書く題材が足りないのだと考えている方へ/供給の側で解こうとすると、探す作業が習慣になる

何を書けばいいかわからないとき、理由を辿ると輪郭が出てくる

書くことが決まらないとき、返ってくる処方はおおむね三つです。型に当てはめる。自分の興味と経験から探す。とにかく書き始める。

三つとも、手は動きます。動くので、実行した人はその日のうちに前へ進んだ感覚を得ます。それでも同じ場所へ戻ってくるのは、動いた先に出てきたものが共通の性質を持っているからです。書けたものが、自分でなくてもよい文章になっている。型に当てはめれば型のものが出てきますし、興味を並べれば、並んだ項目のどれを書くかでまた止まります。書き始めれば、三段落目で何の話をしているのか分からなくなることがあります。

三つが揃って触れていない場所が一つあります。何を重要と見なすかが、決まっていない。題材が足りないのではなく、手元にあるものが題材として見えていない状態です。この状態で探す先を増やすと、増えるのは候補の一覧だけになります。

先に、この記事が答えを出す範囲を書きます。第一に、「書けない」と呼ばれている状態が実際には何種類あって、どれとどれで打つ手が変わるのか。第二に、材料が手元にありながら見えなくなるのは、どういう機序によるのか。第三に、書くことを決めているのは選択なのか、それとも別の作業なのか。

二つは、この記事の外に残ります。ある主張が読み手にとって価値を持つかどうかは、書く前の側では判定できません。出したあとの観測でしか分かりません。それから、何本の候補を持ち、どれくらい考えてから着手するかという配分も出てきません。いま自分がどの状態にいるかで変わる量だからです。

決まっていない状態を題材の不足として扱うと、損なわれるのは時間のほうです。検索の道具を眺め、他の書き手の記事を眺め、候補の一覧を作る。一覧は増え続けますが、書く本数は増えません。増えないので、また探しに行きます。探す作業には手応えがあるので、書いていない期間がそのまま説明の付いた期間になります。

損なわれ方には、もう一段あります。止まっている理由がどれなのかを確かめないまま処方を当てると、効かなかったという結果だけが残ります。そして効かなかった理由は、処方の側ではなく自分の側に帰されます。探し方が足りない、書いた数が少ない、という形です。取り違えは、当てた処方の数だけ確信を強めます。

置き直すのは、順序です。書くことは選ぶものではなく、基準が決まったあとに残るものだという順序を、機序と判定の両方から見ていきます。

「文章で何を書けばいいかわからない」に、世間はどう答えているか

書くことが思い浮かばない状態は、多くの書き手が通る段として説明されます。始めて間もない時期や、一通り書き終えたあとに起きやすい。珍しいことではない、という位置づけです。

第一の処方が示されます。型に当てはめる。おすすめを並べる形、比較する形、手順を説明する形、体験を語る形。型を持っていれば、内容を当てはめるだけで一本になります。

第二の処方も示されます。自分の興味と経験を書き出す。得意なこと、やってきたこと、人に聞かれること。書き出した中から、読み手の関心と重なる部分を選ぶ。

第三の処方も示されます。完璧を目指さずに書き始める。書きながら考える。質より量を先に積む。書いた数が増えれば、書けるようになる。

補助の助言も添えられます。読み手の質問から探す。検索されている言葉から探す。他の書き手の記事を見て、自分なら何を書くかを考える。

並んでいる処方は、実務として正確です。型があれば手は動きますし、書いた数が増えれば書く速さは上がります。読み手の質問が題材になるという指摘も、実際に当たっています。どれも外せません。

一式を貫いている前提は、一つです。書くことが決まらないのは、題材が足りないからだ。だから探す場所を増やし、当てはめる器を用意する。供給の側で解こうとしています。

題材が実際に足りない場合もあります。経験が浅く、扱える範囲が狭い段階では、探す作業がそのまま効きます。探す先に、まだ自分の知らない領域が実際にあるからです。

効かなくなるのは、供給の問題として整理し切った場合です。候補が十個出てきても、どれを書くかは決まりません。候補が増えるほど選べなくなることもあります。増えた候補は、比べる軸を持っていないからです。

