手法を変えても、結果が同じだった方へ/手法を増やすことは、四つの段のうち一つ目にしか効かない

集客できないとき足りないのは、手法の数ではなく届く経路である

新しい手法を試しては、数週間で止めている。媒体を変えても、結果は同じだった。詳しい人に聞くと、対象を絞れと言われる。絞ってみたけれど、何が変わったのかは分からない。集客というものが、自分には向いていないのだと思い始めている。

「集客」は一つの作業の名前ではありません。性質の違う四つの段を畳んだ語です。見つかること、関心を持たれること、連絡が取れる状態になること、判断が起きること。四つは順番に通過されるので、どこで止まっても、外から見える症状は同じ一語になります。四通りの状態が、一つの言葉に落ちてきます。

人が来ないとき、原因として挙がるのは手法の側に寄りがちです。使っている媒体が合っていない、対象が絞れていない、伝え方が弱い。どれも観測できる事実で、直せば実際に少し動きます。動く先は一段目です。手法とは一段目の実現手段であり、下流のどこかが存在しない状態では、一段目をいくら太くしても通過する人数は変わりません。そして変わらないまま何種類か試すと、説明は本人の適性へ移ります。集客が向いていない、という形です。

問題は手法の数ではなく、経路が端から端まで通っているかどうかの側にあります。四つのうちどれが欠けていても結果は同じなので、「効かなかった」という観測からは、どの段が欠けているかが読めません。読めないまま次の手法へ移ると、同じ観測がもう一度返ってきます。

そのため、手法の一覧は出てきません。どの媒体を使うか、何を出すか、どう書くか。これらはいずれも、どの段が詰まっているかが決まってから選ぶもので、決まる前に選べば、効いたかどうかを確かめる手段がないまま試行だけが積み上がります。どの手法が優れているかの比較も扱いません。同じ手法が、段の揃っている人には効き、揃っていない人には効かないからです。「来ない」という症状そのものの分解も、お客さんが来ないとき、見えている理由と見えていない理由にあります。ここで置くのは、経路のどの段で止まっているかを特定する側です。

四つの段を一本に通すのに、大きな数は要りません。一段目が月に十人でも、四段目まで通っていれば、経路は経路として働きます。通っていない経路に人を足しても、増えるのは一段目の数字だけです。だから最初に決めるのは、どこを太くするかではなく、どこが切れているかになります。切れている場所が分かれば、そこから先は手法の比較ではなく、一つの段の設計の問題になります。

集客は一つの作業ではなく、四つの段でできている

人が来て依頼が成立するまでには、性質の違う四つの段があります。

一段目は、見つかることです。こちらの存在が、相手の視界に入る。この段で必要なのは露出であり、手法の大半はここを扱っています。

二段目は、関心を持たれることです。見つけた後に、続きを読む理由が生まれる。この段で必要なのは、扱っている問題と相手の状況が一致していると分かることです。

三段目は、連絡が取れる状態になることです。一度きりの閲覧ではなく、こちらから届けられる状態になる。この段で必要なのは、相手が連絡先を預ける理由です。

四段目は、判断が起きることです。依頼するかどうかを、相手が決める。この段で必要なのは、決めるための材料です。

四つは、順番に通過されます。そして、どれか一つが欠けていれば、結果はどれも同じ「集客できない」になります。

三段目を飛ばして、いきなり依頼が来ることもあります。そして、その場合でも段は飛ばされていません。見つけて、関心を持ち、その場で判断が起きただけです。三段目が要るのは、判断がその場で起きなかった場合に、もう一度届ける手段を持つためです。飛ばせるのではなく、飛ばせた人の分だけ、三段目が使われなかったということです。

四つの段は、必ずしも別の場所で起こるわけではありません。一つの記事の中で、見つかり、関心を持たれ、連絡先が渡されることもあります。分けているのは場所ではなく、成立している条件のほうです。

詰まりの位置は、次の形で見えます。一か月のあいだに、何人がその段を通過したかを段ごとに数えます。数えられない段があるなら、そこは設計されていません。設計されていない段は、通過している人数がゼロかどうかも分かりません。

