見出しの規則は守っているのに、下に何を書くか決まらない方へ/見出しは本文の要約ではなく、読むための枠を先に置いている

見出しの作り方は、問いの形で答えの範囲が決まることから始まる

同じ本文が、二つの見出しの下で別に読まれます。

「反応が返ってくるまでの時間」という見出しの下に置かれた段落と、「継続のコツ」という見出しの下に置かれた同じ段落では、読み手が拾う内容が変わります。前者は時間の話として読まれ、後者は方法の話として読まれる。本文は一字も変わっていません。

変わっているのは、読み手が本文を読む前に受け取った枠です。枠は本文より先に届くので、あとから本文の側で打ち消すことができません。

見出しの作り方のコツは、表示の規則として共有されています。階層を守る。三十字以内に収める。数値を入れる。簡潔にする。検索されている語を含める。規則はどれも守れます。守ったうえで、その見出しの下に何を書くかは、まだ決まっていません。

範囲を決めているのは、見出しの形です。「継続のコツ」の下には、頻度の話も、時間帯の話も、道具の話も入ります。「反応が返ってくるまでの時間は何で決まるか」の下に入るのは、その問いへの答えだけです。前者では書き終わりが決まらず、後者では問いに答えた時点で終わります。

答えが出るのは、次の三つです。第一に、見出しが枠として働くという事実が、立てる順序をどう変えるか。第二に、問いの形を選ぶことが、その節の何を決めているか。第三に、階層と字数の規則は、それぞれ何の制約なのか。

答えが出ないのは、何字にするか、階層をいくつ作るかです。ここに数値を足しても、表示の規則がもう一本増えるだけになります。数字を入れるかどうかは別の問いで、こちらには判定の基準があります。

範囲が決まっていないことは、規則の側からは検出されません。三十字以内で、階層が整っていて、検索語も入っている見出しは、規則を全部満たしています。満たしているので、直す機会が来ません。書き手が自分で問いを立て直すまで、その節は関連する内容で埋まったまま残ります。

読み手の側にも見えていません。「何の話か分かりにくい節」として通過するだけです。分かりにくいという感覚は、書き方の問題として処理されます。処理された時点で、範囲の話は消えます。

規則そのものを外す話ではありません。階層が崩れた記事は読みにくく、切れた見出しは意味が変わります。扱うのは、規則を全部満たしたあとに残る一つの層です。

なお、記事全体の順序をどう組むかは記事構成の原則の側です。ここで扱うのは、見出し一本の水準になります。

見出しの作り方のコツは、ほぼ一つに揃っている

見出しについての説明は、実務の側でほぼ一つの形にまとまっています。

見出しとは、本文を区切り、それぞれの区画が何を扱っているかを示すもののことです。読み手は上から順に読むとは限らないので、拾い読みで内容が分かるようにする必要があると説明されます。

規則が示されます。階層を飛ばさない。大見出しの下に中見出し、その下に小見出しを置く。見出しだけを並べたときに、記事の内容が分かる形にする。

長さの目安も示されます。三十字以内。表示される幅に収まる長さにする。長いと途中で切れる、という理由が添えられます。

内容の助言もあります。数値を入れると具体的になる。読み手が検索する語を含める。記事の内容を正確に表す。曖昧な表現を避ける。

避けるべきものも並びます。装飾のために見出しを使う。「はじめに」「まとめ」だけの見出しを置く。本文と対応していない見出しを付ける。

六項目はどれも当たっています。階層が崩れていれば読み手は迷いますし、拾い読みで内容が分かる形は実際に助けになります。長すぎる見出しが切れるという指摘も、そのまま事実です。表示の規則が要らないという話ではありません。見出しだけを拾って全体をつかむ読み方は、階層が整っていなければ成り立ちません。

この一式の底には、共通した一つの見方が敷かれています。見出しは、本文を分かりやすく示すための表示として整理されています。本文が先にあり、見出しはそれを指し示す。表示の問題です。

