入口を増やすほど、誰が何を見たのか分からなくなる方へ/入口に上限はないが、合流点は一つしか置けない

導線設計では入口を複数持ち、合流を一本に絞ることで履歴が残る

導線設計で決めることは、二つしかありません。どこから入れるようにするかと、入った人がどこで一本に合流するか。この二つは、上限の性質がまったく違います。

入口の数に上限はありません。相手が既にいる場所の数だけ入口はあってよく、多いほど到達できる範囲が広がります。増やすかどうかは、作れる分量と管理の負荷で決まります。つまり、こちらが選べる変数です。

同じ役割の合流点は、一つしか置けません。二つ以上あると、そこで起きるはずのことが起きなくなります。こちらが選べる変数ではなく、構造上の制約です。役割の違うもの——問い合わせ窓口と継続的な連絡先——が並存することは、これに当たりません。

この非対称が、導線設計の骨にあたります。ところが流通している説明では、両方が同じ「導線」という語で扱われます。同じ語で呼ばれているために、入口を絞る判断と合流点を分ける判断が、どちらも同じ調整に見えます。片方を絞りすぎても、もう片方を分けすぎても、画面の上では似た形の作業になります。

この記事で決着が付くのは三つです。入口がどこにあるか。合流点が一つでなければならない理由。そして、経路が識別できているかの確かめ方。

答えが出ないものもあります。入口をいくつ持つべきかは、ここでは決まりません。それは相手が既にどこにいるかで決まる値で、その分布はあなたの領域にしかありません。もう一つ、届ける内容をどう出し分けるかも扱いません。それは受け皿の設計ではなく、読者の状態の設計に属するからです。

合流点が二つ以上あると、五度接触した人が、記録の上では二度と三度の別人二人になります。そして分割された記録は、後から合わせられません。合わせるための共通の鍵が、どちらの側にも残っていないからです。

この分裂は、指標の上では良い知らせに見えます。新規の登録が二件立つからです。同一人物が二人に見えている状態と、実際に二人来た状態は、記録の側では区別が付きません。気づけるのは、届けた内容に対する反応が、登録数の伸びに見合わない期間が続いたときになります。そのときには、分裂は既に何か月分か蓄積しています。

そして、いま分裂しているかどうかは外から数えられます。同じ内容を出したときに、複数の場所で同じ人の反応が返ってくるかどうか。返ってくるなら、その人はこちらの記録の上で複数存在しています。返ってこないなら、片方が使われていないだけです。どちらも、受け皿が二つある状態から出てきます。

案内されている導線設計には、扱う範囲の境界が引かれている

案内されている導線設計は、実務として正確です。そのうえで、扱う範囲が一つの線で区切られています。

導線設計とは、サイトを訪れた人を目的のページまでスムーズに誘導するための設計です。目的のページとは、多くの場合、購入・問い合わせ・資料請求・登録の完了画面を指します。

説明では、多くの場合「動線」との区別が添えられます。導線は、こちらが用意した誘導の道筋です。動線は、実際に人が動いた軌跡です。二つは一致しません。一致しないことを前提に、動線の実績を見ながら導線を組み直す、という手順が案内されます。

具体的な施策として挙げられるのは、ページ内の行動喚起の配置、ナビゲーションの階層、関連記事の提示、入力欄の数の削減、ページの読み込み速度。いずれも、目的のページへ到達するまでの摩擦を減らす操作です。

効果としては、回遊率と転換率の向上が挙げられます。運用の実績が溜まっているなら、動線をもとに設計すると効果的だ、という助言も添えられます。

ここまでは正確です。摩擦を減らせば到達は増えます。動線を見ずに導線を組めば、こちらの想定だけで作ることになります。

一式の全体を見ると、境界の位置が一箇所に揃っています。どの施策も、サイトの外周を境として引いています。訪れた人をどう動かすか、という枠です。訪れる前と、離れた後は、この枠の外にあります。

この枠が無効なわけではありません。訪問数が十分あり、到達までの摩擦だけが問題になっている事業では、枠の内側の作業が最も効きます。

崩れるのは、訪問そのものが安定していない段階で、この枠から始めたときです。枠の内側には、入口の数を増やす操作も、合流点を決める操作も入っていません。入っていないものは、検討の対象になりません。結果として、内側の摩擦だけが繰り返し調整されることになります。

