記録を付けて反復しても、習慣が定着しない方へ/習慣は行動そのものではなく、行動と文脈の結びつきである

習慣を変えるより先に、戻る先になっている文脈を組み替える

習慣を変えようとするとき、力を入れる先はたいてい反復の側に置かれます。毎日続ける。記録を付ける。抜かさない。回数を積めば定着する、という組み立てです。ところが、習慣は行動そのものではなく、行動と文脈の結びつきとして成立しています。同じ行動でも、いつ、どこで、何の後にやるかが決まっていなければ、回数を積んでも結びつきは作られません。逆に、結びつきができた行動は、意識しなくても始まります。始めるかどうかを毎回決めなくてよくなった状態が、習慣です。

そして、結びつく先の文脈は、日々の生活の形が作っています。生活の形が同じままなら、そこに結びつく行動も同じ範囲から選ばれます。だから、反復の量を増やす前に確かめるべきなのは、何に結びつけようとしているかのほうです。

文脈の側から見ると、説明の付く問いが並びます。三度試して三度とも続かなかったのはなぜか。決意が強かった時期にできていたことが、忙しい月に落ちるのはなぜか。引っ越しや転職の後に、良い習慣まで一緒に外れるのはなぜか。どれも意思の量では説明が付かず、文脈の側に置くと素直に説明が付きます。

先に、渡せないものを二つ挙げます。何日で身に付くのか、どの場面に置くのが最適か。この二つは外から指定できません。定着までの日数は個人差の幅が十四倍あり、平均を渡すこと自体が判定を壊します。置き場所も、生活の形が人ごとに違うので、外から指定できません。外から渡せるのは、置ける場所が満たしている条件のほうです。毎日同じ形で来る場面かどうかと、その直後が空いているかどうか。この二つは、生活の形が違っても共通しています。

ここで扱うのは、日常の習慣と、事業として続けたい作業の両方です。ただし二つは同じ設計では組めません。頻度も、一回の所要時間も、成果が返るまでの時間も違うからです。日常で成功した方法をそのまま事業へ当てると、うまくいかなかったときに、方法ではなく自分の姿勢が疑われます。

扱わないものも一つあります。依存の水準にある行動は、この記事の射程の外です。そこで働いているのは文脈だけではないので、置き場所の設計では届きません。判定は、やめた後に体調の側の変化が出るかどうかで分かれます。

この後は、まず「習慣を変える」という言い方が束ねている二つの作業を分け、案内されている方法がどこに力を入れさせるかを確かめます。そのうえで、結びつきの成り立ちと、期間・意思・環境の扱いを置き、最後に、戻る先が動いたかどうかをどこで確かめるかまでを扱います。

「習慣を変える」は、二つの別々の作業を一つの名前で呼んでいる

この言い方には、新しい習慣を作る作業と、既にある習慣を外す作業の二つが含まれています。機序が違うので、同じ処方は両方には効きません。

作る作業は、行動と文脈の結びつきを新しく作る作業。外す作業は、既にある結びつきを弱める作業です。そして、結びつきは弱めるより作るほうが扱いやすくなります。作るときは、どの文脈に結びつけるかを自分で選べます。弱めるときは、結びつきが既に成立しているので、文脈のほうが先に来ます。文脈が来れば行動は自動で始まり、止めるのは始まった後。だから毎回そこで力が要ります。

案内されている方法の多くは、この二つを区別せず、一つの作業として同じ処方を当てます。同じ処方が、片方には効いて、もう片方には効きにくい結果になります。

外す作業にも、有効なやり方はあります。弱めることはできます。ただし、弱める操作として確実性が高いのは、意志で止めることではなく、文脈のほうを消すことです。習慣が行動の反復ではなく文脈との結合としてできているからです。

「変える」という語には、もう一つ問題があります。行動の入れ替えを指しているように読めることです。入れ替えを想定すると、作業は「Aをやめて、Bを始める」という形になります。ところが、AとBが同じ文脈に結びつくとはかぎりません。Aは朝食の後に結びついていて、Bは別の場面が適している、ということが起きます。

入れ替えのつもりで着手すると、Aの文脈にBを押し込むことになります。押し込んだ結びつきは、適していない場所に置かれているので成立しにくくなります。そして成立しないと、「続かなかった」という記録が残ります。続かなかったのは置き場所が合っていなかったからですが、記録には置き場所の情報が残りません。残るのは、続かなかったという事実だけです。

