離脱の多いページを直しても、数字が動かない方へ/手元に残るのは、残った人の記録だけである

離脱率で観測できるのは残った側だけで、去った人には数え方が要る

離脱率の画面を開いたとき、そこに並んでいるのは残った人の記録です。去った人については、去ったという事実の一件だけがあり、それ以外は何もありません。

去った理由も、何を期待して来たのかも、どこまでが期待どおりでどこから違ったのかも、記録には入っていません。そして、これらは後から取りに行けません。連絡先を持っていなければ、去った瞬間にその人への経路が消えるからです。

残った人については、その逆が起きます。時間が経つほど情報が厚くなり、聞けば答えも返ってきます。改善の材料は、この側からしか集まりません。

材料が片側からしか来ない状態で改善を続けると、行き先は決まっています。残った人にとって、より良い場になります。去った人が去った理由には、一度も触れないまま進みます。

この記事が答えを出せる問いは三つです。

一つ目は、離脱率という指標が何を数えているかです。数えているのは行動であって、状態ではありません。この差が判定に何をもたらすかまでを扱います。

二つ目は、残った側だけを見て改善するとき、何がずれるのかです。ここは印象の問題ではなく、標本の取り方の問題として扱えます。扱えるということは、ずれの向きも見当が付くということです。

三つ目は、去った人を数えられる場とは、具体的にどういう条件を満たした場なのかです。条件は三つあり、どれも短期の数字と引き換えになります。払う価値があるかどうかは、去られた記録が何を教えるかで決まります。

逆に、値を返せない問いが一つあります。離脱率の合格ラインです。何パーセントなら健全か、という問いに、この記事は数字を出しません。その値は、内訳のまったく違う二つの集まりから同じように出てきます。値だけを見て判定する形が、そもそも成立しません。

さらに、この指標には規模の条件が付きます。訪問が少ないページでは、比率は数人ぶんの動きで数十ポイント振れます。振れた値を改善の効果として読むと、実際には何も起きていない変化に対して処方が打たれます。

この記事は、離脱を減らす方法も並べません。減らす操作は、内訳を問わずに効いてしまうからです。目的を果たして去る人にも、失望して去る人にも、同じ引き止めが働きます。働いた結果、数字は改善します。改善した数字からは、どちらが減ったのかが読めません。

離脱率と直帰率は、分母だけが違う

二つの指標は、同じものを別の分母で数えています。違いは分母だけで、そこから読み取れることの範囲は、どちらも同じところで止まります。

離脱率とは、あるページが、その訪問の最後のページになった割合を指します。計算は、そのページからの離脱数を、そのページの表示回数で割る形です。

直帰率とは、サイトに入ってきた訪問のうち、他のページを見ずに最初の一ページだけで去った割合を指します。計算は、一ページのみで終わった訪問数を、そのページから始まった訪問数で割る形です。

同じページでも、入口として使われた場合と、途中で通過した場合で、扱いが変わります。数字が二つあるのは、この違いを分けるためです。分けても、どちらの数字も答えるのは「何割がそこで終わったか」までで、そこから先は同じところで止まります。

案内される改善の方向は、おおむね次の三つです。

第一に、内容と検索意図のずれを直すことです。期待していた内容と違えば、その場で去ります。

第二に、次への案内を置くことです。読み終わった後に行き先が示されていなければ、そこで終わります。

第三に、読みにくさを取り除くことです。表示の速さ、文字の大きさ、広告の量。読む前に去る要因は、内容の外にもあります。

三つとも、実務の助言として的確です。意図がずれていれば去りますし、行き先が無ければ終わります。表示が遅ければ読まれません。

三つが共有しているのは、扱い方のほうです。いずれも、離脱を減らすべき事象として扱っています。去られたことは損失であり、留めることが改善である、という構図です。

意図がずれて去られるのは、実際に改善すべき状態です。三つの助言は、その状態に対しては正しく効きます。効かないのは、この構図に入らない離脱のほうです。

目的を果たして去った人と、失望して去った人は、数字の上で同じ一件として計上されます。同じ一件として計上されると、処方も同じになります。留める方向の処方が、両方に対して打たれることになります。

留めることが目的になると、設計は出口を減らす方向へ寄ります。次の案内を増やし、関連する内容を並べ、読み終わりの位置に別の入口を置く。個々は妥当な施策ですが、積み重なると、読み終えることが難しい場ができます。