内側から手を付けるのは順序として正しい、という反論が成り立ちます。手元にあるものから直すのが実務ではないか、というものです。

手元にあるものから直すこと自体は、正しい判断です。ただし、この場合の「手元」は、直せる範囲の話であって、原因のある範囲の話ではありません。二つは別のものですが、作業をしている最中には区別が付きません。どちらの場合も、手は同じように動くからです。

内側の調整には、たいてい何かしらの数字の変化が伴います。ボタンの位置を変えれば、押される割合は変わります。変わった数字は、作業の成果として記録されます。

記録が残ることが、この作業を続ける理由になります。入口を増やす作業も合流点を決める作業も、着手した月には数字が出ません。短期の数字が出るほうを選び続けると、出ないほうは永久に着手されません。選択の基準が効果ではなく、効果の見えやすさになっています。

「導線」と「動線」の区別が、隠してしまうもの

導線と動線の区別は有用で、そのうえで二つとも同じ側に立っています。

区別が有用なのは、こちらの意図と、実際に起きたことを別の語で呼び分けているからです。呼び分けがないと、意図した道筋を人が通らなかったとき、通らなかったこと自体が観測されません。

この区別には、見えにくい性質が一つあります。二つとも、サイトの内側で定義されていることです。

導線はページ間の接続として記述され、動線はページ間の遷移として記録されます。どちらも、ページに到達した後の話です。到達する前にその人がどこにいたか、離れた後にどこへ行ったかは、この語彙では扱えません。

つまり、この対で語れるのは、経路の中間だけです。始点と終点は、対の外側にあります。

始点と終点は測れないのだから、扱えなくて当然だ——この指摘は、半分だけ当たっています。

測れないものと、語彙が持っていないものは、別です。始点は測れます。どこから来たかは、多くの場合記録されています。終点も、その人が次に何を見に来たかという形で部分的に記録されます。

測れるのに扱われない理由は、その二つが「導線」という語の指す範囲に入っていないからです。語彙の外にあるものは、改善の候補として立ち上がりません。

境界の位置を変えると、設計の対象が変わります。サイトの外周ではなく、相手が最初にこちらの存在を認識した場所から、継続して届く状態になるまでを一続きの経路として扱う。この範囲で見ると、中間の摩擦は経路の一部でしかなくなります。

範囲を広げれば扱う変数が増えて手に負えなくなる、という懸念が立ちます。実際には逆になります。広げた範囲で最も効く箇所は、二つしかありません。入口の数と、合流点の位置です。

中間の摩擦は、細かい調整項目が無限にあります。ボタンの色、文言、位置、順序。一方、入口と合流点は、離散的です。持っているか、持っていないか。扱う範囲を広げると、判断の数はむしろ減ります。

そして、判断の数が減ることには代償があります。一つの判断が持つ重さが増えます。ボタンの位置は間違えても翌週に戻せますが、合流点を途中で移すと、それまでに累積した履歴が使えなくなります。戻せない判断のほうが、先に決めておく必要があります。

この重さは、着手を遅らせる側にも働きます。戻せないと分かっている判断は、材料が揃うまで保留されます。ところが材料は、決めた後にしか集まりません。合流点を決めていない期間に来た人は、どこにも累積しないまま通過します。保留している期間の長さが、そのまま失われた履歴の量になります。

入口は、こちらが作るものではなく、既にある

入口とは、相手が既にいる場所と、こちらの内容が接触する点のことです。

この定義の要点は、入口の位置がこちらの都合で決まらないことです。人は、こちらのサイトを目指して移動しているのではありません。自分の問題を扱っているどこかにいて、そこから偶然こちらに接触します。接触が起きる場所は、その人がどこにいるかで決まります。

したがって、入口の数を増やすとは、相手がいる場所の種類を増やすことを意味します。検索、書籍、紹介、別の記事からの参照、他者の言及。これらはすべて別の場所であり、それぞれ別の入口です。

入口を増やすと管理が大変になる。一本に絞って、そこを厚くしたほうが効率的ではないか。管理の負荷という点では、そのとおりになります。

ただし、絞る判断には、効率とは別の性質が付いてきます。入口が一本のとき、その一本が使えなくなると、到達はゼロになります。

これは可能性の話ではありません。検索の順位は他者の決定で動きます。参照していた側が記事を消すこともあります。入口の維持が、こちらの側で完結していない場合、その入口は借りている経路です。借りている経路は、貸主の条件変更で消えます。