この性質は、回数を重ねるほど効いてきます。置き場所を変えて再挑戦しても、記録の側では「また続かなかった」として同じ欄に積まれます。三度試して三度とも続かなかったとき、手元にあるのは三つの失敗です。実際に起きていたのは、同じ場所に三度置いたという一つの事実かもしれません。記録が置き場所を持っていないので、区別が付きません。

だから、この作業で最初に足すべきなのは、決意でも回数でもありません。記録の項目です。何をやったかに加えて、それを何の後に置いたかを書く。項目が一つ増えるだけで、三つの失敗が一つの情報に変わります。

記録を厳密に取るべきだ、という話ではありません。手元の材料の解像度が、次の一手の選択肢を決めているという話です。解像度が低いままだと、選べる手は「もっと決意する」しか残りません。

案内される五つの方法は、四つが行動の側だけを触っている

広く案内されている方法は五つに整理でき、そのうち四つは行動の側に力を入れさせます。文脈の側を触っているのは一つだけです。

変えたい対象を書き出して明確にする。強く決意する。小さく始める。悪い習慣を先に断つ。周囲の人の影響を使う。

前の四つは、何をやるか、どれだけの決意で臨むか、どの大きさから始めるか、何をやめるか、という形で行動の側を扱っています。性質が違うのは五つ目です。周囲の人の影響を使う、というものだけが、行動が置かれる場所の側を扱っています。

そして、この一つが効きます。効く理由は、周囲の人が文脈の一部だからです。誰と一緒にいるかが変われば、その場面で自然に出てくる行動も変わります。文脈を動かしているので、結びつきの側に届きます。

残りの四つは、文脈が同じままなら、同じ文脈に別の行動を押し込む形になります。押し込む力は、続けているあいだ要り続けます。行動の側を扱う作業に固有の役割はあります。どの行動を選ぶかは重要ですし、書き出して明確にする作業も、対象が曖昧なままでは進まないので必要です。

言えるのは、行動を決めた後に、それをどの文脈へ置くかという工程が、五つの中に入っていないということです。工程がないので、置き場所は成り行きで決まります。

この構成は、負荷の配分を偏らせます。結びつきが成立していれば、始めるための力は要りません。文脈が来た時点で始まるからです。結びつきがないと、毎回「やるかどうか」の判断が発生し、その回数だけ力が消費されます。

そして、判断は疲れているときほど省略の側へ倒れます。だから、続けるための力に依存した設計は、忙しい時期に最初に落ちます。その時期は、事業をしていれば定期的に来ます。

五つには、共通する前提もあります。変えたい行動が、既に特定できているという前提です。日常の行動なら成り立ちます。早起き、運動、読書。名前が付いていて、やったかどうかも明確です。事業の作業では成り立たないことがあります。「自分の側に届く経路を作る」という作業は、名前は言えても、今日の一時間で何をやるのかが決まっていません。決まっていないものは、文脈に置けません。

だから、事業の作業を習慣にするときは、一段手前の工程が要ります。その作業を、毎回同じ形で始められる単位まで具体化する工程です。具体化されていなければ、どの文脈に置いても、置いた場面で「何をやるか」の判断が発生します。そしてそれが、忙しい時期に省略される側の判断です。

習慣は、行動の反復ではなく文脈との結合である

回数が結びつきを作るのではありません。同じ文脈で繰り返されることが、結びつきを作ります。

ロンドン大学のフィリッパ・ラリーらは2010年、96人の参加者に、食事・飲み物・運動のいずれかの行動を一つ選ばせ、12週間にわたって毎日、同じ文脈で実行してもらいました(Lally et al., 2010, European Journal of Social Psychology, 40(6), 998–1009)。注目すべきなのは、実験の設計そのものです。「同じ文脈で」という条件が、最初から入っています。たとえば「朝食の後に」といった形で、行動が実行される場面が固定されています。

参加者は毎日、その行動をやったかと、どれくらい自動的に感じられたかを記録しました。自動性が上限の95パーセントに達するまでの期間は、中央値で66日。個人差の幅は18日から254日でした。

この幅は、資質の差だけでは説明しにくくなります。同じ研究でも、行動の種類によって到達までの長さが違い、運動は飲食より時間がかかる傾向がありました。何を、どの場面に置いたかによって、到達までの長さが動きうるということです。

