反応は取れているのに、後の関係が続かない方へ/動かすという動詞は、動く側の判断を含んでいない

セールスコピーの原則——判断の余裕を残したまま、動く理由を渡す

セールスコピーで実際に分かれているのは、反応が出たか出なかったかではありません。返ってきた反応が、読み手の判断が済んだ後のものか、済む前のものか。分かれているのはこちらです。

この分岐は、広く案内されている原則の射程の外にあります。読み手にとっての意味を書く、数字を入れる、利用者の声を載せる、最後に行動を促す一文を置く。どれも実際に反応を動かします。効かないものが並んでいるわけではありません。

原則の一式が答えている問いは、どうすれば反応が増えるかです。答えとして正確で、実際に増えます。

答えのほうが欠けているのは、その反応の中身についてです。判断を済ませて動いた人と、済ませる前に動いた人が、同じ一件として数えられます。そして反応の数字は、この二つを区別しません。

区別しないと、後で分からなくなります。判断が済まないまま買った人は、後から判断を再開するからです。再開した判断が通らなければ、返金の依頼になるか、使われないまま終わります。使われないまま終わる形もあり、こちらは数字に現れません。

現れないので、次に書く文章にも反映されません。反応の量だけを手がかりにしていると、書き方は一方向へ進みます。強い言葉のほうが数字は出るからです。そして強くした結果として離れた読み手は、離れたことを知らせずに離れます。増えた側だけが見え、減った側は見えないまま、書き方が更新されていきます。

ここで扱うのは、文と語の水準だけです。価格をいくらにするか、商品に何を含めるか、どの経路で読み手を集めるか——これらは決まっている前提で進みます。決まっていない状態で文だけを整えても、整えた分は届く先が定まらないまま出ていきます。

分界は一つです。読み手を動かすことと、読み手が動く理由を渡すことは、別の操作です。技法の側にはどちらで使うかが書かれていないので、選ぶのは書き手の側になります。読み手からは、どちらの経路で動いたのかが見えません。だから、選んだことの帰結は、その回の数字には出ません。

長さや構成といった形式の側は、セールスレターの構造が引き受けています。分けている理由は単純で、形式は確認の順序を決め、文と語は確認の中身を決めるからです。順序が正しくても中身が無ければ確認は済みませんし、中身が揃っていても順序が崩れていれば読み手は途中で降ります。二つは別々に壊れます。

セールスコピーの原則として案内されているものは、成否を反応の量で測っている

一式の原則には、共通する前提が一つあります。セールスコピーの良し悪しが、返ってきた反応の量で決まる形になっています。

セールスコピーとは、読み手に行動してもらうことを目的として書かれた文章のことです。記事や解説と違い、読み終えた後に具体的な行動——申し込み、購入、登録——が起きることを目指して組まれると説明されます。

原則として、いくつかが繰り返し挙げられます。商品の機能ではなく、読み手にとっての意味を書く。読み手が抱えている必要から始める。数字を使って具体性を出す。利用者の言葉を載せる。読み手が実際に使っている言い回しをそのまま拾う。行動を促す一文を明示する。

位置の助言も添えられます。冒頭と末尾がよく読まれるので、そこへ重要なものを置く。箇条書きで拾い読みできるようにする。段落を短くし、一文を短くする。専門用語を避け、能動態で書く。

上達の方法も示されます。優れた文章を書き写す。反応の出た文章を集めて手元に置く。言い回しの型を蓄積する。

避けるべきものも挙がります。書き手の都合から書く。行動を促す一文が無い。合わない場合を伏せる。いずれも、反応が出ない原因として説明されます。

読み手を束ねるために、外側に置く相手を先に決めるやり方もあります。これは文と語の水準ではなく世界観の側の操作なので、世界観の作り方が扱っています。

並んでいる原則は、どれも当たっています。機能だけを並べた文章は読み手の判断材料になりませんし、行動の入口が無ければ、動きたい読み手も動けません。数字が具体性を出すという指摘も外れていません。

前提はこうです。反応が増えれば良い文章で、増えなければ改善の対象になる。良し悪しの判定が、最初から測定の問題として組まれています。

反応を測ることが誤りだ、という話ではありません。測らなければ、何が働いたのかは分かりません。見出しを変えた回と変えなかった回で、どちらがよく読まれたのか。それを知る手段は、測ることのほかにない。測定そのものは要ります。