入口を増やせばよいという話でもありません。増やせる数には、作れる分量の上限があります。上限を超えて増やすと、どの入口も中身が薄くなります。

判定は数ではなく、それぞれの入口が独立して機能しているかどうかです。ある入口から来た人が、その入口の内容だけで用を足せているなら、その入口は独立しています。別の入口の内容を前提にしていると、実際には入口が一つで、見た目だけ複数になっています。

入口を増やすと、来る人の状態がばらつきます。検索から来た人と、紹介で来た人では、こちらへの関与の水準が最初から違います。同じ提示をすると、片方には強すぎ、もう片方には足りません。入口ごとに関与の水準が違うという事実は、段の切り方そのものに効いてきます。関与を基準に段を切るという考え方はマーケティングファネルの設計が受け持ちます。

このばらつきは、入口を増やしたことの副次的な帰結ではなく、増やす前から存在していたものです。入口が一つだったときは、ばらついた人が来ていなかっただけです。増やして初めて、対応が必要になったという順序になります。

この順序を取り違えると、対処が逆になります。ばらつきを「増やしたことの弊害」として読むと、入口を減らす方向へ戻ります。戻せばばらつきは収まり、指標も整います。整った指標は、来ていない人の存在を記録しません。

入口ごとに、その先で必要になる説明の量も違います。検索から来た人は、こちらが何者かを知りません。紹介で来た人は、紹介した人の判断を一つ持っています。同じページを見せても、片方は前提から読み、もう片方は前提を飛ばして本題から読みます。

ここで、前提の説明を全員向けに厚くすると、紹介で来た人には冗長になります。薄くすると、検索から来た人には足りません。どちらかを選ぶ問題として立てると解けません。解けるのは、前提の説明を本文の中に埋めるのではなく、必要な人だけが踏める形で外に出したときです。入口の数が増えるほど、この分離が要求されます。

合流点が複数あると、関与の履歴がどこにも残らない

合流点とは、どの入口から来た人も最終的に一つに集まる場所のことです。集まるとは、こちらの側から見て、その人に対して継続的に届けられる状態になることを指します。

合流点が一つでなければならない理由は、関与が累積する性質を持っているからです。

一度読んだ人が二度目に読むとき、二度目は一度目の上に積まれます。三度目は二度目の上に積まれます。この累積が、関与の段を上げていきます。ところが、累積が記録されるのは、こちらがその人を同一人物として認識できている場合だけです。

合流点が二つあると、同じ人が両方に登録することがあります。あるいは、一方にだけ登録します。どちらの場合も、その人の関与の履歴は分割されます。分割された履歴は、それぞれの側では「新規の人」として見えます。

五度届いた相手が、記録の上では二人に割れている。これが、合流点が複数あるときに起きていることです。

合流点が複数あっても、選択肢が多いほうが登録しやすい。窓口を絞れば、合わない人が離れる。この心配には、実験の蓄積が対応しています。

シーナ・アイエンガーとマーク・レッパーの2000年の研究では、選択肢が多い条件のほうが立ち寄る人は多く、購入に至る割合は低くなりました(Iyengar & Lepper, 2000, Journal of Personality and Social Psychology, 79(6), 995–1006)。ただし、この知見をそのまま一般則として使うことはできません。ベンヤミン・シャイベヘンネらが50の実験を対象に行ったメタ分析では、平均の効果量はほぼゼロで、研究間のばらつきが大きいという結果が出ています(Scheibehenne, Greifeneder & Todd, 2010, Journal of Consumer Research, 37(3), 409–425)。

つまり、「選択肢が多いと決められなくなる」を理由に合流点を一本にすることは、根拠として弱いということです。条件によって、そうなることもならないこともあります。

合流点を一本にする理由は、選択の負荷ではありません。履歴が累積するかどうかです。選択肢が多くても決定が鈍らない場面はありますが、履歴が分割されれば、分割されたという事実は条件によらず成立します。理由を選択の負荷に置くと、実験結果次第で理由が消えます。累積に置けば消えません。

種類の違う合流点が複数あることと、同じ種類が重複していることは別です。問い合わせ窓口と継続的な連絡先は、役割が違います。役割が違うものは、複数あってかまいません。同じ役割のものが複数あるときだけ、履歴が割れます。

