「段はいくつ用意すればいいですか」という問いに、その取引の中身を知らないまま答えられる人はいません。四段だと言えば、四段の型を借りることになります。事業に合わせて決めてくださいと言えば、決め方が渡っていません。どちらの答えも、問われた側の手元には何も残しません。
答えが出ない理由は、この問いが段の数をこちらの設計変数として扱っているところにあります。設計変数なら、選べます。選べるものについては「いくつがよいか」という問いが立ちます。
ところが実際には、段の数はこちらが選ぶものではありません。買い手がこちらへ払っている関与の量が、どこで変わるか。変わり目の数が段の数であり、それは扱っている取引の側にある性質です。承認をもらわないと買えない取引では、承認の前と後で関与の質が変わります。一人で決まる取引では、その変わり目は存在しません。
ファネル設計とは、この変わり目を観測して、変わり目に名前を付ける作業です。売るものを価格順に並べる作業ではありません。価格順に並べる形がなぜ標準として広まったのかは、図の側の来歴に理由があります。漏斗という形が何を持ち込んだのかはマーケティング設計の全体像で扱っています。
区別が効いてくるのは、設計の入力が入れ替わるからです。商品を並べる作業なら、入力は自分が作れるものの一覧になります。関与の変わり目を観測する作業なら、入力は相手の側で起きていることになります。同じ図を描いても、何を見ながら描いているかが違います。
そして、この違いは図の見た目には現れません。どちらの手順で作っても、上が広く下が狭い、あの形になります。形が同じなので、間違った入力で描かれた図も、正しく描けたように見えます。
答えが出るのは三つです。段に並んでいるものの正体。段の数がどこで決まるか。そして、段が実在しているかどうかの確かめ方。
答えが出ないものもあります。あなたの事業で段がいくつになるかは、ここでは出ません。それは観測から出る値であり、観測はあなたの側にしかありません。もう一つ、各段でどこまで渡すかという線引きも、ここでは扱いません。この線は関与ではなく、渡しているものの性質で決まるからです。
段の数を型から借りると、実在しない段に向けて施策が作られます。空振りしますが、空振りの原因は施策の質として読まれます。作り直しても届きません。届かない理由が段の側にあることは、施策の側からは見えないからです。そして作り直すたびに、その段は「まだ改善の余地がある段」として設計の中に残り続けます。
📖 目次
段の数は、たいてい手持ちの数と一致している
流通している手順は、観察としても実務としても正確です。そのうえで、一つだけ共通の前提を持っています。
マーケティングファネルとは、見込み客が商品を認知してから購入に至るまでの過程を、段階に分けて構造化したものです。最も基本的な型は「認知 → 興味・関心 → 比較・検討 → 購入」の四段で、上から下へ人数が減っていくため、逆三角形の図で表されます。
設計手順として案内されるのは、おおむね次の流れです。第一に、自社のターゲットを分析する。第二に、その購買過程に合わせて段階をカスタマイズする。第三に、各段階に適した施策を割り当てる。第四に、段階ごとの数値を測って改善する。
段階のカスタマイズについては、具体的な指摘もあります。法人向けの取引では「課題認識 → 情報収集 → 比較検討 → 稟議・承認 → 契約」という並びのほうが実態に近い、というものです。購入の意思決定が一人で完結しないため、承認の段が必要になるという理由づけも添えられています。
購入で終わらない型も紹介されます。購入後の満足度を高めてリピートや紹介につなげる並びを、別のファネルとして扱う考え方です。
これらは正確です。段階に分けて考えること自体が、事業の状態を見えるようにします。分けなければ、「売れていない」という一語ですべてが呼ばれてしまい、どこを触ればいいのかが決まりません。
そのうえで、四つの手順が共通して置いている前提を取り出します。いずれも、段階を「施策を割り当てる先」として扱っています。認知の段には広告、興味の段にはコンテンツ、比較の段には事例、購入の段には特典。段が先にあり、そこへ施策が入る、という順序です。
この順序が無効なわけではありません。既に流入があり、各段の人数が測れている事業では、この順序は最も速く効きます。数字が出ている段に施策を足せば、その段の通過人数は動きます。
