判断を手渡してきた構造の帰結で分解しています。基準を先に出したときに値がどう動くかは価格設定を原価から始めないで扱いました。

順序の入れ替えは、価値の源泉を自分の側へ戻す作業の一部にあたります。作業の全体は価格競争から降りるで概観しています。

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