割れた履歴を後から合わせられないのは、鍵が無いからです。二つの受け皿に同じ人が登録していても、同じ人だと判定できるのは、両方で同じ識別子を使っている場合に限られます。使っていなければ、判定は名前と登録日の照合になり、それは一致の証明になりません。

合流点は、こちらの側で条件が決まる場所でなければならない

合流点には、単一性のほかにもう一つ条件があります。その場所の条件が、こちらの側で決まっていることです。

条件とは、届く相手の範囲、届く頻度、届く形式、そしてその場所を使い続けられるかどうか、を指します。

この条件が他者の側にある場所は、合流点として機能しません。機能しないというのは、届かないという意味ではありません。届く日もあります。届く日と届かない日を、こちらが決められないという意味です。

具体的には、こう現れます。同じ内容を出しても、届く人数が日によって大きく変わる。変わった理由は説明されず、こちらの側で再現もできません。再現できないものは、設計の要素として使えません。使えないものを設計に組み込むと、うまくいった月の理由が分からないまま、翌月に同じことをすることになります。

こちらの側で条件が決まっているからといって、到達が保証されるわけではありません。送った先で受け取られるかどうかは、受け取る側の設定にも依存します。「所有している」と「必ず届く」は別のことです。

区別すべきなのは、届かなかったときに何が分かるかです。自分の側で条件が決まっている場所では、届かなかった件数と理由が記録されます。記録されれば、次に打つ手が決まります。借りている場所では、届かなかったこと自体が観測されません。出したのに反応が無いという事実だけが残り、届いていないのか、届いたが読まれていないのかが区別できません。

この区別ができないと、原因の推定が常に自分の側へ向かいます。内容が悪かったのだろう、時期が悪かったのだろう、という推定です。推定が自分の側にしか向かないと、改善は内容の作り直しに固定されます。実際には経路の側で止まっている場合でも、同じ結論が出ます。

そして、この固定は静かに続きます。作り直した内容が前より良ければ、反応は多少動きます。動いた分は、推定が正しかった証拠として読まれます。経路の側は、一度も候補に上がりません。

条件が他者の側にあることは、必ずしも今日の不利益として現れません。条件が有利に働いている期間のほうが長いこともあります。問題は、有利な期間と不利な期間の切り替わりを、こちらが予測できないことです。予測できない切り替わりの上に設計を積むと、積んだ量に比例して、切り替わったときの損失が増えます。

したがって、判定は「いまうまくいっているか」では付きません。条件を決めているのが誰かという一点だけで付きます。うまくいっている期間に判定すると、決めているのが誰かは見えません。見えるのは結果のほうで、結果は当面のあいだ、どちらの場合も同じ形をしています。

入口から合流点への移動が、導線設計の一点になる

多くの人が既にいる場所を使わないのは、到達を捨てることになる。この読みには、使わないという答えは含まれていません。

入口として使うことと、合流点として使うことを分ける、という話です。人が多くいる場所は、入口としては優れています。相手が既にそこにいるからです。

分けたうえで、入口から合流点へ移動してもらう。この移動が、導線設計で最も重要な一箇所になります。移動が起きなければ、どれだけ入口が広くても、関与は累積しません。

移動を求める回数には、実質的な上限があります。毎回求めれば、その入口の内容そのものが移動の案内に見えるようになります。内容が案内に見えた時点で、その入口は入口としても機能しなくなります。

上限があるということは、どこで求めるかを選ぶ必要があるということです。選び方の基準は、頻度ではありません。その内容が、その場で用を足したかどうかです。用が足りた直後は、移動を求める理由が相手の側に立ちます。用が足りていない状態で求めると、移動は「まだ何も受け取っていないのに次を要求された」として処理されます。

合流点をこちらの側に置くと、初期の数字は下がります。借りている場所のほうが、その場での反応は多く出ます。移動を挟めば、必ず減ります。

減った分は、記録として残る側に移っています。数として小さいほうが累積し、大きいほうが累積しない。この逆転を数字の上で確認できるようになるまでには時間がかかるので、初期に判断すると、借りている側が正しく見えやすくなります。

そして、初期に判断する誘因は強く働きます。借りている場所の数字は、その日のうちに出ます。移動した先の累積が意味を持ち始めるのは、数か月後です。二つを並べて比べられるのは、比べる期間を先に決めておいた場合だけになります。