表示の問題として整理し切ると、見出しが本文の内容を決めているという向きが視野から外れます。見出しを先に立てて書き始めれば、その見出しが本文の範囲を決めています。

では、本文を書いてから見出しを付ければよいのではないか。順序としてはそれも可能です。ただ、書きながら範囲が広がるのを止めるものが無くなります。見出しが後なら、書き終えてから「この節は何の話だったか」を決めることになり、二つの話が入っていても見出しは付けられます。

この見方は、上達の向きも決めます。表示の規則を満たす精度を上げる方向へ進むことになるからです。精度は上がります。上がった精度が測っているのは、範囲ではなく見え方のほうです。

そして、規則の側にも返ってくるものがあります。表示の規則だけが共有されると、規則を満たした見出しが増えます。三十字以内で、階層が整っていて、検索語も入っている。それでも、その節が何に答えるかは決まっていません。

見出しは、読む前に理解の枠を置いている

見出しは本文を要約したものではなく、本文を読むための枠を先に置いています。枠の効果については、実験があります。1972年にブランスフォードとジョンソンは、手順を説明した文章を被験者に読ませました(Bransford & Johnson, 1972, Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior, 11(6), 717–726)。文章は文法的に正しく、単語も平易でしたが、何の手順かが書かれていませんでした。

題名を先に示した群は、理解度も、思い出せた量も高くなりました。同じ文章を、後から題名を示された群では、その差は出ませんでした。

この実験は文章の理解と再生を測ったものであり、記事の見出しの効果を直接測ったものではありません。示されたのは、枠が先にあるかどうかで、同じ文章の受け取られ方が変わるという方向です。

実務への含意が二つあります。第一に、見出しは本文の前に置かれるので、本文の読まれ方を決めている。第二に、後から付けた見出しでも、読み手にとっては先に来る。

本文が同じなら伝わる内容も同じではないか、という疑いが立ちます。同じではありません。読み手は本文の全部を等しく受け取るのではなく、枠に合う部分を拾います。枠が違えば、拾われる部分が変わります。実験が示しているのは、この差が理解と記憶の両方に出るという点です。

枠が強すぎると、本文の内容が枠に合わせて読まれます。本文に書かれていないことまで、枠から補って読まれる場合があります。したがって、本文が支えていない見出しは、誤読の原因になります。

枠が置かれる位置にも、条件があります。実験で差が出たのは、題名を先に示した群でした。後から示された群では、同じ題名でも差が出ていません。見出しが本文の後ろに置かれることはないので、この条件は自動的に満たされます。

この構造には、順序への含みがあります。枠として働くと分かれば、見出しを先に決める形が自然になります。先に決めると、本文はその枠の中で書かれます。枠が狭ければ書けることが減り、広ければ範囲が決まりません。見出しを立てる作業が、内容を決める作業になります。

先に決めることには代価もあります。書きながら見えてきたものが、枠の外に落ちます。落ちた分は、別の節へ回すか、枠を作り直すかになります。枠を作り直す判断ができるのは、枠が何をしているかを知っている場合だけです。

問いの形が、答えの範囲を決める

見出しを問いの形で書くと、答えるべき範囲が確定します。

分類名では確定しません。「見出しの作り方」の下には、階層の話も、長さの話も、検索の話も入る。入れられるということは、どこまで書けば足りるかが決まっていないということです。

この点そのものは、記事構成の原則で扱っています。ここで扱うのは、問いの形が複数あり、形ごとに答えの型が違うという点です。

「何か」を問う形は、定義を要求します。「見出しとは何か」の下には、定義が入ります。

「なぜか」を問う形は、機序を要求します。「なぜ分類名では終わりが決まらないのか」の下には、原因の説明が入ります。

「どこで」を問う形は、判定の手順を要求します。「その見出しが範囲を決めているかは、どこで確かめられるか」の下に入るのは、確認の方法です。

したがって、問いの形を選ぶことは、その節の型を選ぶことです。型が決まれば、書く内容の見当が付きます。決まっていない節が長くなるのは、型が決まっていないので、関連する内容を全部入れられるからです。