崩れるのは、まだ流入が無い段階でこの順序から始めたときです。測るものが無いので、段の数と名前は「一般的な型」から借りることになります。借りた段に施策を割り当てると、施策の数だけ段があるという状態ができあがります。四つの施策を持っている人のファネルは四段になり、七つ持っている人のファネルは七段になります。
セールスファネル設計として提示される図を何枚か並べると、この対応は目で確認できます。段の数が、相手の側の何かではなく、こちらの手持ちで決まっています。ここが、設計の起点として弱いところです。
そして、弱さは図の上には現れません。手持ちで決めた四段も、観測から取った四段も、描かれた図はまったく同じです。入力の由来は、出力の形に痕跡を残しません。
段を商品で作ると、上がる理由が「まだ買っていないから」になる
個人の事業では、段階の中身を商品で埋める形が、とくに広く使われています。無料の資料、低額のお試し、本命の商品、継続の契約。価格の順に並べて、下へ行くほど高額になる並びです。
この並べ方の利点は、設計が具体的になることです。「興味・関心の段」と言われても何を作ればいいか分かりませんが、「3,000円の商品」と言われれば作れます。作れるものが決まると、手が動きます。
段を上がるとは、より高いものを買うことになります。すると、まだ上がっていない人の状態は「まだ高いものを買っていない人」として記述されます。この記述には、相手の側の情報が一つも入っていません。
未購入という状態は、こちらから見た欠落です。相手の側では、何かが起きています。まだ問題だと思っていないのかもしれませんし、問題だとは思っているが優先順位が低いのかもしれません。あるいは、優先順位は高いが、この人に頼むという選択肢がまだ検討の対象に入っていないのかもしれません。三つはまったく違う状態ですが、価格順のファネルの上では、どれも同じ「まだ買っていない人」です。
ここで、こちらから見えるのは購入したかどうかだけだ、という指摘が立ちます。見えないものを設計の入力にはできない、というものです。
見えるものが購入の記録だけである場合、この指摘は成り立ちます。ただし、購入以外にも観測できるものはあります。どこから来たか、何を最後まで読んだか、二度目に何を見に来たか、どの問いを送ってきたか。これらはすべて、購入より前の段で観測できます。見えないのではなく、購入の記録ほど数えやすくないだけです。
規模が小さいうちは、これらの観測は統計になりません。月に数人しか来ない段階で離脱の割合を計算しても、次の月には別の数字が出ます。この段階で要るのは、割合ではなく、一人ずつの経路を最後まで追うことです。数が少ないことは、この作業ができるという意味でもあります。
価格順の並びには、もう一つの帰結が付いてきます。下の段が目的地として扱われることです。上の段は下の段へ人を送るための装置になり、上の段で何が渡っているかは問われなくなります。すると、無料の資料は「本命へつなぐための資料」として作られ、それ単体では何も完結しない中身になります。
受け取った側から見ると、これは分かります。最後まで読んで、何も決まらなかったという経験として残ります。その経験が残った相手が、次の段へ進む理由はありません。下の段へ送るために上の段を薄くする操作は、下の段への到達を減らします。
この減り方には、時間差があります。上の段を薄くした月には、上の段の通過人数が増えることさえあります。渡すものが少ないほど、読み終えるまでの負荷は下がるからです。減るのは、その先です。指標の上では、原因の段が改善して、結果の段が悪化します。
並んでいるのは、関与の段階である
段に並んでいるのは、商品でも施策でもなく、関与の段階です。
関与とは、こちらの話に対して相手が払っている注意と時間の量であり、同時に、その話を自分に関係があるものとして扱っている度合いのことです。
二つの要素が入っています。量と、自分事かどうか。この二つは連動しますが、同じではありません。長く読んでいても他人事として読んでいることはありますし、短く読んで自分の話だと判断することもあります。
関与を段の中身に置くと、段の記述は次のようになります。
- こちらの存在を知っているが、自分に関係があるとは思っていない
- 関係があるとは思っているが、いま扱う話だとは思っていない
- いま扱う話だと思っているが、この人に頼むかは決めていない
- この人に頼むと決めているが、条件が合っていない
四つとも、相手の側の状態の記述です。そして、どの段も「買っていない」という点では同じです。価格順の並びが一つに潰していたものが、ここでは分かれています。
分かれると、何をすればいいかが変わります。第一の段にいる人に事例を見せても動きません。事例が効くのは第三の段だからです。第一の段で要るのは、その話が自分の問題と同じ構造をしているという認識です。