期間を決めていない場合、比較は常に「今日の数字」で行われます。今日の数字は、常に借りている側が勝ちます。したがって、判断の誤りは能力の問題としては現れず、比較の時点の問題としてだけ現れます。

移動の設計には、もう一つ実務上の条件が付きます。移動した先で何が起きるかを、移動を求める時点で示しておくことです。示さずに求めると、相手は移動の先を推測します。推測は、たいてい「売り込みが来る」に着地します。着地した時点で、移動は起きません。

この示し方は、頻度や内容の予告に限りません。移動の先が、いま読んでいるものと同じ性質のものであることが分かれば足ります。性質が違うなら、移動は別の関係の始まりになります。別の関係を始めるには、いまの関係で足りていないものが必要です。

経路の途中に、判断を求める地点を作らない

経路の途中に判断を求める地点があると、そこで止まります。理由は、判断が難しいからではありません。

移動と判断は、別の行為です。移動とは、次のページへ進む、リンクを踏む、といった位置の変更です。判断とは、どれを選ぶか、いま決めるかどうか、を決める行為です。

判断には、移動とは違う種類の資源が要ります。その資源をいま払えるかどうかは、こちら側からは分かりません。

したがって、判断は経路の端に置きます。途中は移動だけにする。端に置かれた判断は、そこまで移動してきた人が、移動を終えた状態で行います。

具体的には、次のような形になります。記事の途中に「どちらのコースが向いているか」を問う分岐を置かない。分岐は、読み終わった後に一つだけ置く。途中に置かれた分岐は、読み進めることの代わりに選択を要求します。

判断を端に集めることは、判断を減らすことではありません。減らす方向へ進むと、最終的には判断のない経路になります。判断のない経路を通った人は、何も決めていないまま合流点に到達します。決めていない人が到達しても、累積は始まりません。

判断の位置が決まると、その手前で渡すべきものが決まります。端に置かれた判断が「この人の話を継続して読むかどうか」であるなら、その手前で渡すべきものは、継続して読む価値の判定材料です。判定材料は、こちらの主張の要約ではなく、既に成立した何かでなければなりません。

途中で意思を確認したほうが、その人に合ったものを出せる。分岐は相手のためである——出せる場合はあります。

ただし、途中の分岐が要求しているのは、まだ判断材料が揃っていない段階での判断です。どちらが自分に向いているかは、両方の中身を知らないと決まりません。中身を知る前に選ばせると、選ばれるのは分かりやすいほうの名前になります。

選んだ後は、選んだ側の内容しか届きません。最初の分岐が、その後に受け取れるものの範囲を固定します。分岐の位置が早いほど、固定される範囲は広くなります。

判断を端に集めると、途中で離れた人については何も分かりません。途中に分岐があれば、どこで何を選んだかが記録されます。分岐を無くせば、記録も無くなります。設計の質と、観測の細かさが、ここでは逆方向を向いています。記録を増やすために分岐を増やす判断は、この逆方向を見落としています。

そして、この見落としは指標の側からは検出できません。分岐を増やせば、記録できる項目が増えます。項目が増えれば、分析できることも増えます。分析が豊かになったという実感が、経路が細切れになったという事実を覆い隠します。

入口ごとに受け皿を作ると、畳めない受け皿が残る

よくある壊れ方の一つは、入口を増やすときに、その入口専用の受け皿を一緒に作ってしまう形です。

作っている時点では、この形は合理的に見えます。検索から来た人向けの案内と、紹介で来た人向けの案内は、内容が違って当然だからです。内容を分けることまでは正しい判断です。分けてはいけないのは、その先の受け皿です。

受け皿まで分けると、次のことが起きます。片方の受け皿にだけ人が溜まり、もう片方は空のまま維持され続けます。空のほうを畳もうとすると、そこに登録している少数の人をどうするかという問題が発生します。畳めないので、両方が残ります。

さらに、両方に登録している人が現れます。同じ内容が二度届くので、片方を解除されます。解除は、こちらの記録では「離脱」として記録されます。実際には離脱していません。重複が解消されただけです。記録は、この二つを区別できません。

入口ごとに内容を変えたいなら、受け皿も分けるしかないのではないか。分ける必要はありません。

受け皿を一つにしたうえで、その中で属性を持たせれば足ります。どの入口から来たかを記録として持っておき、届ける内容をそこで分ける。受け皿の数と、届ける内容の種類は、独立した変数です。