もう一つ、見落とされやすい結果があります。一日抜かしても、自動性の伸びの軌道には大きな影響が出なかったという結果です。抜かしたら台無しになるという前提で設計すると、一度の中断が全体の終了になります。実際には、軌道は一日では折れませんでした。

同じ結びつきを、理論の側から整理した記述もあります。心理学者のウェンディ・ウッドとデイヴィッド・ニールは2007年、習慣を、繰り返された文脈の手がかりと反応のあいだにできた結合として定式化しました(Wood & Neal, 2007, Psychological Review, 114(4), 843–863)。行動が目標から毎回選ばれるのではなく、手がかりの側から呼び出される、という記述です。

射程には限定が要ります。ラリーらが扱ったのは日常の行動で、一回の所要時間が長く条件も毎回異なる事業上の作業は直接には扱われていません。だから、66日という数字をそのまま持ち込むことはしません。

持ち込めるのは、行動と文脈の結びつきが自動性を作っている、という構造のほうです。構造を採ると、次に触る場所が変わります。回数ではなく、結びつける先です。

変わるまでの期間は、日数ではなく状態で決まる

「習慣を変える期間はどれくらいか」という問いには、平均では答えられません。18日から254日という幅は、平均を出しても実務では使えないからです。

66日を目安にして設計すると、254日側にいる人は66日目に「自分は失敗した」と判定します。判定の根拠は、他人の中央値です。自分の条件について何も語っていない数値が、自分についての結論を作ります。

よく引かれる「21日で習慣になる」という説は、この幅とさらに離れています。そして、目安が短いほど、判定は早く下ります。三週間で自動にならなかったという記録が、意思の弱さの証拠として積まれます。積まれた記録は、次の設計に持ち越されます。

だから、期間を目標に据える設計は避けたほうが確実です。据えるとしたら、期間ではなく状態のほうになります。始めるときに判断が発生しなくなったか。この状態は、日数と無関係に自分で観測できます。

状態で見ると、もう一つ利点があります。まだ達していない場合に、次の手が出ます。判断が発生し続けているなら、結びつく先が定まっていないということなので、置き場所を見直せばよいことになります。日数で見ていると、出てくる手は「もう少し続ける」しかありません。

期間の話には、逆向きの誤読もあります。「日数は関係ない」と読むと、確認の間隔まで消えてしまいます。幅が広いことは、測らなくてよいことを意味しません。測る対象が日数ではなく状態だ、というだけです。

状態の観測には、最低限の期間が要ります。数日では、判断が発生しなかったのが結びつきのせいか、その週がたまたま静かだったのかを区別できません。区別が付く長さに外から決まった値はありません。ここで置く目安は、その文脈が二十回ほど巡ってくるまでです。毎日来る文脈なら三週間、週に一度の文脈なら数か月かかります。

この読み替えは、事業の作業で効きます。返ってくるまでに数か月かかる作業では、日数を目標に置くと、目標のほうが先に尽きます。判断が発生しなくなったかどうかは、返りを待たずに毎日観測できます。

引き換えに、一つ不便が出ます。状態で見ると、達成の日付が決まらないので、外に向かって進捗を報告しにくくなります。日数なら「三十日続いた」と言えますが、状態は言葉にしにくいからです。ここで無理に日数へ戻すと、判定の根拠がまた他人の中央値へ移ります。外へ出す形が要るなら、日数ではなく、判断が立った回数を数えるほうが自分の条件に沿います。

意思が効くのは、判断が発生している場面だけである

意思は、やるかやらないかが問われた場面で働きます。習慣が成立した状態では、その問いが立ちません。

文脈が来ると、行動が始まります。問いが立たないので、答える働きも呼ばれません。だから、成立した習慣に対して意思で介入するには、まず判断を発生させる必要があります。自動で始まりかけたものを一度止めて、問いの形にする。この操作自体に力が要ります。

そして、この操作は毎回必要です。文脈は毎日来るので、一日に一度なら月に三十回、同じ操作を繰り返すことになります。

新しい習慣を作る場面でも、意思の効き方は限定的です。意思は着手には効きますが、結びつきを作る作業そのものは代行できません。結びつきは、同じ文脈で繰り返されることによってできます。意思の強さは繰り返しの回数には影響しますが、一回あたりの結びつきの強さには、あまり影響しません。

強い決意で三日間やって、その後は不定期に散発的にやる。この形は、回数としては積み上がっても、文脈が一定していないので結びつきが作られません。一方、決意の強さは中程度でも、毎日同じ場面で短時間やる形は、結びつきが作られます。