関心の高いものを選べばよい、という答え方はできます。ただし、関心の高い題材は多くの書き手が既に書いています。同じ題材を同じ基準で選べば、出てくる内容も似ます。選ぶ基準が外側にあると、選んだ結果も外側と一致します。書き手が誰であっても成立する記事は、この経路から生まれます。

検索されている言葉から探すという助言が効く条件も、ここで決まります。よく効くのは、その言葉が自分の基準に触れる場所にある場合です。触れない場所にある言葉を拾えば、需要のある題材について、自分でなくても書ける内容を書くことになります。

そして供給の側を厚くする作業には、それ自体の副産物があります。候補の一覧を保つ場所が要る。整理の仕組みが要る。題材を管理する作業が、題材を書く作業の代わりに立ち上がります。手が動いている点は同じなので、置き換わったことは作業の中からは見えません。

「書けない」は、三つの別の状態を指している

同じ言葉で語られている状態が、少なくとも三つに割れます。

第一の型は、材料が無い状態です。その領域での経験が浅く、書ける内容が実際に少ない。打つ手は、経験を積むことになります。探しても出てきにくくなります。

第二の型は、材料はあるのに、それが材料だと思えない状態です。自分にとって当たり前になっていることは、書く対象として認識されません。打つ手は、枠を作ることになります。

第三の型は、重要だと分かっているのに、言葉にできない状態です。書きたい内容はあるが、どう始めればよいかが決まらない。打つ手は、問いを立てることになります。

三つは、症状が同じです。どれも「書くことが浮かばない」と感じられます。それでいて、有効な手は三つとも違います。

第二の型の人が第一の型の処方を実行すると、探した先に自分の材料は出てきません。探しているのは外で、材料は手元にあるからです。この取り違えは、探す作業が長引くほど確信を強めます。出てこないのは探し方が甘いせいだ、という説明が付くからです。

第一の型かどうかは、一つの問いで当たりが付きます。過去半年のうちに、自分が何かを判断した場面を三つ挙げられるか。挙げられるなら材料はあります。挙げられないなら第一の型です。

自己申告は、この判別には使いにくくなります。第二の型にいる人は、自分を第一の型だと申告しがちです。比較の相手が外にいるからです。他の書き手が書いている内容と自分の手元を比べれば、手元のほうが乏しく見えます。乏しく見えるのは、相手の側が既に言葉になっていて、自分の側がまだ言葉になっていないからで、量の差とは限りません。

三つが混ざることもあります。混ざり方は領域ごとに違うことが多い。長くやっている領域では第二か第三の型に、新しく始めた領域では第一の型になりやすくなります。判別は、領域を一つに絞ってから行います。

第一の型に対しても、書くこと自体に効用はあります。書きながら経験が整理される面があるからです。ただし、整理する対象が手元に無ければ、整理は起きません。

第三の型には、見分けやすい症状があります。書きたい内容について話すことはできるのに、書こうとすると止まる。話せるということは、材料も基準も既にある見込みが高いということです。足りていないのは、その内容がどの問いに答えているかの特定です。この場合、問いを一文で書いた時点で書き始められることが多くあります。問いの立て方そのものは見出しの作り方で扱っています。

三つに割ると、第一の型に対して書けることは減ります。経験を積む以外の手が無いからです。それでも割る理由は、無効な処方に使う時間が消えることにあります。

材料が無いのではなく、材料を区切る枠が無い

同じものを見ていても、見える内容は人によって違います。

差を作っているのは、その領域について何を持っているかです。知識の量ではありません。意味のある単位で区切る枠を持っているかどうかです。

枠が何をしているかについては、実験があります。チェイスとサイモンは、チェスの盤面を短時間見せて再現させる課題を行いました(Chase & Simon, 1973, Cognitive Psychology, 4(1), 55–81)。熟練者は、実際の対局に現れる配置を、初心者よりはるかに正確に再現しました。

