架空の一人に、年齢と職業と年収と家族構成と休日の過ごし方を与える。項目が埋まるほど、その人物は輪郭を持ち、判断の基準として使えそうに見えてきます。
輪郭が濃くなるのと、その人物が実在するかどうかは、逆方向に動きます。属性を独立に重ねるほど、全部を同時に満たす人は急速に少なくなります。これは比喩ではなく、掛け算として書ける関係です。詳しく決めるほど確からしくなるという感覚だけが、計算と反対を向いています。
そして、実際に書く判断で参照されているのは、並べた属性ではありません。見出しを決めるとき、例を選ぶとき、どこまで説明するかを決めるとき、手が触れているのはその人が何を重要だと感じているかのほうです。
答えが出る問いを三つ、先に挙げます。第一に、属性を足す作業は絞り込みとして何をしているのか。第二に、この手法はもともとどういう問題を解くために作られ、いま何に使われているのか。第三に、対象と価値の基準は、どちらが先に決まるのか。
決められないことも一つあります。基準で絞った対象が、市場の中に十分な数だけ存在するかどうかは、この作業の内側では確かめられません。届けてみるまで分かりません。人物像をどこまで詳しく書くか、対象をどこまで狭めてよいかという配分も、扱う領域と単価によって変わるので出てきません。
対象を入力に置くか出力に置くかで、決めなければならないものが入れ替わります。入力に置けば、決めるのは調べ方です。誰が何を求めているかを調べ、それに合わせて作る。出力に置けば、決めるのは自分が何を価値と見なすかのほうで、対象はその後ろに残ります。前者では自分の側に基準が要らず、後者では基準が最初に要ります。
この取り違えが実際に効いてくるのは、作った人物像がその後の判断で一度も参照されない、という形です。参照されない設計文書は、静かに残ります。間違っていると分かれば直せますが、使われていないものは間違いも露見しません。作った時間だけが費用として済み、次の期にまた同じ手順が回ります。
そして、参照されていないことは、判断の質の問題としては現れません。書いたものは書けているからです。現れるのは、書いた記事どうしが噛み合わないという形です。別々の記事が別々の読み手を想定していても、一本ずつ読めば通ってしまいます。
属性を重ねる作業の性質、この手法の出自、そして対象が基準の後にしか決まらないという順序を、この順で見ていきます。
📖 目次
ペルソナの作り方は、どういう手順として教えられているか
ペルソナとは、自社の商品やサービスを利用する典型的な顧客像を、実在する一人の人間のように詳細に設定した人物像のことです。対象の絞り込みを、統計的な区分ではなく具体的な人物として行う手法だと説明されます。
設定する項目が示されます。年齢、性別、居住地、職業、役職、年収、家族構成。これに加えて、価値観、生活の様子、情報の集め方、抱えている課題。属性だけでなく内面まで含めることが要点だとされます。
作成の手順も示されます。第一に、調査。既存の顧客への聞き取り、アンケート、利用状況の記録、営業の担当者からの情報。第二に、情報の整理と共通点の抽出。第三に、一人の人物への統合。第四に、書式への記入と共有。
効用として挙げられるのは、判断の軸が揃うことです。関わる人が複数いる場合、誰に向けているかの認識がずれると、施策ごとに別の方向を向きます。人物像を共有すれば、この分散が減る、という説明です。
気をつける点も併記されます。最も陥りやすい失敗は、自分たちにとって都合のよい理想像を作ってしまうことだ、という指摘です。企業の理想ではなく顧客の現実を基にせよ、と繰り返し書かれています。手法そのものへの批判も紹介されます。属性で人を分けることが実態に合わなくなった、という議論です。
認識のずれが施策の分散を生むのは事実ですし、理想像に寄る失敗も起きます。手順の記述として、抜けている項目はありません。
並んだ手順が共有している前提は、一つです。ペルソナは、設計の入力として扱われています。先にこれを作り、それに基づいて何をどう提供するかを決める。順序が固定されています。
入力として機能する場面はあります。既に提供するものが確定していて、それを誰に届けるかだけが未定の場合です。この場合、対象の特定は独立した課題になります。
