例えを聞いた読み手の頭の中では、見た目ではなく、関係の当てはめが起きています。
読み手は、例えとして出された題材について自分が持っている記憶を呼び出します。呼び出した記憶の中には、その題材にまつわる関係が入っています。入ってくる、溜まる、漏れる。蒔く、待つ、生える。その関係を、説明された内容へ当てはめる——これが読み手の側で起きている動作です。
例え話は普通、置き換えとして説明されます。難しい内容を、身近なものに置き換える。相手が知っているものに寄せる。この言い方には一つの前提が入っています。伝えたい内容が先にあって、それを別の見た目に着せ替えている、という前提です。中身は同じで、外側だけが変わる。
着せ替えは起きていません。読み手が当てはめているのは見た目ではなく関係なので、例え話の良し悪しを決めているのは身近さではありません。読み手が持っている関係と、伝えたい関係が一致しているかどうかです。身近でも関係が違えば、読み手は正確に、誤って理解します。
本文で扱えるのは、次の三つです。一つ目は、写されているのが属性ではなく関係だという事実が、例えを選ぶ基準を何に変えるか。二つ目は、身近な題材が持ち込む余分な含意が、どこから来るのか。三つ目は、どの例えにも残る「写されない部分」を、書いてしまうことで何が起きるか。
答えの出ないものも、先に書いておきます。一記事に例えをいくつまで入れてよいか、何行使ってよいか——ここに数は書けません。扱う構造の段数と、読み手が既に持っている前提の量で変わるからです。
実害の在り処を書いておきます。関係のずれは、伝わらなかったという形では現れません。読み手は理解した、と言います。実際に理解しているからです。理解した内容がこちらの意図と違う、という状態は、伝わらなかった状態より検出が難しくなります。伝わらなければ質問が来ますが、別のものが伝わった場合、質問は来ません。
そして、ずれた例えほど長く生き残ります。反応が良いので、書き手はその例えを繰り返し使うようになるからです。使うほどその例えは自分の説明の骨格になり、骨格になったものは検討の対象から外れます。
先に断っておくと、例え話をやめたほうがよいという話ではありません。読み手が像を持てるようにする手段として、これに代わるものはほとんどありません。扱うのは、像が立ったあとに何が残るかのほうです。
📖 目次
例え話が上手い人は、何を選んでいるとされるか
例えの選び方として挙げられる助言は、五つに集まります。
まず、単純であること。例え話そのものに長い前置きが要ったり、内容が込み入っていたりすると、説明を説明する状態になります。例えのほうが難しくなっては、役割を果たしません。
次に、聞き手の知識を考慮すること。相手がその題材を知っているか。予備知識がなくても通じるか。この確認を飛ばすと、例えが通じないまま話が進みます。
三つ目に、万人に通じる表現を選ぶこと。特定の趣味や業界に限られた題材は、知っている人には強く効きますが、知らない人には何も伝わりません。
四つ目に、身近な題材を使うこと。料理、乗り物、家、学校といった、多くの人が経験している領域に置き換えると、相手が自分に引き寄せて考えられる、という説明です。
五つ目に、実際に使ってみること。うまく伝わらないと感じたときに、例え話で単純にできないかを考える癖をつける。最初は失敗してもよいから口に出す、という助言です。
五つはどれも当たっています。例えが複雑では役に立ちませんし、相手が知らない題材では通じません。身近な領域のほうが呼び出せる記憶が多いのも事実です。見慣れない語が見慣れた場面に置き換われば、それだけで読み進めやすくなります。入口を作る効果は確実にあります。
五つの底には、共通した一つの見方が敷かれています。例え話は、難易度を下げる操作として整理されています。難しいものを、易しいものへ下ろす。上から下への一方向の変換です。
難易度の問題として整理し切ると、易しくなりさえすれば正しく伝わるという前提で話が進みます。伝える内容の側は変わらない、という前提です。
