売れないとき、まず商品説明を書き直している方へ/結果の記述を症状として扱うと、対処は原因ではなく結果に向く

売れない原因は五つの状態に分かれ、対処はそれぞれ違っている

「売れない」という言葉は、症状ではありません。結果の記述です。

症状とは、どこで何が起きているかを指す言葉です。結果の記述は、起きた後の状態を指します。この二つを混同すると、対処は原因ではなく結果に向けられます。

そして、結果の記述を症状として扱ったとき、最初に疑われやすいのは、文章です。商品説明、案内文、提案の書き方。これらが最初に来るのは、原因の分布がそうなっているからではありません。少なくとも、経験がまだ蓄積されていない領域ではそうです。文章は自分で書いたものなので、直せる箇所が具体的に思い浮かびます。思い浮かぶ候補の数が、疑う順序を決めています。

この一語が実際に覆っている範囲は、想像より広い。見られていない状態も、読まれていない状態も、読まれたが自分の話だと思われていない状態も、全部が「売れない」の一語に入ります。外から見た結果が同じなので、区別する必要が発生しません。

この一語の広さは、扱っているものが小さいほど問題になります。取引の件数が少ないと、五つのどれが起きているかを分ける材料も少なくなります。材料が少ないまま一語で呼び続けると、対処は一つに固定されます。

確かめられることは、三つあります。一つ目は、「売れない」が指している状態がいくつあるか。ここは五つに分かれ、五つとも別の場所で起きています。二つ目は、いま自分がどれなのかを判定する手順。判定に必要なのは統計ではなく、少数の実例と、こちらの記録です。三つ目は、なぜ分解しないまま改善すると、効いたかどうかまで分からなくなるのか。

答えが出ないものも書いておきます。どの状態が最も多いかは、この記事では決まりません。扱っているものと、届け方と、事業の齢によって分布が変わるからです。分布はこちらが数えるものであって、渡されるものではありません。

この記事は、「売れるようになる方法」も並べません。五つの状態に対して、五つの別々の作業が対応します。対応が一対一なので、選ぶ前に並べても、選び方の役には立ちません。先に要るのは、いまどれが起きているかのほうです。

判定を飛ばすと、実害が出ます。飛ばすと、対処は五つ全部に効くものを探す形になります。全部に効く対処は存在しないので、探索は終わりません。終わらない探索は、文章の改善という形で続きがちです。文章にはいつでも直せる箇所があるからです。

そして、探索が終わらないことは、外からは勤勉さに見えます。手が止まっていないので、進んでいないという判定が立ちません。止まっているのは手ではなく、候補の絞り込みのほうです。

三つの原因という説明が、主語を一つに固定している

売れない原因として繰り返し挙げられるのは、三つです。三つとも実在する状態で、対処も的確です。そのうえで、三つとも主語が同じです。

認知が足りていないこと。存在を知られなければ購入は起きない、という説明が添えられます。対処として、検索からの流入を増やす、広告を出す、複数の媒体で発信する、といった方法が挙げられます。

価値が伝わっていないこと。提供している内容が相手の側で理解されていない状態として説明されます。対処は、対象を明確にすること、伝え方を整えることです。

魅力が伝わっていないこと。認知はあるが選ばれない状態として説明されます。対処として、事例を示す、物語の形で伝える、といった方法が挙げられます。

加えて、購買の過程のどこで離脱しているかを把握できていないことが最大の原因である、という指摘もあります。認知、興味、比較、購入という段のどこで止まっているかを特定する、という趣旨です。

これらは、記述としても実務の助言としても的確です。三つとも実際に起きる状態であり、対処も対応しています。

主語の話をします。三つの原因は、いずれも「伝達の失敗」として記述されています。知られていない、伝わっていない、伝わっていない。主語はすべてこちら側で、動詞はすべて伝えることです。

伝達の失敗が原因である場合は、実際にあります。この枠組みが的外れだという話ではありません。入らないものがある、という話です。

相手が既に十分に理解していて、そのうえで今ではないと判断している場合。これは伝達の失敗ではありません。枠組みに入らないので、対処も出てきません。そして、伝達の失敗として扱われると、対処は「もっと伝える」になります。