三つの助言は、順序を指定していません。着手の順は、実務では手間の少ない側から決まります。表示の速さは設定で変わりますが、内容と意図のずれを直す作業には終わりが見えません。手間の少ない順は、効果の大きい順とは一致しません。

離脱は「ページを閉じた」であって「関係が終わった」ではない

離脱とは、その訪問がそのページで終わったという記録です。それ以上の意味を含んでいません。

この区別には実質があります。満足して読み終えた人も離脱として計上されます。必要な情報を得て、目的を果たし、閉じた。この人は最良の読者ですが、指標の上では去った人です。

逆に、離脱していない人が良い状態にあるとも限りません。探しているものが見つからずに次のページへ移った人は、離脱していません。回遊が起きているように見えて、実際には迷っています。

つまり、この指標は行動の記録であって、状態の記録ではありません。同じ行動の下に、正反対の状態が入っています。

ここから、判定の限界が出ます。離脱率だけを見て良し悪しを判定することは、原理的にできません。判定には、その訪問が何を目的としていたかの情報が要りますが、その情報は記録に含まれていません。

滞在時間やスクロールの深さを併せて見れば、区別が付きそうに思えます。一部は付きます。ただし、併せて見ても残る曖昧さがあります。長く滞在して去った人は、熟読したのかもしれず、探し続けて見つからなかったのかもしれません。行動の記録をいくつ重ねても、目的は復元されません。

滞在時間については、もう一つ厄介な性質があります。多くの計測では、滞在時間は最初の記録と最後の記録の時刻差として計算されます。記録が一つしかない訪問では、差がゼロになります。つまり、一ページだけを読んで閉じた人は、どれだけ長く読んでいても、滞在時間ゼロとして集計されることがあります。

この性質のために、直帰と滞在時間を組み合わせた判定は、二重に外れます。直帰した人ほど滞在時間が短く出るという関係は、読者の行動ではなく計算の仕方から出ています。

だから見なくてよい、とはなりません。どのページで去られやすいかは、それ自体が有用な情報です。この指標が示すのは、場所であって理由ではない。場所が分かれば、そこで何が起きているかを調べる先が決まります。調べずに直すと、直したのは推測した理由のほうになります。

推測で直した結果が数字に現れると、推測が正しかったという確認が残ります。数字は複数の理由で動くので、この確認は当てになりません。それでも記録としては「直したら改善した」という形で残ります。

この形の記録は積み上がります。積み上がった記録は、次に同じ症状が出たときの根拠として使われます。「前もこれで直った」は、原因の説明ではなく、過去の操作の記録にすぎません。

推測で直すこと自体は、避けられません。全部を調べていたら、いつまでも手が付きません。推測で直したことを推測として記録に残しておけば、次に同じ症状が出たときに疑う余地が残ります。

観測できるのは、残った側だけである

去った人についての情報は、去った時点で取得できなくなります。連絡先を持っていなければ、その人がなぜ去ったかを聞く経路がありません。

一方、残った人の情報は、時間が経つほど厚くなります。この非対称が、改善の材料を偏らせます。手元に集まるのは、残った人の意見だけです。そして残った人は、定義上、いまの設計に合っている人たちです。

第二次世界大戦中、統計学者のアブラハム・ワルドは、この構造を扱う方法を書いています(Wald, 1943, “A Method of Estimating Plane Vulnerability Based on Damage of Survivors”, Statistical Research Group, Columbia University)。帰還した機体の損傷データから、機体全体の脆弱性を推定する方法です。

論文の題名そのものが、この構造を述べています。手元にあるのは生還した機体のデータだけで、そこから推定する対象は、生還しなかった機体を含む全体です。

この仕事は「損傷の少ない箇所に装甲を貼れ」という一言の逸話として流通していますが、実際に書かれているのは、生還したデータから全体の被弾確率を推定するための統計的な方法です。逸話の形は結論の要約であって、方法そのものではありません。

事業に移すと、こうなります。残った顧客への調査は、残った理由を教えます。去った理由は教えません。満足度の調査が高い数字を返しているのに離脱が止まらないとき、多くの場合、この構造が働いています。

去った人にも調査を送っている、という反論が立ちます。送れる場合はあります。ただし、送れるのは連絡先を持っている相手だけです。連絡先を渡す前に去った人には、届きません。