分類名のままの節を見てみます。「見出しの長さ」という節には、目安も、理由も、例外も入ります。「長さの目安は何の制約か」という節に入るのは、その問いへの答えだけです。目安の数値は、答えの一部として出てきます。

表示される見出しまで問いの形にすれば読みにくくなる、と感じる場面もあります。表示の形は自由です。「長さの目安は、表示の制約であって内容の制約ではない」と言い切る形でも構いません。必要なのは、書き手の側でその節が答える問いを一つに決めていることです。

すべての節が問いの形になるわけではありません。定義を先に渡す節や、共通の前提を敷く節があります。これらは、問いに答えているのではなく、問いを立てられる状態を作っています。

問いの形には、分量への働きもあります。一つの問いに答えるのに要る段の数は、問いを立てた時点で概ね見えます。段が一つで済む問いは、独立した見出しにする必要がありません。逆に、段が五つも六つも要る問いは、二つに割れています。この割れ方の結果として、見出しの本数が決まります。

この形には、書き手にとって都合の悪い所があります。問いの形にすると、答えられない見出しが出てくることです。問いは立つが、自分の側に答えが無い状態です。分類名のままなら、その節は関連する情報で埋められます。埋められなくなることが、この形の働きです。

そして、問いを立て直す作業は、本文を書き直す作業より軽い。問いは一行なので、書き直しても数分です。節を八本書いた後で同じ問題に気づけば、費用は八節ぶんになります。

階層は装飾ではなく、包含の関係である

大見出しと中見出しの関係は、大きさの差ではなく包含の関係です。

中見出しが扱う内容は、大見出しが扱う範囲の中に入っている。入っていなければ、その中見出しは別の場所に属します。

したがって、階層は判定に使えます。立てた中見出しが、上の見出しの範囲に含まれているかを見る。含まれていなければ、上の範囲が広すぎるか、その中見出しが別の節のものです。

表示の側から階層を選ぶと、この判定が働きません。「見た目に変化を付けたいから小見出しを入れる」という理由で立てた見出しは、包含の関係を持っていません。

「見出しの作り方」の下に「記事の書き方」を置くことはできません。後者のほうが広いからです。表示としては違和感がなくても、関係が逆になっています。

逆に、包含の関係が正しく作られていれば、階層を見るだけで構造が確かめられます。上の見出しの範囲を、下の見出しが分割している形になっているか。分割に漏れや重なりがあれば、そこに構造上の問題があります。

そこまで厳密に組む必要があるのか、という反論もあります。厳密さそのものが目的ではありません。効くのは、包含が崩れている箇所が、内容の問題を示している点です。上の範囲に入らない中見出しは、多くの場合、書きながら話が逸れた箇所です。

階層が浅い記事もあります。一段だけで足りる場合、無理に下の階層を作る必要はありません。階層は、分割が必要な場合にだけ立てます。

そして、階層が深いほど良いということもありません。三段以上の階層は、読み手が現在位置を把握しにくくなります。分割が必要なら、記事を分けるほうが読みやすいことが多い。

包含の関係には、確かめ方があります。中見出しの内容を、上の見出しの言葉で言い直せるかを見ることです。言い直せるなら、含まれています。言い直すと不自然になるなら、そこで範囲が外れています。

この確かめ方は、書きながらでも使えます。書いている段落が、いまの見出しの言葉で言い直せるか。言い直せなくなった箇所が、話が逸れた地点です。

包含で組むと、別の所に負荷が出ます。見出しの言葉が長くなりやすくなることです。範囲を正確に示そうとするからです。長さの制約と衝突するので、どこかで削ることになります。削るときに落ちるのは、多くの場合、範囲を限定していた部分です。落ちた後の見出しは、表示の条件を満たしたまま、範囲だけが広がった状態になります。そして広がったことは、見出しを見ても分かりません。