「もっと伝える」には、二つの方向があります。量を増やす方向と、強度を上げる方向です。量を増やすのは、説明を厚くする、事例を足す、接触の回数を増やすこと。強度を上げるのは、断定を強める、期限を付ける、不利益を明示することです。

どちらも、既に理解している相手には効きません。理解が足りていないという前提が誤っているからです。そして、効かないことは「まだ足りない」という解釈で処理されます。

強度を上げる方向には、逆向きの帰結が付きます。分かっている内容を強く繰り返されることは、こちらが相手の理解の程度を把握していないという情報になります。把握していないと分かった相手は、こちらの判断の質を割り引きます。割り引かれるのは、その案内だけではありません。その後に受け取るものにも、同じ割引が及びやすくなります。

「売れない」は、五つの異なる状態を一語で呼んでいる

購入が発生しない状態は、少なくとも五つに分かれます。

第一に、見られていない。ページや案内が、対象の目に触れていない。この状態では、内容の質は結果に一切影響しません。

第二に、見られたが読まれていない。目には触れたが、最初の数行で離れている。内容は存在しているが、読まれる前に判定が終わっています。

第三に、読まれたが、自分の話だと思われていない。内容は理解されたが、自分の状況とは別のこととして処理されている。「よい話だった」で終わる状態です。

第四に、自分の話だと思われたが、今ではない。関係があると認識され、必要性も理解されたが、優先順位が他より低い。この状態は、判断として正しく行われています。

第五に、今だと思われたが、自分では決められない。必要性も時期も認められたが、決定の権限や条件が揃っていない。法人の取引では承認の過程として現れ、個人の取引では家庭の事情や資金の都合として現れます。

五つとも、外から見た結果は同じです。購入が発生していません。そして、五つの対処はまったく違います。

第一には、経路の問題として対処します。第二には、最初の数行の問題として対処します。第三には、対象の記述の問題として対処します。第四には、対処しないという選択が正しいことがあります。第五には、決定の過程を扱う必要があります。

五つを区別するには買わなかった人に聞くしかないのではないか、という問いが立ちます。全員には聞けません。ただし、五つのうち三つは、こちらの記録から判定できます。見られたかどうか、読まれたかどうか、最後まで到達したかどうか。これらは行動として残ります。

残る二つ——今ではないのか、決められないのか——は、聞くしかありません。そして、この二つは、途中で接触があった相手に限られます。接触があった相手には、聞くことができます。

五つという分け方が唯一のものではありません。扱っているものによって、関門の数は変わります。変わらないのは、「売れない」という一語が複数の状態を覆っているという点です。

分けた瞬間、対処すべき件数が増えたように見えます。一つの問題が五つになったのだから、作業も五倍に見えます。実際には逆で、分ければ、いま起きている一つだけに手を付ければ済みます。

五つには、順序があります。上の段で止まっている人は、下の段に到達していません。したがって、下の段の状態は、上の段を通過した人についてしか観測できません。

この順序には、診断上の帰結があります。上の段を直すと、下の段の数字が悪化することがあります。見られる人が増えれば、読まれずに離れる人も増えるからです。上の段を直した月は、下の段の割合が落ちて実数は増える、ということが起きます。割合だけを見ていると、上流の改善が失敗に見えます。上の段を直すと下の段の数字が悪化するという関係は、段が独立していないことから出ています。段どうしがどう繋がっているのかはマーケティング設計の全体像にあります。

「原因は自分にある」という読み方が、最初に来る

売れない状態が続くと、原因は自分にあるという読み方が最初に立ち上がります。この読み方は、謙虚さの現れではありません。手元にある候補が、そこにしか無いという状態の現れです。

文章は、こちらが書いたものです。何度も読み返しており、直せる箇所も具体的に思い浮かびます。「ここの表現が弱い」「この見出しが分かりにくい」という候補が、いくらでも出てきます。

一方、経路の問題には、思い浮かべる材料がありません。どの検索語でどれだけ表示されたか、どこからリンクされているか。記録を見にいかないかぎり、頭の中には何もありません。