決意が強ければ毎日同じ場面でやれるのではないか、という見立ては、一定期間なら当たります。ただし決意は減衰し、忙しい時期には判断が省略の側へ倒れます。そして忙しい時期は選べません。だから、決意の強さを前提にした設計は、もっとも条件の悪い時期に試されます。その時期に落ちると、それまでの日数がリセットされたように感じられます。実際には軌道は一日では折れないのですが、落ちた本人にはそう感じられます。

意思を中心に置くと、成否の説明が人格に寄ります。続いたのは意思が強かったから、続かなかったのは弱かったから。この説明は、次の手を持ちません。強くする方法が、誰にも説明できないからです。文脈の側に説明を置けば、結びつける場所を変えるという手が出ます。

意思には、実務上の使い道もあります。判断の回数を減らした設計の中で使えば、少ない量で足ります。具体的には、置き場所を決める判断と、崩れた後にもう一度置き直す判断。この二つだけに使う形です。

日々の着手には使いません。着手に使うと、日数分だけ消費します。同じ量の意思を、年に数回の設計判断に集中させるほうが、届く範囲が広くなります。この配分は、事業の他の場面と同じ形をしています。判断を上流でまとめて済ませ、下流は決まった通りに流す形です。

「悪い習慣を先に断つ」は、空いた文脈を成り行きに渡す

断つ作業には、二つの帰結が付いてきます。毎回の判断が発生することと、断った後の文脈が空くことです。

「新しい習慣を作るより、まず悪い習慣を断つほうがいい」という助言は広く見られます。理由として挙げられるのは、悪い習慣が時間や集中を奪っているから、というものです。時間を実際に占有している習慣は、外せば時間が空きます。ここは正しく働きます。

第一の帰結は、断つ作業が、意思を効かせるために「判断を毎回発生させる」形になることです。既にある結びつきは、文脈が来れば動きます。動きかけたものを止める操作を、毎回行うことになります。この操作は、新しい結びつきを作る操作より重くなります。重い作業を先に置くと、軽い作業に着手する前に力を使い切ります。

第二の帰結は、断った後の文脈が空くことです。ある行動が文脈に結びついていたということは、その文脈が来たときに何かが起きる状態だったということです。行動だけを外すと、文脈は残ります。

残った文脈は、空いたままにはなりません。別の行動が入り、入る行動は選ばれていないので成り行きで決まります。夜の作業後に見ていたものを断ったとします。夜の作業後という文脈は残っているので、そこに別の似た性質の行動が入ります。断った対象については成功しているので、入れ替わったことに気づきにくくなります。

だから、断つ作業を単独で行うと、成果が測りにくくなります。測るべきなのは、断った対象の消失ではなく、その文脈に何が入ったかだからです。

観測しにくさは、判断も狂わせます。一日に一時間を断てば、計算上は一時間空きます。ところが月末に振り返ると、その一時間分の成果はどこにも見当たらないことがあります。空いた時間が、選ばれていない行動に吸われているからです。断つ作業そのものは成功しているので、失敗として自覚されません。

自覚されないまま、次の対象を探す作業へ進みます。断つ対象は無限に見つかるので、この作業は延々と続けられます。進んでいる感覚は得られますが、置き場所の設計には一度も届きません。

断つ作業には、もう一つ厄介な性質があります。成果が「起きなかったこと」として現れることです。起きなかったことは観測しにくいので、進んでいる感覚が得られません。感覚が得られない作業は、それ自体が続きにくくなります。

だから、断つ作業に着手するときの判定基準は、対象の悪さではありません。その文脈に、代わりに置きたいものが既に決まっているかどうかです。決まっていないなら、その文脈は、まだ触る段階ではありません。

文脈が変われば、習慣はまとめて外れる

引っ越し、転職、生活時間の変更。こうした変化の後に、それまで続いていた習慣がまとめて外れます。良い習慣も、そうでない習慣も、区別なく外れます。

この現象は、意思の側からは説明できません。引っ越したからといって、意思の量が変わったわけではないからです。文脈の側から見ると説明が付きます。行動を止めたのではなく、行動を呼び出していた合図が来なくなっただけです。