字数の目安は、表示の制約であって内容の制約ではない

三十字という目安は、表示される幅から来ています。表示の制約は実在します。検索結果や一覧で、一定の長さを超えた部分は表示されません。読み手がその見出しを見る場面では、切れた形で見えます。

内容の制約は、別のところから来ます。その節が答える問いを、過不足なく示せるか。示すのに三十五字要るなら、三十五字要ります。

二つを混ぜると、内容の側が削られます。収めるために限定を落とし、条件を落とし、結果として範囲の広い見出しになります。範囲が広がると、その節の書き終わりが決まらなくなります。

したがって、順序があります。先に、範囲を示す形で書く。その後で、表示の制約に合わせて縮める。縮めるときに、何を落としたかを把握しておく。

「越える工夫は、壁の側を強くする」は表示に収まります。「越える工夫が共有されると、その形が見慣れたものになり、次の判定が早まる」は収まりません。後者が範囲を正確に示しているなら、前者は短縮形であり、書き手はその節の範囲を後者で持っておくことになります。

切れて表示されるなら短くするしかないのではないか、という向きには線が引けます。表示の場面では短くします。記事の中で表示される見出しは、切れません。二つは別の場所なので、別の判断ができます。記事内の見出しと、一覧に出るタイトルは、同じ文字列である必要がありません。

短くすることが常に損失というわけでもありません。短くできるということは、範囲が絞れているということでもあります。削って短くなる見出しと、削れない見出しの差は、範囲が一つに絞れているかどうかです。

検索される語を含めるという助言も、この順序に置けます。範囲を決めてから、その範囲を表す語として検索語が使えるかを見る。先に語を入れて、後から範囲を合わせると、範囲が語のほうへ引っ張られます。

削るときの順序も決まります。落としてよいのは、範囲を変えない語です。「〜について」「〜の話」といった枠の語や、重複した修飾。落としてはいけないのは、範囲を限定していた語です。「見出しの数を決めているのは何か」から「見出しの数」へ縮めると、問いが分類名に戻ります。

数値には、判定を吸い寄せる働きがあります。三十字以内なら良い見出し、超えたら悪い見出し。目安を数値で覚えると、判定はこの一本になります。そしてこの判定は、範囲が決まっているかを見ていません。見ていないので、範囲の広い見出しが、条件を満たした見出しとして残ります。

見出しに置いた語の範囲が共有されていないと、節は二つに読まれる

見出しに使った語の意味が書き手と読み手で違っていれば、枠ごとずれます。

この機序は、説明が上手くなる順序で扱いました。易しい語ほど、各自が別の意味を持っているので、確認の動作が発生しない、という構造です。見出しでは、この問題が節全体にかかります。

見出しが枠を置いているので、本文をどれだけ正確に書いても、読み手が拾うのは自分の枠に合う部分だけになります。

「導線」という語を見出しに置いたとします。書き手は、入口から登録までの経路のことを指しています。読み手が、ページ内のボタンの配置を指す語として持っていれば、その節はボタンの話として読まれます。本文で経路の話をしても、読み手にとっては期待外れです。

したがって、見出しに使う語には条件が付きます。定義がその節の中に置かれているか、定義が要らないほど範囲が狭い語であるか。どちらでもない語は、見出しから外すか、定義を先に置くことになります。

外す場合の書き換えは単純です。語を、その語が指している内容に置き換える。「導線の設計」を「入口から登録までの経路をどう組むか」にする。長くなりますが、範囲は共有されます。

一般的な語を使ったほうが検索されるのではないか、という向きは正しい指摘です。検索の面では有利です。有利さと、範囲の共有は別の軸です。両立させる形は、見出しに語を置き、その節の最初の一文で範囲を指定することです。「ここでいう導線とは、入口から登録までの経路のことです」。

すべての語に定義が要るわけではありません。範囲がほぼ一つに定まっている語——数値、固有の手順、日常の動作——は、そのまま使えます。定義が要るのは、抽象度——その語が指す範囲の広さ——が高く、複数の水準で使われている語です。