候補が多いほうが、原因として選ばれます。選ばれた原因に対して、実際に手が動きます。手が動けば、何かは改善されます。改善されたことが、選択が正しかったことの確認になります。

「原因は自分にある」という言い方が、この構造を隠します。その文には、自分で動かせる余地が含まれています。自分に原因があるなら、自分で直せます。直せるものが見つかった状態は、行き詰まりよりも前向きに感じられます。

しかし、第一の状態——見られていない——では、こちらの側に直すものがありません。原因はこちらの経路の設計にありますが、それは文章の質とは別の話です。「自分に原因がある」と「自分の書いたものに原因がある」は、同じ言葉のように扱われますが、指している場所が違います。

記録を参照する習慣が生まれにくいことにも、同じ構造が関わっています。記録を見にいくには、見にいくという判断が要ります。判断が起きるのは、頭の中の候補が尽きたときです。候補が尽きないかぎり、記録は参照されません。

そして、文章の改善には上限がありません。どれだけ直しても、さらに直せる箇所は見つかります。尽きないので、他の候補へ移る契機が発生しません。

原因が文章にあることは、珍しくありません。疑うこと自体が誤りなのではありません。問題は、疑う順序が原因の分布と無関係に決まっていることです。文章が原因である確率が高いから最初に見ているのではなく、最初に思い浮かぶから最初に見ています。

二つは、外から見た行動としては同じです。どちらの場合も、文章の見直しから始まります。違いは、効果が出なかったときに現れます。分布に基づいて選んでいれば、次の候補へ移ります。思い浮かびやすさで選んでいれば、同じ場所をもう一度見ます。

思い浮かびやすさで判断すること自体が、常に誤りなのでもありません。経験が豊富な領域では、思い浮かびやすい原因が実際に多い原因と一致しやすくなります。一致が崩れるのは、まだ事例が手元に溜まっていない領域です。そして、事業を始めた段階は、ちょうどその領域にあたります。

対立する候補を並べて、除外できる観測を作る

診断を進める形には、科学の側に定式化があります。候補を一つ立てて確かめるのではなく、対立する候補を複数並べ、どれかを除外できる観測を先に設計する形です。

物理学者ジョン・プラットは1964年に、進展の速い分野と遅い分野を分けているのは研究者の能力ではなく、推論の手続きだと論じました(Platt, 1964, Science, 146(3642), 347–353)。速い分野で共通して行われていたのは、対立する仮説を並べ、それぞれが異なる結果を予測する観測を設計し、実行して候補を減らす、という手順の反復です。

プラットが対比させているのは、一つの仮説を立てて、それを支持する観測を集める形です。この形でも観測は集まります。集まりますが、候補が減りません。支持する観測は、他の候補も同時に支持していることがあるからです。

この論は物理学と分子生物学の実践を対象にしたものであり、事業の判断がそのまま同じ形になるという主張ではありません。移せるのは、候補を減らせない観測をいくら重ねても、絞り込みは進まないという向きだけです。

その向きを、売れない状態に当てます。文章を直して様子を見る、という進め方は、一つの仮説を立てて支持する観測を待つ形です。数字が上がれば、文章が原因だったという解釈が付きます。上がらなければ、まだ足りなかったという解釈が付きます。どちらの結果も、他の四つの候補を除外しません。

五つに分けることの意味は、ここで変わります。分けることは、対処を選ぶための準備であると同時に、除外できる観測を設計できる状態を作る作業です。

具体的には、こう働きます。第一の状態と第二の状態は、表示された回数と開かれた回数で分かれます。この二つの数字は、他の三つの候補とは無関係に動きます。したがって、この観測は第一と第二のどちらかを除外できます。

第三の状態は、読んだ人が何を言うかで分かれます。内容についての感想が返る状態と、自分の状況の話が返る状態は、同時には起きません。ここでも候補が減ります。

除外が一つ進むごとに、次に何を見ればよいかが決まります。これが、分解の実際の効き目です。対処の候補を並べることではなく、候補を減らす手順を持てるようになることのほうが大きく効きます。

そして、この手順には終わりがあります。五つを順に除外していけば、残るのは一つか二つです。終わりがある作業と、終わりのない作業の差が、そのまま診断と改善の差になります。