この形は、実測でも扱われています。ウェンディ・ウッドらは2005年、転居した学生を対象に、運動・新聞購読・テレビ視聴の習慣がどう変わるかを追跡しました(Wood, Tam & Witt, 2005, Journal of Personality and Social Psychology, 88(6), 918–933)。環境が変わると、それまで自動で動いていた行動は、意図の側から選び直される状態に戻りました。

この現象には、二つの含意があります。一つ目は、外す作業では、文脈を消す方法の確実性が高いという含意です。意志で止めるより、その文脈に置かれない状況を作るほうが、消費する力が少なくて済みます。二つ目は、環境が変わった直後が、新しい結びつきを作りやすい時期だという含意です。既存の結びつきが一時的に外れているので、文脈が空いています。

外れるのは一時的なこともあります。しばらくすると似た文脈が再構成されるからです。場所が変わっても、生活の構造が同じなら、同型の文脈が戻ります。分かれ目は、戻ってくるまでの期間に何を置くか。置かなければ、元の行動が戻ります。

同じ性質は、逆向きにも働きます。変えたくない習慣も、環境の変化で外れる側に回ります。事業の形式を変える時期は、生活の構造も同時に変わることが多くなります。そのとき、それまで成立していた良い結びつきも一緒に外れます。外れたことを変化の失敗として読むと、環境を元へ戻す方向へ働きます。

読み方としては、こうなります。外れたのは、その習慣が意思ではなく文脈に支えられていた証拠です。支えを作り直せば、同じ習慣は戻ります。作り直す先は、新しい環境の中の別の場面になります。

そして、この性質は環境を変えなくても使えます。文脈は、意図的に作れるからです。既存の文脈のうち、確実に毎日来るものを一つ選び、そこに置く。引っ越しほど強力ではありませんが、選べる点で優れています。

置き場所は、毎日来て直後が空いている場所に限られる

置き場所を選ぶ条件は二つです。毎日確実に来ることと、その直後に他の予定が入りにくいこと。二つを満たす場所は、一日のうちでも数か所に限られます。

前者だけを満たしていても、直後が埋まっていれば実行できません。始業前の三十分は毎日来ますが、その直後に打ち合わせが入る日が週に三日あれば、その場所は使えません。使えるかどうかを決めているのは、時刻ではなく直後の空き方です。

この二つで探すと、候補はかなり絞られます。絞られること自体には意味があります。それ以外の時間の使い道は、案件の都合が決めているからです。裁量が実際に届くのは、その数か所だけです。だから、そこに何を置くかで結果が変わります。

選べる幅が狭いことは、その選択が軽いことを意味しません。むしろ逆で、置ける場所が少ないほど、一つの置き場所が担う比重は上がります。ここでの判断は年に数回しか発生しないので、意思を集中させる先に当たります。

置く単位にも条件があります。その文脈が来たときに、何をやるかの判断が発生しない形まで具体化されていることです。「経路を作る作業をする」では、置いた場面で判断が発生します。「先週の問い合わせを一件読み直して、返した文を保存する」なら発生しません。

具体化の水準は、事業の作業ほど落としにくくなります。毎回条件が違うからです。行動そのものではなく、入口だけを固定する形が働きます。入口が同じなら、その後の中身が毎回違っても、始まりの判断は発生しません。

候補が数か所しかない、という見立てには反論があります。時間はもっとある、というものです。実際、空いている時間はもっとあります。ただし、空いている時間と、直後が埋まらない時間は別です。予定の隙間は、案件の都合で毎週違う場所に出ます。毎週違う場所は、文脈になりません。合図として働くのは、位置が固定されている時間だけです。

そして、置いた後には崩れます。崩れない前提で設計すると、崩れた瞬間に失敗の記録が残ります。崩れる前提で置けば、崩れた後にどこへ戻るかが、そのまま観測の材料になります。崩れたという事実そのものは、失敗の記録になりません。

置き場所を変える判断にも、目安が一つ要ります。同じ場所で二十回ほど巡って、まだ毎回判断が発生しているなら、その場所は合っていません。回数が足りないうちに動かすと、どの場所も試し切らないまま候補が尽きます。

戻る先を決めているのは、日々どこに時間が置かれているかである

戻る先は、決意の側にはありません。日々どこに時間が置かれているかが、そのまま戻る先を決めています。

文脈は、生活の中の具体的な場面です。朝食の後、作業の終わり、移動の途中。これらは、生活の形が決めています。そして生活の形は、その人がどこにいるのが自然だと感じているかによって作られています。朝に何時間を何に使うか、誰と会うか、何を優先するか。これらは毎日決め直しているのではなく、そうなっています。