判別の目安が一つあります。その語を、別の言葉で言い換えてみて、複数の言い換えが同時に成立するか。成立するなら、範囲が定まっていません。

定義を置けば、置いた場所に別の問題が出ます。見出しの下の第一段落が定義になり、結論を先に置く形と競合するからです。解き方は、結論の中に定義を含める形です。「入口から登録までの経路は、一本に合流していれば入口が複数でも構いません」。この一文は、範囲の指定と結論を同時に運んでいます。定義だけの段落を置かずに済むのは、結論の側が範囲を含んでいる場合に限られます。含んでいない場合は、定義の段落を先に置くほうが安全です。

数字を入れる助言が指しているのは、数えた対象である

「見出しに数字を入れると具体的になる」という助言には、二つの読み方があります。第一の読み方は、数えたものを示すことです。「三つに分かれる」という見出しは、その節が三つを扱うことを示しています。読み手は、三つ読めば終わりだと分かります。

第二の読み方は、数字そのものが引くという理解です。「七つの方法」「五分でできる」。この場合、数字は内容ではなく形式として置かれています。

二つの差は、その数字が本文の構造と対応しているかどうかです。対応していれば、数字は範囲の指定です。対応していなければ、装飾です。

装飾として置かれた数字には、機構上の問題があります。数を先に決めると、その数に合わせて内容が調整されるからです。七つ挙げるために、六つ目と七つ目が薄くなります。

対応している場合は単純です。「行動しない理由は三つに分かれる」と書いたなら、本文は三つに分かれています。「文章が上手くなる七つの方法」と書いた場合、七という数は内容の側から出てきたのか、書く前に決まっていたのかが分かりません。

判別は、書き手には付きます。その数は、内容を整理した結果として出たか。先に決めたなら、装飾です。

数字が入っているほうが読まれるのではないか、という指摘は当たっています。読まれます。読まれる理由は、読み終わりが見えるからです。七つと書いてあれば、どれくらいで終わるかが分かります。この働きが保たれるのは、数が内容と対応している場合です。対応していない場合、読み終えた読み手は、七つのうち後半が薄いことに気づきます。

内容から出た数が、たまたま切りの良い数になることもあります。その場合、そのまま書けます。問題になるのは、数を先に決めて内容を合わせた場合だけです。先に決めた数は、内容が三つで足りるときも四つ要るときも、同じ七を要求します。要求に合わせた分だけ、節の厚みは不揃いになります。

修辞として程度を数値に置き換える形は、これとは別の話です。「たいへん多くの」を「三倍の」と書き換える形は、比較の基準を含んでいません。数字の扱いそのものは、セールスコピーの原則にあります。

数を見出しに入れると、後の作業に効いてきます。三つと書いた節に四つ目を足すには、見出しを直すことになるからです。直すのが面倒なので、四つ目が本文の中に紛れます。紛れると、読み手が数えたときに合いません。合わないことに気づいた読み手は、その先の数字も数え直すようになります。数が範囲の指定として働くのは、指定が守られているあいだだけです。

言葉が出てこない節は、中身の側が二つに割れている

「見出しの言葉が出てこない」という状態の原因は、主に二つに分かれます。

第一の原因は、その節が二つの話を含んでいることです。二つあるので、一つの見出しに収まりません。収めようとすると、両方を含む広い語——分類名——になります。

第二の原因は、その節が答える問いが決まっていないことです。何に答えるか決まっていないので、問いの形で書けません。書けないので、扱う対象の名前を置くことになります。

二つとも、症状は「良い見出しが思いつかない」です。区別は、その節の内容を一文で書いてみると付きます。「そして」「また」が入るなら第一の原因で、一文が書けないなら第二の原因です。

どちらの場合も、解き方は見出しの側にありません。節を分けるか、問いを決めるかのどちらかです。

階層の話と長さの話が一つの節に入っていたとします。この節に付けられる見出しは「見出しの形式について」のような広い語だけです。分ければ、それぞれに問いの形の見出しが付きます。