関与は測れないので、これを軸にすると結局は勘になります。この疑いは正当です。
直接は測れません。ただし、関与の水準が違えば、同じ言葉に対する反応が違います。反応は観測できます。これは推定であって測定ではありませんが、推定であることを承知して使えば、勘とは別のものになります。
関与で分けたこの四つの段は、この四つでなければならないという意味ではありません。分け方は扱っているものによって変わります。ここで固定されているのは段の数ではなく、段の中身を相手の側の状態で書くという一点だけです。相手の状態で書けているかどうかは、簡単に確かめられます。その一文から自分の商品名を取り除いても、文が成立するかどうかを見ます。成立しないなら、書かれているのは相手の状態ではなく、こちらの提供物の名前です。
関与で段を作ると、段の中身がこちらの手持ちで決まらなくなります。相手の状態を四つに分けたなら、要るのは四つの状態それぞれに対応する何かであって、いま作れるものの数ではありません。作れないものがあると分かることも、設計の出力です。
この作り方をすると、段が増えることがあります。価格順に並べれば三段で済んでいたものが、関与で見ると五段あった、ということが起きます。段が増えれば、用意すべきものも増えます。
増えたこと自体は、悪い知らせではありません。見えていなかった段が見えたという意味だからです。ただし、五段全部を同時に埋めようとすると、どの段も薄くなります。実際には、いま最も人が滞留している段が一つあります。そこだけを厚くするほうが、五段を均等に埋めるより効きます。均等に埋める設計が出てくるのは、段を図として見ているときで、図は各段を同じ大きさの箱で描くからです。
低い関与のまま強い主張に触れると、態度より先に知覚が動く
関与という変数が届き方そのものを変えることは、広告研究の初期に測られています。
心理学者のハーバート・クルーグマンは、テレビ広告の効きかたを調べ、関与の低い状態で繰り返し接触した情報は、態度を変えないまま、対象についての知覚の構造だけを組み替えると述べました(Krugman, 1965, Public Opinion Quarterly, 29(3), 349–356)。
言い換えると、順序が逆になります。関与の高い状態では、内容を吟味して態度が変わり、その後に行動が変わります。関与の低い状態では、態度が変わらないまま知覚の並びだけが動き、行動が先に起き、態度は後から付いてきます。
ここで示されているのは、低関与の段で起きていることが「何も起きていない」ではないという点です。低関与の相手にも、情報は入っています。入り方が違うだけです。
したがって、低関与の段で強い主張を提示したときに起きることは、二通りに分かれません。主張は内容として吟味されず、対象の並びの中での位置づけだけが動きます。位置づけは、別の誰かが別の位置づけを提示すれば、そちらへ動きます。
クルーグマンの観察は、テレビという媒体の性質を強く前提にしています。受け手が選べず、途中で止められず、繰り返し流れる媒体です。読む側が速さも順序も選べる媒体では、条件が同じではありません。この差は、そのまま持ち込めない部分として残ります。
そのうえで、設計への含意は変わりません。低関与の段で反応を最大化しようとすると、内容の吟味を経ない手がかりを強くする方向へ設計が寄ります。数字、実績、権威、人数。これらは低関与の相手に対しては効きます。効くので、続けられます。
続けた結果、集まるのは、その種の手がかりで位置づけを決めた人たちです。より強い手がかりが別の場所に現れれば、そちらへ移ります。移ることが不誠実なのではなく、そういう決め方をする位置に置かれたまま来ているだけです。
ここから、段の順序についての帰結が一つ出ます。関与を上げる作業と、行動を促す作業は、同じ段には置けません。関与が上がる前に行動が起きた場合、その行動は態度に支えられていません。支えのない行動は、次の行動を予測しません。
では関与を先に上げればよいのか、というと、関与は直接には上げられません。上がるのは、その話が自分の問題と接続したときだけです。接続は相手の側で起きるので、こちらにできるのは、接続しうる形で置くところまでになります。接続の材料を渡す作業と、接続を促す作業は、別の作業です。前者は書けますが、後者は書けません。
だから、マーケティングファネル設計に共通の段数は存在しない
