毎日投稿しているのに、数字が三桁で止まっている。伸びている人の投稿を見て、何が違うのかを探している。増やし方の記事を読んで一通り試したけれど、動いたのは最初の数日だけだった。この数字が増えないかぎり、仕事にはならないのだと思っている。
増えない理由として挙がるのは、たいてい発信の質か量です。内容が弱い、頻度が足りない、見せ方が悪い。どれも部分的には当たっていて、直せば実際に少し動きます。動く先は、場の内側の順位です。何か月か続けても事業の側が動かないとき、次に疑われるのは本人の適性のほうへ移ります。自分はこの場所に向いていない、という形です。
その手前に、確かめられることが一つあります。増えないことと、売れないことは、独立に起こります。案内されている対処は、場の内側の順位には正確に効きます。ただし効いている先は場の内側であって、こちらの手元にある事業の量ではありません。そして構造上起こりやすいのは、「増えているのに売上が動かない」ほうです。二つが独立なら、片方が止まっていることは、もう片方について何も言いません。そして独立であることは、無関係であることを意味しません。同じ場所で同じ時間を使うので、片方に投じた労力はもう片方から引かれます。関係が無いのではなく、関係の向きが想定と逆になっています。
対象の外に置くものが三つあります。数字を伸ばす手順は出てきません。どの形式が伸びやすいか、どの時間に出すべきかは、場ごとに違ううえに決めているのは場の側なので、書いた翌月には変わります。表示回数そのものが収益になる形——広告や、表示数を条件に受ける案件——で事業を組んでいる場合も、以下の分離は必要ありません。その場合、フォロワー数は事業の変数そのものです。そして、ここで「場」と呼ぶのは、表示する相手を場の側が選ぶ仕組みを持った場所に限ります。誰に届くかをこちらが決められる仕組み——送信すれば全員の手元に入るもの——は対象の外です。分けているのは媒体の名前ではなく、表示の決定権が誰にあるかです。
扱うのは四つです。「増えない」という一語が、実際には何種類の状態を畳んでいるのか。フォロワー数という値を、誰が何のために定義したのか。増えることと売れることが、どういう条件で連動しなくなるのか。そして、代わりに何を数えるのか。四つを扱ったうえで、置き換えが効いたかどうかを確かめる指標を三つ置きます。三つとも、フォロワー数の増減を測りません。
📖 目次
「増えない」の下には、三つの別の状態がある
フォロワーが増えないという結果には、少なくとも三つの別の原因があります。
一つ目は、そもそも見られていない状態です。投稿が表示される回数が少なく、判断される機会がまだ発生していない。この段階では、内容の良し悪しは結果に反映されていません。
二つ目は、見られてはいるが、留まる理由がない状態です。表示はされていて、内容も読まれている。けれども、次も読みたいと判断されるだけの一貫性が見えていません。
三つ目は、留まってはいるが、数字に現れない状態です。定期的に読まれてはいるが、追加の操作をされていない。読む側にとって、その操作は必須ではないからです。
三つは、どれも数字の停滞として現れます。打つ手はそれぞれ別です。一つ目に必要なのは露出の増加、二つ目に必要なのは一貫性の可視化、三つ目についてはそもそも操作が要りません。
三つ目は結局読まれているのだから問題がない、という見方は当たっています。問題はありません。問題があるとすれば、三つ目の状態を一つ目や二つ目と取り違えて、露出を増やす作業をしていることのほうです。既に読まれているのに露出を増やす作業をすると、投稿の頻度だけが上がり、返ってくるものは変わりません。
三つは重なって起きます。ある層には見られておらず、別の層には読まれていて数字に現れていない、という状態は珍しくありません。だから「増えない」という一つの結果から、原因を一つに特定することはできません。
見分けるには、表示された回数と、読まれた回数と、追加された人数を、別々に見ます。表示が少なければ一つ目、表示に対して読まれた割合が低ければ二つ目、読まれているのに追加が起きていないなら三つ目です。三つの数値は、どの場でもたいてい確認できます。