四つの段は、通過にかかる時間も桁違いに違います。一段目は数秒、二段目は数分、三段目はその場か数週間後、四段目は数か月かかることがあります。時間の尺度が違うので、同じ月の数字を並べても、原因と結果が対応しません。今月の四段目の数字は、数か月前の一段目の結果です。

四つを「集客」という一語に畳むと、対処が手法の選択として現れます。手法は一段目に対応しているので、どの段が詰まっていても、出てくる処方は一段目のものになります。そして効かないので、次の手法へ移ります。手法を渡り歩く状態は、意欲の問題ではなく、語の畳み方の帰結です。

対処の重心は、手法と媒体の選定にある

集客について勧められることを集めると七つになり、その多くが一段目と二段目を扱っています。

やみくもに人を集めようとしない。誰に一番役立つのかを明確にする。見込み客がなぜ買うのかを把握する。使っている媒体が対象と合っているかを見直す。売りの部分が伝わる形になっているかを確認する。競合を分析する。サイトから申し込みまでの導線が整っているかを見る。

七つには、いずれも効いている場面があります。とくに「やみくもに集めない」という指摘は、この領域の重要な部分を突いています。集める相手を絞らないと、二段目——関心を持たれること——が成立しないからです。「なぜ買うのかを把握する」も、四段目の判断材料に直結します。

「導線が整っているか」に至っては、三段目と四段目を正面から扱っています。

そのうえで、七つの並び方を見ます。四つの段のうち、どの段の話をしているのかが示されていません。対象の明確化は二段目、媒体の見直しは一段目、導線は三段目と四段目。別々の段の処方が、同じ一覧に並んでいます。

これは書き手の欠陥ではありません。読み手がどの段で詰まっているかは、書く側には分からないからです。分からない以上、全部を並べるのが誠実な形になります。

全部やればどの段の詰まりも解消する、という反論は理屈としては通ります。実際には、全部を同時にはできません。そして、詰まっていない段を直しても数字は動かないので、動かなかったという結果が、実行の不足として記録されます。

七つが外れているのではありません。一つひとつは、対応する段に対して正確です。足りないのは処方ではなく、自分がどの段にいるかを判定する手順のほうです。

「競合を分析する」という処方だけは、どの段にも直接は対応していません。競合が何をしているかを見ても、自分のどの段が詰まっているかは分からないからです。分析から出てくるのは、多くが一段目と二段目の差分——あちらは出していて、こちらは出していないもの——であり、それを埋める作業は模倣になります。埋めるべきものと、自分の詰まりは、別の場所にあります。

この一覧を上から実行すると、順序が段の順序と一致しません。対象の明確化から始めることが多いのですが、対象を明確にしても、一段目で見つかっていなければ、明確化の効果は観測できません。効果が観測できない改善は、正しく行われても、正しかったことが分かりません。

手法を増やすことは、一段目にしか効かない

手法とは、見つけられ方の種類を指します。だから増やしても、一段目より先には届きません。

検索から見つかる。紹介から見つかる。他の人の場所で言及されて見つかる。広告で見つかる。どれも、一段目の実現手段です。

だから、手法を増やすと、一段目を通過する人数が増えます。そして、それ以降の段は何も変わりません。二段目で止まっているなら、増えた分もそのまま二段目で止まります。

これは比率の問題として表現できます。一段目を通過した人のうち、二段目へ進む割合が一割だとします。手法を増やして一段目が十倍になれば、二段目も十倍になります。ただし、三段目が設計されていない場合、そこから先は何倍になってもゼロのままです。ゼロに何を掛けてもゼロだからです。

つまり、段が一つでも欠けていると、手前の段をいくら増やしても結果は変わりません。

同じ形の法則が、農学の側にあります。植物の生育量は、供給されている養分の合計ではなく、最も不足している一つの養分で決まるという法則です。窒素をいくら足しても、リンが足りていなければ生育は伸びません。最小律と呼ばれ、リービッヒの名で流通していますが、定式化したのはカール・シュプレンゲルで、1828年のことでした(van der Ploeg, Böhm & Kirkham, 1999, “On the Origin of the Theory of Mineral Nutrition of Plants and the Law of the Minimum”, Soil Science Society of America Journal 63(5), 1055-1062)。