この分け方の詳細はセグメント配信で扱います。ここで確認しておくべきなのは、「内容を分けたい」が「受け皿を分ける」の理由にならないという一点です。

扱っている領域が本当に別である場合は、分けるほうが正しいことがあります。判定は、両方に登録する人が現れるかどうかで付きます。現れるなら、その二つは相手の側では一つの関心です。現れないなら、別の関心です。

受け皿が増えた状態は、放置されると増えた数だけ運用の手間を固定します。一度作った受け皿には、たとえ数人でも登録者がいます。登録者がいる場所を止める判断は、人数が少ないほど下しにくくなります。少ないので影響は小さいはずなのに、少ないからこそ「この人たちだけ切り捨てるのか」という形の問いになるからです。

結果として、機能していない受け皿ほど長く残ります。残っている間、そこには定期的に何かを出す必要が生じます。出さなければ、登録した人にとっては何も届かない場所になるからです。運用の負荷が、機能していない側に偏って発生します。

この構造を避ける方法は一つしかありません。受け皿を増やす前に、増やした後の畳み方を決めておくことです。畳み方が決まっていない受け皿は、実質的に永久のものとして作られています。永久のものだと分かっていれば、そもそも増やすかどうかの判断が変わります。

回遊率ではなく、二度目が二度目として見えているか

経路が識別できているかどうかは、回遊率でも到達までのページ数でも読めません。

一つ目は、合流点に到達した人の入口が特定できるかどうかです。特定できていれば、その入口は再現できます。特定できない流入が多いとき、増えているのは到達数であって、設計ではありません。翌月に同じ数が出るかどうかを、こちらの側で予測できないからです。

二つ目は、同じ人が二度目に来たときに、二度目だと分かるかどうかです。分からないなら、関与は累積していません。累積していない状態では、何度接触しても、毎回が初回になります。接触回数を増やす施策は、この状態では効果を持ちません。

三つ目は、入口の内容だけで用が足りた人が一定数いるかどうかです。全員が合流点へ進む状態は、良い状態ではありません。入口が独立して機能していないか、進まない選択肢が実質的に用意されていないかのどちらかです。用が足りて降りる人がいることは、入口が中身を持っている証拠になります。

どれも、通過した人数ではなく経路が識別できているかを見ています。導線設計が入口と合流の設計である以上、確認すべきは経路の側だからです。

回遊率を主指標から外している理由も、ここにあります。回遊率は、二つの異なる状態を同じ数字にします。関心が続いて次を読んだ人と、探しているものが見つからず別のページへ移った人が、どちらも回遊として計上されます。後者は、本来は改善対象として検出されるべき動きです。検出されるどころか、指標を良くする側に入ります。

入口の特定も同一人物の識別も、計測の仕組みが要るのではないか。規模が小さいうちは、仕組みは要りません。

来た人に直接聞けば分かります。どこで知ったか、以前にも読んだことがあるか。十件ほど聞けば、傾向の手がかりは出ます。仕組みが必要になるのは、聞ける人数を超えてからです。

そして、聞いていた時期の記憶があるかどうかで、仕組みを入れた後の数字の読み方が変わります。聞いたことがない人にとって、集計された数字は最初から数字です。一度でも聞いていれば、その数字の後ろに何があるかが分かります。

なお、合流点そのものを何によって持つのか——つまり「集める」より前に決まっているべきことは、リスト集めの前提で扱います。

入口の適正な数は、こちらの側にありません。相手がどこにいるかで決まる値なので、決めているのは分布のほうです。移動を求める位置も、記録する属性も、同じ形をしています。前者はその内容が用を足した地点で決まり、後者は後で分けたい単位で決まる。どれも、こちらが見ている先が決めています。数字を先に置くと、見る先が数字に置き換わります。

上限の無い側と、上限が一つの側。この二つを取り違えている限り、どれだけ内側を調整しても、経路は識別できるようになりません。

だから、いま確かめられることは二つに割れます。合流点が一つなら、次に見るのは入口の数です。足りていないなら増やす余地があり、増やす余地があるなら、それは中間の摩擦より先に効きます。合流点が二つ以上あるなら、入口の数は後回しになります。先に決めるのは、どちらを畳むかです。畳む判断は、登録者が増えるほど下しにくくなります。いま二つあるなら、いまが最も下しやすい時点にあたります。

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