この三分は、原因の分類であって、深刻さの順序ではありません。一つ目が最も初期の段階に見えますが、実際には長く続けた人が一つ目に戻ることがあります。表示の規則が変われば、既に読まれていた状態から、見られていない状態へ一夜で移るからです。段階として進むのではなく、外部の決定によって行き来します。
「フォロワーが増えない」という一語は、三つを畳んだうえで、原因を発信者の能力の側に置きます。能力の問題として扱われると、処方は「もっと良いものを出す」になります。そして三つ目の状態にある人がこれを実行すると、既に足りているものをさらに増やすことになり、投じた労力に対して何も動きません。
出回っている対処は、場の内側の順位を最適化している
この場所で増やすための対処は、六つ挙げられます。
質の高い内容を継続的に投稿する。表示の仕組みを理解して、それに合った形式で出す。関連性の高いタグを絞って使う。プロフィールを整えて、何をしている人かが一目で分かるようにする。一方的な発信ではなく双方向のやり取りを増やす。同じ領域の人と協力して、互いに紹介し合う。
六つは、いずれもその場所の内側では働きます。とくに「一方的な発信では増えにくい」という指摘は正確です。表示の仕組みは反応の量に反応するので、やり取りが発生する投稿ほど広く表示されます。プロフィールの整備も、二つ目の状態——留まる理由が見えていない——に直接効きます。
六つが最適化している対象は一つです。すべて、その場所の内側で順位を上げるための操作です。表示の仕組みに合わせる、タグを最適化する、反応を増やす。入力も出力も、その場所の内側で完結しています。
場の規則としては、これで筋が通っています。その場所で見つけられたいなら、その場所の規則に従うのが最短だからです。問題があるのは、その順位が上がったときに、事業の側で何が動くのかが検証されていないことのほうです。
順位が上がれば見られる人が増えるのだから事業にも返るはずだ、という予測は、半分当たります。返ることもあります。返らないこともあります。そして、返るかどうかを決めているのは順位ではなく、順位が上がった後にどこへ渡す経路があるかです。経路が無い状態で順位だけが上がると、表示回数だけが増えて終わります。
六つが無駄だと言っているのではありません。一つ目の状態——見られていない——にある人にとっては、正面から必要な操作です。確かめているのは有効性ではなく射程で、その射程は、その場所の内側までです。
「協力して互いに紹介し合う」という処方だけは、性質が少し違います。これは場の内側の最適化ではなく、他者の持っている経路を借りる操作だからです。効き方も違い、集まる相手の性質が紹介元によって決まります。内側の最適化と同じ枠で扱うと、この差が見えなくなります。
この処方群は、投じる労力の量と結果が結びつきやすい形をしています。投稿を増やせば表示は増え、やり取りを増やせば反応は増える。結びつきが見えるので、こちらの作業は続きます。そして続けているあいだ、事業の側の数字が動いていないことは、まだ量が足りないせいだと解釈されます。
フォロワー数は、場の側が場の目的のために定義した値である
フォロワー数とは、その場所において、こちらの投稿が表示される候補に入る人の数です。
候補であって、届く人数ではありません。実際に表示されるかどうかは、そのつど場の側が決めます。そして決め方は公開されず、随時変わります。つまり、この数値は「届く量の上限」ですらなく、「届く可能性のある集合の大きさ」にすぎません。
なぜこの数値が前面に表示されているのかを考えると、性質がはっきりします。場の側にとって、この数値は参加者を留まらせるために有効だからです。上がると嬉しく、下がると気になる数値が常時見えていれば、確認するために戻ってくる理由が生まれます。表示されている位置が、その数値の目的を語っています。
ここで、指標が持つ一般的な性質が効いてきます。制御のために圧力をかけられた指標は、圧力をかけられる前の関係を失うという観察です。数字を上げること自体が目的になった瞬間、数字を上げる操作と、元々測ろうとしていたものを増やす操作が分岐します。この観察の出所と、よく引かれる一文が誰の言葉なのかは顧客獲得単価の読み方が正面から扱っています。ここで使うのは、分岐が起きるという性質だけです。