経路も同じ形をしています。足した分が効くのは、そこが最も不足している段である場合だけです。そして、どの段が最も不足しているかは、足す前には分かりません。分からないまま足せるのは、一段目になりがちです。手法は目に見え、着手でき、完了が分かるからです。

まったく変わらないわけではありません。一段目が増えれば、その場で判断まで進む少数の人の絶対数は増えます。変わるのは、その少数だけです。そして、その少数は元々の人数が少ないので、増えても実感に届きません。

手法の追加が二段目に届く場合もあります。媒体を変えた結果、集まる人の性質が変わったときです。この場合、効いているのは手法の数ではなく、対象の変化のほうです。手法を増やしたから効いたのか、対象が変わったから効いたのかは、区別しておかないと、次に何を増やすかの判断を誤ります。

では段を全部作ってから手法を増やすべきなのか。順序としてはそうなります。ただし、段を作る作業は、一段目に人がいない状態でもできます。むしろ、人が来る前に作っておくほうが、来たときに取りこぼしません。

手法によって、通過しやすい段も少し違います。紹介で見つかった人は、既に一定の信頼を持って来るので、二段目と四段目を速く通ります。検索で見つかった人は、探していた問題が一致しているので二段目は通りますが、書き手についての判断は一から始まります。手法は一段目の実現手段でありながら、そこを通った人の性質までは決めています。

手法を増やす作業には、進んでいる実感が伴います。新しい媒体に登録する、新しい形式で発信する。作業として明確で、完了が分かるからです。段を設計する作業は、完了の形が見えにくく、しかも直後には何も起きません。実感の量と、効果の大きさは逆に対応しがちです。

同じ症状が、四通りの原因を持つ

段が四つあるということは、同じ「集客できない」が、四通りの意味を持つということです。

一段目で止まっている場合、症状は「誰も見ていない」です。表示回数が少ない。サイトに人が来ない。

二段目で止まっている場合、症状は「見られているが、素通りされる」です。訪問はあるが、すぐ離れる。

三段目で止まっている場合、症状は「読まれているが、接点が残らない」です。記事は読まれ、反応もある。けれども、次に届ける手段がない。

四段目で止まっている場合、症状は「関心はあるが、決まらない」です。問い合わせは来る。相談まで進む。そこから先が動かない。

四つは、外から見ると同じです。依頼が発生していない、という同じ形で現れます。けれども、必要な操作はまったく違います。

そして、自覚されにくいのが三段目です。一段目と二段目は数字として見えます。四段目は接点があるので分かります。三段目だけは、通過しなかった人が何も残さずに去るので、詰まっていることに気づけません。

複数の段が同時に詰まっていることは、珍しくありません。その場合、直す順序は上流からになります。下流を直しても、上流で止まっているかぎり、直した効果は観測できないからです。

四段目が詰まっているならそこが一番重要ではないか、という見方もできます。件数としては最も少ない段です。ただし、一件あたりの重みは最も大きくなります。重要度と件数は別なので、どちらを先に直すかは、いま何が不足しているかによります。件数が足りないなら上流、成立率が低いなら下流です。

三段目が自覚しにくいのは、記事が読まれている実感があるからでもあります。読まれていて、反応もある。その状態は、うまくいっている状態と区別がつきません。読まれることと、次に届けられることのあいだに段があるという事実は、読まれているかぎり意識に上りません。

四つの段は、詰まりが解けたときの現れ方も違います。一段目が解ければ数字がすぐ動き、三段目が解けても当月は何も起きません。連絡先が増えたことの効果は、次に何かを届けたときに初めて現れるからです。解けた実感の大きさも、段によって順番が付いています。そして実感の小さい段ほど、直したことを自分で忘れます。

四つの段を区別しないと、他人の助言が食い違って見えます。露出を増やせと言う人と、絞れと言う人が、両方います。どちらも正しく、見ている段が違うだけです。段の区別がないと、この二つは矛盾する助言として受け取られ、どちらを信じるかという別の問題に変わります。