そして、届いた場合でも、回答するのは去った人の一部です。わざわざ答えてくれる人は、まだ関心が残っている人です。完全に関心を失った人は、回答もしません。去った人の中でも、こちらに近い側からしか回答が返ってきません。

偏りそのものは取り除けません。原理的に、去った人の全体には到達できないからです。変わるのは、偏っていることを前提に読むかどうかで、そこから出る結論のほうです。偏りを勘定に入れなければ、残った人の意見が全体の意見として扱われます。

そして、偏りを勘定に入れるという言い方は、まだ曖昧です。具体的に何をすれば入れたことになるのか。数える相手を、残った人から去った人へ広げることになります。

選択された標本から全体を推し量るには、選択の過程が要る

偏りを勘定に入れるとは、残った側と去った側を分けている条件そのものを、観測の対象にすることです。

経済学者ジェームズ・ヘックマンは1979年の論文で、標本が非無作為に選ばれている状態を、統計上の誤りではなく、モデルの立て方の誤りとして定式化しました(Heckman, 1979, Econometrica, 47(1), 153–161)。手元にあるのが選ばれた側だけである場合、その標本から推定した関係は、選ばれ方が持ち込んだ要素を含んでいます。

論文が示しているのは、この状態を扱う方法です。選ばれる過程そのものを一つの式として立て、それを推定に組み込む。組み込めれば、選ばれた標本から全体についての推定ができます。組み込めなければ、できません。

言い換えると、補正の可否は、選択の過程を観測できるかどうかにかかっています。誰がどういう条件で残り、誰がどういう条件で去ったのかが分かるなら、残った側の記録から全体を推し量る道があります。分からないなら、道はありません。

この定式化は計量経済学の推定を対象にしたものであり、事業の記録がそのまま同じ扱いになるという主張ではありません。移せるのは、手元の標本が偏っていることを知っているだけでは足りず、偏らせた条件のほうを観測しなければ何も補正できないという向きだけです。

その向きが、実務の設計に直結します。「残った人の意見だから割り引いて読む」という態度は、偏りを知っている状態です。知っているだけでは、割り引く量が決まりません。量が決まらない割引は、結局のところ好みの調整になります。

決まるのは、去るという操作がこちらの側に記録として残っている場合です。何人が、いつ、どの時点で去ったか。ここが記録されていれば、残った側と去った側を分けている条件が読めます。読めれば、残った人の意見をどの範囲に一般化してよいかも決まります。

去った人の理由を全部知る方法はありません。ありませんが、去るという出来事を記録として残す形にはできます。残せれば、偏りは扱える対象になります。

順序を間違えないことが要ります。先に要るのは記録の設計であって、調査の設計ではありません。去った人に何を聞くかを工夫しても、去ったことが記録されていなければ、聞く相手を特定できません。

「離脱を減らす」を目的にすると、出口を塞ぐ設計になる

離脱率を下げることを目標に置くと、設計は一定の方向へ動きます。そして、その方向は相手の目的とは独立に効きます。

読み終わりの位置に、次の入口を置く。関連する内容を並べる。途中で別の要素を挟んで、視線を止める。どれも離脱率を下げます。

これらは、探しているものを見つけた人に対しても表示されます。見つけた人が次へ進むなら、その人は当初の目的を離れて回遊しています。

回遊自体は悪いことではありません。問題は、目的を果たした人を引き止めた結果が、指標の上では改善として現れることです。

測る段を目標に置くと、その段が最適化の対象になる——顧客獲得単価(CPA)で扱った構造が、ここでは別の形で現れています。離脱を測っているので、離脱が減ります。減った内訳が、失望による離脱なのか、満足した離脱なのかは、指標には入っていません。

限界まで進むと、この設計は場そのものの性質を変えます。去りにくい場は、去った人の記録を持てません。記録がなければ、去った理由も分かりません。

さらに、去りにくさは滞在を延ばしますが、滞在の質を保証しません。出口が見えない状態で滞在している人は、次に来る理由を作っていません。

回遊してもらうことは、そんなに悪いことなのか。悪くありません。判定は、回遊しているかどうかではなく、回遊が誰の目的で起きているかです。

相手が次の問いを持って進むなら、それは相手の目的です。こちらが表示した選択肢に沿って進むなら、それはこちらの目的です。記録の上では同じ行動として現れます。

見分ける方法は一つあります。次のページで何が起きたかを見ることです。相手の問いで進んだ場合、次のページでも同じくらい読まれます。こちらの表示で進んだ場合、次のページはすぐ閉じられます。移動は起きたが、読まれていない状態です。