実際、この分岐は観察できます。話題性の高い投稿で数字を伸ばした後に、その数字が事業に返らないという報告は、増やし方を解説している側からも出ています。集まった人たちが、こちらの提供しているものに関心を持っているとは限らないからです。
数値そのものに使い道が無いわけではありません。一定の規模を超えると、その数字自体が判断材料として働く場面があります。初めて名前を見た人が、続きを読むかどうかを決めるときの手がかりになるからです。ただし、それは信号としての働きであって、事業の量ではありません。
候補にすぎないとしても、候補が多いほど届く人数は多くなる——平均としてはそうなります。ただし、届く割合のほうが規模に応じて下がるため、増え方は比例しません。そして割合を決めているのは場の側なので、こちらの数字が十倍になったときに届く人数が何倍になるかは、事前にも事後にも計算できません。
この数値には、もう一つ性質があります。増減の理由を、こちらが説明できません。伸びた日に何が効いたのか、落ちた週に何が起きたのかは、場の側の仕組みを見られない以上、推測にしかなりません。説明できない数値を目標に置くと、うまくいった理由もうまくいかなかった理由も蓄積しません。
「見えている人の数」と「連絡が取れる人の数」は別の量である
見えている人の数とは、こちらの発信が表示される可能性のある人の数です。表示するかどうかの決定権は、場の側にあります。この数は大きくなりやすく、そして大きさに比べて届く割合は小さくなります。
連絡が取れる人の数とは、こちらの側から一斉に届けられる人の数です。決定権はこちらにあり、届く割合は桁違いに高くなります。この数は増えにくく、そして増えた分がそのまま蓄積します。
二つは、増え方の性質が違います。見えている人の数は、その場所の仕組みが変われば、一夜で価値が変わります。こちらが何もしていなくても、表示の規則が変われば届く量が変わります。連絡が取れる人の数は、こちらが何もしなければ、そのまま残ります。
二つは、次の一問で分かれます。「その場所が明日から使えなくなったとき、この人たちに連絡できるか」。できるなら、それは連絡が取れる人の数に入っています。できないなら、それは見えている人の数です。
連絡が取れる状態を作るには相手に手間をかけてもらう必要があり、それは失礼ではないか——手間はかかります。そして手間をかけてもらうには、こちらが先に何かを渡している必要があります。渡す前に手間だけを求めるなら、確かに成立しません。順序の問題であって、失礼かどうかの問題ではありません。渡すものの設計は無料プレゼントの設計が扱っています。
連絡が取れる人の数が多ければよい、というわけでもありません。関心の無い相手の連絡先を大量に持つことは、費用だけが増えて何も返らない状態を作ります。測るべきは数ではなく、届いたときに読まれる割合のほうです。この点はリスト集めの前提が正面から扱っています。
二つを分けた瞬間、片方の数字は小さく見えます。数千人が見えている状態から、数十人と連絡が取れる状態へ視点を移すと、後退したように感じられます。けれども、届く実数で比べると、後者のほうが大きいことは珍しくありません。見た目の大きさと、届く量が逆転しています。
この逆転は、確かめられます。一斉に何かを送ったとき実際に開いた人数を数えて、同じ日の投稿が表示された人数と並べます。片方は数千、もう片方は数十かもしれません。それでも、前者のうち内容を読んだ人数は表示回数からは出てこないのに対し、後者は読んだ人数そのものが出ています。数えられている量の種類が違うので、大きさだけを比べても順序は決まりません。
並べたときに前者のほうが大きいこともあります。その場合でも、二つの数字の性質の差は残ります。片方は場の側の決定で来月変わり、もう片方は変わりません。いま大きいほうと、来月も同じ大きさであるほうは、別の問いに対する答えです。
エンゲージメント率も、同じ性質を持っている
数字を疑うなら、反応の率のほうを見るべきだ——という助言があります。方向としては正しい助言です。ただし、率のほうも同じ場所で定義されています。
エンゲージメントとは、表示された投稿に対して、読む以上の操作が行われた割合を指します。確かに、フォロワー数より実質に近い量です。見えているだけの人と、実際に反応した人を区別しているからです。