ただし、駒をでたらめに並べた盤面では、その差はほとんど消えました。熟練者が持っていたのは記憶力ではなく、意味のある配置を一つの塊として捉える枠でした。

この実験が測ったのは、チェスの盤面の再生です。文章の題材の発見を測ったものではありません。示されたのは、枠があると同じ情報から取り出せる量が変わるという方向だけです。

方向としては、そのまま当たります。書く材料が見えないのは、材料が無いからではなく、それを材料として区切る枠が無いからである場合があります。枠が無ければ、材料は目の前を通り過ぎます。

仕事の中で、依頼を断った日があるとします。断ったという出来事は記憶に残っていますが、それが書く材料だとは思われません。「何を基準に断るかは、書く価値のある判断だ」という枠を持つと、同じ日が材料として見えます。

枠の入手経路は、二つあります。

一つは、他人の文章から借りる形です。ある書き手が断る基準について書いているのを読むと、自分の中の同じ出来事が見えるようになります。借りた枠で見えた材料は、自分のものです。

同時に、枠を借りると書く内容まで借りることがあります。見えた材料を、その書き手の結論に合わせて解釈する形です。分けるには、見えた出来事を先に記録し、解釈をその後ろに置きます。

もう一つの経路は、聞かれることです。自分にとって当たり前の判断について「それはどうやって決めているのか」と聞かれると、そこが材料だと分かります。聞かれるまで見えないのは、当たり前になったものが背景へ沈むからです。何をどう尋ねるかは顧客インタビューの聞き方にあります。

枠が増えると、今度は材料が増えすぎます。何もかもが書く材料に見える状態です。これは第二の型を抜けたあとの、別の場所にある問題になります。

型は手を動かすが、主張が無いと書けたものは型のものになる

型は、手が止まる状態をよく解きます。

「おすすめを五つ挙げる」という型があれば、五つ挙げれば一本になります。手が止まる箇所がありません。この効用は実在します。

同時に、型は内容の範囲を決めています。五つ挙げる形の中では、五つ挙げられる内容しか扱えません。分界を示す内容や、前提を疑う内容は、この型に入りません。

したがって、型で書き続けると、型に入る内容だけが書かれます。入らない内容は書かれないまま残ります。残っていることは、書き手の側にも見えにくくなります。

そのうえ、型は共有されています。同じ型で書かれた文章は既に多くあり、読み手は型を見た時点で内容の見当を付けられます。見当が付いた時点で、読む理由は薄くなります。

「文章が上手くなる七つの方法」という型に入るのは、並列に置ける項目です。「上手くなるという言い方が何を指しているのか」という問いは、この型に入りません。入らないので、書かれません。

型に入らない内容には需要が無い、という読み方もできます。判定は需要の測り方によります。検索されている言葉で測れば、型に合う言葉のほうが多く出ます。言葉になっていない問いは、測定に現れません。現れないことと、無いことは別です。

始めた段階では、型を使うほうが結果が良くなります。判断の材料が無い状態で型を外すと、外した理由を自分で説明できないからです。外す判断は、型で何本か書いたあとにしか下せません。

そして、型を使うこと自体は、型のものになることを意味しません。型に自分の主張が入っていれば、器として使えます。器のまま出てくるのは、主張が決まっていない場合です。

器として使う場合、型は後から選びます。主張を一文で決めてから、それを渡すのに適した並びを選ぶ。先に型を選ぶと、その型に入る主張だけが立ちます。順序が一つ入れ替わるだけで、決めているものが交代します。

判定は、型を外して読むと付きます。並列の項目を一続きの文章に直したときに、論証として通るか。通るなら主張が入っています。項目の羅列にしかならないなら、型が構造を代行していたということです。代行されているあいだ、書き手は構造を作る練習をしていません。

この代行には、気づきにくさが伴います。出来上がったものが一本の記事の形をしているからです。形が整っているので、点検の対象になりません。点検されるのは、うまくいかなかったもののほうだけになります。