易しくなった分だけ、内容が変わっていることがあります。置き換えた題材が持っている関係が、元の内容とは違う関係だった場合、読み手は易しく、そして違うものを受け取ります。「伝わらなかった」ではなく「別のものが伝わった」という結果は、易しさの指標では検出できません。
この見方は、上手さの測り方にも効いてきます。例えが上手いかどうかは、聞き手の反応の速さで測られることになります。速く反応が返る例えは、読み手の記憶に強く当たった例えですが、当たった記憶が正しい関係を持っていたかどうかは、速さには現れません。
結果として、上達の方向が題材の在庫のほうへ向きます。使える題材を増やす、身近な場面のストックを持つ、という形です。在庫が増えれば当たる確率は上がりますが、当たった先で何が一緒に運ばれるかは、在庫の量とは無関係です。
「わかりやすい」と「同じ構造である」は別のことである
二つの基準が混ざっています。わかりやすさは読み手の負担の話で、正しさは関係の一致の話です。
売上が伸びない状態を説明するのに、「穴の開いたバケツに水を注いでいるようなものです」と言ったとします。わかりやすい例えです。バケツも穴も水も、誰でも知っています。
この例えが運んでいる関係は、入ってくる量と、失われる量があり、失われる量を減らさないと溜まらないというものです。もし説明したい内容が「新規の獲得より既存の離脱のほうが大きい」であれば、関係は一致しています。
一致していない場合を考えます。説明したいのが「そもそも注いでいる先がバケツではなく、他人の容器である」だったとします。このとき穴の例えは、読み手を穴の側へ向かわせます。読み手は離脱率を下げる方法を考え始めます。容器が誰のものかという問いは、例えの中に存在しないので、立ち上がりません。
その場合は別の例えを使えばよいだけではないか、という向きに寄ると、判定そのものが抜け落ちます。問題は、例えを選ぶ時点で「わかりやすいか」だけを見ていると、この不一致が判定されないことです。穴の開いたバケツは、どちらの場合もわかりやすいままです。わかりやすさの基準では、両者を区別できません。
求める一致の度合いには、上限があります。一致を求めすぎると、例えが使えなくなります。求めるのは完全な一致ではなく、伝えたい関係が一致していることと、一致していない部分を書き手が知っていることまでです。後者を、残余の把握と呼びます。
わかりやすい例えほど、修正が効きません。読み手の中に像がしっかり立ち上がるので、後から「そうではなく」と説明を足しても、最初の像が残ります。弱い例えのほうが、後から訂正できます。
この上限には、逆側の条件も付きます。一致していない部分を書き手が知っていても、それを読み手に渡さなければ、知っている意味がありません。知っているだけの残余は、書き手の安心にしかなりません。渡す形にする手順は、残余を先に書いてしまうことです。
そして、この不一致は反応にも現れません。読み手は「わかりました」と言います。実際に、わかっているからです。伝わらなかった場合は、質問が来ます。質問が来ないまま、こちらの意図と違う行動が起きているときに、この不一致を疑うことになります。質問の少なさは、伝わったことの指標にはなりません。
写されているのは見た目ではなく、関係である
なぜ見た目の似ている例えが効かないことがあるのか。写されているものが見た目ではないからです。
ゲントナーは1983年に、比喩や類推において写像されるのは対象の属性ではなく、対象どうしの関係であると定式化しました(Gentner, 1983, Cognitive Science, 7(2), 155–170)。原子と太陽系の対応が理解を助けるのは、球体が似ているからではなく、中心と、その周りを回るもの、という関係が共通しているからだという説明です。
この論文は、類推の処理を説明する理論的な枠組みの提示であり、例え話の効果を実務の場で測った報告ではありません。取り出せるのは、選ぶ基準を属性から関係へ移すという方向です。
方向が移ると、作業が変わります。似ているかどうかを見るのではなく、関係の並びが同じかどうかを見ることになります。
先の例で言えば、バケツと事業は見た目が全く似ていません。それでも通じるのは、「入る/溜まる/漏れる」という関係の並びが共有されているからです。逆に、見た目の近い領域から取ってきた例えでも、関係が違えば通じません。