この設計は、書き手の側の判断も変えます。一本の記事を読み終えられる形で書くより、次へ渡す形で書くほうが数字が良くなるからです。渡すことが目的になると、その記事だけを読んだ人に何が残るかは、考慮から外れます。

次への案内を置くこと自体は、必要な設計です。続きが存在するのにそれが示されていなければ、探せません。判定の線は、案内が「この先に何があるか」を述べているか、「次へ行け」と促しているかにあります。前者は、行かない選択を残します。後者は、読み終えた状態を未完了として扱います。同じ位置に置かれた同じ長さの一行が、この二つに分かれます。

目的を果たして去るという状態を、どう数えるか

去られること自体を、悪い出来事として扱わない読み方があります。その訪問の目的が果たされて終わった場合、離脱は完了の記録です。

検索して来て、知りたかったことが分かって、閉じた。この人は、次に同じ種類の問いが出たときに戻ってくる可能性が高い人です。

戻ってくるかどうかは、その訪問の中では観測できません。観測できるのは、次の訪問が起きたときです。つまり、離脱の良し悪しは、離脱の時点では判定できず、後から判定されます。判定に要する時間は、その領域で問いが再発する間隔によります。

ここから、期間の条件が出ます。離脱率を短い期間で評価すると、良い離脱と悪い離脱の区別が原理的に付きません。区別が付くのは、再訪の記録が溜まってからです。

そして、再訪を記録するには、同じ人だと分かる必要があります。分かるのは、連絡先を持っている場合か、記録が継続している場合だけです。どちらも持っていなければ、良い離脱は永久に良い離脱として観測されません。

これはリスト集めの前提で扱った、到達経路を持っているかどうかの問題と繋がります。経路を持たない場では、去った人は全員が同じ「去った人」になります。

経路を持てば全部見える、という話でもありません。経路を持っても、去った理由は自動的には分かりません。確かなのは一点だけで、経路を持っていない場では、去った人の一件と、目的を果たした人の一件が、永久に区別できません。区別できないまま改善を続けると、両方に対して同じ処方が打たれます。

そして、両方に効く処方は、片方にとっては余計です。目的を果たした人にとって、次の案内は目に入らないか、邪魔になります。邪魔になったことは記録に残らないので、処方の費用は永久に計上されません。

連絡先を渡してもらう地点を置けば、離脱は増えます。渡すかどうかの判断が挟まるので、そこで去る人が出ます。これは事実として認めるべき代償です。判断を挟むと去る人が出るという代償は、段を一つ増やすたびに発生します。段を設ける側で必ず起きることはファネル全体の設計が扱っています。

そのうえで、代償の中身を見ると、去ったのは「渡すほどではない」と判断した人です。その判断は正確です。留めていれば、判断を保留したまま滞在する人が増えるだけです。

判断を求める地点を置くと、そこが最も離脱の多い場所として数字に現れます。すると、その地点を改善対象として扱いたくなります。

改善の方向が「判断を求めない形にする」へ向かうと、渡す前に去った人と、渡さないと決めた人の区別が、また消えます。判断の地点は、離脱を生む場所であると同時に、去った理由がはっきりする数少ない場所でもあります。

件数が少ないうちは、比率は読めない

離脱率は比率なので、分母が小さいと大きく振れます。そして、振れは改善の効果と見分けが付きません。

一日に十人が訪れるページで、七人が去れば七十パーセントです。次の日に四人が去れば四十パーセントです。数字は三十ポイント動いていますが、動いた実数は三人です。

この振れを施策の成果と受け取ると、中身の変わっていない月に手が加わります。打った後にたまたま数字が戻れば、その処方は効いたことになります。

比率は分母が小さいほど極端な値を出しやすいので、「最も悪いページ」は、たいてい訪問の少ないページになります。悪い順に並べると、上位は小さな数字で埋まります。

件数が少ないから見なくてよい、という話ではありません。見るべきは、比率ではなく実数です。「七十パーセントが離脱」ではなく「七人が去った」と読めば、判断の重さが実態に合います。