関与の変わり目がいくつあるかは、扱っているものによって違います。買うまでに他者の承認が要る取引では、承認という段が実在します。金額が小さく、判断が一人で完結する取引では、その段はありません。段の数は、こちらが決める設計変数ではなく、対象の側にある性質です。
変わらないものが一つあります。順序関係です。どの段も、一つ前の段の関与を前提にしています。自分に関係があると思っていない人が、この人に頼むかどうかを検討することはありません。検討という行為自体が、関係があるという判断を済ませた後にしか発生しないからです。
実際には段を飛ばす人がいます。初めて見たページからそのまま申し込む人もいる。これは事実です。
います。ただし、飛ばされているのはこちらが用意した段であって、関与の段ではありません。初めてこのサイトを見た人でも、その問題を自分のものとして扱う段は、どこかで既に通過しています。別の場所で通過したものを、こちらが観測できていないだけです。
この区別は実務に効きます。そのまま申し込む人が一定数いるとき、上の段が要らないという結論は出てきません。出てくるのは、上の段を別のどこかが供給しているという記述です。供給元が書籍なのか、紹介した人なのか、以前に見た別のページなのか。どれであるかによって、次にやることが変わります。
順序関係があるということは、順番に進むという意味ではありません。人は段を上がったり下がったりします。検討の段まで来た人が、別の問題が優先されて関心の段へ戻ることは起きます。順序は、進み方の規則ではなく、成立の前後関係です。
この違いは、下がった人をどう扱うかに現れます。進み方の規則として読むと、下がった人は「離脱した人」になります。離脱として記録された人に対しては、呼び戻す施策が向けられます。成立の前後関係として読むと、下がった人は「一つ上の段にいる人」です。一つ上の段にいる人に必要なのは、呼び戻しではなく、その段が要求している水準のものです。
段の数を一般的な型から借りると、もう一つ厄介なことが起きます。実在しない段に施策を用意することになります。四段の型を借りた人は、四つ目の段のための施策を作ります。ところが自分の取引では、三つ目と四つ目が実際には一つの段だった、ということが起こります。
このとき、四つ目のための施策は空振りします。届かなかったとき、読まれるのは施策の出来のほうです。「事例の見せ方が弱かった」という結論が出て、事例が作り直されます。実在しない段に向けて作られたものは、作り直しても届きません。段の数を対象の側から取っておくと、この種の作り直しが発生しません。
「先細り」は目的ではなく、関与の総量が有限であることの帰結
ファネルの図が下へ行くほど狭くなることには、二通りの読み方があります。
一つは、絞り込みとして読む読み方です。上で広く集め、条件に合わない人を落としながら下へ送る。この読み方では、狭くなることは設計の意図になります。
もう一つは、関与の総量に上限があることの帰結として読む読み方です。誰でも一日に払える注意と時間には限りがあります。深い段へ進むほど必要な関与は増え、増えた分を払える人は減ります。この読み方では、狭くなることは意図ではなく、資源の制約から自動的に出てくる形です。
どちらで読むかで、施策が変わります。
絞り込みとして読むと、落とす設計が正当化されます。条件を厳しくする、価格を上げる、応募の手間を増やす。これらは確かに人数を減らし、残った人の質を上げるように見えます。
制約の帰結として読むと、問いが変わります。減っているのは、払える関与を持たない人ではなく、払う理由を受け取れなかった人ではないか。同じ人数の減少に対して、二つの説明が立ちます。どちらであるかは、減った人が何を見て減ったかを追わないと分かりません。
ここには、指標の側から見えにくい罠があります。離脱を減らそうとする操作が、下流を壊すことがあります。各段の通過率を上げること自体は正しく見えますが、通過率を上げる最も簡単な方法は、その段で要求する関与を下げることです。要求を下げれば通過します。
通過した人は、次の段が要求する関与を持っていません。上の段で下げた分は、下の段で現れます。指標としては、上の段が改善し、下の段が悪化します。そして下の段の悪化は、下の段の問題として扱われます。原因は上にあるのに、対処は下で行われます。
要求を下げることと、分かりやすくすることは違う。分かりやすくして通過率が上がるなら、それは改善です。この判断は、たしかに成り立ちます。