問題は、測定の問題として整理し切ると、反応の内訳が見えなくなる点です。後から返金や解約の数を見れば分かる、とも考えられます。部分的には分かります。ただし返金を求めない人もいて、使わないまま置いておく形もあります。この形は、どの数字にも現れません。

「動かす」と「動く理由を渡す」は別の操作である

同じ反応が返ってきても、そこへ至る経路は二つに分かれます。

第一の経路は、読み手が判断を下した結果として動く形です。これは自分に必要か、これで解けるか、払った分に見合うか。確認が済み、その結果として動きます。

第二の経路は、判断が済む前に動く形です。期限がある。数が少ない。いま決めないと同じ条件では手に入らない。これらは、判断の完了を待たずに行動を要求します。

一覧に並んでいる技法の多くは、この二つのどちらにも使えます。数字も、利用者の声も、行動を促す一文も、使い方で経路が変わります。技法の側には、どちらで使うかが書かれていません。

この構造は、心理トリガーの一覧より先にで扱った分界と同じ形です。一覧が記述しているのは人がどう反応するかであって、そう仕向けよという指示ではない。セールスコピーでは、この分界が書き手の側の選択として現れます。

「三日間で申し込みが埋まりました」という一文があるとします。事実として起きたことを書けば、判断の材料です。同じ文を、まだ埋まっていない段で「埋まります」と書けば、判断を急がせる装置になります。文面はほとんど変わりません。

読み手は放っておけば決めないのだから、押す必要がある。そう見える場面のほうが、実際には多いはずです。

決めない読み手はいます。ただ、決めない理由の一つは確認の残りです。「自分にもできるか」が分からないまま置かれている読み手は、押されても決められず、押されたので離れます。押すことは、確認を済ませることの代わりになりません。

事実として存在する期限や上限は、書くべきです。開催日、席数、価格を改定する予定。書かなければ、読み手は判断に必要な条件を知らないまま決めることになります。

判別は一問で済みます。その条件は、書く前から決まっていたか。書きながら決めたなら、それは確認の不足を埋めるために置かれています。

二つの経路は、その場では区別できません。書き手の側からも見えない。同じ文面で、同じ数の申し込みが返ってくるからです。区別が現れるのは、買った後の使われ方と、次の案内への反応です。したがって、経路の選択は結果を見て決められません。書く時点で決めることになります。決めた覚えのないまま数字だけが返ってくると、次はその数字に合わせて書くことになります。

判断の余裕とは、いつでも降りられる状態のこと

判断の余裕とは、読み手が途中で降りても不利にならない状態を指します。

この定義は、感情の話ではありません。落ち着いた口調で書くことでも、控えめに書くことでもない。降りる経路が実際に用意されているかどうかです。

用意されている状態には、いくつかの形があります。判断に必要な条件が、決める前に全部書かれている。都合の悪い条件も書かれている。合わない人の条件が書かれている。降りるための手順が示されている。

用意されていない状態にも、形があります。条件の一部が、申し込んだ後に出てくる。合わない場合が書かれていない。降りる方法が問い合わせを要する。

「向いていない人」を書いた案内と、書かなかった案内では、申し込みの数が変わります。書いたほうが減ります。減った分は、合わなかった人です。

都合の悪いことを書けば、売れなくなるのではないか。

その回の数は減ります。減った分の内訳が重要です。合わない人が減っているなら、後の返金と不満も減っています。合う人が減っているなら、書き方が正確でなかったということになります。二つの区別が付くのは、書いた条件が事実かどうかという一点です。

心理学の側にも、対応する整理があります。1966年にブレームは、選択の自由が脅かされたと感じられたとき、その脅かされた選択肢の価値がかえって上がるという枠組みを提示しました(Brehm, A Theory of Psychological Reactance, Academic Press, 1966)。強く要求するほど、要求された行動から離れる向きの力が働きます。

射程はここまでです。これは理論の提示であって、特定の広告文の効果を測った実験ではありません。効果の大きさは状況によって変わり、常に反発が上回るという主張でもありません。