入力として整理し切ったときに起きるのは、提供するものの中身が対象から導かれるという向きの固定です。誰が求めているかを調べ、それに合わせて作る。この向きで進めると、自分の側に何の基準も要らなくなります。求められているものを提供するだけなので、判断は市場の側にあります。そして市場の側にある判断は、他の誰かも同じように読み取れます。
読み取れるということは、同じ調査から同じ像が出るということです。同業の複数の書き手が、独立に作業して、近い人物像に着きやすくなります。着いた先が同じなら、そこから導かれる提供物も似ます。この一致は、それぞれの作業の内側からは見えません。自分の調査の結果として出てきた像だからです。
属性を重ねるほど、組み立てた人物像が実在する確率は下がる
詳細化には、数の側から見た帰結があります。
チャップマンとミルハムは、ペルソナの妥当性について指摘を出しました(Chapman & Milham, 2006, Proceedings of the Human Factors and Ergonomics Society Annual Meeting, 50(5), 634–636)。多くの属性を同時に満たす人物は、属性の数が増えるほど急速に希少になるという内容です。
計算は単純です。ある属性を満たす人が全体の三割だとします。独立した属性を二つ重ねると九パーセント、三つで二・七パーセント、五つで〇・二四パーセント。属性を十個並べると、〇・〇〇〇六パーセントほどまで下がります。個々の設定はどれも自然に見えるのに、組み合わせた瞬間に、その人はほとんどいなくなります。
この指摘は、後に実データで確かめられています。チャップマンらは、全国規模の調査データに対して、属性の数を増やしながら該当者を数える作業を行いました(Chapman, Love, Milham, ElRif & Alford, 2008, Proceedings of the Human Factors and Ergonomics Society Annual Meeting, 52(16), 1107–1111)。属性を数個重ねた時点で、該当者が一人も見つからない組み合わせが現れています。
二本が測っているのは、設定した属性の組み合わせに該当する人が母集団にどれだけいるかであって、その人物像を使って作られた文章の成果を測ったものではありません。示されたのは、詳細化が絞り込みとして働く範囲は狭いという方向です。
そして、書かれた人物像は実在するように読めます。名前があり、写真があり、生活の様子が書かれているからです。実在感は、実在の確率とは無関係に作れます。
代表を作っているのだから実在しなくてよい、という読み方はできます。代表であれば平均で構いません。ただし、各項目の平均を集めた人物は、実在の人物とは似にくくなります。平均身長で平均体重で平均年収の人は、統計上の点であって、生活を持った誰かではありません。
属性が全く不要になるわけでもありません。提供の形が属性に依存する場合には、属性が制約として実際に効きます。地域を限った商い、特定の年代しか使えない仕組み。詰まるのは、制約でない属性まで並べる場合です。
この計算には、もう一つの含意があります。属性が独立でない場合、たとえば職業と年収のように関連する場合、確率の下がり方は緩やかになります。つまり、関連する属性を並べても絞り込みは進んでいません。逆に、独立した属性を並べると絞り込みは急速に進み、実在から離れます。どちらへ転んでも、詳細化には上限があります。
詳細な設定は、作った人に安心を与えます。ここまで具体的に決めたのだから外れないだろう、という感覚です。具体性と正確さは別のもので、具体的で外れている設定は、抽象的で外れている設定より修正されにくくなります。細部が多いほど、どこを直すべきかが分かりにくくなるからです。
出自をたどると、解こうとしていた問題は絞り込みではなかった
この手法が何のために作られたかを見ると、順序の話が見えます。
ペルソナという手法は、クーパーが1999年の著書で提示したものが広く知られています(クーパー『コンピュータは、むずかしすぎて使えない!』翔泳社、2000年。原著 The Inmates Are Running the Asylum, Sams, 1999)。ソフトウェアの設計における問題を解くための道具でした。