実数で並べると、訪問の多いページばかりが上位に来ます。それでは優先度が付かない、と読めます。付けられます。優先度は比率でも実数でもなく、その離脱が事業の何を止めているかで決まります。申し込みの直前で去られる十人と、参考情報のページで去られる百人は、同じ十件でも意味が違います。

これは成約率が悪いとき、どこから疑うかで扱った、複数の割合の積として全体が決まるという構造と同じ問題です。どこで去られたかは、その段が全体のどこに位置するかを見なければ判断できません。

比率で並べる習慣は、事業の齢が浅い時期に最も強く働きます。訪問が少ないので、どのページも分母が小さく、どれも極端な値を出します。このとき最も避けるべきなのは、極端な値を根拠に設計を大きく変えることです。変えてしまうと、何が効いていたのかを後から辿れなくなります。

分母の小ささには、見落とされやすい性質があります。比率が読めない規模では、「悪い」と「まだ何も起きていない」が同じ顔をします。三人しか来ていないページの離脱率は、内容が良くても悪くても極端な値になります。

この段階で必要なのは、比率を改善することではなく、比率が読める規模に達するまで設計を保つことです。保つあいだ、変えてよいのは記録の項目のほうです。規模が出てから記録を足しても、それ以前の期間は遡れません。

規模が出るまで何も判断できない、という話でもありません。個別の一件は、規模に関係なく読めます。一人が申し込みの直前で止まったなら、その一人が何を見て止まったかは、比率とは無関係に確かめられます。

去る理由は、去った後には聞けない

去った理由を確かめやすいのは、去る前に聞く場合です。

去る前に聞く形は、実務でも行われています。解約の手続きの中に理由を尋ねる欄を置く形が、それにあたります。

ただし、解約の手続きの中で聞く形には、限界が二つあります。

第一に、答えは短くなります。止めようとしている人は、その場を早く終えたいので、選択肢から一つ選んで終わります。選択肢はこちらが作ったものなので、こちらが想定していない理由は選ばれません。

第二に、答えは正確とは限りません。人は自分の行動の理由を、事後に再構成します。「価格が高い」と答えた人の中には、価格が理由ではない人が含まれます。説明しやすい理由が選ばれるからです。

聞くこと自体は必要です。ただし、聞いた答えをそのまま原因として採ると、間違った場所を直すことになります。

より確からしいのは、去る直前の行動の記録です。どのページを見て、どこで止まり、何をしなかったか。行動は再構成されません。

行動の記録にも、解釈の段階でこちらの推測が入ります。違いは、推測であることが自覚できるかどうかです。本人が言った理由は事実として扱われやすく、行動の記録は解釈だと分かっています。自覚のある推測のほうが、検証の対象になります。

行動の記録さえあれば分かる、とはなりません。記録は、記録した項目についてしか教えません。記録していない項目については、後から遡って知ることができません。

したがって、何を記録するかを決める時点で、後から問えることの範囲が決まっています。この決定は、たいてい何も考えずに既定のまま行われています。

既定の項目は「よく使われる項目」なので、どの事業でも同じことしか問えない状態になります。表示回数、滞在時間、遷移先。これらは事業の種類を問わず取れるので、事業に固有の問いには答えません。

固有の問いに答えるには、固有の項目を記録するしかありません。たとえば、こちらの提供内容を実際に試したかどうかは、既定の項目には入っていません。入れるには、こちらが定義して置く必要があります。

記録の項目を決める作業は、たいてい設計の最後に回されます。何を作るかが決まり、どう見せるかが決まった後で、計測をどうするかが検討されます。順序としては、これが最も遅くなります。そのころには、既定の項目を採る以外の選択肢が実質的に無くなっています。

そして、定義して置いた項目だけが、後から問えることになります。記録の設計は、分析の前に行われる、戻りにくい決定です。

去った人を数えられる場の条件

去った人を数えられる場とは、去るという操作が、こちらの側に記録として残る形になっている場です。条件は三つあります。

第一に、去る操作が存在することです。何もしないことが離脱になる場では、去った時点が特定できません。購読の停止、退会、契約の終了。明示的な操作があってはじめて、去ったことが出来事になります。