五つのうち、どれが起きているかは、少数の実例で判定できる

判定は、割合を出す作業ではありません。種類を見る作業です。少数の実例を見れば足ります。

第一と第二の判定には、記録を使います。表示された回数と、実際に開かれた回数。開かれた後に、どこまで読まれたか。この二つが分かれば、上の二段は切り分けられます。

数字が無い場合でも、判定はできます。知人に、その案内を見つけられるかどうかを試してもらう。見つけられないなら、第一の段で止まっています。見つけられたが最後まで読まなかったなら、第二の段です。

第三の判定には、読んだ人の反応を使います。読んだ相手が何と言うかを見ます。内容についての感想が返るなら、その人は読者として反応しています。自分の状況についての話が返るなら、自分の話として処理されています。「よい記事だった」で終わる反応が続くなら、第三の段で止まっています。

第四と第五の判定には、聞くしかありません。接触があった相手に、いま決めない理由を聞きます。「今は他を優先している」という答えなら第四、「自分だけでは決められない」という答えなら第五です。

少数の実例でも、分布の見当は付きます。割合の精度は必要ありません。五つのうちどれが最も多いかが分かれば、次に手を付ける場所が決まります。

接触が一件も無い場合はどうするか。その場合、判定は第一段で終わります。接触が無いなら、第二段以降の状態は発生していません。内容の改善には意味がありません。内容が良くなっても、見られていなければ結果は同じです。

この判定は、受け入れにくい判定でもあります。書いたものに問題があるという結論のほうが、まだ何も届いていないという結論より、着手できる作業を伴うからです。

接触がゼロに近い状態が続いている場合でも、内容を放置してよいという意味ではありません。接触が始まったときに、第二段以降で止まることは十分ありえます。優先順位の話であって、不要かどうかの話ではありません。

少数の実例で判定することには、精度の限界が付きます。十件の分布は、次の十件で変わることがあります。したがって、この手順で得られるのは確定した診断ではなく、次に見る場所の候補です。

候補であることを承知しておかないと、最初に出た分布が固定されます。固定されると、その後に集まる実例は、既にある結論を確かめる材料として読まれます。防ぐ方法は一つで、判定した後も記録を取り続けることです。取り続けていれば、分布が変わったことが分かります。

五つの判定のうち、最も見落とされやすいのは第三です。見られており、読まれてもいる。数字の上では健全に見えます。「自分の話だと思われていない」という状態は、行動の記録には現れません。

五つは、対処がまったく違う

一つの「売れない」の下で、五つの別々の作業が走ります。

第一への対処は、経路の設計です。どこから来られるようにするか、来た人がどこへ合流するか。この構造は導線設計で扱いました。内容の作業ではありません。

第二への対処は、最初の数行の設計です。読み始めた人が、これは自分に関係があるかどうかを判定するのは、最初の数行です。ここで判定されるのは内容の質ではなく、対象が自分かどうかです。

第三への対処は、対象の記述です。誰の、どういう状況を扱っているのかが具体的でなければ、読んだ人は自分を当てはめられません。一般的に書くほど、誰の話でもなくなります。

第四への対処は、「対処しない」になることがあります。優先順位が低いという判断は、その人の状況から出ています。こちらが変えられるのは、その判断に必要な情報だけです。情報が揃ったうえで低いなら、それは正しい判断です。

第五への対処は、決定の過程を扱うことです。誰が決めるのか、何が揃えば決まるのか。この情報は、聞かなければ分かりません。

五つの作業は、必要な時間も、必要な能力も違います。第一は経路の設計、第二と第三は文章、第四は待つこと、第五は聞き取り。一つの「売れない」に対して、これだけ異なる作業が候補になります。

複数が同時に起きていることもあります。見られてもいないし、読まれてもいない、という状態は矛盾しません。この場合、上から順に処理します。下の段を先に直しても、上で止まっている人には届かないからです。

第四への対処が「対処しない」というのは消極的すぎる、と読むこともできます。何もしないという意味ではありません。その相手に対して、いま働きかけないという意味です。優先順位が変わる時期は、こちらの働きかけでは動きません。動くのは、相手の側の状況が変わったときです。