興味を書き出す作業は、順序を持たない一覧を作る

自分の興味と経験を書き出す、という助言は、一覧の作成を求めています。

一覧は、多くの場合そのままでは出てきません。興味は項目として意識されていないからです。「何に興味がありますか」と聞かれて答えられるのは、既に言葉になっているものだけです。

言葉になっているものは、既に何度も語ったものです。何度も語ったものは、書き尽くしていることが多い。したがって一覧から出てくるのは、書き終えた題材が多くなります。

そして、一覧には順序が入っていません。十項目書き出しても、どれから書くかは決まりません。決めるには基準が要り、基準は一覧の中にありません。

「音楽」「経営」「読書」と書き出したとします。この三つから書く内容は決まりません。三つとも広すぎるからです。狭めるには、その中の何を重要だと思っているかが要ります。

この構造は、誰に向けるかを決める作業と同じ形をしています。ペルソナの作り方で扱ったとおり、対象は設計の入力ではなく出力であり、価値の基準を決めたあとにしか絞れません。題材も同じで、基準の前には絞れません。

興味を書き出すこと自体が無駄になるわけではありません。材料の在庫を確認する作業としては働きます。詰まるのは、その一覧から選べると期待した場合です。選べないので、一覧を眺める時間が延びます。

一覧が本来の役目を果たす場面もあります。領域が広すぎて、どこを扱うかも決まっていない段階です。この場合、一覧は範囲を狭める作業になります。狭めたあとに、また基準が要ります。範囲を狭める作業と、その中から選ぶ作業は、別々の工程です。

書き出す対象を変えると、一覧の性質が変わります。興味ではなく、直近で判断した場面を書き出す形です。判断は個別の出来事なので、一覧に具体が入ります。

もう一つの変え方は、「最近、人に説明したこと」を書き出す形です。説明したということは、相手が知らず、自分が持っていた内容だということになります。一覧にその差分が残ります。差分は、興味と違って外から見える形をしています。

一覧を作る作業には、進んでいる感覚が伴います。手が動き、項目が増えるからです。進んでいるのは在庫の把握で、選ぶ作業はまだ始まっていません。二つが混ざると、何日も一覧を触ることになります。触っているあいだ、一本も書かれません。

辿るのは、何かを重要だと判断した瞬間である

探す対象を入れ替えます。探すのは題材ではなく、判断の履歴です。

判断とは、二つ以上の選択肢から一つを選んだ場面のことです。依頼を受けるかどうか。どちらの方法を採るか。何をやめるか。選んだということは、何かを重要と見なしたということです。

重要と見なした基準は、多くの場合、言葉になっていません。選ぶときに使っているのに、意識されていない。辿る作業は、この基準を取り出す作業になります。

取り出し方は単純です。選んだ場面を一つ思い出し、なぜそちらを選んだかを書く。書いた理由に、さらになぜと問う。二度か三度で、言い換えられない場所に着くことが多くあります。

ある依頼を断ったとします。理由は「時間が合わなかったから」。なぜ時間を空けなかったのか。「その時間に自分のものを作りたかったから」。なぜそちらを優先するのか。ここで出てくるものが基準です。

基準が出ると、書ける内容がまとめて見えてきます。受ける仕事をどう選ぶか。時間の使い方をどう決めるか。自分のものを作る時間をどう確保するか。どれも、その基準から出てきます。

自分語りになる、という懸念は成立します。分かれ目は書き方のほうにあります。基準そのものを書けば、読み手が自分の判断に当てはめられます。基準に至った経緯だけを書けば、その人の話で終わります。使うのは基準で、経緯は具体として添えます。

判断の履歴が薄い領域もあります。始めたばかりの領域では、選んだ場面が少ない。この場合は第一の型と同じで、経験の側が先に要ります。

辿る作業は、記録があると速くなります。何を選び、何をやめたかを書き留めておく。後から思い出す形では、選ばなかったほうが落ちます。

落ちる理由は、記憶の側にあります。選んだ結果は残りますが、選ばなかった選択肢は、選んだ瞬間から記憶から落ちやすくなります。そして、判断の中身は、選ばなかったほうにこそ現れます。何を捨てたかが基準を示すからです。