余裕を残すことと、決めさせないことは別です。条件を全部書き、そのうえで「決めるならここです」と一箇所に置く。入口が無ければ、決めた読み手が動けません。

厄介なのは、この書き方が書き手の側へ返ってくる形です。余裕を残した文章は、書き手にとって手応えが薄くなります。反応が緩やかに立ち上がるからです。急な立ち上がりが無いので、書いた直後には何も起きていないように見えます。そして手応えの薄さは、書き方を戻す動機になります。翌月の案内で、条件の一行を落とし、期限の一行を足す。一度に戻るのではなく、この幅で戻ります。

ベネフィットは、読み手が翻訳するものである

「機能ではなく意味を書け」という助言は、その翻訳がどこで起きるのかを言っていません。

機能から意味への翻訳は、読み手の文脈を通ります。同じ機能が、ある読み手には時間の確保を意味し、別の読み手には失敗の回避を意味します。どちらへ翻訳するかを決めるのは、その読み手が何を抱えているかのほうです。

書き手が一つに言い切ると、二つのことが起きます。当たった読み手には強く届きます。外れた読み手には、自分の関心とは違う話として通過します。言い切りは、当たりと外れの両方を大きくする操作です。

したがって、書き方に選択が生じます。一つに言い切って狭く深く当てるか、機能と条件を正確に置いて読み手に翻訳させるか。後者は弱く感じられますが、外れが小さいのが利点です。

「毎日の投稿から解放されます」と書くと、投稿を負担に感じている読み手には届きます。投稿そのものは苦にしておらず、結果が出ないことに困っている読み手には、別の話に見えます。「投稿を続けても積み上がらない構造そのものを扱います」と置けば、両方が自分の側へ翻訳できます。

読み手に翻訳させるのは、書き手の仕事の放棄ではないか——という読み方もできます。

放棄ではありません。翻訳に要る材料——機能、条件、当てはまらない場合——を全部渡すのが書き手の仕事です。渡さずに結論だけを言い切る形のほうが、材料の点では少ない。

自分の状態にまだ名前が付いていない読み手には、言い切りが要ります。何に困っているか自分で分かっていない読み手は、翻訳の起点を持っていないからです。この場合、言い切りは押し付けではなく、輪郭の提示になります。

判別は、読み手の側の材料で付きます。その状態に名前が付いているか。付いているなら翻訳できます。付いていなければ、まず名前を渡すところからです。

翻訳の材料には、順序もあります。機能を先に置き、意味を後に置くと、読み手は自分で翻訳したうえで書き手の翻訳を確かめられます。逆にすると、書き手の翻訳が先に入り、読み手の翻訳が起きません。同じ内容でも、順序で残るものが変わります。

代償もあります。翻訳させる形にすると、文章は抽象へ寄りやすくなる。具体を一つに絞れば当たり外れが出るので、絞ること自体を避けたくなります。避けた結果、どの読み手にも自分のこととして読めない文章ができます。解き方は、具体を複数置いて、どれかが当たる形にすることです。一つでも当たれば、そこを起点に残りが自分の側へ翻訳されます。当たらなかった具体も、外れとしてではなく、扱う範囲の説明として残ります。

読み手の言葉をそのまま返しても、判断の材料は増えない

読み手が実際に使っている言い回しを拾って書くやり方は、共鳴と呼ばれます。読み手の内側に既にある言葉と、こちらの文章が同じ形をしている状態を指す語です。

この形は、実際に効きます。自分が使っている言い回しで書かれた文章を読むと、読み手は「これは自分に向けて書かれている」と判定します。判定は速く、しかも本人の意識に上りません。

そのうえで、この一致が何をしているかを分けておきます。言葉が一致したときに増えているのは〈自分のことだ〉という感覚であって、判断の材料ではありません。読み手は、既に自分で言えていたことを、他人の口から確認しただけの状態にいます。

そして感覚のほうが、材料の代わりに立ちます。「この書き手は分かっている」という推測が生まれ、推測が生まれた後は、確認の残りが減ったように感じられます。実際には一つも減っていません。

「三か月やっても反応が増えない」という読み手の言葉をそのまま冒頭へ置くと、その読み手は最後まで読みます。読み終えた時点で、なぜ増えないのかも、何を変えれば変わるのかも、渡っていないことがあります。言葉は一致しており、材料は一つも動いていません。