解こうとしていた問題は、対象の特定ではありません。設計者が「利用者」という言葉を使うとき、その利用者が場面ごとに都合よく変形してしまう、という問題です。
機能を足したいときは、利用者は詳しい人になります。説明を省きたいときは、利用者は察しのよい人になります。同じ「利用者」という語が、そのつど別の人を指します。
ペルソナは、この変形を止めるために置かれました。名前を持った一人を固定すると、都合に合わせて変えられなくなるからです。目的は、絞り込みではなく固定でした。
この違いは小さくありません。固定が目的なら、必要なのは正確さではなく一貫性です。その人物が実在するかどうかより、途中で変わらないことのほうが重要になります。
出自がどうであれ、いま対象の特定に使われているならそれでよい、という立場は取れます。実際に使えます。ただし、目的が変わると必要な条件も変わります。固定が目的なら詳細は多いほどよく、特定が目的なら詳細が多いほど実在から遠ざかります。
同じ手順が、目的によって逆の評価を受けます。どちらの目的で使っているかを決めないまま手順だけを実行すると、詳細を増やす作業が良いことなのか悪いことなのか判定できません。判定できないので、詳しくすることが既定の方向になります。
一人で事業を営んでいる場合、固定の問題は起きにくく見えます。設計者が複数いないので、認識のずれが発生しないからです。この場合、元々の効用は薄くなります。
それでも、弾力的な利用者という問題そのものは、一人で書いている場合にも起こります。書き手が、書きたい内容に合わせて読み手の像を変える形です。難しい話をしたいときは詳しい読み手、易しく書きたいときは初めての読み手。この変形は、同じ記事の中でも起きます。前半と後半で想定している読み手が違うと、説明の粒度が揃いません。読み手には、理由の分からない読みにくさとして届きます。
目的を確認せずに手順だけを実行すると、成果物の使い道が分かりません。作った人物像を、その後の判断で一度も参照しない状態は、この経路から生まれます。
書く判断が参照しているのは、属性ではない
文章を書くとき、設定のどの部分が実際に使われるでしょうか。
見出しを決めるとき。例を選ぶとき。どこまで説明するかを決めるとき。これらの判断で参照されるのは、その人が何を重要だと感じているかです。
年齢は、書く判断では直接には参照されません。年収も、家族構成も、休日の過ごし方も同じです。
属性が並べられる理由は、代理として使われているところにあります。三十代後半で子どもがいて年収が頭打ちなら、時間の使い方に関心があるだろう、という推定です。推定は当たることもあります。ただし、代理は本体ではありません。本体を直接書けるなら、代理は要りません。
二つ並べます。「三十八歳、独立五年目、年収六百万で頭打ち」という設定と、「収入の額よりも、来月の予定が自分で決められないことのほうを問題だと感じている」という設定。後者だけが、書く判断に使えます。
前者を並べても、後者は出てきません。同じ属性の人の中に、収入の額のほうを問題だと感じている人がいるからです。そして、その二人に向けて書く文章は、まったく別のものになります。
属性がないと探すときに困る、という指摘は当たります。広告の配信のように、属性で対象を指定する仕組みを使う場合には要ります。これは配信の技術的な要件であって、書く判断の要件ではありません。二つを混ぜると、書く判断まで属性で行うことになります。
属性から重要度を推定する作業に価値がないわけでもありません。手がかりが何もない段階では、そこから始めるしかない場面があります。ただし、推定は仮説であって、確かめる対象です。
確かめる方法は簡単です。書き上がった記事を見て、設定した属性のうちどれが判断に効いたかを挙げます。挙がらない属性は、次から書かなくてよい項目です。挙がるのは、属性より、その人が置かれている構造のほうであることがあります。「収入が自分の作業時間に比例している」「連絡先を自分で持っていない」。これらは属性ではなく状態の記述で、しかも書く判断に直接使えます。
属性でしか書けないのは、価値の基準の側が言語化されていないからです。何を重要と見なすかが自分の中で決まっていれば、それを直接書けます。属性の詳細さは、しばしば基準の不在を埋めるために使われています。そして埋まっているように見えるあいだ、基準が無いことは問題として立ち上がりません。