広がることは、辿れることと同じ働きをしない

一段目について、一つ整理します。拡散という現象は、一段目の中でも特殊な位置にあります。

拡散とは、こちらの発信が、こちらの届く範囲の外まで運ばれることです。一度に大量の人の視界に入るので、一段目としては強力に働きます。

ただし、拡散には方向がありません。どういう人に届いたかを選べないので、二段目へ進む割合が極端に下がります。関心の一致していない人が大量に含まれるからです。

さらに、拡散は経路として使えません。経路とは、繰り返し通れる道のことです。検索は、同じ言葉で探す人が来るたびに通れます。紹介は、紹介する人がいるかぎり続きます。拡散は一度きりで、再現の手順がありません。

つまり、拡散は結果であって、手段ではありません。起きたら一段目が一時的に大きくなる出来事であり、設計の対象にはなりません。

この違いは、労力の配分に直接効きます。経路は、通した回数だけ通りやすくなります。検索から来る流入は、記事が増えるほど積み上がり、紹介は一度うまくいくと次の紹介を呼びます。拡散には、この積み上がりがありません。一度起きたことは、次に起きる確率をあまり変えません。

拡散に意味がないという話ではありません。拡散をきっかけに三段目へ進んだ人は、そのまま残ります。三段目が設計されている場合にかぎり、拡散は蓄積に変換されます。設計されていない場合、増えるのは表示回数だけです。

拡散しやすい形を狙えば再現できるのではないか。確率は上げられます。ただし、拡散しやすい形——強い断定、対立、驚き——に寄せると、集まる人の性質が変わります。反応しやすい人が増え、判断が慎重な人は離れる。一段目の量を増やす操作が、二段目の質を下げる方向に働きます。

経路と呼べるかどうかは、繰り返せるかで決まります。検索、紹介、他の人の場所からの言及、広告。これらはいずれも、同じ条件を用意すれば再び通ります。通るたびに費用が違うだけで、再現の手順は存在します。拡散だけが、手順を持ちません。

経路と拡散は、失われ方も違います。経路は、使わなくなると細くなりますが、同じ条件を用意すれば戻せます。拡散は、起きた後に何も残しません。残るのは、その日の数字の記録だけです。そして記録は、次に何をすればよいかを教えません。

拡散を経験すると、その日の数字が基準になります。通常の日の数字が、それに比べて小さく見えます。そして、拡散が再現できないので、比較の対象は永久に届かない値として残ります。

「集客が苦手」という言い方が、閉じてしまうもの

「集客が苦手」という表現は非常によく使われますが、実際に性質が関わるのは、四つの段のうちごく一部です。

この言い方には、二つの働きがあります。一つは、説明としての働きです。うまくいっていない状態に、理由を与えます。もう一つは、範囲を確定する働きです。苦手なのは自分の性質なので、変わらないものとして扱われます。

問題は、後者です。集客の不調を本人の性質として扱った瞬間、どの段で止まっているかという問いが立たなくなります。苦手なのだから止まっている、で説明が完結してしまうからです。

けれども、四つの段を見ると、性質が関係する部分はごく一部です。一段目——見つかること——は、手順の問題です。三段目——連絡先を預かること——は、設計の問題です。性質が影響しうるのは、人に会って話す形式を選んだ場合の、四段目くらいです。

つまり、苦手だと感じている対象は、四つの段のどれか一つであることが多く、集客そのものではありません。

そして、どの段かは特定できます。思い浮かべたときに気が重くなる場面を、一つ挙げてみます。人前で話す場面なら形式の問題、値段を言う場面なら四段目、連絡先を尋ねる場面なら三段目です。気の重さは全体に広がっているように感じられますが、実際に思い浮かぶ場面は、一つか二つに限られがちです。

特定の形式が向いていないことは、実際にあります。人前で話すこと、初対面で売り込むこと、電話でのやり取り。これらは形式の選択の問題であり、避けられます。形式が複数ある以上、向いていない形式を避けることは、能力の欠如ではなく選択です。