別のもので、しかも外から見分けがつきにくいところに難しさがあります。見分ける基準は、通過した後にあります。分かりやすくした結果として通過した人は、下の段でも同じ判断の質を保っています。要求を下げた結果として通過した人は、下の段で判断が止まります。止まった地点を見れば、どちらであったかは事後に分かります。事前には分かりません。
要求が高すぎる段が実在することもあります。その場合、下げるのは正しい判断です。判定は、下げる前に下の段がどうなっていたかを見ることで付きます。下の段が健全なまま上の段だけが詰まっているなら、要求は高すぎます。上下とも詰まっているなら、上を下げても下が悪化するだけです。
この構造は、成約率が悪いとき、どこから疑うかでさらに扱います。
段の境目は、決めるものではなく、観測して名前を付けるもの
段の境目を先に決めると、境目は仮説になります。仮説であること自体は問題ありませんが、仮説として扱われないことが問題になります。図に描かれた瞬間、境目は事実のように見えるからです。
境目を観測から取ると、決める順番が入れ替わります。まず、実際に来た人が何をしたかを並べる。次に、行動の質が明らかに変わっている箇所を探す。読む時間が急に伸びた地点、質問の種類が変わった地点、返信の速さが変わった地点。変わった箇所が、境目の候補です。
このやり方には条件があります。一人ずつ追える規模であることです。数が増えると個別に追えなくなり、集計に切り替わります。ただし、集計に切り替える前に一度でも個別に追っておくと、集計の数字が何を意味しているかが分かります。追っていないと、数字は数字のままです。
観測から取った境目は、こちらの都合と一致しないことがあります。一致しないほうが、情報として価値があります。用意していた段の数と観測された段の数が違うとき、違いの中身が設計の欠落を示しています。
観測してから決めるのでは遅く、まだ誰も来ていない段階では何も設計できないことになる——この順序の問題は、実際に起きます。
その段階では、たしかに観測できません。ただし、そこで要るのは段の設計ではありません。一人目が来るまでにやることは、段を刻むことではなく、この話が誰の問題と同じ構造をしているのかを一つに決めることです。段が要るのは、来た人の状態が分かれ始めてからです。
多くの場合、順序が逆になっています。一人も来ていない段階で五段のファネル図が描かれ、各段の施策が用意されます。用意されたものは、来る人がいないので検証されません。検証されないまま蓄積したものは、後から観測が始まったときに、観測結果を歪める側に働きます。既に作ってあるものに合う解釈が選ばれるからです。
観測できるのは、来た人の行動だけです。来なかった人、途中で見るのをやめた人については、行動が記録されません。したがって観測から取った境目は、残った人の側から見た境目です。この偏りは消えません。消えないことを承知したうえで使う必要があります。
そして、偏りは時間とともに強まります。残った人の側から境目を取り続けると、段は年々こちら側に都合よく整っていきます。残った人はこちらの提示の仕方に適応した人なので、その行動から取った境目は、こちらの提示の仕方を追認する形になります。
これを崩す材料は、観測の外にしかありません。来なかった人、途中でやめた人、別の場所で同じ問題を扱っている人。定期的に、こちらの記録に残っていない側を見る必要があります。記録に残っているものだけを見て設計を更新し続けると、更新のたびに視野が狭くなります。狭くなったことは、記録の側には現れません。
各段が、そこで降りても何かが残る形になっているか
よくある設計の失敗は、段の中身が、次の段へ送ることだけを目的に作られている状態です。
作っている側からは、この形は合理的に見えます。ファネルは下へ送る装置なのだから、各段は送る役割を果たせばよい、という理屈になります。
ところが、この理屈は関与という変数と衝突します。関与は、何かを受け取った結果として上がります。送るためだけの中身を受け取った人の関与は、上がりません。上がらないので、次の段が要求する水準に届かないまま送られます。
上の段で全部渡してしまえば、下の段で売るものが無くなります。この心配が立てているのは、渡すものを量として数える見方です。
量の問題として立てると、答えは出ません。どこまで無料で出すかという問いが繰り返し議論されながら決着しないのは、そのためです。
分ける線は量ではなく、原理と個別の答えの間にあります。なぜそうなるのかという構造を渡しても、その人の状況に当てる作業は残ります。当てる作業のほうが渡されているものだからです。逆に、原理を伏せてその人向けの答えだけを渡すと、答えが渡り切った時点で取引は終わります。