対象は、価値の基準を決めた後にしか絞れない
先に決まるのは、自分が何を価値と見なすかのほうです。対象は、その後ろに残ります。
理由は単純です。何を重要だと感じているかで対象を絞るには、こちら側にその基準がなければなりません。基準がなければ、重要度の一致も不一致も判定できません。
「時間の主権を、収入の額より上に置く」という基準を持っているとします。この基準があると、対象は自動的に絞られます。同じ基準を持っている人、あるいはその基準に触れたときに何かが動く人です。
基準がない状態で対象だけを絞ろうとすると、何を軸に絞るかが決まりません。だから属性で絞ることになります。属性は誰にでも観測できるので、基準がなくても使えるからです。
この順序は、提供するものの側にも効きます。基準が先にあれば、何を作るかもそこから決まります。対象が先にあると、対象が求めるものを作ることになり、これは調査の結論をそのまま実装する形になります。
自分の基準で決めたら独りよがりになる、という懸念は成立します。分かれ目は、その基準が読み手の状況を説明できるかどうかにあります。基準が、読み手が既に抱えている状態を言い当てるなら、独りよがりではありません。言い当てられた側は、自分の状態が言語化されたと感じます。言い当てないなら、それは書き手の好みであって基準ではありません。
基準は、最初から言葉になっているとは限りません。仕事を続ける中で「これは受けたくない」「これは何かが違う」という形で先に現れることがあります。言葉になるのは後です。この順序があるので、基準が無いように見える段階と、基準が言葉になっていない段階は、区別が要ります。
言葉になったかどうかには、確認できる形があります。自分の基準を一文で書き、その基準に反対する立場が成立するかを見ます。反対が成立しないなら、それは基準ではなく一般論です。
「良いものを届けたい」には反対が立ちません。「収入の額より、予定を自分で決められることを上に置く」には、反対が立ちます。額のほうが大事だという立場は、十分に成立します。反対が立つ言明だけが、対象を分けます。
反対が立つかどうかを見る形には、副次的な効き目もあります。反対が立つ基準を掲げると、離れる人が先に現れます。離れた人の内訳を見れば、基準が実際に何を分けているかが分かります。誰も離れないなら、その基準は分界として働いていません。
基準を先に置くと、対象は想定より狭くなります。属性で絞った対象より、基準で絞った対象のほうが小さくなりやすいものです。狭さがどう効くかは事業の形によって変わり、単価と続く期間で分かれます。
調査を出発点に置くと、いまの状態が再生産される
調査そのものは有効で、判定が要るのは置く位置のほうです。
既存の顧客に聞くと、既存の顧客の像が出ます。同語反復に見えますが、実務では見落とされがちです。既存の顧客は、いまの提供内容によって選別された後の集団だからです。だから、調査から作った像は、いまの状態を再生産します。変えたい場合には使えません。
そして、複数の人から共通点を抽出すると、共通していない部分が落ちます。落ちた部分に、その人がその人である理由が入っていることがあります。残るのは、誰にでも当てはまる部分です。
共通点を取るからこそ多くの人に当たる、という読み方はできます。当たります。浅く当たります。共通点だけで構成された文章は、誰も否定しませんが、誰も自分のことだと思いません。
深く当たるのは、共通していない部分を含んでいる場合です。その部分に該当しない人は離れますが、該当する人には強く届きます。この非対称は、事業の規模で意味が変わります。多数を相手にする商いでは、離れる数のほうが大きくなります。少数と長く続ける商いでは、届く深さのほうが効きます。
聞き方の側にも制約が入ります。「何にお困りですか」と聞くと、返ってくるのは相手が既に言語化できている困りごとです。言語化できていない状態は、質問の形では取り出せません。そして、事業が扱う価値の一部は言語化されていない側にあります。言語化されていれば、相手は既に自分で解決策を探しているからです。この制約の外し方は顧客インタビューの聞き方で扱っています。
調査で取れるものと取れないものがある、という言い方が正確です。事実の確認には使えます。基準を決めた後で、その基準に該当する人が実在するかを確かめる用途では、むしろ必須です。向いていないのは、価値の側を発見することです。