性質として扱えば無理をしなくて済む、という利点はあります。向いていないものを避ける判断は、実際に合理的です。失われるのは、避けた後に何が残っているかを見る機会のほうです。全体が苦手だと括ると、残りの部分も一緒に閉じてしまいます。

「苦手」という語は、経験の記録としては正確です。実際にやってみて、うまくいかなかった。その記録自体は事実です。事実から外れているのは、その記録を性質の証明として読む部分であり、同じ記録は「その形式が合っていなかった」という読み方でも成立します。どちらの読み方も同じ事実から導けるので、事実は読み方を決めません。

この言い方は、周囲からも受け入れられやすい形をしています。苦手だと言えば、それ以上は問われません。説明として通用してしまうので、問い直される機会が外からも来なくなります。

段のあいだで、こちらから相手を移す操作は存在しない

設計の原則を一つ置きます。四つの段を通過するのは、相手です。こちらではありません。

こちらにできるのは、通過する条件を整えることだけです。見つかる場所に置く。関心が一致していると分かる形で書く。連絡先を預ける理由を渡す。判断の材料を揃える。

相手を動かす操作は、この中にありません。

この区別は、実務上の意味を持ちます。動かそうとする設計は、期限や希少性を使いがちです。今だけ、残りわずか、この機会を逃すと。これらは判断の時間を削る操作であり、相手の側の検討を短くすることで通過率を上げます。

上がります。そして、上がった通過率の中身が変わります。十分に検討していない状態で進んだ人が含まれるからです。四段目の数字は改善し、その後に起きることの質が下がります。

期限が事実として存在する場合は、伝えるべきです。実際に定員がある、実際に期間がある。問題は、無い期限を作ることであって、ある期限を伝えることではありません。事実を伝えないことは、判断材料を欠いた状態で決めさせることになります。

これは「何もしない」という意味ではありません。条件を整える作業は、四つの段すべてに存在します。手を出さないことと、条件を整えることは別で、前者は放置であり、後者は設計です。動かさないという原則は、設計しない理由になりません。

背中を押すことが相手のためになる場合も、あります。そして、その判定をこちらが行っているという点が問題です。相手にとって良いかどうかを、相手より先にこちらが決めている構造だからです。渡せるのは判断の材料までで、判断そのものは相手の側に残ります。

動かさないという原則は、四つの段のどこにも同じようにかかります。一段目で動かさないとは、見つかりやすさを偽らないこと。四段目で動かさないとは、判断の期限を作らないこと。段ごとに、動かさない対象の名前が変わります。

条件を整えることと、動かさないことは、両立します。判断に必要な材料を揃え、迷う箇所を減らし、手続きを分かりやすくする。これらはすべて、相手の判断を助ける操作であって、判断を代わりに行う操作ではありません。分界は一点です——取り除いているのが、こちら側の未決から生じた迷いなのか、相手が検討すべき事柄なのか。前者は削ってよく、後者は残します。

この原則を守ると、通過率は下がります。短期の数字は、動かす設計に負けます。戻ってくるのは、時間をかけた後です。十分に検討して進んだ人は、途中で離れず、条件の説明も要りません。倫理として選んでいるように見えるものが、実際には後段の費用を下げています。

細くてよいので、経路を端から端まで一本通す

順序の話をします。四つの段を、太くする前に、まず一本つなぎます。

つながっているとは、一段目から四段目まで、実際に一人が通過した記録があるということです。

一人で足ります。一人が通過していれば、四つの段はすべて存在していることが確認できます。そして、存在が確認できた段は、その後いくらでも太くできます。

逆に、どこかが存在していない状態で他の段を太くすると、太くした分がすべてそこで止まります。止まった分は観測できないので、太くした作業の効果も分かりません。

だから、順序は「細く通す」→「詰まりを探す」→「太くする」になります。実行されている順序は、逆になりがちです。太くする作業から始まり、通っているかどうかは最後まで確かめられません。