この線の引き方は、無形商品の価値はどこに宿るのかでも扱っています。
各段が完結していると、降りる人が増えます。そこで用が足りたからです。指標の上では、通過率が下がったように見えます。
ただし、降りた人は不満を持って降りていません。用が足りたことを覚えている人が、別の問題を持ったときにどこへ戻るか。通過率という指標は、この時間差を記録できません。記録できない性質のものを、記録できる指標だけで判断すると、完結させないほうが正しいという結論が出ます。
すべての段を完結させられるわけではありません。段によっては、その段だけで渡せるものが本質的に少ないことがあります。条件の確認や日程の調整のような段は、それ自体では何も渡しません。
分けるべきなのは、渡すものが無い段と、渡せるのに渡していない段です。前者は形式的な段なので、短くするほうが正しくなります。後者は、下へ送る目的が先に立って中身を抜いた段です。外から見ると、どちらも「薄い段」に見えます。見分けるには、その段で扱っている内容そのものに、独立した価値があり得るかを問います。
各段を完結させると、その段が単体で参照されるようになります。別の場所からその段だけにたどり着く人が出てきます。ファネルの上から順に来ていない人が増えるということです。
この状態は、図としては破綻して見えます。ただし実際に起きているのは、入口が増えたことです。入口が増えたこと自体は歓迎すべきことですが、どの入口から来た人がどこへ合流するのかが決まっていないと、増えた入口はそのまま出口になります。この問題は導線設計で分けて扱います。
通過率ではなく、下の段から来る問いを読む
段が実在しているかどうかは、通過した人数では確かめられません。通過した人の状態を見ます。
第一の指標は、下の段から来る問いの質です。検討の段にいる人が送ってくる問いが、上の段で既に扱った内容の確認であれば、上の段は届いていません。上の段を前提にした先の問いになっているなら、関与は段どおりに上がっています。同じ人数が通過していても、問いの中身が違えば、起きていることは違います。
第二の指標は、こちらが説明していない語を相手が使うかどうかです。受け取った内容を自分の状況に翻訳した人は、こちらが使っていない語でその内容を語ります。翻訳が起きていなければ、こちらの語をそのまま返してきます。
第三の指標は、段を飛ばして来た人の出所が特定できるかどうかです。飛ばして来る人がいること自体は問題ではありません。その人がどこで上の段を通過したのかが分からない状態が問題です。分からないということは、供給元を再現できないという意味になります。再現できない流入は、続くかどうかがこちらの側で決まりません。
三つとも、通過した人数ではなく通過した人の状態を見ています。ファネルが関与の段階の記述である以上、確認すべきは関与の側だからです。
通過率を主指標から外している理由も、ここにあります。通過率は、二つの異なる出来事を同じ数字にします。関与が段どおりに上がって通過した人と、要求が下がったので通過した人が、同じ1件として数えられます。数字が良くなる経路が二つあり、片方は下流を壊す経路です。どちらで良くなったかは、通過率そのものを見ても分かりません。
状態を見るには一人ずつ読むしかありません。人数が増えたら成立しないのではないか。この心配は、三つの指標の使い方を取り違えています。
全数を読む必要はありません。三つの指標はいずれも、少数の実例で判定できる性質のものです。問いの質も、使われている語彙も、流入の出所も、十件ほど読めば、傾向の手がかりが出ます。割合を出す作業ではなく、種類を見る作業だからです。
ここで数を出せない理由は、出せないからではありません。段をいくつにするか、各段でどこまで渡すか、どの指標を主に見るか。この三つは、数を出した瞬間に意味が反転します。「四段」と書けば、四段の型を借りる人が現れます。借りた型は、また手持ちの数と一致します。段はいくつ用意すればいいか、という問いに戻ることになります。
扱ってきたのは、段をいくつにするかではなく、その問いに正面から答えられる人がいない理由のほうです。理由は、段の数が対象の側にある性質だからです。対象の側にあるものは、対象を見ないと出てきません。
いま自分の図を見て、最初に確かめられること。各段の記述から、自分の商品名とサービス名をすべて消してみます。消しても文が成立する段は、相手の状態で書けています。消すと何も残らない段は、こちらの手持ちがそのまま段として並んでいたことになります。残らなかった段が、いま実在していない段です。