順序で言えば、調査は二番目に来ます。出発点に置くと、いまの状態を再生産する像が出ます。確認の位置に置くと、決めた基準が現実に当たっているかを教えてくれます。同じ作業が、置く位置によって別の働きをします。
出発点に置いたときの帰結は、もう一つあります。調査結果という外部の根拠があるので、自分で決める必要がなくなります。決めなかったことは、後で問題になったときにも見つかりません。決めた記録が残らないからです。残っているのは調査の記録だけで、そこには誰の判断も入っていません。
作り方の例として置けるのは、架空の人物ではなく実在の一人である
ペルソナの作り方の例として、架空の一人を組み立てる代わりに、実在する一人を置く形があります。
条件は二つです。第一に、実際に接したことがある人であること。第二に、こちらの基準に触れたときに反応があった人であること。
この二つを満たす人が一人でもいれば、そこから始められます。属性を集める必要はありません。その人が何を問題だと感じ、何を言われたときに動いたかは、既に観察されています。
架空の人物との違いは、確率の側にあります。実在する人は、実在する確率が一です。組み合わせが不自然になることも、都合よく変形することもありません。
そして、記憶から具体を引き出せます。その人が使った言葉、質問の順序、納得しなかった箇所。これらは架空の設定からは出てきません。
一人では偏る、という指摘は当たります。偏ります。ただし、偏りの方向が分かっているという利点があります。架空の人物の偏りは、作った人の思い込みの方向を向いていて、その方向は本人には見えません。実在の一人であれば、この人はこの点で特殊だと特定できます。特定できれば、その部分を割り引いて使えます。
接した相手が一人もいない段階もあります。始めたばかりの時期です。この場合は、自分自身の過去の状態を使うことになります。過去の自分は実在しており、何に困っていたかも記憶に残っています。
過去の自分を使う場合、一つ注意が要ります。当時の自分が何に困っていたかは覚えていますが、当時それをどう捉えていたかは、いまの理解に書き換わっています。記憶から取り出せるのは、解決した後の整理された形です。
具体的な出来事、実際に発した言葉、当時の生活の条件は取り出せます。「何が問題だと思っていたか」は、書き換わっている可能性が高い項目です。当時の記録が残っていれば、そちらを優先します。この書き換わりの機序は一次情報の書き方で扱っています。
実在の一人を使うと、その人に向けて書いているという意識が強くなります。利点として働きますが、その人の個別の事情に引きずられて、範囲が狭くなりすぎることもあります。定期的に別の一人と入れ替えて読み直すと、この狭まりは検出できます。
入れ替えの操作には、もう一つの使い道があります。二人目を置いたときに書く判断が変わらないなら、その二人は同じ位置にいます。変わるなら、変わった箇所が対象の境界です。境界は、当てはまらない人を挙げるより、二人を並べたほうが早く出てきます。
狭い対象は、事業の形によって不利にも有利にもなる
対象が狭くなるのは、価値の基準が先に決まるからでした。
単価が低く、数を必要とする商いでは、狭さは不利に働きます。必要な人数に届かない可能性があるからです。この場合、基準を保ったまま接点を増やす形を取ることになります。基準を緩めて対象を広げると、広がった分だけ、他の書き手と同じ場所に立つことになります。
単価が高く、続ける期間が長い商いでは、狭さは有利に働きます。離れる人の数より、深く届く度合いのほうが効くからです。少数と長く続ける形では、共通点だけで構成された文章は機能しません。
したがって、狭さそのものを良し悪しで判定できません。判定できるのは、その狭さが自分の事業の形と噛み合っているかのほうです。噛み合っていない場合に動かすのは、対象ではなく事業の形か、価値の基準のどちらかになります。
もう一つ、狭さには測り方の問題があります。基準で絞った対象は、属性で絞った対象と違って、外から数えられません。「時間の主権を収入の額より上に置く人」が何人いるかは、調査項目として存在しないからです。数えられないので、狭すぎるかどうかを事前に判定できません。