したがって、記録するのは判断の結果ではありません。そのとき並んでいた選択肢のほうです。二つ書いて、片方に印を付ける。これだけで、後から基準が復元できます。

基準を言葉にすると、それに反する過去の判断も一緒に見えてきます。基準と行動が一致していない箇所です。見えることは快いものではありませんが、そこが書く価値の高い材料になります。基準と行動のずれは、基準を持っている人にしか見えないからです。

基準が決まると、書くことは残りとして決まる

題材は、選ぶものではなく、基準が働いた後に残るものです。

基準が決まると、その基準から見て重要なものと、そうでないものが分かれます。重要な側が書く対象になります。選んでいるのではなく、基準が分けています。

この順序は、誰に向けるかを決める作業と地続きです。ペルソナの作り方で扱ったとおり、対象は価値の基準の後にしか決まりません。何を書くかも、同じ場所から出てきます。

したがって、書くことが決まらない状態は、多くの場合、基準が決まっていない状態です。題材の不足ではありません。

基準が働いているかどうかは、判定できます。二つの題材を並べて、どちらを先に書くかを一分で決められるか。決められないなら、基準が働いていない見込みが高くなります。

見出しの作り方と体験談の書き方のどちらを先に書くか。基準が「読み手が自分で判定できるようになること」なら、どちらがその基準に近いかで決まります。基準が無ければ、検索の数で決めることになります。

検索の数で決めるのは、それ自体は筋の通った手です。分かるのは需要の大きさで、分からないのは、その需要が自分の読み手のものかどうかです。数の大きい言葉は、多くの場合、別の書き手が既に占めています。数だけで決めると、勝てない場所を選びやすくなります。

基準と需要の両方を見る形が普通です。基準に合う題材の中から、需要のあるものを選ぶ。順序が逆になると、需要のある題材に基準を合わせることになります。

基準は、一度決めれば終わりではありません。書きながら、基準のほうが具体化していきます。具体化すると、書ける題材も増えます。

増え方には順序があります。基準が抽象的な段階では、当てはまる題材が多すぎて絞れません。書いていくうちに、基準を適用した例が溜まります。溜まった例が、次の題材を判定する物差しになります。物差しは、使った回数だけ細かくなります。

したがって、最初の数本は決めにくく、以降は決めやすくなります。決めにくい段階を題材の不足と読み違えると、また探す作業へ戻ります。戻った先には、やはり基準がありません。

基準を先に置くと、書ける題材は減ります。基準から外れるものが落ちるからです。減った状態は落ち着かないものですが、残ったものは全部、自分が書く理由のあるものになります。書ける本数と、書く理由のある本数は、別の量です。

「まず書く」が効く状態と、効かない状態

とにかく書き始める、という処方は、状態によって効き方が変わります。

効くのは第三の型です。重要だと分かっているのに言葉にできない状態では、書く作業そのものが言葉を作ります。書き出すまで形にならないので、待っても始まりません。

効かないのは第二の型です。材料が材料に見えていない状態で書き始めても、書く対象が見えていないので、出てくるのは一般的な内容になりやすくなります。

第一の型でも同じです。材料が無い状態で書けば、他で読んだ内容の再構成になりやすくなります。

したがって、まず書くは処方ではなく、条件の付いた手順です。条件は、書く対象が既に決まっていることです。

「断る基準について書く」と決まっていれば、書き始めれば進みます。「何か書く」と決めて書き始めると、三段落目で止まりがちです。止まるのは、決まっていないものが、書きながらでは決まりにくいからです。

書きながら決まる場合もあります。その場合は、決まった時点で最初から書き直すことになります。書き直す前提であれば、この形は有効です。書いたものをそのまま使う前提だと、決まっていない状態が保存されます。

量を積むことの効用は、別の場所にあります。書く速さ、文の作り方、段の組み方は量で上がります。量だけでは上がりにくいのは、何を書くかの判断です。

二つを混ぜると、手当てを取り違えます。詰まっているのが判断の側なのに、量で解こうとすると、決まっていないまま書いた本数だけが増えます。増えた本数は、次の判断を助けにくくなります。判断の材料は、書いた数ではなく決めた回数のほうに溜まるからです。