では、読み手の言葉は使わないほうがよいのか。

そうではない、というのが答えです。使う語彙と、渡す材料は独立しています。読み手の語彙で書きながら、読み手が持っていない区別を渡すことはできます。逆に、専門用語で書いても材料が無ければ何も渡りません。共鳴は、材料を運ぶ器のほうであって、中身ではありません。

まだ名前の付いていない状態にいる読み手には、言葉そのものが材料になります。一致させるべき言い回しが、読み手の側にまだ無いからです。このとき効いているのは共鳴ではなく区別のほうで、扱いはリード文の書き方の側にあります。

見分けは一つで付きます。その一文を読んだ読み手が、読む前に言えなかったことを、読んだ後に言えるようになるか。言えるようになるなら材料であり、ならないなら確認です。確認も要りますが、確認だけで文章を組むと、読み終えた読み手は何も持たずに末尾へ着きます。

集める側にも副作用が出ます。読み手の言葉を集めれば集めるほど、書ける範囲が〈読み手が既に言えること〉の内側へ閉じます。新しい区別は、定義上その外側にあるからです。集めた語彙は入口に使い、扱う中身は別の場所から取ってくることになります。

数字が働くのは、確かめられるときだけ

同じ数字が、根拠として働く場合と、装飾として働く場合があります。

根拠として働くのは、出所が示され、読み手が確かめられる場合です。何を、どの範囲で、いつ測ったのか。これが書かれていれば、読み手は自分の状況に当てはまるかを判定できます。

装飾として働くのは、程度を数字に置き換えただけの場合です。「たいへん多くの」を「三倍の」と書き換える形です。この数字には、比較の基準が入っていません。何と比べて三倍なのかが書かれていなければ、判定できません。

並べて見ると、二つは同じ形をしています。どちらも数字が入っており、どちらも具体的に見えます。違うのは、読み手が検算できるかどうかだけです。

売り文句としてよく見るのは、「登録者が三倍になりました」という形です。元が十人なら三十人です。期間も書かれていなければ、一か月なのか三年なのかも分かりません。書かれていない条件が多いほど、その数字は装飾に近づきます。

細かい条件を書くと読みにくくなる、という懸念はあります。

長くはなります。ただ、条件が書かれた数字は一度で判定でき、書かれていない数字は判定を保留されます。保留された数字は、その先の段でも効きません。読みやすさと引き換えに失われているのは、その数字が果たすはずだった役割です。

全ての数字に条件が要るわけではありません。価格、日数、人数の上限のように、それ自体が条件である数字はそのまま書けます。条件が要るのは、成果や変化を示す数字です。

自分の数字と他人の数字でも、扱いが変わります。他人の成果を並べる場合、その人の条件は書き手にも分かりません。分からない条件は、書かないのではなく「分からない」と書くことになります。

書き手の側への働きもあります。条件まで書こうとすると、その数字が何を示しているかを自分で点検することになるからです。点検して残るのは、思っていたより少ない数です。少ないことが分かるのは損に見えますが、根拠にならない数字を使わずに済みます。

代償は、在庫の側に出ます。確かめられる数字だけを使うと、手元で使える数字は減ります。条件まで記録した数字を、そもそも多くは持っていないからです。空いた分は、その数字が示すはずだった仕組みのほうを書いて埋めることになります。負担ではありますが、記録を取る動機にもなります。数字が足りない状態が続くのは、記録を始めていない期間のあいだだけです。

行動を促す一文が短いほど、判断は読み手に残る

行動を促す一文には、二つの書き方があります。

第一の形は、行動そのものを指示する形です。「今すぐ申し込んでください」。この形は、行動を要求しています。要求された読み手は、要求に従うか、従わないかを判断することになります。

第二の形は、入口を示す形です。「決めるなら、こちらです」。この形は、判断が済んだ読み手に経路を渡しています。済んでいない読み手には、何も要求していません。

二つの差は、読み手の判断が終わっている場合には現れません。終わっていない場合に現れます。第一の形は判断を打ち切らせ、第二の形は判断を続けさせます。

そして、一文の長さが差を作ります。短いほど、要求の成分が減ります。「こちらから登録できます」の一文には、急がせる要素も、決めさせる要素も入っていません。

末尾に三段落の説得を置いた案内と、一行の入口を置いた案内では、その場の反応が変わります。前者のほうが上がりやすくなります。上がった分に、判断が済んでいない読み手が含まれます。