ただし、性質は同じです。分母も分子も、場の側が定義しています。何を反応として数えるか、表示回数をどう数えるかは、場ごとに違い、しかも変わります。同じ活動をしていても、定義が変われば数値が変わります。
そして、この率は規模と逆に動く傾向があります。見えている人の数が増えるほど、関心の薄い層が分母に入るため、率は下がります。つまり、二つの数値は同時に良くすることが難しく、どちらを見るかで評価が反転します。
この率が役に立つ場面はあります。同じ場所で、同じ規模のまま、内容の違いを比較するときです。条件を揃えれば、内容の差が率に出ます。使えないのは、事業の状態を表す指標として使うときだけです。
反応が多い投稿は良い投稿ということではないのか。反応を集めやすい形式が存在する、というのが正確な答えです。強い断定、対立の提示、驚きのある数値。これらは内容の質と独立に反応を増やします。そして、この形式に寄せていくと、集まる人の性質が変わります。反応しやすい人が集まり、判断が慎重な人は離れます。
率が下がること自体は、悪化を意味しません。関心の薄い層が分母に入ったから下がる、という場合があるからです。この場合、率は下がりながら、反応した実数は増えています。率と実数が逆方向に動くとき、どちらを見るかで結論が反転するので、両方を並べないかぎり判断できません。
率を目標に置くと、投稿の内容が短期の反応で選ばれるようになります。反応が返るまでの時間が短いものほど、選ばれやすくなるからです。そして、事業として意味のある内容——判断の材料になる長い説明——は、たいてい反応が遅く、少なくなります。遅く返るものは、率の評価に間に合いません。評価の周期が、内容の性質を選んでいます。
この選別は、続けるほど強まります。反応の速い形式で数字が動いた経験が積まれると、次に何を出すかを決める材料が、その経験だけになるからです。判断の材料が、速く返るものからしか供給されない状態になります。遅く返る内容は、出す前に「これは伸びない」と分かるので、出す候補から先に落ちます。落ちた候補は記録に残らないため、選別が起きたこと自体が観測されません。
この形には、組織学習の研究がつけた名前があります。デンレルとマーチが2001年の論文で hot stove effect として整理したもので、経験を評価にも次の選択にも使うと何が起きるかを扱っています(Denrell & March, 2001, Organization Science, 12(5), 523–538)。一度悪い結果が出た選択肢は、次に選ばれる回数が減ります。選ばれなければ新しい結果は返ってきません。自分の手元の記録だけを材料にするかぎり、最初の評価が外れていた場合でも、その外れは直りません。二人はこれを、適応が情報を制限する形として整理しました。遅く返る内容で一度伸びなかった経験は、その形式を候補から外し続け、実際にどれだけ効くのかを測る機会のほうを消します。測っていないという事実は、数字のどこにも現れません。
増えないことと、売れないことは、独立に起こる
二つの結果の関係を、そのまま並べます。組み合わせは四つです。
一つ目は、増えていて、売れている。数字と事業が一致している状態です。
二つ目は、増えていないが、売れている。数百人の相手に対して、必要なやり取りが成立している状態。個別の受注で成り立つ事業では、これが標準です。
三つ目は、増えているが、売れていない。表示回数も反応も伸びているのに、依頼にも売上にもつながらない。この状態は、構造上起こりやすくなります。
四つ目は、増えておらず、売れてもいない。この場合だけ、二つの問題が同時に存在します。
四つのうち、一つ目と四つ目だけが、二つの量が連動している状態です。二つ目と三つ目では連動していません。つまり、フォロワー数から事業の状態を読むことは、四つの組み合わせのうち二つで外れます。
三つ目が起こりやすい理由は、構造から説明できます。数字が増える条件と、依頼が来る条件が違うからです。数字が増えるのは、多くの人にとって面白い内容を出したときです。依頼が来るのは、特定の困りごとを持つ少数の人に対して、解けることが伝わったときです。前者は範囲を広げ、後者は範囲を絞ります。
両立しないわけではありません。特定の困りごとを扱いながら、その扱い方が広い層にとって面白い、という状態は成立します。ただし、それは設計の結果であって、数字を追った結果として自然に起こることではありません。