うまい言い回しが見つかれば収まるのではないか、という期待は残ります。収まる場合があります。収まったとき、その見出しは二つの話を一つの枠で示していることになります。読み手は、枠に合う部分だけを拾うので、片方が落ちます。落ちる側は、読み手ごとに違います。

二つの話が並ぶこと自体が主題である節はあります。分界を示す節です。この場合、見出しは「二つが別のものである」という一つの問いに答えています。判別は、その二つの関係を一文で書けるかどうかです。書けるなら一つの節で、書けないなら二つの節です。

もう一つ、別の原因もあります。節の中身は決まっているが、それが既に別の節で扱われている場合です。この場合、見出しを立てようとすると、既に扱っている節と似た言葉になります。似ることが、重複の検出になります。

似た見出しが並んでいるときの扱いは二つです。二つの節を一つに畳むか、片方を別の角度の問いに立て直すか。言い回しを変えて似ていないように見せる形だけが、重複を保存します。

内容の問題として扱えば、作業はそこで止まります。節を分けるか、問いを決め直すことになるからです。言葉を探す作業のほうが手は動きますが、動いた分だけ、決まっていない状態が保存されます。保存された状態は、公開まで残ります。

手が動くかどうかで作業を選ぶ癖には、もう一つの帰結があります。言葉を探す作業は、上限が見えません。分割か問いの決め直しは、どちらを選んでも数分で終わります。時間の配分は、判定の質と逆を向きます。

立てた見出しが範囲を持っているかの見分け方

立てた見出しは、本文へ入る前に三通りに当てられます。

第一の確認は、見出しを問いの形にしてみることです。

分類名のままの見出しは、ここで引っかかります。問いにしたうえで、一行で答えてみる。答えが出ないなら、その節はまだ書けません。答えが二つ出るなら、節が二つあります。

第二の確認は、上の見出しの範囲に含まれているかを見ることです。

含まれていなければ、その見出しは別の場所に属します。並んだ中見出しが、上の範囲を過不足なく分割しているかも、ここで見えます。重なりがあれば、二つの節が同じことを扱っています。

第三の確認は、立てた見出しだけを順に読み、記事の内容が再構成できるかを見ることです。

再構成できるなら、見出しは範囲を示しています。できないなら、見出しは本文の目印としてしか働いていません。拾い読みする読み手が受け取るのは、この並びだけです。

三つとも、長さや語の選び方を見ていません。それらは表示の条件であって、範囲が決まっているかとは別の軸だからです。

三つに入っていない判定が一つあります。その問いを読み手が実際に持っているかどうかです。問いの形になっていて、階層も整っていて、それでも読み手が持っていない問いである、という見出しは成立します。持っていない問いに答える節は、正確に組まれていても読まれません。この判定ができるのは、書く前の段だけです。

階層をいくつ作るか、一本を何字にするか、数字を入れるかどうか。ここに目安を足しても、それは表示の規則がもう一本増えるだけです。ここまで分けてきた二つの制約——表示の側と範囲の側——を、目安のほうがまた一つに混ぜてしまいます。

見出しが決めているのは、本文のどの部分が拾われるかです。枠が広ければ拾われる範囲も定まらず、範囲が定まらない節は書き終わりも決まりません。階層も字数も語の選択も、この一点に対する制約として並んでいます。

書けない見出しの前で取れる手は、二つに絞られます。節を二つに分けるか、その節が答える問いを決め直すか。どちらを取るかは、その節の内容を一文で書いてみれば分かれます。一文に「そして」「また」が入るなら分割の側、一文が書けないなら問いの側です。

記事全体の順序をどう組むかは記事構成の原則で、語の範囲を共有する手順は説明が上手くなる順序で扱っています。冒頭の数行をどう書くかは、リード文の書き方が隣に当たります。節が答える問いを決め直せたかどうかは、書き上がるまで待たなくても分かります。進んでいるかをどこで測るかは言語化の設計が引き受けています。

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