好きなことで生きていく

好きなことで生きていくとは|念じなくても動く状態をどう作るか

はじめに

「好きなことで生きていく」という言葉には、二つの受け取られ方があります。一つは、甘い夢物語として。もう一つは、強く念じて引き寄せるべき目標として。けれど、どちらも肝心なことを見落としています。本当に好きなことに向かう人は、それを念じてはいないのです。気づけば、そちらへ動いている。

好きを収益化する方法論は、すでに多く語られています。本記事が置くのは、その一段手前の問いです。本物の願いに向かうとき、人はなぜ力まずに進めるのか、その構造です。これは、引き寄せへの批判のなかで、決して見失ってはならない一つの真実でもあります。

結論を先に示します。本当に欲しいものは、念じなくても、あなたを動かします。心から夢中になれる何かに向かうとき、気合いは要りません。やめろと言われても、やめられない。時間を忘れている。この力の抜けた自然な前進こそ、本物の願いの何よりのしるしです。念じる必要があるのは、それが本当に欲しいものではないから。この記事は、その「力まない前進」を、心理学の知見とともに擁護します。

なぜ、本物の願いは力まずとも進むのか

これまで、念じることの空回りを見てきました。けれど、ここで、はっきりさせておかねばなりません。斬られるべきは、借り物の願いを力ずくで念じ込むことでした。本物の願いに向かって、人が自然に動くこと——これは、まったく別のことであり、否定するどころか、擁護すべきものです。

なぜ、本物の願いは力まずとも進むのか。心理学者デシとライアンの自己決定理論が、その答えを用意しています[Deci & Ryan, 1985]。本物の願いは、自分の深い価値と一致しています。だから、外圧という燃料を必要としません。内なるエネルギーが、自ら動きを生むからです。自己と一致した目標は、持続しやすく、無理なく追えることが研究で示されています[Sheldon & Elliot, 1999]。力まずに進めるのは、その願いが自分自身と調和しているからです。

ここに、引き寄せとの決定的な違いが際立ちます。引き寄せは「強く念じよ」「力を込めて信じよ」と、力みを要求しました。それは、扱う願いが借り物で、自分と調和していなかったからです。調和していない願いは、力ずくでなければ保てない。逆に言えば、力みが要るということ自体が、その願いが本物でないことのしるしでした。本物の願いは、力を込めて信じる必要が、そもそもないのです。

念じる代わりに、向かう

空回りが止まるのは、念じることをやめ、向かうことを始めたときです。向かうこととは、念じる対象を自分の願いに据え直し、その願いに向かって、小さく実際に動き始めることです。

自分が動いて現実に働きかけるので、「念じれば動く」機序が存在するかどうかは、もはや問題になりません。自分の行動は、確かに現実に作用するからです。そして向かい始めると、現実との健全な関わりが戻ってきます。念じているあいだ、人は現実を頭のなかでだけ扱っていました。けれど向かい始めると、人は現実に実際に触れる。やってみて、うまくいったり、いかなかったりする。現実は、もはや念じて動かす対象ではなく、ともに関わり、応答し合う相手になります。この現実との生きた関わりこそ、念じることが奪っていた最も大切なものでした。

この転換の重要な点は、それが「もっと強く念じる」の正反対だということです。空回りを止めるために、念じる力を上げる必要はありません。むしろ、念じることそのものを手放し、力を現実の小さな一歩へと振り向ける。念じることは力を内側で空転させますが、向かうことは力を現実へと接地させる。同じエネルギーが、空転から前進へと向きを変えるのです。

▸ この「向かう」を支える、小さな実行の積み重ねについては、なりたい自分になる方法で詳しく展開しています。

力まないことと、何もしないことは違う

ここで、力まないことと、何もしないことを混同しないよう、補っておきます。本物の願いに向かう人も、汗をかき、骨を折り、困難に立ち向かいます。力まないとは、こうした現実の労を避けることではありません。

力まないのは、「願いを保つこと」や「自分を信じ込ませること」に力が要らないという意味です。願いはすでにそこにあるので、それを維持するために力む必要がない。だから、その人の力は、すべて現実の困難を越えることへ注がれます。借り物の願いの人は、困難の手前で、まず「願いを保つこと」自体に絶えず力を注がねばなりません。スタート地点が、すでに違うのです。入口で力を浪費しないからこそ、本番の困難に全力を向けられる。「好きなことで生きていく」とは、労のない人生のことではなく、労を注ぐべき場所に、迷いなく注げる状態のことです。

これは「叶わなかったのはお前のせい」ではない

一つ、正面から答えておかねばならない疑いがあります。「力むなら借り物のしるしだ」という見分けは、叶わなかった人に「それは、あなたの本物の願いではなかったのだ」と告げる、後出しの説明になるのではないか。もしそうなら、それは、引き寄せの「信が足りない」という自己責任ループと、同じ構造になってしまいます。

けれど、両者は決定的に違います。ここでいう本物かどうかは、叶ったか叶わなかったかという結果で後から裁くものではありません。それは、念じ始める前に、行動との関係のなかで確かめられるしるしによって、前もって見分けるものです。反対されてもやりたいか。視線が自分の取り分の先へ向いているか。自己像と結びついているか。小さな実行に手応えがあるか。引き寄せの「信が足りない」が疑うことを封じて自責へ送り込むのに対して、ここでの見分けは、「これは本当に自分がやりたいことか」を行動のなかで確かめるよう促します。一方は反証の扉を閉じ、もう一方はそれを開く。この違いが、両者を分けます。

まとめ:念じる必要のない願いこそ、本当に欲しいもの

本物の願いが力まずとも進むのは、それが自分の深い価値と一致し、内なるエネルギーで動くからでした。引き寄せが力みを要求したのは、扱う願いが借り物で、自分と調和していなかったから。力みが要ること自体が、その願いが本物でないことのしるしでした。念じる代わりに向かい、入口で力を浪費しないからこそ、本番の困難に全力を注げる。

もしあなたが力を込めて何かを念じている自分に気づいたら、それは、立ち止まって問い直す合図です。本当に欲しいものなら、こんなに力は要らないはずだ、と。念じる必要のない願い——それこそが、あなたが本当に欲しいものです。その願いに出会うための全体の設計図を、次の一歩として受け取ってください。この守るべき「力の抜けた前進」が引き寄せ全体でどう位置づくかは、引き寄せの法則とは何かにまとめています。

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参考文献

【学術論文・理論】

  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior(1985)Plenum Press
  • Sheldon, K. M., & Elliot, A. J. “Goal Striving, Need Satisfaction, and Longitudinal Well-Being: The Self-Concordance Model”(1999)Journal of Personality and Social Psychology, 76(3)
  • Ryan, R. M., & Deci, E. L. “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation”(2000)American Psychologist, 55(1)
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