実務での使い方は単純です。伝えたい内容を、まず関係の形で書き出します。「AがBを決めていて、Bは見えないが、見えているのはCである」という具合です。そのうえで、同じ関係の並びを持つ場面を探します。
良い例えは自然に浮かぶのではないか、という感覚はあります。浮かぶ場合はあります。ただし、浮かんだ例えが正しいかどうかは、この手順を踏まないと判定できません。浮かびやすい例えは、既に流通している例えであることが多く、流通しているということは、別の内容のために作られたということです。
一致の程度にも幅があります。三つの要素のうち二つが対応していれば使える場面もあれば、一つずれただけで誤解を生む場面もあります。判定は、ずれている一つが読み手の行動を変えるかどうかで行います。
この定式化には、もう一つの含意があります。関係が写されるということは、題材の分野が遠いほうが、かえって効くことがあるということです。分野が近いと、読み手は関係ではなく属性のほうを見比べ始めます。
原子と太陽系が例として強いのは、両者の属性が何一つ似ていないからでもあります。似ていないので、共通しているものが関係しかありません。読み手は関係だけを取り出すことになります。
関係の形で書き出そうとすると、書き出せないことがあります。これは例えが見つからないのではなく、伝えたい内容そのものが関係として整理されていないということです。この場合、例えを探す作業は先に進みません。
身近な題材が、かえって誤解を作ることがある
身近さには利点と、それと同じ大きさの欠点があります。
利点は、呼び出せる記憶が多いことです。料理や引っ越しの話は、多くの人が実際に経験しています。だから像が立ち上がりやすくなります。
欠点は、呼び出される記憶が多すぎることです。書き手が使いたかったのは一つの関係だけですが、読み手の記憶にはその題材に関する経験が全部入っています。書き手が意図していない部分まで、一緒に呼び出されます。
事業の立ち上げを「種を蒔いて育てる」と例えたとします。運びたかった関係は「時間差がある」ということだけだったとします。
しかし読み手が呼び出す園芸の記憶には、他の要素も入っています。蒔けばいずれ生えるということ。世話をすれば育つということ。季節が決まっているということ。これらが一緒に運ばれます。
結果として、「続けていればいずれ実る」という含意が、書き手が言っていないのに伝わります。実らない場合があるという情報は、園芸の記憶の中で優先度が低いからです。
読み手がそこまで細かく受け取るだろうか、という疑いが立ちます。細かく受け取ってはいません。受け取っているのは全体の雰囲気で、その雰囲気に含意が乗っています。明示的に受け取ったものは検証されますが、雰囲気として受け取ったものは検証されません。だから、こちらのほうが残ります。
身近な題材を避ける必要はありません。呼び出せる記憶が無ければ、そもそも像が立ちません。扱いが要るのは、身近な題材が持ち込む余分な含意のほうです。
身近な題材ほど、書き手も無意識に選んでいます。選んだ理由を説明できないまま使っていることが多く、そのため、何が一緒に運ばれたかにも気づきません。
身近さの範囲が書き手の生活で決まる、という問題もあります。自分にとって身近なものは、読み手にとっても身近だと感じられます。この推定は、しばしば外れます。
判定は、その題材について自分が説明なしに語れるかどうかでは行えません。語れるのは、自分が知っているからです。確かめられるのは、その題材が読み手の属性と無関係に経験されるものかどうか、という点だけです。通勤、支払い、待ち時間はそれに近く、育児、運転、楽器はそうではありません。
そして、外した場合の症状が出ません。題材が通じなかった読み手は、質問せずに離れます。離れた事実は、書き手の側に返ってきません。返ってこないので、その題材は次の記事でも使われます。外れた題材は、外れたまま在庫に残ります。
例え話には必ず、写されない部分が残る
完全に一致する例えは存在しません。一致していれば、それは例えではなく同じものです。