母数が大きいほど、そこに含まれる見込みのある人も増える——増えます。ただし、増えるのは絶対数であって、割合ではありません。そして、こちらの負荷は母数に比例して増えます。割合が下がったまま母数だけを増やすと、応対の量だけが先に限界に達します。
二つ目の状態——増えていないが売れている——にある人が、数字を気にする必要はありません。ところが、この状態にある人ほど気にしていることがよくあります。事業が成立していても、周囲で語られている基準に自分が届いていないと見えるからです。事業の状態と、場での見え方が別だという事実は、事業が回っているときにも同じように効いています。
三つ目の状態にある人は、原因を数字の不足だと解釈します。まだ足りないから返らないのだ、と。そして数字を増やす作業を続けると、範囲を広げる方向へさらに進み、依頼が来る条件からは遠ざかります。対処が症状を強める形になります。
数が要る事業と、要らない事業を分ける
では、数はまったく不要なのか。そうではありません。必要な数は、事業の形によって決まります。
表示回数そのものが収益になる形——広告や案件の受注——では、数が直接の変数です。この場合、フォロワー数を追うことは事業を追うことと一致します。指標としての正当性があります。
特定の相手に、比較的高い単価で提供する形では、必要な数は小さくなります。年間に必要な受注が数十件なら、連絡が取れる相手が数百人いれば足ります。この場合、数を追うことは事業から離れる作業になります。
その中間——小さい単価のものを多数に提供する形——では、必要な数は大きくなります。ただし、必要なのは見えている人の数ではなく、購入まで到達する経路を通った人の数です。
分け方は一つです。一件あたりの単価と、必要な件数を掛けて、そこから逆算します。必要な件数が分かれば、その手前に何人が要るかが出ます。この計算をすると、思っていたより小さい数字が出ることが多くあります。
逆算に使う到達率は、最初は分かりません。実際に経路を通してみないと出ない値だからです。だから最初の見積もりは粗くなり、修正が要ります。それでも、粗い見積もりがあるほうが、目標が無いまま数字を追うよりは判断に使えます。
必要な数が小さいなら、そもそも発信しなくてもよいのではないか。必要なのは数ではなく、経路です。数十人であっても、その人たちがこちらを見つけて、判断して、連絡が取れる状態になるまでの経路は要ります。発信は数を作るためではなく、経路の入口を作るために行われています。全体の段の並びはマーケティングファネルの設計が地図として置いています。
この逆算は、単価が固定であることを前提にしています。単価が変われば必要な件数も変わり、必要な人数も変わります。つまり、必要な数は事業の設計の出力であって、先に決まっている入力ではありません。段をどこで割るかは、顧客単価の上げ方の側の論点です。
必要な数が小さいと分かると、今度は焦りが別の形で戻ります。数百人でよいはずなのに、その数百人すら集まらない、という形です。数の目標が下がっても、経路が無いことは変わらないからです。逆算は、問題の在り処を数から経路へ移すのであって、問題を消すわけではありません。
置き換えるべき数字が満たすべき条件
置き換える先を、具体的な指標としてではなく、条件として置きます。指標を名指しすると、事業の形が違う人には当たらないからです。
第一の条件は、増減の理由を自分で説明できることです。その数字が動いたとき、何をしたから動いたのかが言えるかどうか。説明できない数字は、良くなっても再現できません。
第二の条件は、場の仕様変更で値が変わらないことです。外部の決定によって、こちらが何もしていないのに変わる数字は、こちらの状態を表していません。
第三の条件は、その数字が事業の量と直結していることです。連絡が取れる人の数、届いたときに読まれた割合、問い合わせの件数、受注の件数。これらは、いずれも事業の側の量です。
三つを満たす数字は、たいてい地味です。動きが遅く、他人と比較できず、公開しても関心を持たれません。比較できないという性質は、実は利点です。他人の値が同じ単位で表示されないので、比較そのものが発生しないからです。