このとき必要なのは、状況が変わったときに思い出される場所にいることです。働きかけではなく、経路を保つ作業になります。経路を保つ側の設計は、リスト集めの前提で扱っています。

「対処しない」を選べないと、第四の相手にも第三への対処が向けられます。つまり、もっと説明することになります。説明されるほど、その相手は「分かっているのに繰り返される」という経験を積みます。

五つの作業のうち、着手されにくいのは第五です。決定の過程を聞く作業は、こちらが不利な立場で質問することになるからです。聞きにくさが、そのまま情報の欠落を作っています。

分解しないと、当たったかどうかも判定できない

分解が要る理由は、対処を選ぶためだけではありません。分解していない状態で改善を行うと、結果の読み方が定まりません。

文章を直して、購入が増えたとします。増えた理由は、文章が良くなったからかもしれません。同じ期間に別の記事から流入があったからかもしれません。分解していなければ、この二つは区別できません。

区別できない改善を積み重ねると、効いた施策と効かなかった施策の判別が付かないまま、施策だけが増えます。増えた施策は、どれも維持する必要があります。維持の負荷は確実に増え、効果の内訳は分からないままです。

全体として増えているなら内訳は分からなくてもよい、という読み方はできます。増え続けている間は、その読み方で足ります。問題は、止まったときに何を疑えばいいか分からなくなることです。内訳が分からないので、全部を疑うか、直近に変えたものを疑うかしかありません。

そして、直近に変えたものを疑うのは、最も手近な候補を選ぶ形そのものです。最後に変えたものが、最も鮮明に思い出せるからです。

さらに、この疑いは外れやすくなります。直近に変えたものは、変えてから日が浅いぶん、結果への寄与が小さいことがあるからです。半年前に変えた経路のほうが、その間ずっと効き続けています。寄与の大きさと、思い出しやすさが、逆の順に並ぶことがあります。

厳密な切り分けが常に可能なわけではありません。事業の規模が小さいうちは、数字の変動が偶然の範囲を超えません。この段階で必要なのは、統計的な判別ではなく、五つのどこで止まっているかという定性的な把握です。

分解していない状態では、施策を止める判断が下せません。どれが効いているか分からないので、どれも止められません。止められないものは、すべて維持されます。

維持の負荷は、時間とともに積み上がります。負荷が積み上がった状態では、新しいことを試す余力が減ります。余力が減ると、既にあるものの調整に作業が寄ります。調整は、分解されていない状態で行われるので、また判別できない結果を生みます。

分解の効果は、正しい対処を選べることだけではありません。効かなかったと判定できることのほうが、実際には大きく効きます。効かなかったと判定できれば、その施策は止められます。止められる施策があることが、次の施策に着手する条件になります。増やす一方の運用は、どこかで動けなくなります。

止められないことの費用は、時間だけではありません。維持している施策は、どれも「効いているかもしれないもの」として扱われます。効いているかもしれないものが増えるほど、次に何かが変わったときの説明の候補が増えます。候補が増えれば、特定はさらに難しくなります。

「売れない」が正しい記述である場合もある

五つのどれにも当てはまらない場合があります。見られており、読まれており、自分の話として処理され、時期も来ており、決定の権限もある。それでも購入が発生しない状態です。

この場合、記述として正しいのは「売れない」です。そして、原因は診断の対象の外にあります。

考えられるのは二つです。一つは、扱っている問題が、費用を払って解決するほどの重さを持っていない場合。もう一つは、同じ問題を解決する別の手段が、既にその人の手元にある場合です。

どちらも、伝達の改善では動きません。前者は、問題の設定そのものを見直すことになります。後者は、その別の手段との違いを扱うことになります。この構造は競合分析をやめるという選択で扱っています。

この二つが判明することは、悪い結果ではありません。五つの診断を通り抜けた先に出てくる情報であり、診断をしなければ得られない情報です。

そこまで診断して結局売れないなら時間の無駄ではないか、という読み方もできます。無駄になるのは、診断せずに改善を続けた場合のほうです。問題の設定に原因がある状態で、文章を直し続ける。直しても動かないので、さらに直すことになります。この経路には終わりがありません。