したがって、どの例え話にも、対応しない部分が必ず残ります。問題は残ること自体ではなく、残った部分がどこかを書き手が把握していないことです。
先の園芸の例で言えば、対応しない部分は「蒔いたものは基本的に生える」という点です。事業では、生えないことが珍しくありません。ここが対応していません。
バケツの例で言えば、対応しない部分は「バケツは自分のものである」という点です。プラットフォームの上で発信している場合、容器は自分のものではありません。ここが対応していません。
残余を特定する方法は単純です。その例えについて成立している事実を四つ挙げ、同じことが説明したい内容でも成立するかを一つずつ確かめます。成立しないものが残余です。
そこまでやると手間のほうが大きいのではないか、という懸念が立ちます。一度書き出せば済みます。同じ例えを繰り返し使うのであれば、確認は最初の一回だけです。
残余が無害な場合もあります。読み手がその部分に注意を向けない題材であれば、実害は出ません。判定は、残余が読み手の判断を変えるかどうかです。変えないなら、放置してよい残余です。
書き出す対象は、例えの側からにします。説明したい側から書き出すと、既に対応させたつもりの項目しか出てきません。例えの側に含まれていて、こちらが意識していなかった要素を拾うことが目的だからです。
残余を特定すると、その例えを使えなくなることがあります。中心的な関係のほうがずれていたと分かる場合です。これは損失ではなく、使う前に誤解を防いだということです。
書き出す作業には、上限もあります。残余は原理的にはいくらでも挙げられるので、四つで止める線をどこかに引くことになります。線を引く基準は一つで、読み手がその題材について注意を向ける範囲までです。園芸の例で「土壌の酸度」まで挙げる必要はありません。
書き出す過程で主張が変わることもあります。残余を四つ並べたとき、そのうちの一つが「実は自分が言いたかったのはこちらだった」という位置に来ることがあります。
これは例えの側から内容が修正された、ということです。例え話が理解の補助にとどまらず、思考の道具として働いた形です。ただし、この働きは残余を明示的に書き出したときにしか起きません。書き出さなければ、残余は書き手の視野に入らないままです。
残余を先に書くと、例え話は道具になる
残余を把握したあと、書き手には二つの選択肢があります。黙っておくか、書いてしまうかです。
書いてしまうほうが、多くの場合に強くなります。「この例えは、ここまでは同じですが、この一点だけが違います」と明示すると、読み手はその一点に注意を向けます。注意が向いた一点は、記憶に残ります。
バケツの例へ戻ります。穴の話をしたうえで、「ただし事業の場合、そのバケツは自分の敷地に置かれているとは限りません」と続けたとします。この一文で、話の中心が漏れから所有へ移ります。例えが、主張の踏み台として働いた形です。
残余を明示することは、例えの弱さを認める行為ではありません。例えの限界を示すことが、そのまま主張の位置を示すことになります。
限界を言うと説得力が落ちるのではないか、という懸念には条件が付きます。落ちるのは、例え話を根拠として使っている場合です。例えは根拠になりません。関係が似ているという事実は、内容が正しいことの証明にはならないからです。例えの役割は、読み手が像を持てるようにすることであって、主張を支えることではありません。
根拠として使っていないなら、限界の明示で失われるものはありません。失われるとしたら、それは根拠として使っていたということです。
全ての残余を書く必要もありません。書くのは、読み手の判断を変える残余だけです。それ以外を全部書くと、例えより注記のほうが長くなります。
残余を書く癖がつくと、例えを選ぶ段階が変わります。後で残余を書くことが分かっているので、残余の少ない例えを最初から探すようになります。これは意識してやることではなく、結果としてそうなります。
読み手との関係も変わります。限界を先に開示する書き方は、読み手に判断の材料を渡す形になります。渡された側は、その例えを自分の状況へ当てはめるとき、どこまで当てはまるかを自分で判定できます。