入口を置くだけでは、決めきれない読み手が離れてしまう。もっともな懸念です。

離れます。その読み手は、確認が残っている読み手です。残っている確認を末尾の説得で埋めることはできません。埋めるとすれば本文の側で、それは末尾の問題ではありません。

入口の存在そのものは、明示が要ります。控えめにしすぎて、どこから申し込むのか分からない案内は、判断を渡していません。渡していないのは経路であって、余裕ではありません。

書き方の目安が一つだけ立ちます。末尾の一文を読んで、読み手が「まだ決めていない」と言えるかどうか。言えない形になっているなら、その一文は判断を打ち切らせています。

末尾は一度だけ置きます。同じ入口を何度も繰り返すと、繰り返し自体が要求になるからです。文面が穏やかでも、回数は圧として働きます。一度で足りないのは、経路が分かりにくい場合であって、回数が足りない場合ではありません。

残るのは、書き手の側の感覚です。短い一文にすると、末尾が素っ気なく見える。押しが足りないように感じられます。この感覚は、本文で確認を済ませたかどうかとは無関係に生じます。感覚を根拠に足すと、末尾が長くなります。厄介なのは、足した直後の数字が実際に上がることです。上がった分に何が含まれているかは、その場では見えません。だから末尾の長さは、感覚でも数字でもなく、本文で確認が済んだかどうかで決めることになります。

反応が上がる書き方と、関係が続く書き方は、しばしば逆を向く

一回の反応と、続く関係は、別の量です。

一回の反応を上げる操作の多くは、判断を急がせます。期限、数量、強い予告。急がせると、その回の数字は上がります。

続く関係を作る操作の多くは、判断を読み手に残します。条件を全部書き、合わない場合を書き、降りる経路を示す。残すと、その回の数字は下がります。

二つは、同じ文章の中で同時には最大化できません。どちらへ寄せるかを、書く時点で決めることになります。

結果が出るまでの時間も同じではありません。反応の数字は当日に出ます。関係の側は、次の案内への反応として、数か月後に出ます。時間差があるので、二つを並べて比べること自体が難しい状態です。

強い案内で百件の申し込みを得た場合と、条件を書いて六十件を得た場合を考えます。次の案内で、前者は割り引いて読まれ、後者はそのまま読まれます。三回目には、順序が入れ替わることがあります。

では、最初から関係だけを見ればよいのではないか。

関係だけを見ると、今度は測れなくなります。関係の側には、その場で返ってくる数字がありません。測れないものは調整できないので、書き方が固定されます。

両方を見る形はあります。その回の反応と、次の回の反応を並べて見ることです。一回の数字ではなく、二回の組で見ると、割引が起きているかが分かります。

判定に使える形が一つあります。同じ相手へ二度案内したとき、二度目の反応が一度目より落ちているか。落ちているなら、一度目に使った強度の分が、割引として返ってきています。

この割引には、案内の外へ及ぶ範囲があります。強い案内を読んだ読み手は、その書き手の通常の文章も割り引いて読み始めます。案内は独立した文書ですが、書き手は独立していません。一通の案内の強度が、それ以外の全部の文章の受け取られ方に乗ります。

したがって、判断の単位は一通ではありません。その書き手が出してきたもの全体です。一通だけを見て強度を決めると、この単位が視野に入りません。

読み違えやすい所もあります。知った直後は、強い書き方が一律に悪いように見える。実際にはそうではありません。事実として期限がある場合の告知は、強く書いても割引が起きにくくなります。割引が起きやすいのは、書きながら作った条件の場合です。差を作っているのは強度ではなく、その条件が事実かどうかのほうです。事実であれば、読み手は後から確かめられます。確かめて合っていれば、次の案内はむしろ強く読まれます。

セールスコピーが書けないとき、決まっていないのは商品の側の輪郭

「うまい言い回しが出てこない」という状態には、二つの原因があります。

第一の原因は、語彙と型の不足です。これは書き写しと蓄積で埋まります。時間はかかりますが、方法ははっきりしています。

第二の原因は、商品の側が決まっていないことです。誰の何を、どこまで扱うのか。扱わないものは何か。これが決まっていないと、書ける文が一般的なものだけになります。

二つは、症状が似ています。どちらも「言葉が出てこない」と感じられます。区別は、一つの問いで付きます。その商品を一文で説明してみて、他の商品にも当てはまるかどうか。