細く通す段階で、収益は発生しません。一人が通過しても、事業としては何も変わりません。この段階の目的は、収益ではなく、経路の存在確認です。目的を取り違えると、通ったことの価値が見えません。

一人が通過したのはたまたまではないか、という疑いは当たっています。一人では再現性がありません。確認できるのは、再現性ではなく、各段が物理的に存在していることのほうです。存在の確認と、再現性の確認は別の作業で、順序としては存在の確認が先に来ます。

段の並びそのものの設計はファネル設計の原則が、入口を複数持ちながら合流を一本にする形は導線設計が扱っています。

一本通した後の「太くする」は、四つの段のどこでもできます。一段目を太くするのが最も分かりやすいのですが、通過率の低い段を直すほうが、同じ労力に対する変化が大きくなることがあります。一割が二割になれば、それは一段目を二倍にしたのと同じ効果です。そして、割合の改善には上限がありますが、上限に達するまでは費用がほとんどかかりません。

一本通すという目標には、達成の形がはっきりしているという利点もあります。太くする作業は、どこまでやれば終わりかが決まりません。一本通すほうは、通ったかどうかで終わります。終わりの形が決まっている作業は、着手できます。

細く通す作業は、他人に見えません。発信を増やす作業は外から見えますが、経路を確認する作業は何も生み出していないように見えます。そして、成果を出している人が語るのは、太くする段階の話が多くなります。通す段階は、語る材料として面白くないので、流通する情報の中に現れません。

経路が通ると、段の側に数が出る

問うのは集めた人数ではありません。どの段が働いているかを言えるようになったかどうかです。

第一に、四つの段それぞれについて、通過人数を言えるかを見ます。

正確な数である必要はありません。言えるかどうかだけを見ます。言えない段があるなら、そこは測定が設計されていないので、詰まっているかどうかも分かりません。測れていない段の数が、そのまま診断できない範囲の大きさです。

第二に、詰まりを直したとき、直した段の数字だけが動いたかを見ます。

直した箇所と動いた箇所が一致すれば、段の切り分けが正しかったことになります。別の段が動いた場合、段の分け方そのものを見直す材料になります。一致の確認は、次の判断の精度を決めます。

第三に、手法を一つ止めたときに、何が減るかを見ます。

止めても何も減らないなら、その手法は経路として働いていませんでした。減るものがあれば、それがその手法の担っていた段です。止めることは、貢献の大きさを測る確実な方法の一つです。

いずれも、集めた人数を数えていません。並ぶのは、段ごとの可視性と、切り分けの的中と、止めたときの差分です。人数は結果の側にあり、どの段が働いているかを教えないので、増えても減っても経路の状態は読めません。

新しい手法を試しては数週間で止めていた期間に、実際に起きていたことは一つです。毎回、最も不足していない段を足していました。止めたのは飽きたからではなく、足した分がどこにも現れなかったからです。足す場所が違っていれば、現れないほうが正しい結果です。

向いていないという読みも、材料の上には立っています。何度試しても動かなかったという事実は、実際に起きていることです。二つの読みが分かれるのは事実の側ではなく、その先に確かめる手続きが付いているかどうかのほうです。適性という語の先には、手続きがありません。段という語の先には、どの段が通っていないかを見に行く手続きがあります。正しさの保証はどちらにも無く、確かめられるかどうかだけが違います。

少なさは、この段階では欠陥を意味しません。四つの段を一本通しても、来る人数はおそらくまだ少ないままです。変わっているのは、そこから先に足すものを段の名前で言えるようになっていることのほうです。

どこから疑うかという手順は成約率が悪いとき、どこから疑うかが、連絡が取れる状態を持つという三段目そのものはリスト集めの前提が扱っています。全体の段がどう並んでいるかはマーケティングファネルの設計にあり、その段を人手をかけずに回す範囲は仕組み化の設計が置いています。「来ない」という症状そのものの分解はお客さんが来ないとき、見えている理由と見えていない理由が、場の数字と事業の数字の分離はフォロワーが増えないことは、事業の問題ではないが、発信を続ける条件はブログが続かないのは、返ってくる速さの差のせいが扱っています。

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