開示にも代価はあります。限界を書いた分だけ、例えの一撃は弱くなります。読み手の中に立つ像が、留保つきの像になるからです。選ぶのは、強い像を渡すか、判定できる像を渡すかです。判断を読み手に残す文章では、後者を採ることになります。
限界を隠したまま渡すと、この判定ができません。読み手は例えをそのまま持ち帰り、当てはまらない場面で使って、うまくいかない理由が分からない状態になります。このとき失われているのは、読み手の側の判断の余地です。例えは像を渡す道具であって、判断を代わりに下す道具ではありません。
浮かばないのは例えではなく、写す関係の形である
「うまい例えが浮かばない」という状態で欠けているのは、題材の在庫ではありません。探す条件のほうです。
条件というのは、伝えたい内容を関係の形へ直したもののことです。たとえば「AがBを決めている」という形が決まっていれば、同じ形の場面を探すことができます。
形が決まっていないと、探しようがありません。何に似ているものを探せばよいかが定まらないからです。この状態で例えを探すと、題材の側から先に思いついたものを当てはめることになります。
当てはめると、うまくいかないことがあります。題材が持っている関係のほうに、内容が引っ張られるからです。書いているうちに、最初に言おうとしていたことと違うことを言っている、という結果になります。
処方は、順序を戻すことです。例えを探す前に、伝えたい内容を関係の形で一行書きます。これができれば、探索は具体的な作業になります。できなければ、例えの問題ではないので、内容の整理へ戻ります。
関係の形にできない内容もあります。感覚そのものを伝えたい場合や、特定の質感を伝えたい場合です。この場合に使われるのは例えではなく描写で、必要なのは関係の一致ではなく、読み手が同じ種類の記憶を持っていることです。
一行で書けなくても書き進められる場合はあります。書いているうちに構造が見えてくることは実際に起こります。ただしその場合、例えは書き終わってから当てることになります。
関係の形で書けたとき、例えが不要になることもあります。一行で言えているなら、そのまま書けば通じるからです。例えが要るのは、関係が複数の段にまたがっていて、一行では並べられないときです。
探す範囲も狭くなります。条件が決まると、当てはまらない題材が早く落ちます。思いつきを一つずつ吟味する作業が、条件に合うものを探す作業に変わります。
そして、条件が決まっていれば、思いつかなかったときに諦める判断もできます。探しても見つからないなら、その関係は例えでは運べないということです。このとき取る手は、無理に例えを当てることではなく、関係を分解して段ごとに書くことです。分解して書ける関係は、例えが無くても伝わります。
この判断には、費用の側の利点もあります。浮かばない例えを探し続ける時間は、上限が見えません。条件が決まっていれば、探索を打ち切る地点が決まります。打ち切ったあとに残るのは、段ごとに書くという別の手です。
使いすぎると、主題が例えの側へ移る
例え話には、量の問題があります。一つの説明に複数の例えを重ねると、読み手の注意が題材の側に移ります。
ある説明の中で、園芸の例え、バケツの例え、建築の例えが順に出てきたとします。読み手は三つの領域の記憶を順に呼び出すことになります。呼び出しには負荷がかかり、負荷がかかった分、元の内容への注意が減ります。
さらに、三つの例えは互いに整合しません。園芸は時間差を、バケツは漏れを、建築は順序を運びます。読み手の中で、三つが一つの像に統合されることはありません。
結果として残るのは、説明が丁寧だったという印象と、内容の断片です。印象は残り、関係は残りません。
複数の側面があるなら複数の例えが要るのではないか、という向きには線が引けます。側面ごとに例えを変えるのは正しい判断です。問題は、同じ一つの関係を説明するために例えを重ねる場合です。一つ目で通じなかったから二つ目を出す、という使い方がこれに当たります。
通じなかった場合に要るのは、別の例えではありません。一つ目の例えのどこがずれていたかを特定して、そこを直すか、例えを外して直接書くかです。重ねると、ずれが二つになります。