「あなたのビジネスを次の段階へ」という一文は、ほぼ全ての商品に当てはまります。当てはまるということは、その商品の輪郭を含んでいないということです。語彙を増やしても、この状態は変わりません。

輪郭は、売りながら決まっていくのではないか。

決まっていく面はあります。ただ、決まっていない段階で書いた文章は、決まっていない状態をそのまま外へ出します。読み手は、その曖昧さを自分で埋めて読みます。埋め方は人ごとに別々なので、届いた内容も人によって違います。

輪郭が決まっていなくても書ける文はあります。いま分かっている範囲を、範囲として書く形です。「ここまでは扱い、ここから先は扱いません」と書けば、曖昧さは残っても、読み手の側の埋め合わせは起きません。

この判定には、対象の側からの経路もあります。誰に向けているかが決まると、扱う範囲も決まります。順序としては、ペルソナの作り方で扱ったとおり、価値の基準を先に決めることになります。

輪郭が無い状態には、見分けやすい症状があります。書いた文章を読み返して、どの段も間違っていないのに、何も言っていないように感じられる状態です。間違っていないのは、当てはまる範囲が広いからです。範囲が広い文は、否定される余地も持ちません。否定される余地の無い文は、判断の材料になりません。

この判定には、止まる時間が伴います。輪郭が原因だと分かれば、書く作業はいったん止まる。商品の側へ戻ることになるからです。止まった時間は無駄に見えますが、決めずに書いた文章を後から直す時間より短くなります。直す作業には、どこが曖昧だったのかを特定する工程が先に付くからです。曖昧なまま出した文章は、読み手ごとに違う内容として届いています。届いた内容が違えば、直すべき箇所も一つに定まりません。

判断が読み手に残ったかは、公開の前に分かる

書いた文章が判断を渡しているかは、三つの観察で判定できます。どれも反応の量を使いません。

一つ目は、動く理由になっている文を、一つずつ抜き出すことです。

抜き出した文は、事実の記述か、要求のどちらかに分かれます。要求だけが並んでいるなら、その文章は判断ではなく行動を求めています。事実の側が少ない場合、読み手は判断の材料を持たないまま末尾に着きます。

二つ目は、都合の悪い条件が書かれているかを見ることです。

合わない人の条件、扱わない範囲、必要になる時間や手間。一つも書かれていないなら、それは全ての読み手に当てはまる商品だということになります。そういう商品はほとんどありません。書かれていないのは、無いからではなく、書かなかったからです。

三つ目は、末尾の一文を読んだ読み手が「まだ決めていない」と言えるかを見ることです。

言えるなら、判断は読み手に残っています。言えない形——読んだ時点で決めたことになる形——なら、その一文は判断を打ち切らせています。

三つとも、返ってきた量を見ていません。量は結果であって、経路を区別しないからです。

三つの観察は、同じ所で止まります。どれも、その商品が読み手にとって価値があるかを判定しません。材料が全部渡り、余裕が残り、それでも要らない、という結論は正しい結論です。判定の中身は、文章の側では決まりません。

判定できるのは、書く前の段だけです。誰の何を扱うのかが決まっているか。決まっていなければ、どれだけ正確に書いても、届く先が定まりません。

どの語を使うか、数字をいくつ入れるか、末尾を何行にするか。ここに数値の目安を置いても、経路の側は決まりません。同じ字数、同じ語数のまま、二つの経路のどちらへでも進めるからです。分界があるのは文面ではなく、書く前に何が決まっていたかの側にあります。

手前に置いておくのは三つの区別です。動かすことと動く理由を渡すことが別の操作だということ。余裕が、降りられる経路の有無で決まるということ。そして反応と関係が、しばしば逆を向くということ。この三つを持っていれば、いま書いた文章がどちらの経路で反応を作っているかを、公開する前に自分で判定できます。

形式と長さの側はセールスレターの構造で、他人の判断を手がかりとして使う場合の限界は社会的証明の使いどころで扱っています。基準点の置き方については、損失回避を煽りに使わないが隣に当たります。判断の余裕を残したまま理由を渡すことは、書く作業のうちの一つの持ち場です。作業がどこで分かれるのかという分業の側は言語化の設計が扱っています。

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