収益化と受益者

ブログ収益化で、実際に儲けているのは誰か|行動予測商品という本体

はじめに

ブログ収益化の手順や、広告の単価を上げる方法については、すでに情報が揃っています。本記事が扱うのは、その収益が生まれている市場の全体像です。あなたが受け取っている分け前は、どれだけ大きな流れの、どのあたりに位置しているのか。

手順は膨大に語られるのに、「その市場で、本当に大きく回収しているのは誰か」という一点だけは、たいてい視界の外に置かれています。

結論を先に示します。広告収益は、分配の末端に垂れてくる水滴です。本体は、その手前——あなたを含む人々の行動が、予測可能なデータとして回収される層——にあります。 そして書き手は、コンテンツと行動データの、二重の供給者になっています。

収益化しても、非対称は変わらない

まず、一つの誤解を解いておきます。

「収益化できているのだから、自分は原材料の供給者ではなく、市場の参加者だ」——この感覚は自然ですが、区別すべきなのは、収益を得ているかどうかではなく、注意の所有権が誰の手にあるかです。

あなたが記事を通じて収益を得たとします。それは、あなたのコンテンツに集まった注意の、ごく一部を、あなた自身が換金できたということです。けれど、その注意がそもそも「あなたに届くかどうか」を決めていたのは、分配の仕組みでした。 多く見せると判断されれば、多く換金できる。見せないと判断されれば、換金できる注意は激減する。

あなたの収益は、分配という蛇口の、その先に垂れてくる水滴です。蛇口を握っているのは、あなたではない。

このことは、プラットフォームが用意する収益化のプログラムを考えると、いっそうはっきりします。再生数に応じて広告収益の一部が分配される仕組みや、投げ銭の機能。一見、これは「書き手も主役側へ引き上げられた」ように見えます。

けれど、構造を見れば逆です。分配の比率を決めるのも、条件を変えるのも、ある日プログラムを打ち切るのも、事業者の一存です。 書き手は、自分が集めた注意の換金率を、自分では一切決められない。昨日まで成立していた収益が、規約変更ひとつで、明日には半分になりうる。

これは、自分の資産から上がる収益ではなく、地主が決める分け前を受け取っている、小作の取り分です。 収益化プログラムは、書き手を主役にしたのではなく、「分け前がもらえるのだから、もっと供給を続けよう」と思わせることで、供給をより自発的にする装置だった——構造に忠実に読めば、そうなります。

本体は、注意ではなくデータの側にある

ここまでは、話の半分です。プラットフォームが書き手から得ているものは、注意を集めるコンテンツだけではありません。

社会学者ショシャナ・ズボフは、現代のプラットフォーム経済を監視資本主義と名づけて分析しました[Zuboff, 2019]。その核心を平易に言い換えれば、こうなります。事業者は、ユーザーの行動——何を見たか、何で立ち止まったか、何に反応したか——を徹底的に記録し、その膨大なデータから「この人は次に何をしそうか」を予測する。この予測こそが、本当の商品です。 ズボフは、これを行動予測商品と呼びました。

広告主が本当に買っているのは、単なる「注意」ではありません。「次にこういう行動を取りそうな人々に、狙って広告を当てられる」という、予測の精度です。

ズボフの分析には、もう一つ、見落としてはならない点があります。回収されるデータは、サービスを成り立たせるために必要な分だけではない、ということです。地図が現在地を使うのは道案内のために当然ですが、実際には、その必要な分をはるかに超えて、サービスとは直接関係のない行動の痕跡まで——どこで指を止めたか、どの言葉に反応したか——余さず集められる。ズボフは、この「必要な分を超えて収奪される行動の余り」を行動余剰と呼びました。この余りこそが、予測商品の材料になります。

書き手は、二重の供給者になっている

ここで、書き手の役割が二重になっていることが見えてきます。

第一に、書き手は、注意を集めるコンテンツを供給します。第二に——こちらがより本質的なのですが——書き手は、自分自身の行動データもまた供給しています。

具体的に考えてみてください。投稿の時間帯を変えてみる。見出しの付け方を変えてみる。画像をつけたり外したりしてみる。そのたびに、反応がどう変わるかを観察し、次に反映させる。

あなたにとって、これは「自分の発信を改善する作業」です。けれど、事業者にとって、あなたのこの一連の試みは、「この種の人間は、どの刺激に、どう反応するか」という問いに対する、無数の実験データそのものです。

あなたが一回、投稿を調整するたびに、あなたは、自分という被験者を使った実験を一回ぶん、提出しています。しかも、その実験を、自発的に、熱心に、無償で、繰り返してくれる。世界中の書き手が、それぞれの工夫を凝らしながら、同じことを毎日続けている。これほど効率のよい、人間行動の研究装置は、ほかにありません。

つまり、収益化のために最適化を重ねることは、二つの意味を同時に持ちます。あなたの取り分を少し変えると同時に、あなたを含む人間という存在を、より深く予測可能なものへと変えていきます。

「もっと収益化しろ」と言う人の位置

最も身近なところにも、利害があります。

収益化に伸び悩んだとき、あなたは決まった助言を浴びます。記事数が足りない。単価の高い分野へ寄せろ。導線を最適化しろ。これらの助言は、書籍として、講座として、代行サービスとして、大量に供給されています。

その助言を売る側にとって、あなたが「もう少しうまくやれば結果が出るはずだ」と信じ続けることは、解決すべき問題ではなく燃料です。 だからこの市場が供給する助言は、「場所の構造を疑え」という方向には向かいません。常に「あなたのやり方を改善せよ」という方向を向きます。

巧妙なのは、その助言が、たいてい正しいことです。記事数を増やせば平均的な到達は増える。導線を整えれば取りこぼしは減る。嘘ではありません。けれど、その改善はすべて、同じ土俵の上で、より上手に踊る方法でしかない。 踊りが上手くなるほど、あなたはその土俵から降りるという選択肢を、ますます考えなくなります。

念のため添えておくと、これは誰かを黒幕として告発する話ではありません。 助言を売る人の多くは、自分の方法が効いたと信じ、善意で勧めています。悪意がなくても、ある物語が特定の人々にとって好都合であれば、その人々は意識せずともそれを広める側に回る。利益は、悪意なしに、物語を再生産します。

まとめ:分け前の大きさではなく、蛇口の所在

ブログ収益化そのものを否定する話ではありません。発信から収益が生まれることは、現にあります。

本記事が問題にしているのは、その収益が、いつでも蛇口を締められる経路の上に成立しているという、構造的な脆さです。 そして、収益化のための最適化が、あなたの起点を外へ動かし、同時に予測の精度を高める材料を供給し続けるという、二重の作用のほうです。

問うべきは「どうすれば単価が上がるか」ではなく、「この収益は、誰が蛇口を握っている経路の上にあるのか」です。

その全体像は、ブログを書き続けても自分の言葉が残らない理由にまとめています。供給者としての位置については拡散は、誰の資産になっているのかを、蛇口を自分の手に戻す方向についてはオウンドメディアの本当の利点は、比較表に載っていないを、あわせてお読みください。

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参考文献

【書籍】

  • Zuboff, S. The Age of Surveillance Capitalism(2019)PublicAffairs
  • Wu, T. The Attention Merchants: The Epic Scramble to Get Inside Our Heads(2016)Knopf
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