同じ例えを記事の中で繰り返し参照するのは、重ねることではありません。一つの例えを軸にして、複数の論点をその上に載せる形は、むしろ関係を保ちます。
重ねてよい場合もあります。同じ関係を、異なる読み手の層に向けて並べる場合です。この場合は、並べていることを明示します。「別の言い方をすると」と断れば、読み手はどちらか一方を選んで受け取れます。
重ねているかどうかは、書き手には判定しにくいものです。読み手の負荷は自分の側に返ってこないからです。判定できるのは形の側で、同じ一つの関係に二つ以上の題材が当たっていれば、重ねています。側面が二つあるなら、二つの関係が書き出せているはずです。
例えが強すぎると、その例えのほうが記憶されます。読み手が後日その内容を人に説明するとき、例えだけを再現し、元の主張を再現できないことがあります。この場合、伝わったのは題材であって内容ではありません。
書き手の側にも同じことが起きます。強い例えを一度作ると、その後の説明がその例えの枠内で組み立てられるようになります。枠の外にある論点が、扱いにくくなります。主張が例えに合わせて縮む、という順序の逆転です。この逆転は、書き上がったものを読んでも見つかりません。書かなかった論点は、原稿の上に現れないからです。
使おうとしている例えが読み手をどこへ送るかを、出す前に読む
確かめ方は三つで、どれも例えを出す前に済みます。
第一の確認は、例えの側で成立することを四つ書き出し、説明したい側でも成立するかを見ることです。
成立しなかった項目が、残余です。それがゼロなら、それは例えではなく同じものを言い換えただけです。残余が三つ以上あるなら、中心の関係も一致していない可能性があります。一つか二つが、扱いやすい範囲です。
第二の確認は、例えを外して同じ主張が書けるかを見ることです。
書けるなら、例えは理解の補助として働いています。書けないなら、主張の根拠として例えを使っています。これは危うい状態で、読み手が例えを受け入れなかった時点で主張が崩れます。
第三の確認は、その例えから読み手が取りそうな行動を書き出すことです。
バケツの例えなら、読み手は漏れを塞ごうとします。それが自分の言いたいことと一致しているかを見ます。一致していなければ、例えが読み手を別の方向へ送っています。この確認は、書き手が意図した内容ではなく、例えが持っている含意のほうを見るので、最も検出力があります。
この三つに、わかりやすさは入っていません。わかりやすさは例えが機能する条件であって、機能したことの証拠ではないからです。
三つが届かない先もあります。読み手が持っている記憶の中身までは確かめられません。同じ題材でも、経験の内容は人によって違います。この部分は、実際に読まれた後の反応からしか分かりません。
一記事に例えをいくつまで、何行まで、と書けるのは、扱う関係の段数が固定されている場合だけです。固定されていません。段数は主題ごとに変わり、読み手が既に持っている前提の量でも変わります。数を渡せば、その条件を見ずに配分が決まります。
例えは着せ替えではない、という一点からここまで来ました。読み手がしているのは、自分の記憶の中の関係を当てはめる作業です。当てはめる対象が関係であるなら、選ぶ基準は身近さではなく関係の並びになり、並びが完全に一致することはないので残余が残り、残余は読み手の判断を変える位置にあります。三つは順番に並んだ別々の話ではなく、当てはめが起きているという一点から出てくる帰結です。
だから、いま使っている例えには、まず一つの手順を当てられます。例えの側で成立することを四つ書き出し、説明したい側でも成立するかを見る。残った項目が、あなたの例えが読み手へ余分に運んでいるものです。
例えの材料になる自分の体験をどう扱うかは一次情報の書き方で、概念そのものを定義して渡す方法は説明が上手くなる順序で扱っています。例えを含む文章全体の組み立て方は記事構成の原則が受け持ちます。残余が必ず残るのは、例えに固有の欠陥ではありません。置き直せる範囲に上限があるという話は言語化の全体像が引き受けています。