判定できないことの帰結は、二方向にあります。一つは、狭すぎるまま長く進むことがある。もう一つは、狭すぎると思い込んで、確かめる前に基準を緩めることがある。後者のほうが起きやすく、しかも自分では気づきにくくなります。緩めた側には、反応が少し増えたという観測が残るからです。
確かめる形は、届けた結果のほうにしかありません。基準に触れた反応が、量として少なくても質として一貫しているなら、対象は実在しています。反応が散らばっていて共通点を持たないなら、基準が届いていないか、基準が対象を分けていないかのどちらかです。
そして、この確認には期間が要ります。少数を相手にする形では、母数が小さいので、短い期間の数字は揺れます。揺れている数字を根拠に基準を動かすと、動かした理由が後から復元できなくなります。基準を変える判断は、変える前の基準を書き残してから行うことになります。
書き残す形は一行で足ります。日付と、そのときの基準の一文と、変えた理由。三つが残っていれば、半年後に元へ戻すかどうかを判断できます。残っていなければ、いまの基準がどういう経緯で選ばれたのかを、いまの自分が説明できません。説明できない基準は、次に反応が落ちたときにまた動きます。動くたびに対象が入れ替わり、書いたものの積み上がりが止まります。
手元の人物像が何のために作られたかを見分ける
自分の設定した対象が機能しているかを確かめる方法が三つあります。いずれも自分ひとりで実行できます。
第一の確認は、その人物像から「当てはまらない人」を三つ挙げられるかを見ることです。
挙げられないなら、絞れていません。対象を決めるとは、誰に向けないかを決めることでもあるからです。三つ挙げられて、しかもそれが実在する層であるなら、境界が引けています。
第二の確認は、設定した項目を一つずつ消して、書く判断が変わるかを見ることです。
年齢を消して判断が変わらないなら、年齢は使われていません。変わる項目だけが、実際に機能している項目です。残るのが一つか二つということもあります。残った項目が、その事業における本当の絞り込みの軸になります。
第三の確認は、同業の別の人が同じ人物像を掲げているかを見ることです。
掲げているなら、その像は市場の平均であって、自分の基準から出たものではありません。掲げていないなら、自分の側から出ています。これは検索するだけで確かめられます。
三つとも、設定の詳しさを見ていません。詳しさは、絞れていることの証拠にならないからです。
三つとも越えられない線が一つあります。どれも、その対象が実在するかどうかまでは確かめられません。基準で絞った対象が市場の中に十分な数だけ存在するかは、実際に届けてみるまで分かりません。順序としては、基準を先に決めて、実在の確認を後に回すことになります。逆にすると、実在が確かめられた対象に合わせて基準を決めることになり、基準が自分の側から出てこなくなります。
設定項目をいくつにするか、対象の規模をどこまで狭めてよいか、何人に確認すれば足りるか。いずれにも目安の数字を付けません。扱っている領域と、提供するものの単価と、事業の続け方によって変わります。数字を渡せば、その条件を見ないまま判断を代行することになります。
輪郭が濃くなることと実在の確からしさが逆を向くのは、属性が絞り込みの道具として作られていないからです。この手法は、変形を止めるために一人を固定する道具として生まれ、対象を特定する道具として使われるようになりました。同じ手順が二つの目的に使われていて、片方では詳細が味方になり、もう片方では詳細が敵になります。
変わらないために作られた人物像なら、詳しく書いてよい。絞るために作られたのなら、効いているのは詳しさではなく基準の側です。手元の人物像がどちらなのかは、当てはまらない人を挙げる、項目を消す、同業の像と比べる、という三つの確認で判別できます。どちらとして使い続けるかは、扱っている事業が決めます。
価値の基準そのものをどう言葉にするかは世界観の作り方とコンセプトの作り方で扱っています。実在の一人から材料を取る方法は顧客インタビューの聞き方で、そこから何を書くかを決める段は何を書けばいいかわからないときが受け持ちます。基準を先に決めると対象が出力として出てくるという順序は、言葉にする作業でも同じ形で現れます。進めると決めていなかったことが表に出るという性質は言語化とは何かにあります。