この「そうなっている」状態が、戻る先です。離れても、放っておけば戻る位置のことです。

だから、習慣を変える作業には二つの層があります。表層は、行動を特定の文脈へ繋ぐ作業です。具体的で、手順化できます。深層は、戻る先そのものを動かす作業です。動かす対象は、個々の結びつきではなく、その集合を作っている側です。

表層だけを扱うと、作った結びつきが、生活の形が戻るたびに壊れます。生活の形は、忙しい時期や環境の変化のたびに一度崩れ、その後に元の形へ戻ります。戻る先が同じなら、戻ってくる形も同じです。制作の時間を朝に置く習慣を作ったとします。結びつきは成立しました。ところが、案件が立て込んだ二週間の後、朝の時間は打ち合わせの準備に戻ります。戻ったのは、そこが元の形だからです。

深層を動かすとは、元の形のほうを置き直すことです。ここで動かす対象は、行動でも文脈でもありません。自分がどういう形式で仕事をしている人間かという想定です。この想定が変わると、優先の順序が変わります。順序が変わると、忙しい時期に何が残るかが変わります。残るものが変われば、戻ってくる形も変わります。

ただし、想定が変われば行動も自動的に変わる、というところまでは言えません。表層の作業は依然として必要です。結びつきは、作らなければ成立しません。言えるのは、表層の作業が壊れたときに、どこへ戻るかを決めているのが深層だということです。

深層の作業には、進捗が見えないという性質があります。行動の記録には現れないからです。記録に現れるのは表層だけなので、深層が動いている時期は「何もしていない」ように見えます。ここで焦って表層を積み増すと、置き場所は古い優先順位で選ばれます。

順序としては深層が先になります。理由は単純で、表層で選ぶ置き場所を決めているのが深層だからです。想定が古いままだと、置き場所も古い基準で選ばれます。選び直しは、想定が動いた後にしかできません。実務では「先に決めてから積む」という形で現れます。

事業の作業は条件が違い、変わったかどうかは戻る先で確かめる

事業の作業には、日常の習慣と違う条件が三つあります。頻度、一回の所要時間、そして成果が返ってくるまでの時間です。

第一に、頻度が違います。事業の重要な作業は、月に一度ということがあります。頻度が低いと、結びつきが作られるまでに時間がかかります。対処は、その作業そのものではなく、必要な材料を集める行動を日々の文脈へ結びつけることです。

第二に、一回の所要時間が違います。制作や設計は短時間では終わらないので、空いた時間には入りません。入る場所を先に確保しておかなければ、文脈が来ても実行できません。対処は、文脈を「時間帯」として確保することです。

第三に、成果が返ってくるまでの時間が違います。運動は数週間で体感が変わりますが、事業の形式を変える作業は数か月かかることがあります。返ってくるものがない期間、続ける理由は外側からは供給されません。この期間を支えるのは成果ではなく、戻る先のほうです。

同じ「習慣化」という言葉で括ると、日常では続くのに事業では続かないことが、自分の一貫性の問題に見えます。流用できるのは構造だけで、手順は流用できません。

確かめる対象も、ここから決まります。第一に、その行動が何に結びついているかを言えるか。「毎日やる」ではなく「何の後にやる」という形で言えるかどうかです。言えないなら、結びつきはまだ作られていません。

第二に、始めるときに判断が発生しているか。「やろうか」という問いが立つなら、結びつきはまだ弱い状態です。問いが立たずに始まっているなら働いています。

第三に、崩れた後にどこへ戻るか。ここが、表層と深層を区別する指標です。元の形に戻るなら深層は動いておらず、新しい形へ戻るなら動いています。判定は、一度崩れた後にしかできません。崩れないように守り続けると、確かめられないままになります。

回数を積めば定着するのか。積むこと自体は要ります。ただし、積む先が決まっていなければ、回数はどこにも溜まりません。積む先を決めているのは、日々どこに時間が置かれているか、つまり戻る先のほうです。

戻す働きそのものの扱いはメンタルブロックは欠陥ではない、戻る先を置き直す順序は自己変革が続かないのは、変える順序が逆だから、そして置き直した先が候補として立ち上がらない場合は行動できないのは意志の問題ではないで扱っています。結びつきが認識の全体でどこに置かれているかは認知科学が示すのは、行動が感じている世界から生成されることにあります。

上部へスクロール