そして、まず書くには、材料を掘り出す使い方もあります。題材ではなく、判断の場面について書く形です。「先週断った依頼のこと」を書き出せば、基準が出てきます。これは公開するための文章ではありません。

公開しない文章には、別の効き方があります。誰にも読まれない前提だと、格好を付ける必要が無いからです。格好を付けない文章のほうに、基準が素直に出ます。公開前提で書くと、出す段階で判断がかかり、その判断が基準を隠します。

この使い方には、そのまま止まる危険もあります。公開しない文章は書きやすいので、そちらだけが溜まっていくことがあります。掘り出す作業と、掘り出したものを渡す作業は別なので、前者を続けても後者は始まりません。分けるには、掘り出した基準を一文に畳んで、公開する側の記事の材料として置き直す段を挟みます。

続けていけば、書いたものが溜まります。溜まったものの中に、使える材料が混ざっています。混ざっているので、選ぶ作業がまた発生します。選ぶ基準は、やはり手前にあります。書く前に必要だったものが、書いた後にも必要になるだけです。

決まったかどうかは、書き始める前に分かる

題材が決まったかを確かめる方法が三つあります。いずれも書き始める前に実行できます。

第一の確認は、その記事が言うことを一文で書いてみることです。

書けるなら、決まっています。書けないなら、決まっているのは題材の名前だけです。「見出しの作り方について書く」は題材で、「見出しの数は問いの分解の結果として決まる」は主張です。名前と主張の差は、この一文が書けるかどうかにそのまま現れます。

第二の確認は、なぜ自分がそれを書くのかを一文で書いてみることです。

書けないなら、外から選んだ題材である可能性があります。書けた場合、その一文が基準です。基準が書けていれば、次の題材も同じ場所から出てきます。

第三の確認は、その内容を扱っている既存の記事と、自分の主張が違うかを見ることです。

同じなら、書く理由は薄くなります。違う場合は、どこが違うかを一文で言えるかを見ます。言えないなら、違いは表現の側にしかありません。

三つとも、需要の大きさを見ていません。需要は条件であって、書くことが決まったかとは別の軸だからです。

三つを通しても、答えの出ない問いが残ります。その主張が読み手にとって価値を持つかどうかです。一文で書けて、理由もあって、既存とも違っていて、それでも読み手が必要としていない記事は成立します。この判定は、書く前の側では行えません。行えるのは、出したあとの観測だけです。出さずに判定しようとすると、判定できないので出せなくなります。

何本の候補を持つか、どれくらい考えてから書き始めるか、どの順で書くか。三つとも数え上げの形では答えません。数値を先に置けば、それ自体が新しい基準として働きます。外から来た基準で残りを決めれば、残ったものは自分が書く理由を持たなくなります。

型に当てはめる、興味から探す、とにかく書き始めるという三つの処方は、どれも手を動かすのに同じ場所へ戻ります。戻る理由は、三つとも供給の側を触っていて、分ける側を触っていないことにあります。題材を増やす作業と、題材を分ける作業は、同じ量の別の面ではなく、別の作業です。探す処方が無効だったのではなく、探した先で使う物差しの話が、そこに含まれていなかっただけです。

したがって、いま止まっている場所は、三つのうちどれかで特定できます。材料が無いのか、材料が見えていないのか、材料は見えていて問いが立っていないのか。領域を一つに絞って特定できれば、次に手を伸ばす先も一つに決まります。どこから手を付けるかは、いま自分が置かれている状態のほうが決めます。

価値の基準をどう言葉にするかはコンセプトの作り方と世界観の作り方で扱っています。誰に向けるかを決める段はペルソナの作り方が、決まった主張をどう並べるかは記事構成の原則が受け持ちます。言葉にならない状態を、区別が無い・言葉が無い・範囲が合っていないという別の三つに分ける分類は言語化の全体像で扱っています。

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