第二に、その操作が簡単であることです。難しければ、去りたい人が去らずに留まります。留まった人は継続として計上されるので、去った事実そのものが記録から消えます。

第三に、去った後も敵対しないことです。去り際に強い引き止めを行うと、その人は理由を言わずに去ります。言わずに去られると、記録には「理由なし」だけが残ります。

三つとも、短期の数字を下げる方向に働きます。去りやすくすれば離脱は増え、引き止めなければ継続率は下がります。そして、下がった数字は月次の集計に出ますが、上がったはずの情報の量は、どこにも集計されません。費用は測られ、見返りは測られない。この非対称が、三つの条件を持ちにくくしています。

それでもこの三つを持つ理由は、去られた記録だけが、いまの設計が誰に合っていないかを教えるからです。残った人からは、この情報は出てきません。

扱いを薄くした相手が実際にどうだったかは原理的に記録に残らない——同じ構造を指標の側から見たものが顧客生涯価値(LTV)にあります。本節は、その場の側での対応物にあたります。

去りやすくすれば、去る人が増えるだけではないか。増えます。そのうえで、増えたぶんには、いずれ去る予定だった人が含まれます。去る時期が早まっただけなら、最終的な残存の差は小さくなります。

差が出るのは、早く去られたことで、その理由を早く知れることです。一年後に理由も分からず去られるのと、三か月で理由が分かる形で去られるのとでは、次の設計に使える材料が違います。

三つの条件を満たせば、去った理由が全部分かるわけではありません。明示的に去る操作をせず、単に反応しなくなる相手は、どの形式でも一定の割合で出ます。

この層に対しては、去った時点を特定することすらできません。できるのは、反応が無い状態が一定期間続いたら、こちらから区切りを置くことだけです。

区切りを置くこと自体に意味があります。置かなければ、その相手は名簿の上で永久に「継続中」として残ります。残っている数字は、実態より大きくなり続けます。実態より大きい数字は、判断を狂わせる方向にしか働きません。

記録の側が、去った人について答えられるか

確認に使うのは、離脱の割合ではありません。記録の構造のほうです。

第一の指標は、直近で去った人を、何人か名指しで挙げられるかどうかです。挙げられないなら、去られた事実が個別の出来事として記録されていません。割合しか手元に無い状態は、去った人が集計の中にしか存在しない状態です。

第二の指標は、去った理由の記録のうち、こちらが用意した選択肢以外の記述がどれだけあるかです。すべてが選択肢のどれかに収まっているなら、想定外の理由は一件も拾えていません。自由記述が一定の割合で入っていることが、記録が機能している証拠になります。

第三の指標は、去る操作にかかる手数です。数えてみれば分かります。申し込みより多い手数がかかるなら、去りにくさが数字を作っている部分があります。同じ手数か、それより少ないなら、いまの継続は摩擦以外の理由で成立しています。

離脱の割合そのものは、三つの指標に入っていません。去った人を数えられるかどうかが問いである以上、確認すべきは記録の側だからです。

三つには限界があります。いずれも、去るという操作が存在する形式でしか使えません。検索から来て読んで閉じるだけの場では、去った人は最初から匿名です。この場合に取れるのは、去る前に関係を作る経路を置くことだけです。

名指しで挙げられるのは、件数が少ないうちに限られます。件数が増えれば、全員を個別に把握することはできません。ただし、第一の指標が問うているのは全員ではなく、直近の数件です。数件も挙げられない状態は、件数の問題ではなく、記録の構造の問題です。

そして、件数が増えた後も、個別に読むのをやめた時点で、去った理由の情報は集計の中へ消えます。集計は「何割が去ったか」を教えますが、「その人が何を期待して来て何を得られなかったか」は、集計の粒度では表現できません。

合格ラインという形の問いには、この記事は数字を返しません。同じ値が、目的を果たして去った人の集まりからも、失望して去った人の集まりからも出るからです。ラインを渡すことは、二つを一つの数字に潰したまま判定してよい、と言うことになります。

手元に残るのは、残った人の記録だけです。この非対称は取り除けません。扱えるようになるのは、去るという操作が記録に残る形を作ったときだけです。去った理由を全部知る方法はありません。ありませんが、去ったことを出来事として残す形にはできます。

次に記録の項目を決めるとき、その項目が答えられるのは、こちらが定義した範囲だけです。連絡先が残っていれば、去った後にも聞けます。ただし返ってくるのは、こちらに近い側からだけです。偏りのない材料を作れるのは、去る前だけです。

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