問題の設定を見直すという結論は、最も重い結論です。軽々に出すべきものではありません。五つを順に確認したうえで、どれも該当しないと確かめてから出す結論です。

この結論が出る可能性があること自体が、診断を回避する理由として働きます。診断を進めれば、問題の設定に原因があるという答えが出るかもしれない。その答えは、これまでの作業の前提を動かします。

動かしたくない前提があるとき、診断は途中で止まります。止まった診断は、文章の改善という安全な結論に落ち着きます。この停止は、意識的な回避としては起きません。単に、その候補を検討する時間が確保されないという形で起きます。

問題の設定に原因がある場合でも、全部を作り直す必要があるとは限りません。扱っている問題は同じままで、誰の問題として記述するかを変えるだけで、重さが変わることがあります。同じ内容が、ある層にとっては軽く、別の層にとっては重い。この差は、内容ではなく対象の側にあります。

もう一つの場合——既に別の手段が手元にある——も、扱いは似ています。その手段より優れていると主張する形は、比較の土俵に乗ることになります。乗ると、判定は機能の一覧で行われます。代わりに置けるのは、その手段が解いていない部分の記述です。解いていない部分が本人にとって小さければ、そこで終わります。終わったこと自体が、次の設計に使える情報になります。

解像度が上がったかは、次に思い浮かぶ候補で分かる

確認に使うのは、売上でも購入数でもありません。何が候補として思い浮かぶようになったか、のほうです。

第一の指標は、止まっている段が特定できているかどうかです。五つのうちどれが最も多いかを、自分の言葉で言えるか。言えないなら、まだ「売れない」という一語のままです。言えるようになっていれば、対処の候補は絞られています。

第二の指標は、施策を打った後に、止まる段が移動したかどうかです。経路を直した結果、見られていない状態から、読まれていない状態へ移った。移動していれば、施策は当たっています。移動していなければ、原因は別の段にありました。

第三の指標は、改善の候補が文章以外から出てくるかどうかです。何をすべきかを考えたときに、文章の修正しか思い浮かばないなら、判断はまだ手近さに支配されています。経路、対象の記述、決定の過程が候補に上がるようになっていれば、分解は定着しています。

三つとも、結果の数字ではなく、診断の解像度を見ています。「売れない」が結果の記述である以上、確認すべきは記述の細かさの側だからです。

売上を主指標から外している理由も、ここにあります。売上は、五つのどの段が改善しても同じように動きます。動いた事実からは、どの段が改善したのかが分かりません。そして、分からないまま次の判断を行うと、次も同じ場所に手が入ります。

解像度が上がっても売上が増えなければ意味がない、という見方はできます。解像度は目的ではありません。ただし、解像度が低い状態では、増えたときも減ったときも理由が分かりません。理由が分からない増加は、再現できません。再現できない増加は、事業の設計としては使えない情報です。

解像度を上げる作業には時間がかかり、その間に売上は増えません。この期間をどれだけ許容できるかは、事業の状況によります。余力が無い時期には、分解せずに最も可能性の高い一つに賭けるという判断もありえます。

その場合でも、賭けたことを自覚しておけば違います。外れたときに、次の候補へ移れるからです。分解しないまま賭けたことを忘れると、外れたときに同じ場所をもう一度直すことになります。

なお、商談まで来た相手について、どの関門で落ちているかを分解する手順は、成約率が悪いとき、どこから疑うかで扱っています。

件数を先に決めると、その件数に達するまで判定を保留する運用になります。保留している間、対処は分解されないまま続きます。十件で分布が見えることもあれば、扱っているものによっては三件で決まることもあり、必要な件数はこの記事では決まりません。

「売れない」という一語は、五つの状態を覆っていました。そして、疑う順序を決めていたのは原因の分布ではなく、手近さのほうでした。分解が効くのは、対処を選べるようになるからだけではありません。除外できる観測を設計できるようになるからです。

次の十件で、五つのどれが最も多いかを数える。数え終わったとき手元にあるのは診断ではなく、次に見る場所の候補です。候補として持ち続け、数えることをやめなければ、分布が変わったときに気づけます。

上部へスクロール