置き換えても、場の側の数字を見なくなるわけではありません。入口として使っているかぎり、表示回数は入口の働き具合を表す情報として意味を持ちます。変わるのは、どちらを目標に置くかという順序だけです。
地味な数字だけを見ていると、伸びている実感が得られないのではないか。実感は減ります。そして、実感が減ることは、この置き換えの大きな費用です。日々の高低が消えるので、続ける動機を外から供給してもらえなくなります。その代わり、動いた分は蓄積します。
三条件を満たす数字も、目標として扱えば同じ歪みを受けます。問い合わせ件数を目標に置けば、件数を増やす操作——条件を緩める、対象を広げる——が選ばれるようになります。指標が目標になると測定値として機能しなくなるという性質は、どの数字にも同じように働きます。三条件が保証するのは歪まないことではなく、歪んだときにそれを自分で説明できることのほうです。
この置き換えを行うと、他人と話が合わなくなります。発信について語られる場では、共通の話題が場の側の数字だからです。別の数字を見ていることは、しばしば「結果が出ていないことの言い訳」として読まれます。置き換えには、この読まれ方を引き受けることが含まれます。
引き受ける範囲は、限定できます。読まれ方が問題になるのは、同じ場で発信について語る相手に対してだけです。依頼をする側の相手は、こちらが何を数えているかを見ていません。見ているのは、頼めるかどうかだけです。つまり、置き換えの費用は同業者との会話にかかり、事業の相手との関係にはかかりません。この二つを分けておかないと、費用を実際より大きく見積もることになります。
置き換えが効いたかどうかを、三つの数で読む
変化は、フォロワー数の増減以外の場所に出ます。
第一に、数字を見た後の行動を見ます。
以前は数字を確認した後に予定外の投稿が発生していた場合、その連鎖が起きなくなっていれば、目標が移っています。数字を見る回数ではなく、見た後に何が起きるかが判定の材料です。
第二に、伸びなかった週について、理由を言えるかを見ます。
置き換える前に、伸びなかった理由を「表示の仕組みが変わったのかもしれない」以上に言えなかったのなら、言えるようになったことが、説明可能な数字を見ている証拠です。説明できるということは、次に何を変えるかが決まるということでもあります。
第三に、その場所が明日から使えなくなるという同じ想定を当てて、残る数字を数えます。
残る数字がゼロなら、置き換えは進んでいません。残る数字が一つでもあるなら、そこが自分の側に積み上がっている部分です。
三つとも、フォロワー数の増減を判定に使っていません。代わりに置いたのは、行動の連鎖と、説明の可否と、残る値の有無です。フォロワー数は事業の量ではなかったので、それが増えても減っても、置き換えが進んだかどうかは分かりません。
三桁で止まっている数字は、読み方を変えても三桁のままです。変わったのは、その数字が何の量だったかのほうです。あの数字は、こちらの事業の状態を測るために置かれたものではなく、参加者が戻ってくる理由を作るために、場の側が前面に配置した値でした。増減の理由が読めなかったのは、読み方を知らなかったからではありません。読めない位置に置かれている値だったからです。
数えていた時間には、まだ使い道が残っています。同じ数字を、事業の指標としてではなく、入口の点検として読み替えられます。表示が落ちたなら入口が細くなった、反応が鈍いなら入口の形が合っていない——そこまでは読めます。読めないのは、その先の「だから事業がどうなのか」だけです。一つの数字に二つの仕事をさせていたので、どちらの答えも曖昧になっていました。
次に数字を見たときにできることが、一つ増えています。その値を誰が何のために置いたのかを、一度だけ思い出すことです。思い出したうえで、見た後に予定外の投稿が発生するかどうかを見ます。発生しなくなっていれば、目標はもう別の場所にあります。発生するなら、まだ移っていません。どちらであっても、それは適性の話ではありません。
その数字を追う前に見るべき診断の順序は売れない原因の診断手順が、去っていく側を数えられる場だけが改善できるという原則は離脱率の読み方が扱っています。連絡が取れる状態を持つことそのものの設計はリスト集めの前提に、数字を追う負荷そのものの発生源はSNSに疲れたのは、借りた土地に積み上げているからにあります。






